« 2010年09月 | TOP | 2010年11月 »
2010年10月31日
第424回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」
第六話 朝もやのなかで
時が止まったように、町は静寂に包まれていました。冷えついた空気、町の明かりを映す水面、まるで周囲に気付かれないように雲だけがゆっくりと移動しています。例年通り、日に日に起床時間が早まり、目覚めた時間から朝食まではまだ長い道のり。どうにも寝られないし、寝るのがもったいない気持ちが僕を外に向かわせました。白い息を風が奪い去っていきます。誰もいない静かな時間。夜明け前のアークレイリは寝息をたてて眠っているようです。太陽の気配を感じないまま、冷たい空気にすっかり目も覚めてしまいました。
「羊たちはどうしているかな」
小さい頃、家で飼い始めた犬が気になって夜中に起きて確認しにいったあの頃のように、なんだか無性に会いたくなってきました。たしか車で5分くらいのところに羊たちのいる場所があります。すっかり冷えきった車内にほてった体がはいると、エンジンの音が静かな町に響きました。
「ここらへんかな」
音をたてないようにドアをしめます。もしかしたら夜中は小屋に戻っているかもしれません。次第に目が慣れてくると、目の前にマシュマロたちが浮かびあがってきました。そして遠くの方まで。さっきまで寝ていたのか、もう草を食べている羊もいますが、それよりもじっとしている羊たちのほうが多いようです。馬は立ったまま寝ているのをよく見かけますが、マシュマロたちはいったいどんな風に寝ているのでしょう。ときおり、会話をするように鳴き声が飛び交います。声を掛けてしまうと群れ全体で動き出してしまうかもしれないので、なにもせずただ身を屈めてじっと眺めていました。
「もうちょっと近づけるかな」
そう思って一歩踏み出すと、羊たちがこちらを見つめています。
「大丈夫、悪い人じゃないよ」
近づきたいけどこれ以上進んだらこの朝ののどかなひとときを壊してしまうかもしれない。それに前回の旅で学んだことは、マシュマロは感じるもの、羊たちも自然の一部なのです。風のようにとらえることはできない。そう思うとこれ以上距離を縮められません。そうしているうちに暗闇が、水を足されたように薄まってきました。
「ここいいかしら?」
朝食の部屋は、はじまりとともに賑わっていました。続々と年配の人たちがやってきてあっというまに席が埋まります。ツアー客なのか、テーブル越しに言葉が飛び交っている中で、ひとりゆでたまごを剥いている黒髪の男の隣に、ドイツ人の夫婦がやってきました。
「飛行機がこわいから船で旅をしているのよ」
国内線の飛行機で移動すればもっと効率的に旅もできるけどあえて車で移動している僕も同じようなもの。もちろん、旅は効率がよければいいというものでもありません。きっと船のスピードじゃないと見えない世界もあるはずです。3人ともパンにバターを塗っています。たいてい旅先で出会った人と話す場合、日本に来たことはありますか、日本人で知っている人はいますか、相手の国の映画の話、音楽の話などをします。共通の認識を探すのは人間の本能なのでしょうか。なにかでつながるとそれだけで人は嬉しくなるものです。受験英語で培われたペーパーイングリッシュが朝食の部屋を漂っていました。
「天気は大丈夫かな」
ホテルを離れた車は、離陸するようにぐんぐん坂をのぼり、あっというまにアークレイリの町を見下ろしています。雲を突き抜けて空を走っている様な感覚。かと思えばジェットコースターのように一気に急降下。そんなことを繰り返しながら向かうのは、もう何度も訪れているゴーザフォス。ゴーザは英語のゴッド、フォスはフォール。神の滝という名前の通り、とてもダイナミックで壮麗な存在。アイスランドの好きな要素として欠かせないのはやはり滝。日本の観光地化された雰囲気も嫌いではないですが、ここで体験する滝はまさに自然そのもの。大きな看板も売店も、柵もありません。滝がそのままの姿で存在しているからより自然の力を感じるのです。まるで炎のように水しぶきをあげている姿はまさに神のよう、何度見ても飽きません。氷河が融けてできた大きな滝。そんな巨大な滝とひとり対峙していると、自然の循環を実感することは難しくありません。自然も人々もすべて水でつながっている、そんな気持ちになるのです。
「雨?」
フロントガラスにへばりつくように水滴が落ちてきました。いまにも泣き出しそうな空はやはり雨を落としはじめたようです。周囲を見渡しても雲の切れ間は見えません。そして今日も彼らは大量の仲間をつれてやってきました。
「もしかしたら」
あそこにいけば晴れるかもしれない、そう思って選んだのはフーサヴィークというホエールウォッチングで知られる港町。昨年訪れたときは気持ちよい空の印象があったので、ブーザルダールルのようにそこにいけば青空が広がる気がしたのです。しかし、その思いに反して雨はますます激しくなっていきます。青空だとのどかな風景も、厚い雲に覆われていると神秘的・幻想的に映ります。ただ、こんな雨も気にならないのか、マシュマロたちはいつものように緑の上でのんびりしています。あのふわふわは水分をスポンジのように吸収して少し重たそう。まるで洗車でもするように雨に打たれながら車は、灰色の空の下を走っていました。
2010年10月24日
第423回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」
第五話 そして空は濃い青のなかに
陽光たちが窓ガラスを抜けて飛び込んできています。地球の上のほうの町の一角で、まるでジェンガのように山盛りのポテトのなかから一本一本抜いては口に運びながら男は、今日のこれからのことを考えていました。
「こんな小さな町に泊まったらどんな夜が待っているだろう、どんな朝が訪れるのだろう」
ホテルはなくても民宿のような宿泊施設はあります。そもそも今回の旅はのんびりすることも目的のひとつ。この町の住人になったつもりで今日はこのままここで過ごしてみようか、そんな思いもあるけれど、到着してまだ日の浅いことやようやく広がった青空は彼をじっとさせてくれません。夏休みを迎えた子供たちのように、どこかへいきたくてしょうがなくなってしまいます。
「また来るね」
店をでると、どこへ行ったのかほとんど雲たちはいなくなっていました。ソフトクリームじゃないほうの手がキーを回すと車がぶるぶると震えます。こんなちょっと立ち寄った場所でもいつも離れるときは切なくなるのはどうしてでしょう。ただ単に景色がいいとかのどかな場所ということではなく、まるでこの町全体が人のように、深く心に入り込んできます。一昨年だってそう。ほんの数十分の出来事が、僕の人生の中でどれだけ輝いていたことか。この町は僕の頭の中にはいってしまいました。ルームミラーの中でブーザルダールルがゆっくりと小さくなっていきます。スピーカーから音が流れてきました。車は、牧草地帯に吸い込まれていきます。
「さぁ、どこへいこう」
といいつつも、僕は気付いていました。遥かかなたから僕の心を引き寄せているものがあることを。遠くで誰かが呼んでいます。
「ここから300キロ」
だいたい東京から名古屋まで。これほどの距離も、この景色があれば苦ではありません。空を邪魔するものはなにもない、ただありのままの自然を受け止めるだけ。前にもあとにもすれ違う車はほとんどなく、もちろん信号も渋滞も、気分にブレーキをかけるものがありません。自分の心のままに進むことが出来る。地球が愛おしくなる瞬間。これほどの贅沢はないかもしれません。そして緑の上に散らばる真っ白な羊たち。草をはんでいたり、ただぼーっと風になびいている羊たちを見ているだけで心はとけていくのです。タイミングによっては羊たちが一列になって進んでいく様子を見ることもできます。それはもう失神してしまいそうなくらいかわいらしく、愛らしく、中学生のときの一目ぼれのように胸が熱くなるのです。牛たちもそうです。一日まったく動かなそうなほどののんびりしている彼らが一列になって歩いている。一体どんなことを考えているのでしょうか。この普段の生活では味わえないゆったりとした時の流れが、長い道のりの疲れを癒してくれるのです。
今回の旅で留守番をするようになったものもあれば、毎回必ず同行してくれるものもあります。旅に欠かすことはできない必需品、それはもちろん音楽。毎回旅用の一枚を作成してそこに思い出を詰め込みます。雄大な景色を眺めながら感じる音楽はここでしか味わえないミュージッククリップ。なかでも車が動き出したとき、景色がゆっくり流れ始めたときにスピーカーからこぼれる音は、まるでその瞬間を映画のワンシーンのようにすら感じさせてくれます。単に旅のBGMとしてだけではありません。聴いているだけで、旅の間に感じたものすべてが音に擦り込まれ、時間をおいて聴いてみれば、スライドショーのように僕のあたまのなかで数々のシーンが蘇る。温度から匂いまで、まるでそこにいるかのような感覚。もう、思い出に殺されてしまいそうなくらい、心地よく胸を締め付けられるのです。
「あとちょっとだ」
一時間走ったら休憩、一時間走ったら休憩を重ねているうちに、今日の目的地に到着しました。僕をはるかかなたから引き寄せていたもの、それはアークレイリです。
アイスランドの北の町、フィヨルドの湾が広がる美しい町。絵画の中にいるような気がするほど色彩あふれる光景。静かな水辺は住む人の心を穏やかにしてくれるのでしょう。町の中心には大聖堂がそびえたち、夜になるとオレンジ色に輝きます。これまで何度も訪れて、どの町よりも滞在時間の長い場所。だからどこに目を向けても懐かしい色。僕にとってふるさとのような存在。一年前となにも変わっていません。ただ、空の表情がちがうだけ。だから、町は変わらなくてもいつも違う印象を受けるのです。
「今日、空いてますか?」
いつも泊まっているホテルにチェックインすると部屋の懐かしい匂いが迎えてくれます。嗅覚もばかにできないもので、意識していなくてもしっかりと覚えています。窓越しの空が群青色に染まってきました。ホテルを出れば、街灯が灯され、レストランのテーブルの上にあるランプの灯がお店をオレンジ色に輝かせています。ホテルの近くにある行きつけの本屋さんは、本とかCDとか文房具とか、ちょっとしたラウンジもあってアイスランド版のヴィレッジヴァンガードのような場所。まるで地元の野菜を購入するようにCDを買い足します。同じCDもここで購入するとなんだか別のものに感じてしまうのです。
「明日はどこへ行こう」
そんなことを考える間もなく、22時を過ぎてやってきた眠気はいとも簡単に僕をコーヒーの香りに上書きされた部屋のベッドの上に眠らせてしまいました。町の明かりが窓からこぼれていました。
2010年10月17日
第422回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」
第四話 それは決して特別なことではなく
燦燦と輝く太陽、そして青空の下でキラキラしている海。僕を待っていたのはそんなさわやかな光景ではありません。分厚い雲に遮られ陽光を奪われた世界。波のない海は静かにただ群青色に染まっています。太陽がいないとこんなにも印象が変わるものなのでしょうか。
砂浜はなく、すとんと切り落とされた絶壁。その向こう側で土筆のように伸びる奇岩。ジグザグな海岸線と茶色の山肌を分断するように道がうねりながら伸びています。夏にはこの絶壁にたくさんの海鳥たちが休んでいるらしく、パフィンの愛らしい姿も見られるのかもしれませんが、いまはなにもなく瞬発力のある風が通り抜けていくだけ。ただ、パフィンこそいないものの突然鳥たちが視界に飛び込んできては一列になったり輪になったり、泳ぐように空を飛び回ります。都会で見るそれと違うように感じるのはこの背景のせいでしょうか。建物がない分、いつまでも目で追いかけることができるのです。羊よりも野鳥を目にするこのエリアはもはや人間が踏み込んではいけないと感じるほど神聖な地域。どこか野鳥の世界に迷い込んでしまった気さえします。人間の言葉は通用せず、鳥たちの言葉が飛び交う島。人間よりも鳥たちの生活が重視される場所。車に並走する野鳥を見ると道を外れてついていきたくなる。そしたら彼らの群れにたどり着くことができるのでしょうか。これらも青空の下であれば清清しくも見えるのでしょうが、雲に覆われた灰色の世界はどこか神秘的で畏敬の念すら抱いてしまいます。「ヴァイキングの神が宿る場所」と古くから言い伝えられていることがわかる気がしました。
「あ…」
鳥たちに目を奪われていると、フロントガラスに透明の液体がぽたっと落ちてきました。気のせいだろうか。ぶつかった衝撃で散らばった水滴はスピードに押されてガラスを這い上がっていきます。雫が広がっていくとまた別の場所にも水滴が落ち、同じように風に押されていきます。きっとすぐにやむだろう、なんせここはアイスランド、これまでだってほとんど晴れていたのだから。しかし、水滴はやむどころか大量の仲間を連れてやってきました。
「すぐにやむさ」
ついにワイパーが動き始めました。雨はあっというまに視界を奪い、海も山も空も消え、見えるのは目の前に現れるアスファルトだけ。大粒の雨と真っ白な霧。ワイパーの休憩時間はなくなり、このまま異次元にでも連れて行かれそうです。
「すぐにやむさ…」
視界を奪われたかと思えば突如もやの中から茶色の山肌が浮かび上がりこちらに迫ってきます。どこかで休んでいたのか鳥たちが一斉に羽ばたき音を立てて飛んでいく。雨が雨のように感じなくなる瞬間。天国とはこのようなことなのでしょうか。ようやく水滴が落ちてくる場所を潜り抜ければ目の前の異変に気付き始めました。
「もしかして…」
それは虹でした。目の前にかかる大きな虹。最初は焦点があわずぼんやりだったのがその存在に気付くと一気にくっきりと浮かび上がってきました。アーチのようにしっかりと両足をつけて真正面に立っています。晴れてきたわけではありません。どこの光が反射しているのか、灰色の空に大きく描かれています。まるで、いつもここにあるかのように。いったいいつまでついてくるのでしょう。なかなか潜り抜けることはできません。虹はずっと空を彩っています。
それにしても、この虹を見ている人はいるのでしょうか。もしかしたら一人だけなのかもしれません。この虹はいま僕にしか見えていない、そんな感覚になれるのもアイスランドの素晴らしいところ。世界と自分が対峙する。でもきっとアイスランドが特別なのではありません。自然にあくまで自然、特別なものなんてないのです。そして虹は、ゆっくりと空にとけていきました。
「コーヒーひとつ」
途中に点在する海辺の小さな町、といっても人口は数百人程度。こういった小さな町がときどき現れてはカフェに立ち寄って一息つきます。もちろんカフェといってもガソリンスタンドに併設されたちょっとしたラウンジ。ここに地元の人たちがやってきておしゃべりしている光景を眺めながら飲むコーヒーが気持ちを和ませてくれるのです。
町にはレストランもあります。でも、それっぽい看板を掲げていないし周囲の民家と変わらないので、よく見ないとわかりません。観光客ではなく地元の人たちが利用するレストランなのでしょう。旅人には、この違いがすごく重要で、観光客向けでなければないほど、心が惹きつけられるのです。
「やってないか…」
夜には地元の人たちが集い暖かな光がこぼれているのでしょう。この扉の向こう側の世界を想像しながらも車は町をあとにしました。しばらくすると右手に氷河が見えてきます。スナイフェットルスヨークトル。この氷河を折り返し地点にして、針に糸を通すようにいくつかの小さな町を潜り抜けながら、車は半島の付け根の港町、スティッキスホウルムルに到着しました。ここはフェリーの発着点というのもあり比較的大きく、人口も二千人ほど。港にはシーフードレストランも多く見られますが、車は教会の前にいました。
教会のある場所、それはアイスランドで印象に残る光景のひとつ。車に乗っていると緑の牧草地帯に赤い三角屋根をした木造のかわいらしい教会が遠くに見えます。でも、ここにあるのはそういった類のものではなく、どちらかというとレイキャヴィクのそれのようなタイプ。真っ白で流線型。海の上に突き出すようにそびえたつ教会は一瞬、風変わりな灯台のようにも見えます。押し返されるだろうと思って手をかけた扉はなんの抵抗もなく動き、おそるおそる足を踏み入れると真正面に見たことのない絵画が飾ってあります。しかし、あまりの静寂と神々しい空気にこれ以上なかに進むこともできず、旅人は木製の扉をゆっくり閉めました。
「さぁ、どこにいこう」
半島をぐるっと一周したのでもうあとは自由。心にハンドルを委ねるだけ。なんとなく地図を眺めていると、どうしても気になる文字がありました。
「ブーザルダールル」
呪文のようですが、これは町の名前。一昨年に訪れた場所です。でも観光名所とか、見ごたえのあるとかそういうことではありません。しいていえば空がキレイだったことくらい。あのとき見たブーザールダールルの空はずっと僕の心のなかから消えずにありました。
「また、ポテトでも食べよう」
いい加減おなかも空いてきました。かつて見たあの光景に思いを寄せながら車を走らせていると背後からなにかがやってくる気がしました。
「やっときた…」
あれだけ厚く遮っていた雲にようやく切れ間ができ、そこから澄んだ青色が顔をだしています。雲のもわもわした感じに対して凹凸のないガラスのような青空。やがてそこから太陽が顔を出すと目の前の世界に大量の光が注がれて一気に鮮やかになりました。それからというもの、その切れ間はどんどん広がって、あっという間に雲は羊の群れのようにちぎれていきました。
「これだからやめられないんだよ」
牧草地帯は鮮やかな緑を取り戻し、落ちてきた雲はふわふわの羊たちになって草を食んでいます。山の上から、雲の影が大地をゆっくりと移動していくのが見えます。これもアイスランドの好きな光景のひとつ。羊たちに掛ける声が山を駆けおりていきます。そして車はブーザルダールルに到着しました。夏のような日差しがあの日と同じように照らしています。まるで、晴れた日曜日のように、町が輝いていました。
2010年10月10日
第421回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」
第三話 雲の向かう場所
スポンジのように、アスファルトが雨を吸収しています。星たちがとけてぽとぽとと落ちてきたのでしょうか、透明の雫が地面に吸い込まれています。あんなに晴れていたのにレイキャヴィクの空は灰色に染まり、街は薄いもやに包まれていました。でも、落胆しているわけではありません。ここはとても天気が変わりやすい国。たとえいま土砂降りだったとしてもすぐに青空が広がることはよくある世界。それに、灰色の雲はどこかに向かうようにゆっくりと流れています。
「ゴーザンダイイン」
朝食は7時から。案の定、時差ぼけがちょうどいい時間に起こしてくれるので、目覚まし時計はなくてもしっかり6時に目を覚まし、シャワーも済ませています。パンとコーヒーの香りがたちこめる朝食の部屋。ハムやソーセージ、サラミやスクランブルエッグなどが白いお皿に乗ってやってくると、パンの焼きあがる音。BGMもなくまだ数人しかいないとても静かな朝のひとときは、真っ白なカップに注がれたちょっと濃い目のコーヒーが体の真ん中らへんをあたためながら降りていきます。
チェックアウトをしてホテルをでると雨はあがっていましたが、相変わらず灰色の群れは途切れずに流れています。湿ったアスファルトの上にたちこめるひんやりとした空気をまるで朝を食べるように胸を膨らませて大きく吸い込んだら、とても静かな一週間のはじまり。
「国内線の空港まで」
白髪のおじさんが運転するタクシーは、ハトルグリムスキルキャ教会を中心に円を描くようにして走っています。それにしてもこの街は、背の高い建物がありません。道も広く、ゆったりとしています。湿った道路を掻き分ける音をたてながら車は10分ほどで空港に到着しました。
「タックフィリール」
こじんまりとした国内線の空港は、これまで何度もお世話になっている思い出の場所。目に映るもの、耳にするものすべてが懐かしく感じます。ただ、ここで飛行機に乗るのではありません。昨年同様、レンタカーの出発点。
「まだ来てないか」
レンタカーオフィス、といってもラウンジにちょっとしたカウンターがあるだけ。日本であれば、予約した時間の少し前にはいるものですが案の定誰もいません。それどころか8時をすぎても何かが起こる気配もない。昨年もこんな感じだったのでそれほど心配はしないものの、やはり顔の見えない、しかも国境を越えるネット予約はいつも僕を不安にさせます。懐かしさが不安に上書きされそうになった頃、スタッフらしき人がやってきました。
「では、4日後に」
結局15分ほど遅れてやってきた彼から鍵を受け取り、オレンジ色のスーツケースを後部、水色のリュックを助手席に載せた車は、空港を離れていきました。もちろん、もしも途中で気が変わったら別のオフィスに返却も可能です。あくまで気分が優先。でも、心にハンドルを委ねるとはいえ、今日の行き先は決まっていました。以前から気になっていた場所があったのです。
スナイフェルスネース半島。ここは指切りをするときの小指のように本土から細長く飛び出している場所。鳥たちが多く生息し、夏にはパフィンというかわいらしい鳥たちが戯れ、多くのバードウォッチャーが訪れます。バードウォッチャーならぬシープウォッチャーな僕は、実物こそ見たことないものの、家には何羽かのパフィンたちが並んでいるほどその姿は愛らしいのです。ただ、8月以降は姿を消してしまうということもあり、ずっと後回しにされていたこの半島をまずは訪れようということだったのです。車はレイキャヴィクを抜けてリングロード、アイスランドを東京23区に例えるなら山手線のような円状の道路、にはいると一瞬にして世界が変わります。建物はなくなり、荒々しい岩肌の上にパウダーをかけたような緑の牧草地帯。目の前に広がる手付かずの自然は地球の上を走っていることを実感させてくれるのです。
「いた!」
パフィンではありません。僕がこの地に何度も足を運ばせる要因の多くを占めているもの。白いマシュマロ。ふわふわした羊たちが緑の上に転がっています。これが見たくて来ているといっても過言ではないほど。いくら地球の素顔があるとはいえ、もしもマシュマロたちがいなかったらこんなにも足を運んでいなかったでしょう。いたるところに無数に点在する白いマシュマロたちのおかげで長時間のドライブもまったく飽きないし寂しくならないのです。昨年は時期が遅く、あまり見られなかったで、なんだかさらに愛おしくなります。
「おーい!元気だったかぁ?」
まるで久しぶりに会う友人のように声をかけると、黙々と草を食んでいる羊たちが一斉にこちらに顔を向けます。車の音には反応しないのに人の声には反応するようで、どんなに遠く離れていても、どんなに食事に夢中になっていても、振り向いてくれるのです。今回の旅はどれくらいの羊たちに声をかけることができるでしょう。遠くに海が見えてきました。
2010年10月03日
第420回「虹と灰色のそら〜アイスランド一人旅2010〜」
第二話 夏の余韻、昼の余熱
東京から訪れる場合、ロンドンかコペンハーゲンでアイスランド航空に乗り換えるのが一般的。どちらも所要時間はあまり変わらないので、乗り継ぎのタイミング(スムーズだから良いわけではなく)や、空き状況、金額などによって決まるのですが、どちらかというとデンマークでのそれが第一希望。というのも、同じ北欧であるし、なにせスカンジナビア航空という響き。北欧男子としてはこの言葉を耳にするだけで気分が高揚するのです。希望が通り、コペンハーゲンで細長い飛行機に乗り換えると、3時間ほどでアイスランドのぼんやりとした島影に点在する灯りが見えてきます。空の玄関であるケプラヴィーク空港。もう忘れてしまっているでしょうが、首都のレイキャヴィクは煙の湾という意味。火山の影響で発生した温泉によって湾いっぱいに広がる湯煙を見たヴァイキングによる命名です。アイスランドでは「ヴィーク」と名の付く場所がたくさんあり、港から町ができていったことが窺えます。
卵が生まれるように飛行機から出ると、機体と建物とを結ぶスロープにもひんやりした空気が窓ガラス越しに伝わってきます。荷物やパスポートなど、特になにをチェックされるもなく到着ロビーの扉が開けば、空港の懐かしい匂い。いつものようにアイスランドクローネに両替し、市内へのバスのチケットを購入したら、外で待機しているバスに乗ります。
「あれ…」
いつもなら大陸育ちの容赦ない冷たい風に包まれるのですが、僕の頬に触れるのは案外あたたかな風。たしかに冷たいのだけど中に温もりを含んだ風。いつもより早い時間だからか、夏の余韻のような、昼間の余熱のような、どこか生ぬるい空気がほんの少し残っていました。
「バスターミナルで乗り換えてな」
羊羹に車輪をつけたような四角いバスは、空港を離れ、まるで僕たちを別世界へ連れて行くように、真っ暗な道を進んでいます。車内に響くラジオの音。この音がアイスランドにやってきたことを実感させてくれるのです。窓に映る顔も毎年、年を重ねています。この鏡は何歳の僕まで映してくれるのでしょう。
暗闇を抜けてだいたい45分程度、あたりはやさしい光に包まれたレイキャヴィク市内にはいります。いつものようにバスターミナルで乗り換え、そこから小さなバスでホテルまで。今回もホテルの予約は初日と最終日だけ。すべて予約してしまうと宿泊先に足をとられて自由が利かなくなってしまいます。行き先は日本で決めるのではなく旅をしながら決めたい、それはこれまでの旅に共通する気持ちでした。
フロントで受け取ったカードキーを差し込むと乾いたフローリングの上にこじんまりしたベッドが浮かびあがります。いつもは深夜1時くらいなのが、今回はまだ22時。日本時間にしても朝の7時。体力的にはまだ若干の余裕があることが、一息ついたあとの僕を外に向かわせました。日曜日の夜にしては静かな目抜き通りはたまに若者とすれ違う程度。ほとんどのお店が閉まっているなか、バーから歌声がきこえてきます。この中に飛び込んでみたらどんな気分になるだろう、そんなことを思いながら緩やかな坂道をのぼっていました。目指すはハトルグリムスキルキャ教会。このレイキャビクのランドマークです。4度目ともなるとさすがに道に迷うこともありません。やがて道の両側からお店の姿はなくなり、絵本のような淡い色をした家々が並ぶようになります。そして坂の頂上に見えてきました。
「あっ…」
これまでと様子が違います。
「光ってる…」
一昨年訪れたときは改修中でベニヤ板だらけ、昨年は昼間だったので気付かなかったのでしょう。教会の先端の部分がイチゴの粒のように穴が開いていて、そこから3色ほどの光が飛びだしています。ライトアップというよりも中から光を放っている感じ。それは静かに夜空を彩っていました。いつもならここで響くはずのシャッター音も今回は聞くことはできません。
「そうだ、留守番だった…」
昼間の余熱もすっかりなくなり、だいぶ冷え切っていました。昼間との寒暖の差が激しいのでしょう。もう耳はちぎれそうなくらい冷たくなっています。
「無事に戻って来られますように」
アメリカ大陸を発見した(第286回参照)エリクソン像の前で耳を真っ赤にしながら手を合わせる男を、教会の周りに散らばるたくさんの星たちが見ていました。