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2007年10月14日

第289回「地球は生きている5〜虹と滝と温泉と〜」

 「すごいことになってる...」
 飛行機を降りた僕の目の前に、地面から地面へとコンパスで描かれたように、端から端までくっきりと虹がかかっていました。
 「こっちに来て正解だったんだ...」
 こんなにもしっかりと地に足を着けている虹は、これまでの人生で見たことありません。それはまるで、ここに来たことが正解だったと言っているようにさえ見えました。というのも、もともと今日はここに来る予定ではなかったのです。
 「11時半?」
 その日は、朝から「春にして君を想う」の舞台となっているイーサフィヨルズルに行くことになっていました。朝7時半の飛行機に間に合うようにホテルをチェックアウトして国内線の空港に向かい、順調にチェックインまでは済ませたものの、いつまでたっても搭乗案内がされません。なかなか搭乗する雰囲気にならないのです。そして出発時刻をすぎたころ、ようやくアナウンスが流れました。
 「11時半?」
 僕は耳を疑いました。まさかと思いつつも、そばにいた夫婦に聞きました。
 「いま、11時半って言いました?」
 「あぁ言ってたね、まいったよ」
 そう言って笑うと、ふたりは空港内の小さなカフェにはいっていきました。天候によって飛ばない日も珍しくないと聞いてはいたものの、まさか自分が該当するとは思いませんでした。ましてや、限られた時間でたくさん周りたい僕にとって、4時間待ちの宣告は相当なダメージです。話によると、11時半になれば飛べるわけではなく、そのときにまたウェザーチェックをして判断するとのことでした。
 「まぁ、これも旅行の醍醐味か」
 前回のフィンランドでの教訓をふまえ、今回は空港のカフェでのんびり待つことにしました。ではせっかくなので、この待ち時間を利用して、なぜ僕が旅に出るのかを、お話しましょう。
 おそらく小さい理由を挙げればきりがありませんが、大きな要因としては二つあります。まず一つ目は、「そこに知らない世界があるから」です。これだけメディアが発達し、世界中のことはなんでも目にすることができる時代ですが、やはり自らその地を訪れないと、そこにある空気を感じることはできません。体全体で感じないと本当の意味で「知る」ことはできないのです。見知らぬ地で感じる空気は、お風呂のお湯を入れ替えるような新鮮な気持ちと、武道館から東京ドームライブに発展するような、人間のキャパシティーが拡張される感覚を与えてくれます。また、見知らぬ地だからこそ生じる、期待と不安も重要な要素です。なにをするにも体が覚えてしまっている日常生活に比べ、旅は不安と安堵の繰り返し、ときに危険も伴います。でも、現地の人たちと触れ合いながら不安を乗り越え、目的をひとつひとつ達成していくと、大げさですが、「生きてる!」って思うのです。これって結構重要なのです。どうしてもステレオタイプな生活では、いちいち「俺!生きてる!」なんてなかなか感じられません。でも旅をしていると「生きている実感」が自然と湧いてくるのです。温泉マニアな僕は、当然、国内の温泉旅行なんかも好きなのですが、それはどちらかというと「落ち着き」や「癒し」を求めるもので、海外のひとり旅とは求めるものが違います。海外での旅は、会話をすること、バスに乗ること、ひとつひとつの行動に不安や責任が伴い、それだけに達成感も増幅します。見知らぬ地で体感するすべてが、「生きている実感」につながるわけです。ではまだ搭乗アナウンスが流れないので、コーヒーでも頼みましょうか。
 もうひとつの理由、それは「クリーンアップ」です。パソコンをやる人は聞いたことがあるかもしれませんが、早い話「整理整頓」です。パソコンの中にあるハードディスクはときどきクリーンアップをやらないと、データが乱雑に並びすぎて要領よく収納できなくなってしまいます。ぐちゃぐちゃに並べられたCDたちをアーティスト別に整理するように、クリーンアップすることで、情報を整頓するのです。ハードディスクだって時折クリーンアップをしないといけないのだから、人間の脳も時々クリーンアップしないと破綻してしまうのです。毎日大量にはいってくる情報を、脳の中で「必要」「不必要」などに分別処理しなくてはなりません。でも人間の脳は、ハードディスクのようにファイルで整理できません。とても乱雑に散らかっています。だからこそ脳のクリーンアップが必要なのです。それが僕の場合、旅の間に行われるのです。
 最近は「待つ」という機会が少なくなりました。あまり「待つ」ことが好きな人はいないと思います。それは退屈だからです。でも、退屈っていうのも人間には必要なのでしょう。日常生活においては、退屈な空白部分はすぐになにかで埋められてしまいます。無駄が排除され、脳をクリーンアップするタイミングがないのです。でも旅をしているといろいろなことがあって、そんなに要領よくいきません。ぼーっと景色を眺めているだけでも、その間に頭の中が整理され、なにが頭のなかにあるのかが浮かび上がってくるのです。便利さで無駄な時間を奪われた現代人こそ、ぼーっとしている時間や、空港で待ちぼうけをくらっている時間が、ときには必要なのです。
 散らかった部屋を整理したら、「こんなとこにあったんだ!」と、ずっと探していたお気に入りのCDが見つかることもあります。ケースと中身がひとつずつずれたままだったのを、ちゃんとケースと中身を一致させると、どのCDがないのかがわかります。冷蔵庫の中も、整理することで今日何を作れるのかわかるものです。同じように脳も、整理整頓すると、自分が何をするべきかが見えてくるのです。また、旅は体で感じる情報が新鮮なので、いままでにないアイデアが浮かんだりします。新たな調味料が加わるようなものです。脳というのは不思議なもので、考えようとすると浮かばず、一旦はなれると勝手に浮かび上がってくるのです。だから、机の前でじっくり考えているより、いっそ旅でもしちゃったほうがいいのです。そうして脳の中がすっきりしてくると、ようやく自分と向き合えるようになるのです。つまり、脳をクリーンアップすることで、「本当の自分」というものが浮かび上がってくるのです。
 見知らぬ地を訪れることで得る「生きている実感」と、脳をクリーンアップすることで見えてくる「本当の自分」。結局僕は、海外を旅しながら、自分という世界を旅しているのかもしれません。あ、アナウンスが流れました。
 「15時?」
 結局11時半になっても飛ぶことはなく、13時をすぎてから、次のウェザーチェックは15時過ぎだというアナウンスが流れました。
 「目的地を変えることにしました。いろいろありがとうございました」
 一緒にカフェで時間をつぶしてくれた夫妻にそういうと、僕は行き先をイーサフィヨルズルからアークレイリというところに変更しました。もともとそこはイーサフィヨルズルのあとに行く予定だったところです。
 「え、これ?」
 ようやくゲートをくぐることができた僕の前には、とても貧弱そうな飛行機が待っていました。
 「どしたの、早くのりなよ」
 「ず、ずいぶん小さいんだね」
 「なに言ってんの、ここじゃ僕くらいのサイズが普通だよ。ほら、はやくのったのった!」
 重い足取りで、ステップを上がりました。
 「ほんとにこれ大丈夫?」
 窓からは、むきだしになったプロペラが見えます。
 「これじゃセスナ機と変わらないよ...」
 しばらくすると、そのプロペラが回転し始めました。周囲の人たちがだれも心配そうな表情をしていないことを糧に、どうにか不安を乗り越えようとしたとき、突然、アナウンスが流れました。
 「どしたの?」
 皆ベルトをはずし、荷物を降ろしています。
 「技術的な問題みたいだよ」
 隣の人が教えてくれました。
 「今日飛行機乗るなってこと?」
 僕は度重なるアクシデントに、なんらかのお告げ的なものを感じました。
 「ちょっとどうなってんの?」
 「いや、ごめんごめん、すぐ直るから。ときどきあるんだよ」
 結局、確認作業にはいり、再びロビーで待たされることになりました。不安は募るものの、もう予定を変更しようがありません。
 「もう、ほんとに大丈夫?」
 「大丈夫!まったく問題なし!っていうか、さっきの段階だって僕は飛べてたと思うんだよね、みんな心配性だからさ」
 結局、飛行機がレイキャヴィクの地を離れたのは15時。小さい飛行機はアイスランド第二の都市、アークレイリへと旅立ちました。窓からの眺めはよほどダイナミックだったのでしょうが、正直風で揺れて、怖くてじっくり見れたものではありませんでした。
 「おいおい平気?」
 「ぜんぜん...平気!うわっ!」
 思いっきり風に煽られながらも、機体はフィヨルドの入り江に吸い込まれるように、着陸しました。すっかりフラフラになって飛行機を降りた僕を迎えてくれたのが、あの大きな虹だったのです。
 「虹はこっちでは珍しくないんですか?」
 「あぁ、そうだね、よく見るよ」
 レンタカーの人はそういって、僕を車まで案内してくれました。急遽使うことになったのでいろいろ手続きが大変だったのですが、それぞれ温かく対応してくれました。
 「ついにきたぞ!」
 二俣川の運転免許試験場で取得した国際免許証がはじめて役に立つ時が来ました。これまで一応は持っていても実際に使うことはなかったので、今回が初の海外ドライブです。
 「頼むぞ!世界のトヨタ!」
 さすがに車は慣れているほうがいいと思ったので、国産にしていました。運転暦10年以上ありますが、初めての路上教習のような緊張感がありました。
 「やばい、アイスランドで運転してる!」
 初めての海外での運転、しかもアイスランドでのそれは、多少ルールの違いはあるものの、慣れるのに時間はかかりませんでした。特に郊外なので、交通量もなく、とても走りやすいのです。車はフィヨルドの山をなぞるようにぐんぐん登っていきます。すると、僕の視界にまた虹が現れました。
 「え、まじで?」
 しかしそれは単なる虹ではありませんでした。虹は山に向かってかかっていたのですが、さらにそれよりも外側にもうひとつの虹が、つまり、虹が二重にかかっていたのです。
 「やっぱりこっちにしてよかったんだ...」
 来るべくして来た、そんな気がしました。イーサフィヨルズルも気になりますが、そこはまた別のときに来ようと思いました。
 アイスランドは、北海道と四国をあわせたくらいの広さですが、その中をリングロードと呼ばれる一号線がJR山手線のように一周しています。信号がまったくなく、商業的な看板もなにもありません。また交通量も少ないので、車窓からのぞくダイナミックな景色のなかにほかの車が映らないのです。また街灯もありません。反射板だけです。必要最低限のものだけがあって、自然をそのままにしているのです。当然のようですが、トンネルがありません。山があれば、波に乗るように上を通る。そうでなければ周囲を回る。山があるから穴を掘ろう、ではなく、山があるから仕方ない、なのです。技術の問題じゃないのです、気持ちの問題なのです。国全体でトンネルがひとつもないかはわかりません。でも自然を残そうという意識がひしひしと伝わってくるのです。場所によっては、野鳥の産卵時期に通行止めになるところもあります。日本との違いは、風土の違いだけではない気がするのです。
 わざわざドライブ用に持ってきたアルバムを聞きながら、窓から見える雄大な景色を堪能していました。雄大な自然の景観とチルアウトサウンドが見事にマッチするのです。いかに、普段目にする環境が音に反映されるかがわかります。ビョークのサウンドがうまれるわけです。また、景色はワンパターンではなく、ゲームのステージがかわるように、10分おきにその表情が変わるので、全然飽きないのです。
 ちなみに僕はこういうとき、普段聴かないアルバムを持っていきます。そのほうが非現実的な世界にトリップできるし、景色も空気もぜんぶ、そのアルバムの中に詰め込むことができるわけです。そのアルバムを帰国してから聴くと、写真以上に旅行中目にしたもの、体で感じた空気が蘇ってくるのです。30を過ぎて見つけた、人間の脳を使った遊びなのです。
 「ここだ!」
 一時間ほどで目的地のひとつであるゴーザフォスの滝の看板が現れました。看板といってもうっかりしていると気付かないような大きさなのですが、ほかに何もないから小さくても気付くのです。滝の近くまで車でいくと、ほかの車はありませんでした。有名ではあるものの、観光バスが来るようなところではなさそうです。ドアを開けると、ゴォーという豪快な音と四方八方から吹きつける風に覆われました。風に煽られながら音のするほうに歩いていくと、下から白いしぶきが炎のように大量に噴き荒れているのが見えます。一人では怖くて近寄れないくらいです。そこに吸い寄せられるように歩いていくものの、激しい風に体を跳ね飛ばされそうにもなります。岩の上を渡りながらどうにか全体が見える所まで辿り着くと、体が妙な感覚におちいりました。それはどこか、見てはいけないものを見てしまったような気分になったのです。神聖な領域に吸い寄せられそうになるものの、近寄りがたい空気は、昨日のグトルフォスと同じ感覚ですが、ただ違うのは、滝の前に僕一人しかいないということ。嵐のような音を立ててしぶきを撒き散らしている滝と対峙していると、本当にいまにも神が現れてきそうな気がするのです。
 「ここに神がいる...」
 その感覚は、決して間違っていませんでした。というのもこの「ゴーザフォス」というのは「ゴッドフォール」つまり、「神の滝」といういう意味だったのです。これには歴史的な背景があるのですが、ここでは省略します。ただ、神ではないものの、別のものが僕の前に現れました。
 「虹だ...」
 今回も普段目にするものとは違いました。どういうわけかその虹は、曲線でなく直線、つまり虹がタテにかかっていたのです。荒々しくうねる滝の前で天にのぼるように一本の虹が現れたのです。アークレイリの街にやって来たとたん、いままで見たことのない虹に何度も遭遇したのです。
 「いやぁ、すごかった...」
 すっかり全身砂まみれになりながら、さらにリングロードを30分ほど進むと、左手に大きな湖が見えてきました。ミーヴァトンという湖で、ここにはソフトボールくらいのマリモが生息するそうです。それにしても、荒々しくなったり穏やかになったり、圧迫されたり開放されたり、周囲の景色はドライバーを退屈させません。しばらくすると、黄土色の山に煙がもくもくと出ているのがみえました。
 「あそこだ!」
 そこは、全身砂まみれになった体をきれいにする場所でした。旅の疲れを癒す場所、そうです、温泉です。砂漠のオアシスのように、荒涼とした大地にミーヴァトンネイチャーバスと呼ばれる温泉がありました。さっそく入場料をはらって水着に着替え、全身をしっかり洗ってから扉をあけると、そこにはこれまでとは違った景色がひろがっていました。
 「楽園だ...」
 目の前が一面ブルーでした。空の色と同じブルーの温泉が広がって、そこから白い湯煙がたちこめています。どうして青いのかもわからないまま、ゆっくりとブルーの温泉に体を沈めました。湯気の向こうに見える果てしない自然の姿に、どこかとんでもない時代にタイムスリップしてしまったような気にもなります。日本の温泉も好きですが、さすがにこの開放感は、山梨のほったらかし温泉を越えました。夕日になろうとしている太陽を浴びながらブルーの温泉につかっていると、なんだかすべての病気も治してくれそうです。次にいつ来られるかわからないと思うと、いくら満喫しても、なかなか出られませんでした。
 「続きは明日にしよう」
 もうひとつ見たかった滝は翌日にまわし、今日は日が暮れる前にホテルに戻ることにしました。

1.週刊ふかわ |, 2.地球は生きている |2007年10月14日 09:24

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