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2014年12月29日
第573回「ふかわ大陸〜前編〜」
「喉を痛めたときに、あらためて感じたんです」
彼は、ハンドルを握り、まっすぐ前を見つめていた。
「人間って、楽器なんだなって…」
その言葉は、いったいどういう意味なのだろうか。
ゴールデンウィークを目前に控え、日本は一国の大統領を迎えていたとき、彼は舞台に立っていた。下北沢・本多劇場。演劇の聖地とも呼ばれる場所だ。初舞台・初主演。それらに対する不安や葛藤を、20周年という数字が突き破ってくれたのだそう。
「生放送のあとの舞台って、どうですか?」
終演後の楽屋で着替える彼に訊ねてみた。
「大変じゃないといったら嘘になりますけど、いいウォーミングアップになっていると思います。緊張もほぐれますし」
舞台のためのウォーミングアップ、という現場をわれわれはすでにのぞいていた。皇居のお堀に隣接する、東京MX。彼は2年程前からここで、夕方の番組のMCを務めている。
「生放送、大変そうですね。」
「まぁ、スポーツみたいなものですから。慣れてきても、決して油断はできない。それだけ刺激もあって、毎日楽しいですよ。悔しいときもありますが」
汗で滲んだワイシャツを脱ぐ姿はたしかにアスリートのようにも見える。
「でも、毎日なので、一切反省はしません」
毎日入れ替わるコメンテーターを相手に進行する彼は、いつしか「猛獣使い」と呼ばれるようになる。
「よく言われるんですけど、どうなんでしょう。でも、一番の猛獣は…」
そのあとに続いたのは、意外な言葉だった。
「一番の猛獣は、僕自身ですから」
それはどういうことなのだろう。
「芸人である自分。自我というものをまず倒さないといけないんです。その上で、コメンテーターの話を伺う。だから、まず最初に倒さなければならないのは、自分という猛獣なんです」
インタビューに応えるときの彼は常にフラットで、感情があるのかないのかわからないほどだ。また、テレビ画面からのイメージとは異なり、終始、穏やかな口調である。
「ほんとに、オバマさまさまですよ」
規制によって世間が敬遠したためか、普段は交通渋滞の激しい首都高速もガラガラ。半蔵門から下北沢まで30分とかからない。
「ご来場、ありがとうございました!」
連日、満員御礼。無事に千秋楽を終えると、打ち上げもせず、車は自宅へと向かった。
「今日はどちらへ?」
五月晴れという言葉ではたりないくらいの晴天が広がる日曜日。彼は自転車でとある場所へ向かっていた。多摩川河川敷。そこには、大勢の人たちで賑わっていた。
「ここでバーベキューやるんです」
「バーベキュー?」
いったい誰とやるのだろうと思っていると、たくさんの群衆のなかで、彼を待っている人たちがいた。年に二回ほど行われるラジオイベント。5月はバーベキューで秋は鍋パーティー。いずれも、ひとりひとりが一品持ち寄って成立させるという企画で、毎回300人ほどのリスナーが集まっている。バーベキューは今回6回目を迎える。
「楽しそうですね」
バーベキューやスイカ割り、そして誰が持ってきたのか、長縄がまわっていた。
「ラジオのリスナーって、ファンというか、友達というか、なんともいえない独特な距離感なんです。僕にとって、とても大切な存在です。」
特別なにをするわけではなく、ただ、そこに存在している。彼の顔もすっかり日焼けしているようだった。 数日後、彼は、都内の小さなクラブにいた。月に一回、ここでDJをしているとのこと。
「もう15年近くやっているんです」
実際、取材を断られたが、カメラなしの音声のみという条件ではいることができた。ブースにいたり、フロアを行き来したり、いろんなところに顔をだしている彼は、まるでテーマパークのキャラクターのよう。
「なにを飲まれているんですか?」
彼は、透明のグラスを手にしていた。
「あ、これですか?お湯です」
喉をいためたらしく、結局この日は一滴もお酒を呑まなかったようだ。
翌日、彼は六本木ヒルズにいた。東京が一望できる33階。彼は現在、2本のラジオ番組を持っている。ひとつはクラシック番組で、もう一つが、ロケットマンショー。毎週末の深夜1時から朝5時まで。かれこれ8年続いている。4時間もいったい何を話すのか。スタッフが、ブースにキーボードが運んでいた。
「いつもキーボード弾くのですか?」
「いや、滅多にないです。今日は、声がでないので、その代わりにと思って」
なんの前触れもなく流れてきた、深夜3時のピアノの音色。いつもとは波。リスナーたちにはどのように響いていたのだろう。やがて、空が薄まり、朝を迎える。
「毎回、違う朝を迎えるんです」
そして家に到着するのは朝6時前。日によっては、そのままロケバスに乗り込むということもあるのだそう。
「それでは、おやすみなさい。」
その二日後、彼は、病院にいた。
2014年12月29日 15:28