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2009年11月29日
第384回「風とマシュマロの国〜アイスランド一人旅2009〜」
第四話 ヴィーク
「さぁ、いっておいで」
空に浮かぶ大きなマシュマロから切り離されて、小さなマシュマロたちがぽとぽとと、夜の牧草地帯にふんわりと、空から降ってきてはまるでトランポリンのように緑の上を弾んでいます。
「わー、とまらないよー」
ぽよんぽよんと跳ねるマシュマロたちを草がやさしく包み込んでいきます。
「大きくなるんだよ」
空から子供たちを見守りながら大きなマシュマロは遠くの空へと流れていきました。みんなが寝ている間のことでした。
そんな光景が頭に浮かぶほど、辺りにはたくさんのマシュマロたちが散らばっています。夏のマシュマロよりも冬のそれのほうがより膨らんでいて、ころころと転がっていきそう。特に僕が好きなのは、マシュマロが地面にお腹をつけているときで、まるでゼリーのようにぽわんと丸みを帯びた姿は一段とやわらかそうで思わず飛びつきたくなります。そんな風に思われていることも知らずにじっとしているマシュマロをからかうように風がなでていくと、羊毛が草原のように波をたてて揺れるのです。
でも、目の前に広がるのは、のどかな光景だけではありません。晴れているからといって油断していると突然雲行き怪しくなり、大粒の水滴がガラスにぶつかってきます。晴れていても安心できないし、大雨でもすぐに晴れるかもしれない。空を遮るものがないからこの雨がどの雲の仕業かわかるのです。それにしても、風も雨も雲もなんだか生きているよう。まるで意思をもっているように活き活きしています。ここにいると、存在するすべてが生きているように感じるのです。そして、スコウガフォスを出発したときは雲ひとつなかった空も、ヴィークの街に着く頃には灰色の雲に覆われていました。
「ここにしよう」
土砂降りの雨から逃げるように立ち寄ったガソリンスタンドには小さなレストランが併設してありました。アイスランドのスタンドはほとんどセルフタイプで、たいてい売店やちょっとした食事ができる場所が隣接しています。オレンジ色の薄明かりが照らす物静かな店内。真ん中の大きなテーブルを囲むように小さなテーブルが並び、壁側に二人の男性が座っていました。
「フライドポテトとアイスランドスープ」
カウンターの女性に伝えると、白いトレイの上に山盛りのポテトとスープが乗せられます。野菜とお肉がたっぷりはいったこのスープはいわゆるヴァイキング料理のようで、これを食べて人々は航海をしていたのかもしれません。こぼさないようにしてたどり着いた窓際の席からはぼんやりと茶色い山が浮かんで見えます。目の前のスープとフライドポテトが減っていくごとに一瞬で雨に冷やされた僕の体は温まっていきました。
雨粒が窓ガラスにぶつかって川のように透明な板を流れ落ちています。レイキャビクから200キロ。それにしてもこの胸の高鳴りはなんなのでしょう。地球のいつもよりずっと上のほうの小さなレストランで過ごすひととき。いまの心境をあらわす的確な日本語が見つかりません。旅先で感じる独特の幸福感と高揚感。相対的ななにかではなく主観的かつ絶対的な至福のとき。このひとときを体に流し込むようにコーヒーがのどを通っていきます。写真がその瞬間の映像なら、コーヒーはひとときの空気を切り取ってくれるのです。
「あれ、どっちだっけ…」
二つのタイプのガソリンが並んでいました。どちらも日本では馴染みのない言葉。以前使用したことがあるもののさすがに一年前。久しぶりの給油に戸惑う日本人を心配してわざわざ外に出てきてくれたレストランの女性は土砂降りだというのに蓋を開けた給油口に鼻を近づけて匂いを嗅ぎました。
「これはこっちのガソリンね」
真っ白な雲の下にかすれた灰色の雲が広がっています。小さな街を離れた車は東へと、なにもないただまっすぐのびる道を進んでいました。前にも後ろにも車はありません。深い霧に覆われたり、マシュマロの姿がなくなるとさすがに心細く、窓を開けて話しかけるように腕を伸ばすと心地良い風が腕に絡んでくるのです。
「なんだ…」
遠くの山に白いものが見えました。でもそれは滝のような直線ではなく丸みを帯びて広がっています。徐々にそれは白から水色に変化してきました。
「もしかしてこれが…」
それはまさしく氷河でした。ヴァトナヨークトルという氷河の舌が牧草地帯に流れ込むようにせりだしています。しかし、さっきの滝と同じように、見えているのになかなかたどり着きません。そういえば、小さなものがゆっくりと大きくなるという当たり前の現象も、普段はあまり経験できないことなのでしょう。というのも都会の生活だと建物が多いため、なにか現れたときはすでに大きく、ずっと遠くのものをほかの建物に遮られずに見続けられないのです。車は、リングロードをはずれ、砂利道の上を走っていました。あんなに遠くに見えた氷河がちょっとづつ大きくなって迫ってきています。ほんとにここまで来ちゃっていいのか自分でも恐縮してしまうほど車は水色に接近しようとしています。発見から20分、僕の目の前に巨大な氷河が横たわっていました。
2009年11月22日
第383回「風とマシュマロの国〜アイスランド一人旅2009〜」
第三話 白いテーブルクロス
「なんだこの滝は…」
数ヶ月前に実家を訪れたときのことです。企業などから贈られるよくあるカレンダーの上半分をきれいな滝が占領していました。どこの滝だろうかと顔を近づけると下に小さく名前が記され、その隣には国の名前が並んでいました。
「アイスランド!!」
愕然としました。ほかの国ならまだしも二度も訪れているアイスランドで僕の知らない滝がしかも実家のカレンダーになっている。これまで数々の滝を見てきた僕にとって、こんな屈辱はありません。この偶然の出会いを挑戦状と受けとった僕の体内は、アイスランドの火山のごとくマグマのような熱いものがぐつぐつと煮え始め、もういてもたってもいられなくなったのです。
「セイリャ…ランド…」
とても一回見ただけでは覚えられないほど複雑な名前を持つその滝は「セイリャランドスフォス」と呼ばれるアイスランド南部に位置する滝。フォスは英語のフォールの意味でしょう。ガイドブックに載っているものの、写真などで大々的に採り上げるのではなく、名称だけさらっと触れる程度。こんなにも美しい滝をどうしてもっとフィーチャーしないのかと苛立ちを覚えるものの、それはそれで嬉しかったりもします。というのも、ガイドブックだけではフォローしきれないのがこの国のいいところ。ガイドブックがすべてじゃないから旅がより楽しくなるのです。
「これは行くしかないでしょ」
そうして今回の旅の通過点に決まったこの滝は単に美しいだけではなく、もうひとつの魅力がありました。それは、裏側にまわれること。日本にもそういった滝はありますが、ダイナミックな瀑布の裏側で感じるものはきっと正面からでは得られないもの。一体何を感じられるのか、そんな期待で車ごと膨らませてしまいそうなほど胸を膨らませながら僕はハンドルを握っていました。
「おかしいなぁ…」
レイキャヴィクから150キロ。1時間半ほどでたどり着けると思っていた滝がなかなか現れません。たとえ有名な場所でも大きな看板はなく、うっかりしていると見逃してしまうものの、それでもなにかあれば気付くもの。さすがにもう着いていてもいい頃なのにそれらしき看板や標識がありません。
「行き過ぎてしまったのだろうか」
まわりは果てしなく牧草地帯。道を尋ねたくても人の姿や人のいそうな場所すら見当たらず、あとは彼らに訊くしかありません。
「ねえねぇマシュマロくん!」
草を食むのをやめたマシュマロたちが黙って見ています。
「この辺に大きな滝はないかい?」
すると一頭の羊がのそのそとやってきたかと思うと、目の前で地面にお腹をつけるようにしゃがみました。
「え?ここに?」
ただじっとしているマシュマロをおそるおそる跨ぐと僕を持ち上げるように立ち上がり走り出しました。
「おい、ちょっとどこいくんだよ!」
ふわふわの羊毛に埋もれるようにしがみつく男を乗せて、緑の上を白いマシュマロがぴょんぴょん飛び跳ねて駆け抜けていきました。
「着いた…?」
体を起こすとそこにはきれいな滝がありました。僕が探していたセイリャランドスフォスです。
「ありがとうマシュマロくん!」
こんなやりとりができるのはあと何年くらいだろうかと考えながら走っている僕の目がとまりました。
「あれは…」
遠くの山の中にまっすぐに降りる白い筋、間違いなく滝でしょう。思わずアクセルに力がはいります。いったいどれくらい先なのか、いけどもいけどもなかなかたどり着きません。徐々に白い部分が拡大され、次第にそれがかなりの大きさであることがわかってきました。
「これか…」
車を停めるころには、あんなに小さかった滝が、見上げるほどの大きさになっています。一歩踏み出すごとに滝は大きくなり、豪快な音とともにしぶきが降りかかってきます。信じられないほど巨大なものに膨れ上がったその滝は、まるで巨大な白いテーブルクロスのよう。いわばマウントクロスとでも言うべき長方形の白い水流が山の上から垂れ下がり、目の前に立ちはだかっています。
数十メートルもの高さからとめどなく落下する大量の水から発生したしぶきはまさに天然のシャワー。気持いいからといって調子にのって近づきすぎると一瞬で全身びしょびしょになります。そして、今日も観客はたったひとり。これはこの国を好きな理由のひとつでもあるのですが、観光バスからぞろそろと出て来てみんなで眺めるのではなく、たったひとりで滝と向き合うのです。巨大な滝と対峙しているひととき。自然には到底かなわないと実感する瞬間。はじめは恐怖すら覚えましたが、いまとなってはこの水と音と空気に包まれることが快感にさえなりました。それにしても、こんな巨大な滝の裏側になんてまわることができるのだろうか。どう見てもまわれそうにありません。
「え?嘘でしょ?」
小さな看板が男の目を丸くさせました。その滝は探していた滝ではなく、スコウガフォスという滝。セイリャランドスフォスを探しているうちに見つけたのはまったく別の滝、あのとき見たのとは別のテーブルクロスだったのです。どおりで裏側に回れないはずです。やはりどこかで標識を見落としたのでしょうか。しばらく引き返してみたもののやはり現れません。滞在期間が長ければいいのですが、正味4日。少ない日数のなかで本来の進行方向と逆に進む時間がもったいなく感じ始めます。
「またいつか来ればいいさ」
目的とは違う滝だったとはいえあまりにダイナミックであったことが僕の心を満たしたのか、実家の壁を流れる滝を諦めることは難しくありませんでした。うまくいかないことも旅の醍醐味。ほんの少しだけ後ろ髪をひかれながら車は、休憩ポイントであるヴィークの街を目指し、東へと進んでいきました。
2009年11月15日
第382回「風とマシュマロの国〜アイスランド一人旅2009〜」
第二話 カゼノシワザ
ワイパーが左右に揺れています。レイキャビクの町を走って10分、車はリングロードにぶつかりました。左折すれば北西部、右折すれば南部。東横線で着いた渋谷から山手線で新宿方面か恵比寿方面かという感じです。もともと南部に行く予定だった僕はリングロードを右折すると、まるでワイパーが世界を切り替えるように一瞬にして景色が変わりました。あたりは荒々しい自然に覆われ、さっきまでの町並みが嘘のように、ケーキ状のおいしそうな山々がゆっくりと迫ってきます。
最初に訪れたのが8月下旬、次が9月上旬。毎年行くという義務になってはよくないと思い、何度も本当に行きたいのか自問自答してから行くことを決意したものの、日程が決まらないまま9月が過ぎ、一度諦めかけたけれど諦めきれず最終的に白羽の矢が立った10月中旬という時期は、僕に様々な不安材料を与えました。一年を通して気温が高いのはやはり7,8月。それ以降は一気に下がり、日中はまだいいものの朝晩はマイナスになることも。また、降水量も多く日照時間も短くなるので、もはや大使館の人もあまりオススメしないほど、夏が過ぎ去ったアイスランドは寒くて暗い印象を受ける可能性もあるのです。だから今回の旅でイメージを変えるようなことに遭遇し、アイスランドを嫌いになってしまうかもしれない、そんな不安さえあったのです。
「きっと、嫌な部分も好きになるさ」
付き合い始めて1年くらいに訪れる恋愛に似た感覚。仮に嫌な部分があったとしてももう僕はキミを嫌いになんかならない、むしろ、これを乗り越えてこそ本当の愛が生まれる。そんな自信もありました。だから僕は、好きな人のまだ知らない部分を知る必要があったのです。
しかし、秋のアイスランドは想像以上に夏ではありませんでした。秋というより冬。道路こそ凍結していないものの、山々は雪の帽子をかぶり、これを秋と呼ぶには無理があるほど、視界は白で覆われています。でも、それくらいは覚悟の上。というのも、一番の不安は気温でも日照時間でもなかったのです。
「もしかしたら、いないかもしれない…」
僕が最も不安を抱いていたこと、それは羊でした。訪れるたびに僕の心を穏やかにしてくれる羊たち。緑の牧草地帯でたくさん群がる羊たち。荒涼とした大地でも、のんびり草を食む羊たちの姿を見るとすーっと心が和むのです。いわば心の給水所、メンタルサポーター。もしもこの国に羊たちがいなかったらこんなにも訪れていなかったかもしれません。それくらい景色の印象が違うのです。放牧されるのは夏場だけで寒くなったら外にいないのでは、そんな不安を抱きながら僕はハンドルを握っていました。
「やっぱりいないか…」
山々に点在する雪の塊がときおり羊たちに見えます。夏はあんなにいたのにどこにも見当たりません。やはりこれだけ寒いとさすがの毛皮でもつらいのでしょうか。今回は羊と戯れることのない旅になる、そんな覚悟をしはじめた頃でした。気付くと濡れていないガラスの上をワイパーが動いています。雨はやみ、雲の切れ目から光が差し込んできたかと思うと山々は帽子を脱ぎ、突然春が訪れたようにあたりは緑色に染まってきました。
「あっ!!!」
思わず声を発していたかもしれません。遠くに白くて丸いものが一面に散らばっています。あれは雪ではありません、間違いなく羊たち。夏に見たときよりもさらに丸みを帯びています。もくもくと草を食む羊たちはとてもころころしていてなんだかマシュマロのよう。緑の上に転がるマシュマロ。そしてその大きなマシュマロを風が転がそうとしています。いつのまにか空一面に広がる青。もう白はマシュマロがひとりじめしています。陽光が車内を照らし、牧草地帯が海のように輝いていました。
「もしかして」
なんとなくそんな気がして、ブレーキを踏みました。窓をあけて後ろを振り返るとそこにはしっかりと両足をつけた虹が弧を描いていました。遮るものはなにもありません。どこからどこにむかっているのかはっきり見えます。それは、以前見た夏と同じ光景。天気が変わりやすいアイスランドではふとしたときに虹に出会うのです。
「よかった…」
すっかり冬の装いかと思えば、突然夏の雰囲気に包まれる。もはや不安材料はなくなっていました。それにしても、白い雲たちはどこへ行ったのでしょう。これもわがままな風のしわざでしょうか。夏のような日差しが大地を温めています。いつものように窓を開けて大声で呼びかけます。太陽の光を跳ね返しながらまっすぐに進む車を、マシュマロたちが見ていました。
2009年11月08日
第381回「風とマシュマロの国〜アイスランド一人旅2009〜」
はじめに
今回は書かないと心に決めていました。それはいまにはじまったことではなく、いつもそう思います。書くために訪れると書くための旅になってしまうから。でも結局書かずにいられないのは、伝えたいというより、忘れたくないという想いのせい。だからあくまで、他人の日記をのぞき見る感覚で読み進めてもらえたら、それでいつのまにか一緒に旅をしている気分になってもらえたら。すべてを読み終えたとき、あなたの中にもマシュマロがいることを願って。
第一話 おいしい朝食
冷たい風が吹いていました。頬を突き刺すように、風が、吐く息の白さも周囲の音もすべてかき消していきます。例年より遅い時期であることがそれをより冷たく感じさせるのかもしれませんが、それにしても僕を迎えてくれるのはいつも風。この島にあるすべての中で一番最初に僕に触れるのがこの激しい風。大陸育ちのわがままな風が十数時間も機内で温められた僕の体を包むのです。
冬のフライトスケジュールのおかげでいつもより数時間早くレイキャヴィクに到着した僕は、いつものように前に停まっている大きな鉄の箱にはいると、何語かわからないラジオの音をなんとなく感じながら自分の顔と近くの人が反射する窓を眺めていました。
市内へはだいたい40分。途中のバスターミナルで小さい箱に乗り換える数十秒間の風も体が覚えているようで、どこか懐かしく感じます。昨年も宿泊した街の真ん中にあるホテルにチェックインすると、まるで同じじゃないかと思わせるほど印象の似た部屋が、どこか戻ってきたという安心感を与えてくれました。数時間早いとはいえ日本でいう朝6時。白いカップに注がれたコーヒーの香りが部屋に充満する頃には、風の音に夜のレイキャヴィク散策を断念した旅人を、小さなベッドがやさしく包み込んでいました。
朝5時。アラームをセットしなくても時差ぼけがほどよい時間に起こしてくれます。日に日に起こす時間が早くなるのですが。夜はまだ明けてなく、窓の外は寝る前と変わらない様子。シャワーを浴びたり荷物を整理したり、コーヒーを飲んだりしていたら朝食の時間。一番乗りで手にした白いお皿の上にハムやベーコン、サーモンなどが乗せられ、トースターからは香ばしいパンの匂いが漂ってきます。とりわけパンへの期待は例年高く、よりおいしく味わうために旅の前の一週間は断パンするほど。小麦色のパンや茶色のパンたちはとてもシンプルなのにバターを付けるだけでもつけなくても何枚でも食べられそう。白いカップにこげ茶色のコーヒーが注がれればもうこのうえない幸せ。こんなごく普通の朝食のひとときが旅の楽しみのひとつで、むしろおいしい朝食を食べるために旅をしていると言ってもいいほどなのです。
朝食を終えてさっそくチェックアウトした僕はタクシーで5分くらいの国内線の空港に向かいました。フライトではなくレンタカーを借りるため。今回はレイキャヴィクから車で移動する予定だったのです。
「それじゃぁ気をつけて」
3年目ということで気持ちスムーズにキーを受け取った僕はいつもと違う感触のアクセルを踏みました。本来ならこのままリングロードとよばれるアイスランドを一周する道に向かうところですが、なんとなくこのまま行くことがひっかかります。
「無事に戻って来られますように」
丘の上には街のシンボルであるハトルグリムスキルキャ教会、その前には新大陸を発見したエリクソン像、そして彼の前で宗教の壁を越えて手を合わせる日本人がいました。旅のはじめはなんとなくここからはじめたかったのです。高い建物のないおもちゃのような町並みの上にはいまにも雨を落としてきそうな空が広がっていました。レイキャヴィクの町はどんよりした空も似合います。ここから長い旅のはじまり。高鳴る気持ちを穏やかにして、リングロードに向かいます。雲がゆっくりと流れていました。
2009年11月01日
第380回「アーガイルの憂鬱」
「おわった…」
まるで刑務所から出所したようでした。すべての工程をおえて雑居ビルからでてきた僕は、編集のために窓のない小部屋に入り浸っていた日々から解放された喜びを噛み締めながら、気だるくもすがすがしい朝の六本木の空気を深く胸を膨らませるように吸い込みました。
「じゃぁ、これでいきましょう」
それは長い戦いのはじまりでした。そうなることもわかっていました。いつのことだったか突然降り出した雨のように僕の身に降りかかってきた「DVDの話」はやがて、エムオンという以前やっていた音楽番組のスタッフとともに撮りおろしのDVDを制作するという川になりました。それはなにを意味しているのかと言うと、大変なことがはじまることを意味します。というのも、既存の映像をまとめるのではなく、DVD用に新たに撮影する、それはある意味とても面倒な道。なぜその道を選んだのかといえば、ラクをしたくなかったからです。単に番組でオンエアしたものや編集でカットされたものなどのDVDも魅力はありますが、せっかくなら放送されたものの2次使用ではなく、DVDのためのDVDでしかできないモノを作りたい、そう思ってしまう性質なのです。
いまではDVDを出すことはそれほど珍しいことではなく、レンタルビデオ屋においてもお笑いコーナーはとても充実しています。しかし、僕自身が携わったものがDVDになることはあっても、僕自身の価値観で作られたDVDはこの世に存在しません。これがもし番組とか映画ならそうはいかないでしょうが、僕自身の価値観でひとつの世界を作りたかったのです。ほかの誰かでもできるモノは作りたくなかったのです。無料で見てもらうものは手を抜いていいわけでは当然ないですが、お金を払って見てもらうものを適当な気持ちでは作れません。むしろ自分でも手に負えないほど情熱を注いでしまうのです。だから、見た人にフィットしようとしまいと、もう悔いはありません。みんなに好かれることを目的としたのではなく、自分のイメージに忠実であることを大事にしました。これを見たら僕のことを嫌うかもしれないな、でもこれが本当の自分だからしょうがないな、といった感じです。頭の中ではこうしたほうが理解されやすいとわかりつつもそうできない、これを不器用と呼ぶのでしょうか。
舞台はサービスエリア。ご存知の人も多いかと思いますが、昔から好きだったので。でも、テーマは違います。それは見て感じ取ってもらえたらと思います。なので、いろんなサービスエリアこそ登場しますが各地のサービスエリアを紹介するDVDにはなっていません。フルカワトオルという若干社会性に欠けた男のひと夏の出来事を追ったドキュメンタリー。特典映像は別として、まだ誰も味わったことのない79分です。さらに、封入特典はおもわず部屋に飾りたくなるものなので楽しみにしていてください。
2009年の夏は、このDVDに捧げたといっても過言ではありません。そして、僕の価値観をずっと支えてくれたスタッフがいなければ最後まで走りきれませんでした。わかりやすいものやラクなものを選べないのはきっとそれよりも伝えたいことがあるから。ほかの誰かでもできることや、ほかのメディアでできることではなく、DVDだからできること、いま僕が伝えたいことを優先させました。せっかくカタチに残るものだから、見た人の心にも残るものにしたい。そんな想いがつまったDVDがパッケージとともにようやく僕の手元にやってきました。なんだかこわくてまだ開封すらできません。誰も味わったことのない79分。ぜひ、夜中に、ひとりでじっくり味わってください。
PS:アーガイルの憂鬱発売記念サイン会を行います!11月7日(土)20:00〜タワーレコード新宿店にて。13日(金)19:00〜タワーレコード名古屋近鉄パッセ店です。ぜひ来てください。