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2009年05月24日
第362回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第八話 石の村
「この部屋が一番眺めがいいんですよ」
そういって僕に案内してくれたのは緑色の窓枠が並んだかわいらしい部屋。艶やかなものではなく落ち着いたトーンのフローリングにチェックのシートで覆われたベッドが二つ、それぞれの横にランプが置かれています。チェックインしたのはポサーダという国営の宿泊施設。現在は国の重要文化財などを利用したものや自然景勝地などに建てられたものなどあわせて44箇所あるそうで手頃な料金というのもあり旅行者に人気のようです。こういうといわゆる田舎ののどかな村にいるようですが、たしかにのどかではあるもののこの場所は普通の村とは様子が異なりました。
「すごいな、これ…」
それは奇妙な光景でした。空から降ってきたかのように山の中腹でごろごろと転がる巨大な岩々の間に家があります。木製の扉と岩の間に石が敷き詰められ、まるで家が岩にしがみついているようです。マルヴァオンを出発して3時間、スペインの誘惑を振り切り途中に現れる小さな町でコーラを飲みながらようやく辿り着いたのは、巨大な岩とともに暮らす村でした。なんだか絵本の中にいるようです。それぞれ形状の異なる岩にくっついて家が建ち並ぶモンサントは、まさに自然と寄り添う暮らしを体現しています。かといって村の人が原始人のような姿をしているかといえばそうではありません。
「ボアター」
家の戸口で黒い服を着たおばあさんが座っています。ここで一日中編み物をしているのか、作ったのであろう人形を横に並べて黙々と手を動かしています。そういった女性の姿が見られるこの村にもおしゃべりする用の石段があり、おばちゃんたちが電車のシートのように横一列に並んで座っています。いったいどんなことを話しているのでしょうか。また、この村には売店もあれば薬局やレストラン、カフェもあります。村の入り口には教会もあり、おそらく最初に教会の場所を決めてからそこが起点となって村が形成されるのでしょう。
「ここで泥警とかやったら楽しいだろうな」
大きな岩をくぐっていると山の頂上に石で積まれた城壁があらわれました。軍事的な目的で建てられたのか場所によっては砲台が突き出したその城壁からは岩と岩の隙間を埋める家々の赤茶色の屋根が見えます。
「この音は…」
どこからか聞き覚えのある音がします。音のするほうに吸い寄せられるとその正体がわかりました。のどかな鐘の音、それは羊たちの群れでした。群れといっても大規模ではなく十数頭、ヤギや子羊たちが草を食んでいます。近づくと2匹の犬がものすごい勢いでやってきました。「吠えなくていいんだよ」というようにおじいさんが顔を出すと犬たちはぴたっとおとなしくなります。羊飼いのおじいさん。彼のまわりで羊やヤギたちが鐘を鳴らす光景はまるで演奏会をしているよう。この村では毎日この音色が聞こえるのでしょう。
建物の隙間からオレンジ色の光が差しこんでいました。日が落ちてくると、岩と岩の間をすり抜けるように夕日が通過しています。光を感じるひととき。この時間のモンサントは、ちょっとした隙間から太陽と目が合います。岩と岩の間に夕日が沈んでいく姿は、地球の外にあるはずの太陽がこの村の中にはいっていくようでした。
「ここにしよう」
平原を見下ろせる時計台の麓に腰を降ろし、地平線に向かう夕日を眺めていました。視界を遮るものはなにもありません。風にのって鐘の音が聞こえてくると、遠くにおじいさんのあとを追って家に帰っていく羊たちや犬たちの姿が岩の間に見えました。自然と寄り添う生活。地平線との距離が徐々に狭まりお風呂にはいるように夕日がゆっくりと体を沈めていきます。そして完全に太陽が見えなくなると空は赤く染まり、それが青とまざりあってできた紫色がだんだん濃くなりやがて暗くなっていきます。まるで生きているかのような光の変化を毎日見られる場所。日が昇り、太陽が沈んでいく、それだけでこの村には充分すぎるほどの表情があります。自然と寄り添う暮らしは多くを求める必要はないのかもしれません。
「お口にあいますか?」
山の上の城壁がライトアップされています。石の村にもオレンジ色の暖かい街灯が燈り、夜のモンサントはより神秘的な雰囲気に包まれます。やはり観光シーズンは夏なのか、宿泊者は僕だけのようです。いずれにしてもリゾート地ではないので観光客でごったがえすことはなさそうですが。ホテルの人が運んでくれたのはパンとチーズとサラダとスープと炒め物。微妙に予想と違うものが登場したりしますがそれも旅の醍醐味。食後には苺のパフェとコーヒーをいただきました。また、昨日の二の舞にならないように深夜の出入りの仕方を尋ねると裏口の鍵を渡してくれました。これで途方にくれる心配はありません。
「明日はやいので…」
先にチェックアウトしてもいいか尋ねてみました。翌日、遠出をする可能性があったから明け方出発してもいいように先に会計だけ済ませようと思ったのです。すると彼女は僕の出発したい時刻に合わせて朝食も用意するとのことで、日本からやってきた気まぐれな旅人は結果的に申し訳ないことをしてしまったと思いながらも彼女の言葉に甘えることにしました。彼女にとって普通のことが彼にとってはとても親切に感じられました。
「ボンディア」
結局、裏口の鍵を使用することはなく、朝を迎えました。部屋をでるとコーヒーの香りと朝食の支度をする音が階段をのぼってきます。甘いパンとコーヒー。宿泊客一人のための朝食は忘れられない味になりました。
「日本人は来ますか?」
という質問に何度もうなずいて見せてくれたサイン帳にはほとんど外国語で埋められる中に少しだけ日本語が混じっていました。日本でポピュラーではないものの、やはり来る人は来るのです。そしてサイン帳の前人未踏の部分が日本語によって開拓されました。
「ムイトオブリガード」
チェックアウトして荷物を車に積んだ僕はもういちど岩山を駆けあがりました。岩の上で息を切らしながら太陽を待ちます。そしてゆっくり空の端っこがめくれてきました。数時間前に反対側の地平線に消えていったものがいま反対側の地平線からのぼってきています。こんなにも素晴らしいことをなぜいままで気付かなかったのでしょう。これまで当たり前に思っていたことが当たり前に思えません。太陽が愛おしく感じます。
「また来れるかな」
まだ温まる前の村にエンジンの音が響きました。果たしてまた来ることができるだろうか、またあの人たちに会うことができるだろうか。ひとつの村を出るたびにいつもせつなくが生まれます。モンサントにも心を残し、体だけが離れていきました。今日はいままで以上の長距離ドライブ。ポルトガルの一番下、サグレスというところにいく予定です。あくまで予定であって疲れたらいつでも変更するつもりです。でもその前に寄らなければならないところがありました。
2009年05月24日 11:50
コメント
石の村の人達も、違うものに満たされたりするのでしょうか。地球は楽園を探して確実に成長していますね。大切な物を見つめながら残したり、表現できる人がいる限り。ふかわさんみたいに。どんな形になっていくのかな。私は身体を失う時にどんなエッセンスになるのかな。何滴残せるのかな。できれば、一滴でいいから、プラスのエッセンスになりたいです。
投稿者: ようこ | 2009年05月24日 12:22
誘惑に勝って、
ポルトガルを満喫ですね〜(^-^)
自然と一体化していて、素敵な街!良いですね。
投稿者: コルカ | 2009年05月24日 14:09
「のどかな鐘の音、それは羊たちの群れでした。」
「羊飼いのおじいさん。彼のまわりで羊やヤギたちが鐘を鳴らす光景はまるで演奏会をしているようです。」
牧羊の光景は目にしたことがないので想像するしかないのですが……(飼い猫などの首についている鈴のように)羊たちの首に小さな鐘がぶら下がっていて、歩くたびに鳴る音がそよ風にのってひそやかに聞こえてきた、ということのようですね・・・・。
投稿者: 明けの明星 | 2009年05月24日 14:15
太陽と夕日が苺のパフェより甘いご馳走でしょうか。
心をいろんな所に置いてきちゃいましたか、どこでもドアが欲しいけど無いから、時々頭を空っぽにしなくちゃですね。
ボディーガード犬に不審者がられましたか!サファリパークでも子羊に逃げられてましたねー!
私も動物園の子羊に死にもの狂いで逃げられましたー。
投稿者: 咲子 | 2009年05月24日 15:58
巨岩の要塞
そこに差し込む夕日
遠くから聞こえる鐘の音
コーヒーを飲みながら
ボーッと小1時間
ゆっくりしたいですね。
投稿者: きんぐかずぅ | 2009年05月26日 14:28