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2008年11月30日

第339回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十二話 ノーザン・ライツ」

 それは、ホテルの人の声でした。
 「ほんとですか?!わかりました!ありがとうございます!」
 受話器を置くと、ベッドから飛び起きました。
 「うそでしょ、そんなことって...」
 上着の袖がうまく通りません。部屋をものすごい勢いで飛び出すと、ものすごい勢いで戻ってきて、テーブルの上にあったオーディオプレイヤーを手に取りました。あらためて部屋を飛び出し、廊下を駆け抜けテラスにでると、ほかの宿泊客が何人かいます。そして僕は肩を揺らし、彼らと同じ様に空を見上げました。
 「これか...」
 僕を待っていたのは、夜空に浮かぶオーロラでした。最終日の深夜1時半、上空に現れたオーロラに気付いたホテルのスタッフが、翌日帰国する日本からの旅人に連絡してくれたのです。
 「これが、オーロラか...」
 それは、ある意味奇跡でした。スウェーデンなどの北部地方で、防寒着をしっかり着込んで何時間も待たないと見られません。それこそオーロラツアーをしても見られずに終わることがあるほどです。つまり、人生で見られるかわからないのです。アイスランドでは比較的オーロラが見えやすいとはいえ、10月以降。しかも、冬でも晴れていないといけません。まだ9月になったばかりのアイスランドの夜空にオーロラは珍しく、相当運がいいということなのです。僕自身、もしかしたらとすら思っていなく、オーロラのことなんてまったくもって期待していなかったのです。
 「まさか見られるなんて」
 すると近くにいた男性が話しかけてきました。
 「キミ、オーロラははじめてかい?」
 「はい、はじめてです!」
 「そうか、キミはラッキーだよ。こんな時期にオーロラは見られない。せいぜい10月くらいだよ」
 ワイングラスを手にし、かなり酔っ払っているようです。
 「君は日本人かい?」
 うなずくと彼は嬉しそうに話し続けました。
 「そうか、日本人か!僕はドイツ人だ。ちなみに日本とドイツは共通点がいくつかある...」
 オーロラを見ていたいけど、酔っ払いの相手もしなきゃいけません。彼の顔とオーロラを交互に眺めます。
 「俺は実はパイロットをやっているんだよ。君は将来なにになりたいんだい?」
 「日本ではいま、テレビの仕事してるんです」
 「テレビの仕事?なれるといいなぁ」
 日本人は若く見えるのでしょう。
 「それにしても、キミはラッキーボーイだよ」
 「あ、はい、ありがとうございます」
 「こんな時期にオーロラは見られない。せいぜい...」
 「10月以降とかですよね」
 「そう。ちなみに日本とドイツは共通点がいくつかある...」
 アルコールが、彼の話をループさせます。共通点を聞いているうちに、ほかの人たちは皆部屋に戻り、テラスには日本人とドイツ人のふたりだけ。第二次世界大戦の影響がこんなところにもでていました。
 「このオーロラはいつまででているのだろうか、写真を撮れないものだろうか」
 さすがに話し疲れたのか、ようやく彼の口の動きが止まりました。もう部屋に戻る、そんな気がしました。
 「いやぁ、しかし、君はラッキーボーイだよ...」
 こんなにもラッキーボーイだとは自覚していませんでした。そのあとはきっと共通点の話をしていたのでしょう。彼の言葉が遠のいていきます。結局30分ちかく話をしていたでしょうか。ようやくドイツ軍は撤退し、僕ひとりだけになりました。
 「やっとじっくり見られる」
 しかし、ようやく初めてのオーロラを一人で浸れる状況になったものの、どこか満たされない感じがありました。というのも、これまで写真で見たものと大分違うのです。光のカーテンなどと表現されるのに、光というよりもどこかかすんだ雲のよう。生で本物を見たという感動こそありますが、規模の小ささとイメージとの違いに多少不満が残りました。
 「まぁ、こんなものか...」
 若干こぶりなのを時期と場所のせいにしながらしばらく眺めていると、突然様子がおかしくなってきました。
 「なにこれ...」
 ひとりになってから間もなく、オーロラが突然動き出したのです。それまでかすんだ雲のように空の一部分にあったものがふわーっと広がり始め、白一色だったのが七色に発光し、あっというまに上空いっぱいに映し出されました。右から左へ左から右へ、そして真ん中からシャワーのように光が流れていきます。たしかに光のカーテンのようで、川の流れのようで、天空の生き物のように光が舞っています。空をスクリーンに、幻想的にうごめく光はもはや現実のものとは思えません。
 「こういうことか...」
 そう考えると、ワイングラスの男性がいたからこの光景に出会えたともとれます。それにしても、この天体ショーはなかなかおわりません。10分たっても20分たっても消えず、しかも常に違う動きをするので目が離せません。ずっと見上げているのがつらくなり体を地面に預けると、その冷たさが背中に伝わってきました。ポケットに入れておいたオーディオプレイヤーをとりだし、かじかんだ手でヘッドホンを装着すると、外の音が遮断され、自分の呼吸や心臓の音が聞こえてきます。そして、音楽が流れてきました。夜空を舞う光と、それと戯れるように、ときおりこぼれおちる流れ星。夜空のフルコースといった感じです。そしてこの宇宙の神秘に遭遇することをわかっていたのように、ディスプレイには「northern lights」と表示されていました。「オーロラ」という意味です。今回の旅のために無限にある曲のなかから選ばれた一曲、その曲と現実がつながりました。いま目にしているすべてがここに刷り込まれていきます。やがて、夜空のページをめくられるように朝日が昇り始めると、それにバトンタッチしてオーロラは消えていきました。
 「やばかった...」
 それは、自然からのご褒美でした。まだオーロラというものが知られていないとき、人はそれをどう思ったのでしょう。もうすべてが終了したと思っていただけに、最後の最後に訪れた予期せぬプログラムに、満足度は測定不能の域に達しました。
 「起こしてくれてありがとうございました」
 空港に向かうのは僕だけでした。
 「なかなか部屋に戻れなくて、結局朝まで見ちゃいました。」
 いろいろ会話をしていると、彼女が僕の好きなアークレイリ出身だとわかりました。冬の雪で覆われたアークレイリもなかなかいいそうです。窓ガラスが結露で覆われた車は、15分ほどで空港に到着しました。荷物を降ろし、二人で写真を撮ると、彼女の手を強く握りました。また来ることを約束して。
 「タックフィリール」
 この言葉が、最初に覚えたアイスランド語になりました。

1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS | 09:23

2008年11月23日

第338回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十一話 オレンジ色の理由」

第338回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十一話 オレンジ色の理由」
 「え、もうでかけるの?」
 「そうだよ」
 「飛行機お昼の便って言ってなかった?」
 「そう。だから出発時刻までに戻るから」
 最後の夜を迎える今日、アークレイリからレイキャビクに12時の飛行機で戻ることになっていましたが、その前に行きたいところがありました。
 「どうしてこの色にしたんだろ」
 写真にオレンジ色の小さな建物が映っていました。シグルフィヨルズルにあるソイザネースの灯台です。右手のひらの中指の先、それが今日の目的地です。でも、僕にとっては目的地はそれほど重要ではなくて、ただ、いろんな景色を見たい、残りわずかとなった時間をぎりぎりまで楽しみたい、その口実として選ばれたのがこの灯台だったのです。
 「しかし、なかなかでてこないねぇ」
 予想では1時間ほどで着くものだと思っていましたが、いけどもいけどもオレンジ色があらわれません。あまり到着まで時間かかると飛行機の時間に間に合わなくなってしまいます。
 「あのカーブをまがったら...」
 ひたすら続く美しい海岸線に感動するものの、なかなか見つからない状況に焦らずにもいられません。こうなったら飛行機に間に合わなくってもなにがなんでも見てやる、そう心に決めたときでした。
 「もしかして、あれ...」
 小さくオレンジ色の建物が遠くの崖の上にポツンとたたずんでいます。銀色の車はカップに近づくゴルフボールのように、その建物に吸い寄せられていきました。
 「いまも使われているのかな」
 それは写真のとおり、なんともかわいらしい灯台でした。緑色の牧草地帯、茶色の山肌、青い海に白い羊たち。ここにいると、なぜこの色になったかわかる気もします。一見、使用されていないように思えるこの灯台も、夜になると明かりがともるのでしょうか。その光景もいつかは見てみたいものです。
 「どうにか間に合いそうかな...」
 灯台を折り返し地点に、車はUターンします。結局、最後のレンタカードライブは往復4時間の旅となりました。
 「これで、本当にお別れだね」
 「そんなあらたまらないでよ」
 「本当にありがとう。君のおかげで楽しい旅ができたよ」
 「そういわれると長距離頑張った甲斐があったな。でも、CDの件、ごめんね」
 「いいんだってそんなの。それもいい思い出だよ。こっちこそごめんね、本当はここじゃないのに」
 「大丈夫、慣れてるから」
 僕は運転席を降りました。
 「また、いつか会えるといいね」
 「うん、また、いつか」
 二人の笑顔がカメラに収められました。
 「また、来れるかな」
 銀色の車が、そしてアークレイリの街がぐんぐん遠ざかっていきます。すっかり国内線の小さい飛行機にも慣れたものです。窓からぼーっと内陸部を眺めていると、ところどころに水溜りが見えました。本来凍っていなければいけないところが融けてしまっているのかもしれません。実際目の当たりにすると、深刻さを実感します。
 レイキャヴィクに戻った僕を、夏のような強い日差しが待っていました。アイスランド最終日は昨年と同じく、最大の露天風呂ブルーラグーンにはいって旅の疲れを落とすことになっています。もう何度も温泉にはいっていますが。空港から目と鼻の先にあるバスターミナルでチケットを購入し、お菓子を片手にブルーラグーン行きのバスを待ちます。ここのラウンジも映画に登場する場所で、多少リニューアルしているものの、当時の雰囲気はまだ残っていました。
 「最終日か...」
 定刻どおり、日本人の旅人と数名を乗せたバスはゆっくりとターミナルを出発しました。改装中の教会も見えなくなり、心の中のカウントダウンももはや時間刻みになります。45分ほどで、温泉の白い煙がみえてきました。まずは、すぐ近くにあるホテルにチェックインをします。
 「昨年もここに泊まったんです」
 その間に増築されたらしく、一階建てのホテルは横に広がっていて、まだ新しい匂いのする部屋に案内されました。荷物をおき、さっそくホテルの人の車でブルーラグーンへ向かいます。
 「すごい賑わってるな」
 ミーヴァトンのそれと違って、あいかわらず多くの観光客であふれています。それでも露天風呂はあまりに広いので、まったく気になりません。マッドと呼ばれる名物の白い泥パックを顔に塗り、端っこのほうでのんびり浸かっていました。
 「日本にもあったらいいのに...」
 せっかく同じ温泉大国なのだから、日本にもこのような場所があってもいいものです。ブルーラグーンジャパンです。当然、日本の和を感じる温泉も好きですが、それとはまた違ったよさがここにあります。いわゆる温泉の概念を覆すことも大事です。プールのように水着で男女混浴できる温泉。館内にはエステとかおしゃれなカフェやラウンジもあって、岩盤浴やホットヨガ、禁煙のダンスフロアもあったりする。いわば、リラクゼーション施設。近いものでスーパー銭湯のようなものもありますが、いわばそれの北欧バージョン。その鍵を握るのが、水色の温泉です。
 「IKEAの隣とかにあったらどうだろう...」
 日本人は北欧という言葉に弱いですから。
 「もう明日帰るのかぁ...」
 もうすぐすべてのプログラムが終了してしまう、そう思うとなかなか腰があがりません。ここからあがるとまたひとつ、ゴールまでのマス目が減ってしまうのです。
 「アイスランド語でありがとうってなんて言うんですか?」
 帰りの車内で、アイスランド語の挨拶を教えてもらいました。アイスランドの人は、当然のように母国語と英語の2ヶ国語を話します。だからほとんど英語が通じるので、前回は一度もアイスランド語を使うことはありませんでした。
 「せめて最後の晩餐は豪華にいこう」
 明日の出発がはやいので、まだ夕日が窓から差し込んでいるうちに夕食をとることにしました。プログラムも残りわずかとなったいま、その思いはすべて夕食に向けられます。ここのホテルの食事はとても美味しいと評判で、昨年もそんな印象を持ちました。アイスランド語と英語で書かれたメニューを眺めると、ある文字が目に留まります。
 「ラムかぁ...」
 アイスランドといったらやはりラムです。
 「ラムの○○ソース...」
 おいしそうなお肉が頭に浮かびました。いいかんじに骨がついて、こんがり焼けています。そして、最後の晩餐のメニューが決まりそうになったとき、別の映像が頭に浮上してきました。これまで遊んできた羊たち、川辺で地面にお腹をつけていた羊たち、そして道路に倒れていた羊。これまでたくさん見てきた羊たちの表情が頭のなかを巡ります。
 「だめだ!今の僕には羊を食べることはできない!」
 もはや、僕にとってラムを食べることは、大好きな犬を食べるようなものでした。
 「いやぁ、おいしかった」
 結局最後の晩餐は、パスタとパンとオレンジジュース。そういえば、海外にいくと必ず体感した和食恋しい病にも最近は悩まされることもなくなりました。部屋に戻ってコーヒーを飲んでいると、お腹いっぱいで眠くなり、寝る前にやろうとしていた荷物の整理は明日の朝に延期になりました。明日は4時半から朝食で、5時半に出発です。
 「これですべてのプログラムが終了した...」
 目覚ましをセットした男の唇のあいだから、深い息が漏れていきました。そして、その息はそのまま寝息にかわりました。
 「電話?!」
 目を覚ますと部屋の電話が鳴っています。誰かのかけ間違いだろうか、でもなかなか鳴り止みません。
 「もしかして、寝坊?!」
 一瞬、そんなことが頭をよぎりました。
 「リョウ起きて!まだ寝てるの?!もう出発の時間よ!!」
 しかし、時計をみると深夜1時半。どうやら寝坊ではなさそうです。
 「もしもし...」
 おそるおそる受話器を持ちあげました。すると向こうから、耳を疑うような衝撃的な言葉がでてきました。

1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS | 09:01

2008年11月16日

第337回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第十話 タビノニガミ」

 ただ、「ピノは4個目からが一番美味い」という言葉もあります。バニラの甘味と、もう終わってしまうかもしれないというせつなさの苦味が見事に絡み合って、さらなる美味しさにつながるからです。
 「よし、出発しよう」
 残り二日となり、旅にせつなさという苦味がでてきたその日、7時に朝食を済ませるとすぐにホテルをでました。今日の目的地は、アイスランドの東端、エイジルスタジルという場所です。アークレイリから300キロ、東京から名古屋くらいの距離です。雲の切れ間から日の光が差し込んでくると徐々にその切れ間が引き離され青空が広がってきました。まずは、去年も訪れた神の滝とよばれるゴーザフォスに寄り道です。
 「いつ見ても素晴らしいよな」
 相変わらず柵もなにもないありのまま姿の滝は、自然の美と強さを実感させ、何回見ても飽きることはありません。神が宿っているというのも、あながち迷信でもない気がします。
 「ここから未開拓ゾーンだ...」
 そしてネイチャーバスの誘惑を振り払い、昨年訪れたデティフォスの滝へ続く分岐点を越え、昨年は踏み入れていなかった道に突入しました。ただ、そこから東端の町エイジルスタジルまでは特に観光スポット的な場所はないらしく、それこそエイジルスタジル自体、外国からの観光客は少ない場所なのです。それでも僕が行きたかったのは、単にアイスランドの別の表情を見たい、それだけでした。
 「しかし、なんにもないな...」
 リングロードを走っていると、周囲の景色ががらっと変わることがよくあるのですが、ここでは牧草地帯の草がすべて食べられてしまったような、不毛な荒涼とした大地が続いていました。さすがに羊を見かける頻度も少なくなり、心細くなってきます。そのかわり、時折あらわれる赤い屋根の家や教会が、心を和ませてくれるのです。
 「虹だ...」
 前方にエイジルスタジルの街が見えてきた頃、まるでゴール地点のアーチのように、虹がかかっていました。そうです、アイスランドは、そのことにいちいちリアクションしないほど、虹が多く見られる国なのです。去年はアークレイリに降り立ってすぐ見えたのですが、今回の旅ではこれが最初の虹でした。
 街の中心部にはスーパーやレストランなどがあるものの、ほかの街と同様に、中心部をはなれるとすぐに大自然に覆われてしまいます。ただ、ここにはほかではあまりみられない森林があるところが特徴で、これもアイスランドの別の表情といえるでしょう。
 街を離れると、山の合間を縫うように静かに川が流れています。今日はのんびりしようと決めていたので川岸へおりてみると、たくさんの羊たちが遊んでいました。草を食んでいたり、眠っていたり。人間がバーベキューをしているようです。車の音がすると、地面に伏せている羊たちがゆっくりと立ち上がって警戒しはじめました。
 「なにもしないよ、大丈夫だよ」
 微妙な距離で立って見つめあっていると、しばらくして疲れたのか、もしくは思いが通じたのが、一度立ち上がった羊たちが徐々にしゃがみはじめました。地面にお腹をつけたそのやわらかそうな体はとても愛らしく、胸がきゅんとしてしまいます。しばらく僕はその光景をただ眺めていました。
 「じゃぁ、またね」
 羊たちに別れを告げ、車は出発しました。そこから東端の町、ネスコイプスタズルまでの間、いくつかのフィヨルドに遭遇します。そこは、ほかのフィヨルドに比べ、荒々しいというよりむしろ静かで美しいという印象をうけます。波音のしない、まるで湖のようにぴたーっと時がとまっているかのような入り江は、ここで生活する人々の心を穏やかにすることでしょう。そして、アイスランド特有の細長いトンネルを抜けると、その街はありました。
 大地に両足をしっかりとつけるようにいくつもの虹がかかっています。自転車に乗った子供たち。地元の人たちが集う喫茶店。こんな東の果てにも当然、人々の生活はあります。アスファルトに包まれた街で暮らすのと、自然の中で暮らすのと、どちらが豊かな生活なのでしょう。欲望に振り回された生き方、自然とのかかわりを大切にする生き方、喜びの価値観はきっと違うはずです。お金のかかる幸福、かからない幸福、うばわれる幸福、うばわれない幸福。刺激をもとめる生活、穏やかさを求める生活。たとえば40歳くらいになって、ここで生活したらどんな気分だろう、そんな想像もふくらみます。
 街を抜け、車を降りて海岸線を歩いていくと、そこにも「地の果て」がありました。2日前はアイスランドの西の端、そしていまは東の端にいます。右手のひらの親指の先。小指の先から親指の先まで横断してきたわけです。
 「ここで朝日をみたら最高だろうな」
 サンセットを見たらサンライズもみたいものですが、それは諦めなければなりませんでした。というのも今日はもうひとつ、予定があったからです。
 「またいくの?」
 「悪い?」
 「だって昨日はいったじゃんか」
 「昨日は昨日、今日は今日。それに今日は天気がいいからきっといいものが見られる」
 エイジルスタジルとアークレイリの中間地点にあるネイチャーバスは22時まで。そこで、日が沈む光景を眺めながら温泉にはいりたかったのです。車はゴムで引き戻されるように、西へと戻っていきました。
 「間に合った...」
 遠くの大地に沈む夕日が水色の温泉を照らし、あたたかい海に浸かっているようです。太陽の美しさはきっと人類共通の価値観なのでしょう。サンセットを眺めながらはいる水色の温泉、楽園にいるような、極上のチルアウトタイムになりました。
 「来年もまた...」
 太陽が沈み、それに吸い込まれるようにゆっくりと光がフェードアウトしていきます。徐々に家々に明かりがともりはじめ、昼間のそれよりもいっそう牧歌的な光景が広がります。昨年は日没後の運転を控えていたのですが、これまでの経験が僕の運転時間を引き延ばしたわけです。薄明かりのなか運転していると、前方に黒い物体が見えました。羊の死体ではないので安心してください。
 「もしかして...」
 僕はすぐに、あることを思い出しました。それは昨年のことです。
 「なんだあれは...」
 温泉帰りの長い坂道を下っていると、横からなにか黒い物体がものすごい勢いで向かってくるのが見えました。
 「犬?」
 黒い犬が牧草地帯を走り抜けてきます。
 「まさか、飛び出してこないよね?」
 しかし、その犬はスピードをおとすことなく、まるで僕の車にぶつかりにくるように走ってきました。
 「ぶつかる!!!」
 ブレーキを思い切り踏み込みました。
 「え?」
 犬の姿がありません。なにかと衝突した音もありません。ただ、ガラス越しに犬の声がします。
 「びっくりした...」
 その犬は、車の後ろから吠えていました。「遊んで」といわんばかりに飛び跳ねて、車の周りで吠えています。おそらく、車が通ると嬉しくて走ってくるのでしょう。それにしても、あまりにぎりぎりで走り回るので、ドライバーがハンドルをきって轢かれてしまわないか心配になります。
 「あのときの犬か?」
 前方の黒い物体が徐々に見えてきました。今度はあらかじめスピードをおとしています。
 「いた!」
 それはやはり、昨年僕の車に突進してきた犬でした。あのときの犬が、通り過ぎる車を待ち伏せするように道路脇で待っています。当然犬はなにもわかっているはずもないですが、僕にとっては一年ぶりの再会です。
 「おー、元気だったか!」
 窓をあけると、逆に怖がって吠えません。通り過ぎる車ばかりだから、車をとめてぐいぐいこられるバージョンにはまだ対応できていないようでした。それでも、一年前に見たあの犬がいまでも元気にしている姿に嬉しくなりました。
 「じゃぁね、また来年!」
 意表を突かれたような様子の黒い犬が、鏡の中で小さくなっていきました。やがて光のフェードアウトが完了すると、すっかり周囲は暗くなり、両脇の反射板が光りはじめました。
 「あと一日か...」
 アークレイリに戻ると、街明かりが夜空を照らしていました。

1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS | 09:14

2008年11月09日

第336回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第九話 無意識の記録」

 「それにしても、どうしてこのCDにこだわるの?」
 「だって、好きな曲を聴くほうがいいじゃない」
 車は温泉に向かっていました。
 「別に音楽なんてなんでもいいじゃんって思うけど」
 「なんでもよくないよ」
 「どうして?」
 「どうしてって、わからないかなぁ」
 オーディオの音量を少し下げました。
 「たとえばさ、みんな旅行行くときはカメラを持っていくでしょ」
 「うん」
 「言ってみれば、それと同じ様なものだよ。僕にとってこの一枚のCDは」
 「カメラと同じ?余計わからなくなったけど」
 そんなふうに疑問に思う人もいるでしょう。別にCDなんてなんだっていいじゃないか、それこそなくったってなんの支障もないじゃないかと。しかし僕にとって、今回の一人旅でCDを忘れてしまったことは、カメラを忘れてしまうようなこと、いや、それ以上に重大なことだったのです。極端にいうと、カメラかCDのどちらかを置いていけといわれたら、もしかするとカメラを置いていったかもしれない、それほどなのです。
 「カメラよりも大切?」
 「うん」
 なぜなら音楽は、カメラでは捉えることのできない範囲まで記録してくれるからです。
 おそらくこれを読んでいる人のほとんどが、昔聴いていた曲を久しぶりに聴いたときの感動を体験していると思います。音楽が、当時の光景や気温、空気、すべてを再び実感させてくれるのです。一方で、懐かしいアルバムを眺めていると、それはそれで当時のことは蘇るものですが、それはどこか映像的なものだけで、体全体で感じていたディテイルまでは実感しがたいのです。つまり音楽は、一枚の写真ではできない、まるでタイムスリップしたかのような感覚を与えてくれるのです。たいていの場合、この実感は偶然的に遭遇することが多いのですが、それを意図的・計画的にやってみよう、ということです。アイスランドで感じたことを、こうして言葉で綴ることも大事だし、写真に収めることも意味はあります。それと同じように、旅をしながら音楽を聴くことで、僕が目にした光景、空気、温度、すべてが音に刷り込まれていくのです。
 そしてもうひとつ、カメラとの決定的な違いともいうべき大事な点があります。それは、レンズを向けていないところがおさめられる、ということです。これがとても重要なのです。
 写真を撮る場合、おそらくほとんどの人が、撮りたいものを撮る、撮りたいものにレンズを向ける、という方法を選ぶでしょう。撮りたいものがあるのに、あえてそれが映らないところにレンズを向けるというような奇抜な撮影法が仮にあったとしても、それは観光のスナップには向いていません。だからどうしても、撮った写真をあとで見たときに、「あ、こんな場所いったなぁ」「ここの景色よかったなぁ」と、当然一度レンズを向けたものしかでてきません。
 これに対し音楽の場合、レンズを向けていない部分、つまり意識的に「あ、ここ写真におさめよう」と思った光景以外の瞬間が、音に詰め込まれていくのです。だから、旅を終え、いつかこの音楽が流れたときに、「あ、この写真とった」ではなく、自分でも思いもよらぬシーンが、無意識に感じていた光景が、ランダムにフィードバックされるです。カメラが意識したものを記録し、音楽は無意識を記録してくれるのです。そのための音楽を、僕は連日選んでたわけです。
 「まぁ、なんとなくわかったけど」
 「人間って素晴らしいでしょ」
 ただそのとき、予想とは違うことが起きていました。車の中で聴いている僕の頭の中には、ヘッドホンで聴いていたときに刷り込まれた光景が浮かびはじめていました。旅の途中にして、数日前の出来事がもう思い出に変わりはじめていたのです。これはある意味嬉しい誤算でした。
 「あれだ!」
 そしてちょうど、CDRが終了するころ、今日の終着点が見えてきました。地面から勢いよく白い煙があがっています。昨年も訪れた温泉、ミーヴァトン・ネイチャー・バスです。
 アイスランドには、レイキャヴィクにブルーラグーンという巨大温泉があり、そこはアイスランドを訪れた人は必ず行くのに対し、ここの温泉はそれほど有名ではありません。それだけ、巨大な温泉にたった一人ということもあり、地球の最後の一人になってしまったような感覚を味わえるのです。それで昨年同様、まだ有名になっていないだろうという願望も込めて、今回のプランに組み込まれていました。
 「きれいになってる...」
 多少設備があたらしく改装されていました。秘密の場所が徐々に知られてしまう寂しさはありますが、少なくとも改装中じゃないだけよかったのかもしれません。脱衣所で全身を洗ってから外にでると、濡れた体を冷たい空気が覆います。その凍えそうになった体を、水色の温泉がやさしく包み込んでくれるのです。
 「明日は晴れるといいけど...」
 冷たい雨が顔面にぶつかってきます。頭が凍りそうになるのでときおり頭をもぐらせながら浸かっていると、長旅の疲れもみるみるうちに抜けていきます。しかし、このときすでに、僕の頭の中ではカウントダウンがはじまっていました。数日後に帰らなくてはならないという意識が芽生えていました。ピノでいう3個食べたあとの心境です。人はそのとき、なにかが終わる、ことの終わりを感じはじめるのです。5泊7日の折り返し地点は、僕を少し感傷的にさせました。

1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS | 09:22

2008年11月02日

第335回「NORTHERN LIGHTS〜アイスランド一人旅2008〜第八話 別れの情景」

 出発して8時間が経過しようとしていた頃、ようやく見覚えのある町並みが見えてきました。長時間のドライブだったとはいえ、飛行機であれば20時着だったところ、見知らぬ景色を見ながら15時に着いたのだから、悪くない選択だったかもしれません。
 昨年訪れて以来すっかり僕を虜にしてしまったその町は、アークレイリと呼ばれるアイスランド北部の町です。レイキャビクに次ぐ2番目の町なのですが、それでも人口は1万5千程度。ちなみに夏は太陽が沈まなくなり、ミッドナイトサンシティーとも呼ばれます。実際、昨年の滞在日数で考えると最も長くいた場所で、僕にとってはレイキャビク以上に馴染み深く、愛着のある町なのです。人口の8割が集まるレイキャビクは交通量が多いのに比べ、水辺にあるこの街はとても静かでいつも落ち着いています。水の近くであることが、この町の人々の心を落ち着かせているのでしょう。
 ここから1時間ほど車を走らせると、巨大な滝や温泉にであうことができます。「巨大」は温泉にもかかっています。見知らぬ場所もいきたいけど、昨年の感動をもう一度味わいたくて、早い段階から今回の旅のプランにはいっていたのです。これまでの数百キロの道のりも運転できたのも、ゴールに温泉があるからでしょう。でも、その温泉に行く前に、僕にはやるべきことがありました。
 「疲れたぁ...」
 「そうだよね、さすがに8時間だもんね」
 「やっぱりそんな経つのか...」
 「でも、もう大丈夫、安心して」
 「安心?」
 「そうだよ。もうゆっくり休めるから」
 車はガソリンスタンドにはいっていきました。
 「どしたの?まだぜんぜん残ってるのに」
 「わかってる。でも満タンにしないといけないから」
 「しないといけない?」
 給油を終え、運転席に座ると僕は、真剣な表情で彼に伝えました。
 「君とは今日でお別れだよ」
 「お別れ?」
 「あぁ、そうだ」
 「え?どして急に?」
 「わかるだろ、もう君とはやっていけないんだ」
 「やっていけないって、なんで?ここまで楽しかったじゃない!」
 「だって、CDが聴けないんだもの」
 「そんなのどうでもいいじゃんか!ヘッドホンだってあるんだし!」
 「どうでもよくないんだよ!!」
 その言葉に彼は黙りました。
 「ごめん、大きい声だしちゃって...でもやっぱり俺、CDが聴きたいんだ。ヘッドフォンじゃぽろぽろ落ちちゃうし、音圧も弱くなる。もっと体で感じたいんだよ!」
 「そんなぁ...」
 「だから君とは...この街でさよならだ」
 「この街で?」
 僕は黙って頷きました。
 「...それで、どうするの?」
 「新しいパートナーを見つけるさ」
 「ここで別れたら、乗り捨て料金かかるよ」
 「わかってるよ。いくらお金がかかっても、車でCDが聴きたいんだよ。大きいスピーカーで聴きたいんだよ。だから...」
 「だから?」
 「ありがとう...」
 エンジンのかかる音がしました。車はスタンドをはなれ、レンタカーオフィスにはいっていきました。
 「すみません...」
 奥から若い男の人がでてきます。
 「あの、ここで借りた車ではなくて...」
 レンタルしたイーサフィヨルズルのオフィスに夕方返す予定だったことと、引き続き借りたいこと、そして、できることなら...。
 「車を替えたいんですけど」
 僕はおもいきって気持ちをつたえました。こんなにも気持ちをこめて「change」を発音したことがあったでしょうか。
 「つまり君は、あの車をイーサフィヨルズルから乗ってきて、引き続き乗りたいけど車は替えたい、ということなんだね。わかった。でも、車を替えたいというのはどうしてだい?」
 「それはですね...」
 CDが聴けないこと、そしてそのことがいかに重要なことか伝えました。
 「CDが?」
 「そうなんです、デッキにはいらないんです」
 確認をしに車に向かう彼の後についていきました。
 「なんか中にある鉄のシャッターみたいのが閉まってるんですよ」
 車内では、アイスランド人と日本人がCDの挿入口を見つめています。そして彼は持ってきたCDを挿入口に向けました。
 「あ...」
 CDは彼の手元からはなれ、なんの滞りもなくすーっとはいっていきました。
 「え?!」
 僕は目を丸くしました。スピーカーからしっかりと音が流れています。
 「嘘でしょ...」
 「問題ないみたいだね」
 「いや、違うんです!ほんとにはいらなかったんです!」
 それは単純なことでした。なぜか、日本では見かけない「load」ボタンがあり、このボタンを押さないとCDがはいらず、拒絶してしまうのです。
 「ったくほんとにおっちょこちょいだなぁ」
 「っていうか、自分の車のことなんだからそれくらい知っておいてよ」
 結局パートナーは替わることなく、旅を続けることになりました。
 「よし、じゃぁ出発だ」
 「え?まだ走るの?ちょっと休もうよ」
 「だめだよ!温泉に間に合わなくなっちゃう!」
 そして、遂にそのときが訪れました。念願のオリジナルコンピレーションCDがようやく輝くときです。僕の指がロードボタンにふれると、鉄のシャッターが開放され、ニンジン嫌いの子供が突然ニンジンを好きになったかのように、そこからCDがすーっとはいっていきます。そして、スピーカーから音が流れてきました。
 「やっぱりヘッドホンよりいいよ」
 この状態をどれだけ待ち望んだことでしょう。すべてが、すべての汗の結晶がいま、音になって僕を包んでいました。車はアークレイリの街から離陸するように、坂を登っていきます。鉄のカーテンに無理矢理ねじこんでいたために周囲がガリガリになった痛々しいCDがデッキの中で回転していました。

1.週刊ふかわ |, 3.NORTHERN LIGHTS | 09:23