« 第512回「ラバーソールと青い空」 | TOP | 第514回「メモ」 »
2012年12月21日
第513回「鶏口となるも、牛後となるなかれ」
スカイツリー元年なのだから「空」だと確信していたのに今年の世相を表す漢字が「金」だったので、すっかり落胆してしまった僕にとっての2012年は、今年の一文字こそ浮かばないものの、四字熟語であればひとつ浮かぶものがあります。
「鶏口牛後」
これは、もともと中国の戦国時代の言葉で、「むしろ鶏口となるも、牛後となるなかれ」を略したもの。遊説家の蘇秦が韓王に、小国とはいえ一国の王として権威を保つのがよく、強大国の秦に屈して臣下に成り下がってはならない、と説いた際に用いた表現。つまり、大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。小学校の教科書だったか、この言葉に出会った日から、いつも頭のどこかにあったのですが、それを身を持って実感したのが2012年でした。
芸能生活18年。幸運にもいくつかのレギュラー番組を持たせていただくようになりました。しかし、どうでしょう。気付いてみれば、どれも司会、もしくはそういった類の立ち位置ばかり。かつて、絡みづらいだの、いじられ芸人だの、幾多のレッテルを貼られていた男がこの位置まで辿り着いたのは、ある種の奇跡と呼べるでしょう。続けてみるものです。もちろん、司会が偉くて、パネラーがそうではない、ということではありません。ただ単に僕が、その職種を望んでいただけ。その場所がきっと、自分の体質に合っているだろう、自分の持ち味が出せる場所だろうと、勝手に信じていたのです。
司会というとどんなイメージを持たれるでしょう。ものにもよりますが、大勢の人たちを捌くものもあれば、進行に徹するものもあります。その人の価値観、尺度が重んじられ、言葉次第で、どうにでもなってしまうこともあります。司会、MC、パーソナリティー、表現こそ様々ですが、僕の場合、「輝きを与える」、これが司会の役目だと思っています。
それは人だけではありません。モノも音楽も、そこに登場するものすべてに輝きを与える、いわば太陽なもの。番組が面白いかどうかということはもちろん、出演している人たち皆を輝かせること、それが、大袈裟ではありますが、僕の使命になるわけです。そのためには、自分が悪に見えることもあるでしょう。影になったり、自分の考えを曲げることもあるかもしれません。実行できているかは別として、自分を殺してでも、全体を輝かせることが大切だと思っています。
2012年。もしもあのとき、この言葉に出会っていなかったら。牛後でいいやと思っていたら、今年は異なる場所に立っていたかもしれません。替えのきかない仕事といいますが、そんなものはないと思っています。誰かがいなくなれば必ず誰かがその穴を埋めるもの。いま与えられた場所が鶏口だろうが、牛後だろうが、全力で臨むべきでしょう。しかしそれは、野心を捨てることではありません。
「鶏口となるも、牛後となるなかれ」
小国か大国かは、重要ではありません。大切なのは、自分の価値観で世界を歩いていること。自分の足で立っている実感。そして、いろんな方たちに支えられていることを忘れてはいけません。担いでいる人たちがいなかったら、神輿は進みません。愛すべき鶏口。やがて鶏は牛になるのでしょうか。2012年、今年の出会いに感謝して。
2012年12月21日 16:17