« 2013年05月 | TOP | 2013年07月 »
2013年06月30日
第536回「ネギと割り勘」
いわゆる梅雨の谷間というのでしょうか、その日は夏のような強い陽射しが降り注いで、蝉の声でもきこえてきそう。首筋にじんわり汗をかいているにもかかわらず、いつものざるそばではなく、鴨せいろを頼んだのは、数日前からその味を求めていたから。
「あと、卵焼きと、焼き味噌も」
いつもの脇役。この店の卵焼きはスウィーツのように甘くてふわふわしていて、幸せな気分になる魔法の卵焼き。焼き味噌は、小さなしゃもじの上に、文字通り、味噌が焼かれていて、甘い卵焼きからの流れが抜群なのです。
「はい、どうぞ!」
思わず目を丸くしてしました。いつもの脇役のほかに、頼んでいないものが並んでいます。焼き味噌の隣にこんもりと、ネギが小皿に盛られています。
「見ていたのか…」
それは、お店の人のささやかな配慮でした。というのも、僕はいつもこの焼き味噌を食べる際、ざるそばについてくるネギをからめて食べていたのです。しかし、今回は鴨せいろなのでそのネギがない。それで、店員さんが見計らって、つけてくれたのです。ということはつまり、本来ざるそばのために刻んだネギを、ちまちまと焼き味噌に載せている光景が、しっかりと見られていたのです。愛想がいい印象ではなかったので、余計に嬉しさがあるものの、恥ずかしさも付きまといます。ふたつの感情を薬味に僕は、鴨せいろを味わっていました。
「それじゃぁ、いこうか」
少しはなれたところにスーツを着た男性が三人。座り位置からするとおそらく、上司に対して部下二人、といった感じでしょうか。ちょうど僕が、汁のなかの鴨を箸で掴んでいる頃、彼らが席を立ちました。
「僕は、ざるそば」
まさか、と思いました。
「僕は、鴨せいろ」
「僕は…」
少しやるせない気持ちが芽生えました。憶測でしかないのでなんともいえないのですが、個別に支払いをしていることに僕は、胸が痛くなる思いでした。上司が払ってほしい、最悪、上司が払わないにしても、大の大人が、個別会計はやめてほしい。よくある喫茶店で、おばさまたちによる「わたしが払うから」と伝票の引っ張り合う光景も行儀のいいものではないけれど、もはやそのほうがぜんぜん清々しいくらい。僕が世間知らずなだけかもしれません。でも、もしも自分が部下だったら、どんな状況であれ、上司は部下の面倒を見て欲しい。少なくとも、レジでうだうだしてほしくない。こういうところで器の大きさを判断してしまいます。
「ネギ、ありがとうございました」
僕はそういうと、無愛想ではないけれど愛想を振りまかない彼女の表情が少し緩みました。梅雨の谷間。ネギと割り勘。
2013年06月24日
第535回「人間だもの」
「てめぇには、この長蛇の列が見えねぇのかぁ!」
閉店間際の某大型北欧家具店は、蛍の光にあわせて大量の人たちがレジへと押し寄せています。僕の前には女性がひとり。やっとここから脱出できると、深い息がこぼれます。しかし、ここへきて、流れが止まりました。
「おかしいですね…」
レジの人が、首をかしげては、カードを何度も通しています。
「これ、以前はいつ頃使われました?」
「あ、5月に一度」
しかし、カードが認識されません。
「やっぱり駄目ですね…」
どうやら、それはクレジットカードではなく、お店のポイントカードのようなものでした。
「あ、そうですか、じゃぁ結構です」
なんて言葉はなく、ポニーテールに水玉のワンピースを着た、そこそこかわいらしい女性は、まったくひるむ様子もなく、涼しい顔をして訊かれたことに答えるだけ。自分から身を引こうとは一切しません。次第に僕の体内が熱くなってきました。車だったらそろそろクラクションが鳴り始めるころです。
悪びれる必要はないかもしれませんが、状況を考えれば、諦めてもいいもの。それに、クレジットカードならまだしも、ポイントカード。しかも、彼女が購入しようとしているのは、何に使うのか、瓶のようなもの。199円。値段がすべてではないけれど、それぐらいいいじゃないかと思ってしまいます。膨らんでゆく行列。うしろにはまだまだ大きな家具が待っています。蛍の光に場内アナウンス。堪忍袋の緒が切れそうです。
「あんたさぁ、ポイントだかなんだかしらねぇけど、見えないの?後ろが待ってんの。お前のその購買履歴のために、どれだけの人に迷惑かかってっかわかってる?だいたいさぁ、聞こえる?ねぇ、聞こえるよねぇ?これなんて曲?そう、蛍の光!この音が流れたらどういう意味だっけ?卒業式のとき流れなかった?これが学校で流れたら卒業、お店で流れたら閉店!もう終わりなの!お前も少しは空気読めよ!そういうのを身勝手って言うんだよ!ちょっとかわいいからって調子乗ってんじゃねぇぞ!」
頭のなかで僕は彼女の胸倉を掴んでいました。
「いいか、この行列はなぁ、チームなんだよ。昔運動会であっただろう?ムカデ競争みたいなもんだ!それぞれのレジで競ってるんだよ。お前がもたもたしていたら、このチームは優勝できなぞ!チームワークなんだよ!!」
周囲の拍手喝さいを浴びています。
「お待たせしました、どうぞ!」
そうして何事もなくレジを済ませると、僕は、荷物を抱えて駐車場に向かいました。
「もしかして、ふかわさんですか?」
エレベーターに乗る前に声をかけてきたのはまさしくワンピースの女。
「ふかわさんですよね、わたし、ふかわさんの曲好きなんです!」
「え?あ、そうなんですか…」
「今も、聴いてました!トリンドルが歌ってる…」
「ラ、ラブディスコ?」
「はい!そうです!今日はお買いものですか?」
そうして、握手をすると、彼女は去っていきました。蛍の光が流れていました。
2013年06月16日
第534回「そうです、私が」
「メルヘンおじさんです」
これはもう重症かもしれません。気が付くと、メルヘンなものに囲まれているのです。これが多感な時期の女子だったり、男性でももっと中世的で、テッペイ・コイケのような感じの人であればなんの問題もないのですが、これが40に手が届きそうになってしまった、お腹ぽっこりの男だから困ったものです。客観性を欠いてしまったのか、周囲の目が気にならなくなってしまったのか。正直、自分でも、こんな要素があるなんて思ってもいませんでした。「どちらの通帳になさいますか?」と訊かれて、無意識にかわいいキャラクターの方を選択していたのは、そういうことだったのでしょうか。それにしても、こんなタイミングで表面化してくるなんて。それは、とある商店街を歩いていたときでした。
「なんだ、あのキャラクター…」
店先に、だらんと両手をのばした、ゆるーいキャラクターがぶらさがっています。ぬいぐるみと抱き枕の中間といったところでしょうか。用事を済ませ、再びそのお店の前を通過すると、背中に引力を感じました。
「いやいや、あのお店は女の子のお店。僕はマリメッコで充分!」
しかし、体は向きを変え、吸い込まれるように、ぬいぐるみたちの箱のなかにはいっていきます。
「なんだ、このかわいさは!!!」
店頭に飾られているキャラクターたちがたくさんだらんとしています。それもいろんな柄、サイズで。
「やばい、ほしい…」
それは初恋に似たものでした。鼓動が早くなっています。ほかにお客さんはいません。レジには若い女性。まるで中学生の頃のいやらしい本を購入する瞬間。
「プ、プレゼント用で…」
そうして助手席に、大きなぬいぐるみが載せられました。おもわずシートベルトをしめてあげたくなります。それからというもの、ティッシュケースやスリッパ、自分で購入したり、いただいたり、家の中で増殖し、いろんなところにぶらさがっています。
ただ、誤解されたくないのですが、メルヘンおじさんだからといって、メルヘンなものならなんでもいいというわけではありません。キティーちゃんには一切心は動きませんし。
パーカーはジェラピケ、シャツはマリメッコ、財布はヴィヴィアン、そして部屋はアクセントスタイル。これ以上に不気味な館がどこにあるでしょう。
「ぜんぜん、アリだと思いますよ!」
ラジオに来ていただいたデザイナーさんの言葉は、僕からブレーキーを奪っていきました。今後僕はどうなってしまうのでしょう。
2013年06月09日
第533回「たそがれ時がくれたもの」
それが意外なことかわからないし、あまり胸を張っていうことではありませんが、基本的に僕は、すぐ帰ります。仕事が終わると、真っ先に家に向かいます。現場が嫌なわけでも、かわいい奥さんや子供が待っているわけでもありません。ただ、家に帰りたいのです。お蕎麦やさんやうどんやさんに寄ったり、お惣菜を買いにスーパーやお弁当屋さんに寄ったりはしますが、基本、家にいたい人間なのです。家でやりたいことがあるのです。曲をつくったり、文章を書いたり。それこそ、飲みにいったり、もっと社交的にならなければと思う時期もありましたが、結局こういうところは変わりませんでした。やがてはそんな生活がやってくるかもしれませんが。おかげで、僕なりに規則正しい生活を送っているわけです。
そんな仕事からの帰り道に、必ず遭遇するものがあります。毎日、車から見える風景。
「今日もやってる…」
それは僕の家まであと5分くらいという場所、信号待ちのときにかならず見かける光景。夕方になると現れるそれは、素振りをしている少年です。
家の駐車場で黙々とバットを振っています。どれくらいの時間やっているのかわかりませんが、信号で停まると必ず素振りをしています。小学校高学年か、中学生といったところでしょうか。ジャイアンとはいかないまでも、柔道部のような体が、昭和の子供のように、こんがり日焼けしています。一瞬目が合うと、照れくさそうなその表情から、あどけなさが浮かび上がります。
引っ越してから、幾つかのルートを試し、次第に落ち着いた道順で出会う少年。まだ暗がりの中だった彼の姿も、いまでははっきり見えます。もしかしたら彼も、学校のあと、すぐ帰ってくるのでしょうか。
いつか甲子園に出場し、プロの球団に入団、そしてメジャーへ。僕がいま、もっとも応援している野球選手こそ、あの少年でしょう。でも、声を掛けたりはしません。ただ、信号待ちの数秒間、素振りをする彼の成長を見守ります。
「ジャイアンがさぁ、家の前で素振りしているの、よく仕事帰りに見てたんだよ!」
いつか、そんな話をするときが来るかと思うと、ますます帰るのが楽しみになります。お互いすぐに帰ってくる者同士、畑は違うものの、良きライバルかもしれません。黄昏時がくれた風景。それは、僕に力を与えてくれました。
2013年06月03日
第532回「わかりすぎる世の中へ」
「ジュピター」ばかりが目立っているホルストの「惑星」は組曲なので、実は、水、金、土星と、木星にも劣らぬ壮大な曲が存在していることは、あまり知られていません。日本では歌詞をつけて歌われることもあるので、なおさらほかの惑星との差が開くばかりなのですが、この組曲に参加できなかった「惑星」もあります。ホルストが目を向けてくれなかった惑星。そうです、私たちの住む地球。彼は、地球には曲を作らなかったのです。
ホルストはなぜ、「地球」を作らなかったのか。それは、「知っているから」。もちろん、ホルスト本人に聞いたわけではありません。しかし、知っているがゆえに、イメージが膨らまない。情報があるがために、思考が広がっていかない。先輩のサッカーの練習姿を眺めているときがもっとも恋心を燃やすのと同じように、知らないほうが、輝いて見えるのです。
現代社会は、いわば、このような状態と言えるのではないでしょうか。インターネットが普及し、誰もが簡単に発信、受信できるようになったがために、なんでもかんでも、すぐに知ることができるようになってしまった。人が、何を気にしているのか、わかるようになってしまった。それまでは、知らなかった分、想像で遊べた場所が、情報というコンクリートで埋め立てられ、自由に解釈できなくなってしまった、発想の自由度が著しく低下してしまったのです。
知ることは素晴らしい、けれど、知りすぎてしまうと、とても窮屈になる。知らないことは悪いことではなく、むしろ心地よい時間なのに、それらがあっという間に塗りつぶされてゆく。ましてや、知りたいことならまだしも、知りたくもないことまで知らされていては、嫌いなピーマンを口に押し込まれるようなもの。それでは、居心地も悪いはず。また、いちいち周囲の顔色を窺いながら生活していては、自分の顔色が悪くなってしまうのも当然のこと。
人類は、どこまで知ればいいのでしょう。生まれる子供のことも、どんな夢を見ているのかも。人類を破滅に追いやるのは、情報なのでしょうか。ちょうどいい具合で止めることはできないのでしょうか。
ちなみに、ホルストが作曲していない惑星はもうひとつあります。それは、冥王星。この組曲を作曲した当時は、まだ、発見されていなかったのです。ガリレオが証言台に立った頃のように、どんなに時代は変わっても、人類は常に、なにかを知らない。知らないことが、生まれては消えてゆく。では、現代の人々が知らないことはなんなのか。その存在を知らなければ、知らない状況にあることすら認識できません。知らないことを愉しむこともできない。人類が知らないこと、それは宇宙規模のものだけに限らず、身近な場所にも存在しています。知りすぎた社会、わかりすぎる社会が、人を窮屈にする。わからないものこそ、惑星の輝きなのです。