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2007年12月30日
第300回「出会いと別れの物語」
「おーい!ふかわくーん!!」
まだ現場に電車でむかっていた十数年前、収録場所にはいろうとする僕を、遠くから呼ぶ声がしました。
「いつもネタ見てるよ!最高だね!」
振り返ると、大きなトラックの荷台で楽器の搬入をしている男の人が、僕に手を振っていました。
「もしかして、ICEの人?」
当時、僕がネタをやっていた深夜番組は音楽番組だったので、頭の中でつながりました。
「そうか、今日はゲストがICEなのか」
ICEが好きだった僕は、本物を見ることができた喜びと同時に、そのギャップに驚きました。というのも男の人は、とても背が高く、いつもサングラスをしていて、ロックなノリのちょっと怖そうなミュージシャンというイメージがありました。でもそのときは、サングラスを頭に乗せ、笑顔で僕に手を振り、とてもフレンドリーで気さくなお兄さんだったのです。ましてや、当時の僕は、素人に毛がはえたようなものです。そんな僕に、声を掛けてきてくれたのです。
「ふかわくん最高だよね!すごい面白いよ!」
「僕もSLOW LOVEがすごいすきなんです!」
それが、僕と宮内さんの出会いでした。
「ちょっと、相談したいことがあるんですけど」
楽曲制作を始めたものの、いつまでたってもパソコンからでることはなく、どうしていいかわからないとき、宮内さんが頭に浮かびました。出会ったときがケータイのない時代だったので、メモリーにははいっていません。所属事務所を調べて、どうにか本人と連絡をとることができました。
「自分で曲を作るようになったんですけど、これをどうにか世の中に出したいんです。一度きいてもらえないでしょうか」
出会ってから5、6年経っていました。それまで僕が音楽に興味があるとか、DJをやっているとか、そういった話をしたことはありません。宮内さんにとってはお笑い芸人の趣味で始めた音楽の相談という風にきこえたでしょう。
「え?ほんと?ぜひきかせてよ!」
いつもの明るいトーンが受話器からきこえてきました。それから数日後、最寄の駅で待ち合わせると、バイクの後ろに宮内さんをのせて、自宅に向かいました。
「いやぁ、ふかわくんがトラック製作やってるなんて知らなかったよ」
「ほんとにそんなたいしたもんじゃないんですけど」
部屋にあがってもらうと、僕はさっそくパソコンにたまっていた曲を聴いてもらうことにしました。
「これなんですけど...」
自分の曲の感想をきくなんてしたことなかったし、しかも相手はミュージシャンです。極度の不安と緊張に襲われたものの、もうどうにでもなれという気持ちで、プレイボタンをクリックしました。
「うん、いいじゃん、マジで!いいよ、ふかわくん!すごくいいよ!」
予想はいい方向に裏切られました。細かいところはぬきにして、曲の雰囲気などを気に入ってもらえました。
「ほんとすごくいいと思う。びっくりしたよ。いや正直、変な曲だったらどうしようかなっていう不安はあったんだよ。ほんとびっくりした」
その言葉が、信じられるものはなにもないままに数年間にわたってひたすら曲を作ってきた僕を、どんなに励ましてくれたことでしょう。
「あのさぁ、いまふかわりょうくんの家で自分で作ったっていう曲を聴いたんだけどさぁ...」
宮内さんは、曲を聴くやいなや、知り合いのエンジニアの方に電話をしました。
「それがかなりよくってさぁ、ギターとかいれてあげようと思うんだけど、こんど手伝ってくれない?」
僕が作った曲に、宮内さんのギターをいれてもらえることになりました。僕からのお願いではありません。宮内さんがそうしたいと言ってくれたのです。数日後、宮内さんの事務所でレコーディングをしました。ギターやベースなどをいれ、音のバランスをととのえます。そして、僕がロケットマンとして初めて作った曲、「SWEET SUMMER SONG」ができあがったのです。
「これでとりあえずデモになってると思うから、これをレコード会社の人とかに聴いてもらったらいいよ。なんなら知り合い紹介するし」
宮内さんはまるで自分の曲のように、ひとつの楽曲を仕上げることに情熱を注いでくれました。そして翌年、「愛と海と音楽と」がリリースされ、「SWEET SUMMER SONG」がその中に収録されることになりました。宮内さんのおかげで、僕の曲がアルバムとしてカタチになったのです。
その宮内さんが、僕の前で、静かに眠っていました。たくさんの花に囲まれて、目を閉じていました。
「いやぁ、体調崩してギターも握れなくなっちゃってさぁ」
入退院を繰り返していた頃、そんな風にあっけらかんと話していたから、まさかこんな日が訪れるなんて思ってもいませんでした。十数年前に、トラックの荷台から笑顔で手を振ってくれたことがいまでも忘れられません。あのときの出会いが今につながっているのです。どうにもならなかったあのとき、自分の曲を信じることができなかったあのとき、宮内さんが僕に勇気と自信とチャンスを与えてくれました。宮内さんが僕のためにエネルギーをつかってくれなければ、僕の曲はいまだにパソコンの中に留まっていたかもしれません。ロケットマンの活動だって、続いていなかったかもしれません。あのとき、宮内さんが僕に声を掛けていなかったら。
人生ってなんなのでしょう。人が死ぬってなんなのでしょう。僕にはまだ理解できないことだけど、ただひとつわかるのは、宮内さんに出会えてよかったということです。
「ありがとうございました...」
もう動かなくなってしまった宮内さんを前に、僕はそんな言葉しかでてきませんでした。
「おーい、ふかわくーん!!」
いまでも、あのときの笑顔と声が頭の中に浮かんできます。出会いと別れの物語。
[お知らせ]
1月6日、13日の配信はお休みとさせていただきます。2008年もよろしくお願いします。
1.週刊ふかわ | 09:51 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月23日
第299回「見えない世界」
最近になってようやくそのことに気付くことができたのですが、どうやら僕の回りには、見える世界と見えない世界のふたつの世界があるようです。それは決して、世の中には見えない大事なものがあるとかそういうことじゃなくて、「見えない世界」というれっきとした世界が存在するということです。
普段僕たちは、さまざまなモノに囲まれて生活しています。家にしろ、車にしろ、友人にしろ、すべて目に見えるモノの中に僕たちは存在します。つまり、見える世界の中で生きているわけです。でも実は、普段はあまり意識しないけど、僕たちはもうひとつの世界、「見えない世界」でも生きているのです。
見えないものが存在することは、小学生でも知っています。それは「愛」だとか「やさしさ」だとか、カタチにはなっていないけど、そういうものが存在し大事であることはよく言われます。でもここで言うのは、そういった分断されたひとつひとつの概念のことではなく、いま見えている世界とは別の世界が存在するということなのです。ただ見えていないだけで、もし見える世界で表現したのなら、それこそ宇宙規模、むしろそれ以上の広大な世界になることでしょう。では、「見えない世界」の存在を、僕たちはどうやって確認することができるのでしょう。
「見えない世界」を確認するにはまず、「見えない世界」が存在することを信じなければなりません。「見えない世界が存在する」なんていうと、「ないものがある」という風にきこえるかもしれませんが、そもそも僕たちは「ある」とか「存在する」というのをどうやって認識しているでしょうか。それは目や耳から入ってくる情報、手で触ったことによる情報がほとんどです。でも、それだけが存在を確認するものではありません。もうひとつ、存在している情報を認識するモノがあるのです。それが、心なのです。
目や耳や手などが、見える世界における、存在を認識するための道具であるならば、心は、見えない世界における、存在を認識するための道具なのです。心というもの自体、目には見えないものですが、これがないと見えない世界を認識すること、そして、見えない世界を生きることはできないのです。
科学がすべてを解明しているかのように思われていますが、実際科学で解明していることなんて微々たるものです。とくに、見えない世界では科学なんて通用しません。心を科学で解明することはできないのです。たとえば、人を好きになる気持ちはどうでしょう。考えてみたら、こんなにも身近に起きる不思議な現象はありません。誰もが経験し、感じている「好き」という気持ちは、科学の力をもってしても解明できないのです。もしも解明されていたら、自分を好きにさせるガムとかが発売されているのです。当然そんなものはないし、世の中にどの時代にも恋愛マニュアルなるものが横行するのは、科学では解明できない分野だからです。見えない世界のものに科学は太刀打ちできないのです。
人が人を好きになる、このことは、見える世界ではなにも起きてません。しかし、見えない世界では、確実になにかが起きています。なにかが生まれたのです。誰かを好きになった瞬間、目には見えてないのですが、確実に、なにもなかった0が1になっているのです。でも、見えない世界ですから、どうやっても目で確認することはできません。耳で聞くことも手で触ることもできません。唯一認識できるのが、心なのです。
見える世界で「愛」という言葉は存在しますが、「愛」そのものを存在させることはできません。なぜなら「愛」は見えない世界のものだからです。何度も言いますが、「愛」という見えないモノがあるということではなくて、「見えない世界に愛が存在する」ということなのです。物理的にとか、そういうことじゃありません。物理は見える世界の言葉です。見えない世界では、物理的という言葉も通用しません。心が反応したとき、見えない世界では、なにかが存在しているのです。
なのに人間は、見えない世界に気付かず、見える世界にばかりに気をとられてしまいます。見えるものに振り回されて、心で生きようとしないのです。見えるもの、触れられるものばかりに振り回されていたら、本当の幸福なんて訪れはしません。当然、見える世界を無視してはいけないのですが、そればかりになってはいけないのです。むしろ、見えない世界のほうに、人間らしさ、人間の真実があるのです。
どんなに科学が進歩しても、「愛」を目に見えるものにすることはできないでしょう。「愛」は、「心」でしか認識することができないのです。でも、この時期になると街が温かく感じるのは、単にイルミネーションのせいではなく、もしかすると人々が見えない世界を大切にしようとしているからかもしれません。見える世界と見えない世界は、きっとどこかでつながっているのです。
人々は、まだその存在に気付いていません。なんとなくわかっていても、信じようとしないのです。目を閉じて、ゆっくりと深呼吸しましょう。そして、心が動き出すのを待つのです。そうすると、次第にいろんなものを認識してくれるはずです。心がなにかを感じるはずです。それこそが、見えない世界なのです。
1.週刊ふかわ | 09:47 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月16日
第298回「アイノウタ」
「ロケットマンに曲をお願いしたいんですけど」
そんな依頼を受けたのが今年の10月頃のこと。僕もいつか来るだろうと心の中でひそかにスタンバイしていたものの、それがこんなにも早く現実になるとは思っていませんでした。
「スケジュール的にどうかな...」
本当は即答でオッケーしたいものの、そこでテンションをあげると安く見えてしまうので、露骨にガッツポーズをせず、あくまで平静を装っていました。ただ、実際にもそのときの僕は、いろいろとやらなければならない課題が残っており、ましてや某深夜番組ではなにも追い込まれていないのに勢いで札をあげてしまったたために、結果4人に曲をかかなければならない状態になっていました。だから、むやみに受けるとのちのち大変なことになることもわかっていたのです。それでも、来るものを拒めない僕の中に、ロケットマンへの依頼を断るという選択肢はありませんでした。
「ちなみにだけど、ほかにはどんなアーティストがいるの?」
一応、ほかに参加する方たちの名前をきくと、それはそれは錚々たるメンバーが名を連ねていました。しかしそれが僕のハートに火をつけることになりました。
「よし、やろう!」
こうして、来年に発売される鈴木亜美さんのアルバムに参加することになったのです。
「すげぇな、これがavexかぁ...」
というのを絶対に表情に出さないようにしながら、スタッフにフロア奥の会議室へと案内されました。
「すげぇな、これがavexの会議室かぁ...」
さすがレコード会社の会議室。我がコロムビアレコードと比べるわけではありませんが、やはり揃っているものがどことなくバブリー?です。でも決してその感情を顔にはだしません。そして、まもなく、鈴木亜美さんが到着するとのことでした。この日、二人で打ち合わせをして、楽曲の方向性を決めておこう、というものでした。
「すげぇな、鈴木亜美ちゃんだ...」
しばらくして、亜美さんが会議室に入ってきました。以前、ラジオにゲストできてもらったことはあるものの、ラジオのブースで会うのと、レコード会社で会うのとは違います。極端にいえば、亜美さんの家に招かれたようなものです。でも、決して表情にはだしません。出してないつもりでも、少し出ちゃっていたかもしれませんが。
「じゃぁ、僕はもう大丈夫です」
おそらく10分もかからずに、打ち合わせは終了しました。方向性の違いで決裂したわけではありません。しっかりと、かたい握手を交わし、お互い納得のいくカタチで終了しました。というのも、僕の中ではすでに曲ができていたのです。頭の中ですでにイメージがあり、亜美ちゃんが歌っていたのです。Mステで歌っていたのです。ただ、唯一、打ち合わせで確認したいことがありました。
「もう一人、ラッパーをよんでもいいですか?」
僕は、このことだけを確認したかったのです。
「亜美さんのほかに、男性ラッパーに参加してもらいたいんです。それがオッケーであれば、僕からはなにも確認することはありません」
そこでNGだったら会議は踊っていたかもしれません。それこそ、恐いマネージャーが登場して、
「は?いらんやろ。なにいっとんねん!おい、こいつ調子のってるからみんなでやっちまえ!」
みたいなことになっていたかもしれません。でも、亜美さんはこう言ってくれました。
「もう、お好きなようにしてください」
その言葉を心に刻み、デモを仕上げ、あっという間にレコーディングの日が訪れました。恵比寿のスタジオでのレコーディングは、風邪をひいてマスクをしながらではあったものの、順調に進み、すべての作業が無事に終了しました。それが11月末のことでした。
こうして、鈴木亜美joins ROCKETMAN feat.YTRの曲が完成しました。こうやって表記するとなにがなんだかわかりませんが、簡単にいうと、ロケットマンの新曲なわけです。YTRが誰かはお楽しみです。この「アイノウタ」が世界に届きますように。
1.週刊ふかわ | 09:36 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月09日
第297回「謝罪フェスタ2007」
こんなに多くの謝罪を見たことはこれまでなかったんじゃないかと思うほど、今年はとにかく謝罪の年でした。政治家や官僚をはじめ、ボクサーや力士、芸能人、そしてあらゆる企業の責任者まで、ありとあらゆる人たちの頭を下げる姿が連日のように放送されました。謝罪に始まり、謝罪に終わろうとしている2007年はまさに、謝罪のお祭り、謝罪フェス2007になってしまいました。
ひとえに謝罪といっても様々なタイプのものがあります。現在記憶にあるものでも、好感の持てたものとそうでないものがあったように、その奥に潜んでいる人間性が露呈するために、謝罪という行為ひとつで、相手に与える印象は大きく変わってきます。
謝罪のしかたひとつで一企業の将来を大きく左右するわけですから、謝罪のエキスパートが存在するのも必然的なことです。どうしたら反感を買われないのか、どうしたらプラスに転じることができるのかと。それこそヘタな謝罪をしたら、そもそもの過ち以上の過ちをおかした印象を与えかねません。傷口を一層深めてしまうのです。逆の場合も当然あります。なにか大きな過ちを犯したとしても、それにつりあう謝罪をすれば、過ちが帳消しになるどころか、カブをあげることにだってつながるのです。謝罪には(厳密に言うと、言葉には)そんな不思議な力があるのです。謝罪が鍵を握っているのです。
人によっては、謝るのが仕事、というケースもあるでしょう。立場上、納得行かなくても謝らなければならない仕事、腑に落ちなくても頭を下げなければならない仕事、そういう職業って少なくありません。なかなかストレスのたまるものだと思いますが、謝罪に謝罪を重ねていくと、その技に磨きがかかり、なんのためらいもなく頭をさげ、相手の気持ちをなだめることが可能な、謝罪のエキスパートとなれるのかもしれません。さらに、謝罪セミナーなどが開講され、相手に好印象を与える謝罪を、プロの謝罪人(アヤマリスト)に学ぶような状況も考えられます。とにかく、社会の潤滑油である上手な謝罪を手に入れたほうが、それだけ世の中うまく渡れるのです。
いずれにせよ、謝罪そのものはないほうがいいです。いつだって、謝罪ばかりの世の中よりも、謝罪のないそれのほうが明るいです。謝罪ばかり見ていると、なんだか気が滅入ってしまいます。そういう意味では、この謝罪フェスタが開催された2007年は、子供たちからしたら、無意識に夢を奪われるようなものだったのでしょう。テレビをつければ大人たちが頭を下げている。こんな世の中では希望もなにもありません。夢を売らなければならないテレビから流れるのが大人たちの謝罪シーンばかりでは、子供たちは社会になにも期待しなくなってしまいます。そればかりか、バラエティー番組もいつのまにかクイズ番組ばかりになってしまい、なんだかテレビの中が魅力的でなくなってしまっている気もします。僕たちが子供だったころのように、見たい番組のために早くかえる、というようなパワーがテレビになくなってしまったかもすれません(タレントとしての自分と人間としての自分の葛藤)。ゲームだって僕からしたら、子供たちの財布からお金を巻き上げているようにしか思えません。大人の策略にはめるのではなく、子供は子供たちの間で生み出されたもので遊ばせるべきなのです。とにかく、このままでは、子供たちが大人に魅力を感じなくなってしまいます。大人を信用しなくなってしまいます。そうなったらもうおしまいです。誰も大人になろうとしません。だから大人たちは、反省しないといけないのです。いつまでも往生際が悪く、ごまかしていてはいつまでたっても尊敬されません。子供たちから信用を取り戻すために、来年こそは、謝罪のない一年にしなくてはならないのです。そのためにはまず、大人たちが子供たちに、しっかりと謝罪することで、この謝罪フェスタ2007の幕を閉じるべきではないでしょうか。そんな大人、出てこないかなぁ。
1.週刊ふかわ | 09:42 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月02日
第296回「イマジン」
もうすぐ僕の大好きなアーティストの命日が訪れます。ご存知の人も多いかと思いますが、12月8日、それはジョン・レノンの命日です。
僕が最初に彼の音楽に出会ったのはかっこつけてるわけでも美化しているわけでもなく、小学校低学年の頃でした。当然そのときからジャケ買いなどしていたわけではなく、いわゆる兄の影響です。兄のいない隙に部屋に侵入しては、大事にしているレコードプレイヤーで勝手にレコードを聴いていたのです。今思うと、すべてCDでDJをする現在よりも、当時のほうがターンテーブルを使いこなしていたかもしれません。そのレコードの中に、レットイットビーがあったのです。レットイットビーはポールの曲だ、とかの話は今はおいておきましょう。そんな幼少期からビートルズにはまる僕の音楽的感性もさることながら、そんな幼児にまでくいつかせる楽曲のパワーもすごいです。「おしりかじり虫」どころの騒ぎではありません。それからというもの、ビートルズのサウンドは常に僕の体内を動脈のように流れ(オフコースが静脈)、ほかの音楽と比較できない存在になりました。でも、そのときはもう、ジョンレノンは生きてなかったのです。
1980年12月8日。ダコタハウス前にて、数時間前にサインをしてあげた一人の男性の手によって、ジョンレノンは射殺されました。すぐに病院に搬送されたものの、出血がひどく、いくら輸血しても彼を蘇生させることはできませんでした。そのニュースは一気に世界中の人々を悲しませ、世界」は空虚感でいっぱいになりました。そのニュースはオフコースのI LOVE YOUの中に収録されているのですが、当時の人々が受けた空虚感こそが、永遠の始まりだったのです。
僕は彼の音楽を愛しているからこそ、彼の死をあまり悲観したくありません。たしかにいま彼が生きていたら、どんなに素晴らしいことでしょう。もっともっと曲を作って、日本でもライブをしてくれていたかもしれません。ポールとのツーショットやビートルズ再結成も見られたかもしれません。それに、射殺した男のことを考えると、はらわたが煮えくり返る思いにもなります。でも、なのです。もし彼が生きていたら、現在ほどの影響力を持っていなかったのでは、と僕は思うのです。誤解して欲しくないのは、彼の力を低く見ているということでは決してありません。今後人類に彼を超えるアーティストは登場しないとすら思っています。でも僕が感じるのは、彼はあのとき射殺されたからこそ、ジョンレノンが永遠になったのだ、ということです。自分の生命と引き換えに、ジョンレノンは永遠を手に入れたのです。
だから、あの死が正しかった、ということではありません。そう考えないとやってらんねぇということなのです。
僕はときどき思うのです。あのときから現在に至るまで、いつも世界のどこかで彼の音楽が鳴り響いているのだと。いつもどこかで誰かが彼の音楽を聴いているのだと。そしてこれからもずっと、決して途切れることはなく、彼の音楽は鳴り響いていくのです。それが、永遠なのです。
僕は彼の作品を愛しています。だからこそ、彼の死をただ悲しいものとして考えたくありません。悲しむことは、きっと彼も望んでいないでしょう。彼のメッセージを抱き続けることが大事なのです。この世には存在していないけど、ジョンレノンは僕たちの心の中で生きているのです。それがつまり、天国なのです。
あの時、彼の音楽、言葉、想い、そしてジョンレノンが永遠になりました。いつも、この地球のどこかで、イマジンは鳴り響いています。そしていつの日か、イマジンで世界中を包み込むことができたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。きっとジョンレノンも喜んでくれるはずです。銃声も悲鳴も聞こえない世界。そんなことをみんなで想像すれば、世界は平和になるのです。