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2006年04月30日
第218回「初めてのふかわ」
最近あたたかくなってきたので、また家の近くを走るようになりました。夏にかなり走りこんで、禁煙によって膨れ上がった体重を戻したものの、冬になって外に出るのが億劫になり、まったく走らなくなったらみるみるうちに丸みを帯びてきたので、そろそろ走らなくちゃと思っていたのです。本来は3月くらいから開始しようと思っていたのだけど、「やっぱり明日から」とついつい先延ばしになっていました。しかし、近頃の晴れた日の心地よさを利用して、再び走り始めることに成功したのです。
朝早くに走ることもあれば、仕事から帰ってきた夜に走ることもあります。朝晩は比較的涼しいので、結構走らないと汗がでてこないのだけど、昼間なんかは晴れていると中のTシャツがびしょびしょになるほど汗をかきます。これを一週間でも続ければすぐに2,3キロは落ちるのです。だから同じ距離走るのでも、朝晩の涼しい時間よりも、昼間のあたたかい時のほうが効率いいのです。なのに、あることが原因で、昼間走ることをためらっているのです。
ジョギングコースの近くに、とある中学校があります。タイミングによっては、中学生が数人たまっている前を通らなくてはならない時があります。だからというわけではないんだけど、普段ジョギングするときは、頭にタオルを巻いて、サングラスのようなのをしているのです。これだと、ほとんどわかりません。だからジョギング中は堂々と走ることができるのです。ただ、そういった中学生の集団の前を通るときだけは、少し緊張します。「バレませんように、バレませんように」と心の中で唱えながら走り抜けるのです。そんな思いが強いときほど、きまってこうなるのです。
「いまの、ふかわじゃねぇ?」
背中越しに誰かの声がきこえてきました。
「なぁ、いまのふかわじゃねぇ?!」
「え、なになに?」
「いま、走ってったの絶対ふかわだって!」
「え、マジで?どこどこ?」
「ほら、あれ!タオル巻いてんの!」
「え、マジ?ちょっと行ってみようぜ!!」
後ろから数人の駆け足の音が近付いてくるのがわかるのです。
「おい、ふかわー!ティン!ふかわー!ティン!」
後ろから叫んできます。
「ったくなんで気付くんだろ...」
ヘルメットにサングラスで原付に乗っていても「あ、ふかわだ!」と気付かれます。車に乗っていても、「いまのふかわだ!」と、二人乗りのバイクが追いかけてきます。いつも不思議に思うのです。普段から僕のことを探しているのならまだわかるけど、普通に生活していて、どうしてそんなにも敏感に僕のことを察知するのだろうと。僕からなにかただならぬ空気がでているのでしょうか。でもそんなときはいつも心の中でいうのです。
「僕にとっては十万人目の中学生でも、向こうにとっては初めての僕、つまり初めてのふかわなのだ」
そう心に言い聞かせ、どんな人にも愛想よく笑顔で手を振ってあげよう、と思っているのです。かわいい子だろうと、ヤンキーだろうと、皆平等に接さなきゃだめだと、そう肝に銘じているのです。
そう思いながらも、僕は中学生をシカトしていました。完全に聞こえないフリをしていました。なぜなら彼らはすぐ調子に乗るからです。集団になると水を得た魚のようにイキイキしやがるのです。ヘタに要求に応えていたら奴らは調子に乗ってわけがわからなくなってしまうのです。
自分自身、中学生の頃は芸能人なんかみたらテンションあがっていたことでしょう。それこそジョギングしている芸能人なんかいたら追いかけたくなるかもしれません。だから彼らを責めることはできないのです。きっと自分もあんな感じだったのです。全部頭の中ではわかっているのです。
人が人を呼び、気付くと、十数人もの中学生を率いて走っていました。もはや、事態を収拾する答えが見つからなくなっていました。
「よし、じゃぁみんなで多摩川の河川敷まで走ろう!」
そんなこと言って、中学生たちを連れて走っていくべきなのでしょうか。もしくは、よきところで「コラーっ!!」と叫ぶべきなのでしょうか。わからないまま、黙々と走っていました。
「ふかわさーん、いつも見てまーす!頑張ってくださーい!」みたいな中学生ばかりだったらいいのにな。そしたら、
「よし、じゃぁこれで好きなものでも買ってきなさい」みたいになるのに。うまくいかないなぁ、人生って。さぁ、バスツアーまであと2週間!
2006年04月23日
第217回「カフェライター」
「なにをしているときが幸せですか?」と訊かれたら、文章を書いているとき、と答えるかもしれません。それくらい、日々の生活の中でコーヒーを飲みながら原稿を書くひとときが、僕にとっては落ち着く時間になっています。文章を書くことはたいてい苦痛が伴うもので、それこそ小学生のときの作文とか読書感想文だとかを好きだった人はそういないと思います。僕もその一人で、さらに本を読むことすら嫌いだったから例のごとく、あとがきだけを読んで適当に感想を書いてその場をしのいだものでした。そんな僕も大人になり、なんてことない文章を毎週書き続けることによって、いつのまにか苦痛がなくなり、むしろ癒しに変わってきたことが不思議に思います。文章を書くことで、体内に滞留した毒素のようなものがすっきりと抜けていくのです。でもなかなか題材が決まらないときは多少イライラもします。仮病でもつかってしまおうかと思うこともあります。まだないけど。でもひとたびテーマが決まると、ものすごい速さでキーボードをカタカタと打ち始めるのです。といっても世のOLさんたちには負けると思いますが。まるで、重たい自転車をゆっくり押しながら上った坂を今度は両足を広げて一気に降りるような、そんな心地よさに変わって行くのです。その感覚が、現在の僕の生活リズムに欠かせなくなっているわけです。隣にカフェオレを置いて、コーヒーとミルクのマーブリングを見ながらパソコンをカタカタやっている、そんな自分に酔っているのかもしれません。今後、活動の中心がシフトしてきたら、どこか田舎のひなびた旅館で生活し、かわいらしい奥さんにコーヒーをいれてもらって原稿を書きたいものです。時折「旦那様、いけません!」的なことがあったりして。都会の高級シティホテルで綺麗な夜景を見ながら、というのもいいですね。時折「旦那様、いけません...」的なのもあって。さらには海外から配信、というのも最高です。「今週の週刊ふかわはロサンゼルスから配信です!」なんて素敵じゃないですか。時折「旦那様!旦那様!」みたいなのもあって。そんな、旅館や高級ホテル、ロサンゼルスで原稿を書くことに憧れる男は、サイゼリヤにいました。サイゼリヤの店内でカタカタやっていました。
「おそらく今から2、3時間くらいかかると思いますが」
「わかりました。じゃぁ、適当に時間つぶしてますので連絡ください」
車の部品を交換しにディーラーに行く際、きっとそれくらいの待ち時間があるだろうと、僕はあらかじめノートパソコンを持参していました。近くの喫茶店で原稿をやれればちょうどいいし、そういう、カフェでカタカタする人、「カフェライター」への憧れがあったからです。こじんまりしたおしゃれなカフェでカフェオレを飲みながら原稿を書くのです。
「なに書いてるんですかぁ?」
かわいいエプロンをした店員さんが声を掛けてきて
「原稿だよ。ちょっと締め切りが近くってさ」
「へー結構真面目なこと書いてるんですね!」
「あ、駄目だよ勝手に読んじゃぁ!あははは」
「あははは!」
と波打ち際のカップルのようなやりとりを期待しながらカフェを探しました。しかし、その一角には、そんなことを想起させる雰囲気のお店はありませんでした。どうしたものかと路頭に迷っていたとき、目に飛び込んできたのが緑と白の模様に赤い文字、サイゼリヤの看板でした。
僕はこの世に生を受けて31年、もうすぐ32年になりますが、自慢じゃないですけどサイゼリアと長崎ちゃんぽんリンガーハットとレッドロブスターに行ったことがありません。あれだけチェーンを展開しているのに行ったことがない、というのは日本人として
どうかと思うのですが、なんだか生活の中で「ちゃんぽんを食べたい」だとか「ロブスターを食べたい」という衝動に駆られないのです。JDR(ジョナサン、デニーズ、ロイヤルホストのこと)はよく行くのだけどSR2(サイゼリヤ、リンガーハット、レッドロブスター)には行かないのです。だからこそ、このタイミングでのサイゼリヤの看板は「いま行きなさい」というお告げのようなものに感じたのでした。しかし、どこか心にひっかかるものがありました。
「待てよ...ここはファミレスではないのか?」
ときどきファミレスのカウンターでビールを飲んでいるおじさんを見かけることがあります。その人の背中があまりに悲しげで、僕は「決して一人でファミレスには行かないぞ!」と思っていました。「どんなに地位も名誉も失っても、ファミレスに一人でいくような男にはならねぇ!」そう心に決めていたのです。
「レストラン&カフェ...?」
看板の下のほうに小さく書いてあるのが見えました。
「そうか、ここはファミレスとカフェの兼用みたいなものか。ならばカフェライター的にはなんら問題ないではないか」
僕は胸を張ってサイゼリヤにはいりました。時間帯的に奥様の社交場のような感じになっていまいた。窓側の席に着きメニュー表を開くと、僕はおもわず目を疑いました。それはまさに価格革命でした。どれも3、400円と異様に安く、500円以上のものが見当たりませんでした。
「グラタンとコーンスープと...」
サラダとかドリンクバーとかを注文し、まずお腹を満たすと、さっそくノートパソコンを開きました。ドリンクバーでいれたアイスコーヒーを飲みながら原稿を書いていると、背もたれの角度がJDRに比べてきつい気がしました。この店舗だけなのかわかりませんが、もしかしたら眠ってしまう人がいるからかもしれません。それもカフェライター的には、姿勢が保てていい塩梅でした。
「いつも見てます。応援してます」
声をかけてくれた店員さんは波打ちぎわにトリップできるような若い女性ではありませんでしたが、それだけ原稿に集中できてよかったのかもしれません。カフェライターはコーヒーを何度もおかわりしながらカタカタやっていました。
「お待たせしました。お車の方完了いたしましたので」
「わかりました。いま行きます」
文章の区切りのいいところでパソコンを閉じ、5杯目のアイスコーヒーを飲み干すと、店を出ていきました。
「実際のところ、ファミレスだな...」
僕は、やがてファミレスライターになる日も遠くない気がしてきました。周囲がグループでわいわい食事を楽しんでいる中で、一人さみしくカタカタやっている光景が浮かびました。でもいまの僕は、カフェライターでもファミレスライターでもない、サイゼリライターなのでしょう。あなたの街のサイゼリヤにもサイゼリライターがやってくるかもしれません。
2006年04月16日
第216回「満たされない力」
これはまだ自分の中でもしっかりまとまってなく、未完成なので、なんとなく読み流して欲しいのですが、少し前から感じていることを書こうと思います。それは、「満たされない力」についてです。言葉が足らないのでなんのことか見当つかないと思いますが、「大人になってからの行動は、幼少時代の抑圧に起因することが多い」ということです。では、時間のある方のみ、先へ進んでください。
たとえば「大人買い」という言葉があります。お菓子を箱ごと買うことです。小さい頃は、なけなしのお小遣いで一つ買うのがやっとでした。しかも母親からは「そんなお菓子ばっかり食べちゃだめよ!」と注意され、たいていの子供は、好きなお菓子を満足に食べることができませんでした。だから皆、「あぁ、このお菓子をたくさん食べれたらなぁ」と憧れて幼少時代を過ごしていました。そんな少年もやがて大人になり、お金を自由に使えるようになりました。お金を手にした大人は、昔抱いていた願望を叶えようとするのです。満足に食べれなかったお菓子を箱ごと買ってしまおうと決意するのです。このとき、幼少時代の「満たされない力」が働いているのです。高額のミニカーが売れたりするのも、少年時代の欲求を満たそうとする大人が多いためでしょう。子供の頃「満たされていなかった」からこそ魅力が増すのです。そういう意味で、「大人の行動は幼少期の抑圧に起因している」のです。その対象がお菓子やミニカーであれば問題ないのですが、子供の頃に満たされていないのはそれだけではありません。
少年時代にもっとも満たされないのは、好きな人への想いです。少年にとってなかなか手に入らず欲求不満になるのはまさに、女の子なのです。女の子を好きになり、「あの子と話したい、あの子に好かれたい」と感じるようになるものの、自分の思いをうまく伝えることもできず、欲求が満たされず、ただもやもやだけが膨らんでいくのです。あの子と両想いになって抱き合ったりカラダを触りたい、そんな憧れもなかなか現実にならないのです。この満たされない状況がのちのちの起爆剤になる可能性を秘めているわけです。高校生くらいになって彼女ができて、そういったもやもやを解消できればいいのですが、遅い人だと成人になってもいまだに触れたことがない、という人も少なくありません。そういった人たちは満たされない部分をどうにか埋めようとするのです。さらに、周囲の成人女性に対して恐怖心があると、その矛先が低年齢化するわけです。つまりロリータ・コンプレックスです。少年時代の満たされない部分が深ければ深いほどその欲求は強く、過度になると幼児や少女への性的虐待につながってしまうのです。アニメなどで解消できているうちはまだ健全なのです。重たい話になってしまいそうなので目線を変えますが、つまり、裸族の人たちは好きな女の子の裸を見たいとか思わない、ということです。満たされていれば、欲求は生まれないのです。そして、満たされていないのは男性だけではありません。
世の中にはおじさんを好む女性が数多くいます。その大きな要因のひとつは、お父さんにあります。お父さんは、父としては世界一なのだけど、男としてどうなのか、となったときに世界一じゃなくなってしまうケースが多いです。役者さんのようなお父さんはごく一部であって、たいていのお父さんはお風呂上りにパンツ一丁でうろうろした中年太りのおっさんなのです。本当は、お父さんと腕組んで街を歩きたいのに中村雅俊さんのようなお父さんじゃないのです。田村正和さんじゃないのです。そんな「満たされない力」が大人になってからの男性選びに影響を与えるのです。自分が大人の女性となったいま、父としても、男としても満たしている男性に魅力を感じるのです。父の安心感、男としてのかっこよさを兼ね備えた人を選ぶことにより、「かっこいいお父さんと歩く」という昔からの欲求を満たそうとするのでしょう。
前の彼が子供っぽくて、辛い3年間を過ごしたのであれば、当然それも「満たされない力」になります。わざわざ次も子供っぽい彼を選ばないはずです。家族の中でしっかりしたお姉さんを長年やってきたら、末っ子のように甘えさせてくれる年上の男性を好むことでしょう。クラスに理想の男子がいないから、アイドルの人気が上がるのです。日本のアイドルに何かが欠如していたから、韓流ブームが起きたのです。これらすべて「満たされない力」が働いているのです。
ゲームで勉強のソフトが売れるのも、ちょいワルオヤジが流行るのも、すべては過去に満たされなかったことが要因となっているのです。昔勉強ばかりしていたらわざわざゲームで勉強しないのです。昔、ワルをやっていたら、ちょいワルオヤジにならないのです。昔ワルをできなかった人たちがお金でワルを買うわけです。大人になり、経済力が伴って、過去の満たされなかった部分を埋めているだけなのです。こういった「満たされない力」はすごいだけに、そのパワーが誤った方向に行かないように、自ら理性でコントロールしなければならないのです。
人間形成というのはきっと、遺伝による部分もあるけれど、後天的な部分が多く占めている気がします。生きていく環境によって心が求めるものが決まっていくのです。常に人々はどこか満たされてなくて、万事快調という人の方が少ないのです。そういった満たされていない人々の心を埋めるために、音楽があり、本や映画があるのです。個人単位でみれば各々の好みになるのだけれど、社会全体で見れば、それは時代が求めていることなのです。ジグソーパズルのように、満たされていない部分を埋められる者こそが時代の寵児となれるわけです。だからあの人も一度は時代の欠落した部分に当てはまる人物かのように思われたのは事実で、ただ、よく見たら微妙に違っていた、ということなのです。また、一度欠落した部分にすっぽりはまっても、ある程度時間が経つと世の中はお腹いっぱいになってしまうことも忘れてはいけませんね。
現在の社会が満たされていないこととは何なのか、それこそが時代を解くカギなのでしょう。その答えは10年後くらいにわかるのかもしれません。その答えを気にしててもチャンスはやってきません。でも「満たされない力」によって世の中にひとつの流れを作っているということは、知っていても損ではないんじゃないかなと思うのです。あくまでまだ研究段階なのですが。
P.S.
第一弾の当選者メールが送られたようです。パソコンなどご確認ください。
2006年04月09日
第215回「発表の前に」
「た、大変です!バ、バ、バ、バスツアーが、、、た、大変なことになっています!!」
普段は冷静なマネージャーが興奮気味に楽屋に入ってきました。
「なに、どうしたの?」
「バ、バ、バ、バスツアーの応募が、た、大変なことになっているんです!」
実際にはこんなに興奮していません。
「えっ?もしかして、定員割れ?」
「違うんですよ!それが、ものすごい数の応募がきてるんです!」
「えっ、マジで?!」
「マジです!もうびっくりです!」
募集開始からまだ2,3日しか経っていないのに既に三桁に達していました。
「そうか、それはすごいなぁ!」
「意外と読んでる人いるんですね!」
「そうだな、意外とな」
誰かのブログのように、毎日数万人が訪れるようなところではないので、実際にどの程度の応募が来るのか、全く未知数でした。それこそ数人からしか応募がない、ということも心のどこかで想定はしていました。以前100回記念の際には、それなりの応募があったものの、だいぶ時間が経っているので読者が離れていることだって考えられます。しかも、ビートル試乗フェアが無料だったのに対し、今回は有料です。それも決して安い値段ではありません。そういったことが僕を多少なりとも不安な気持ちにさせていたのでした。それだけ、「応募が大変なことになっている」という知らせは、僕からそういった不安を取り除いてくれたのでした。
「では、パソコンの方に送りますんで」
それから数日して締め切りの日を迎えました。自宅のパソコンに転送されたメールを開くと、応募者の多さだけでなく、その文章量に驚かされました。あくまで量や表現の上手さを問うものではないと注意書きしてあったにも関わらず、皆、それぞれの思いを丁寧に綴ってくれていました。当然シンプルな人もいましたが、長文で熱く語ってくれている人が多かったのです。だから、本当なら応募してくれた人全員と温泉に行きたいのです。そんなにも週刊ふかわを大切に思ってくれている人達に、「ごめんなさい」なんて言えないのです。実際、応募メールの中から一緒に温泉に行きたいと思った人の番号を書いていくと、ほとんどの人が一次審査を通過してしまいました。それから2次、3次と何度ふるいにかけても、なかなか数が減っていかないのです。ましてや30人に絞るなんてことは至難の技でした。だからバス1台をせめて2台にできないものかと、相談もしました。しかし、現状では台数を増やすことができず、1台により多くの人に乗ってもらうということでしか対処できませんでした。それでも、当初の30名程度からなんとか50名くらいにその枠を広げることができたのです。
正直僕は、感動しました。皆さんから寄せられたメールからたくさんの勇気をもらいました。バスツアー自体はまだ行われていませんが、今回の募集で様々なことを感じることができたのです。僕の頭の中でイメージしたことをしっかりと受けとめてくれる人たち、この「週刊ふかわ」を支えてくれている人たちが全国にたくさんいるということ。それだけ僕にとってこの「週刊ふかわ」がかけがえのない場所であるということ。テレビの一視聴者と違い、積極的に僕のことを理解してくれていて、そういった人たちがたくさんいるんだと感じれることが、僕にとって多大な勇気に変換されること。あらためて、これまで続けてきてよかったと思いました。
だから、応募してくれたのに一緒に行けない人にはとても申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。ほんとに全員連れて行きたいのです。だから、仮にそうだったとしてもまったく気にしないでください。なんの差があるわけじゃないのです。単純に確率の問題なのです。ただ単に、ビンゴ大会で景品が当たらなかっただけなのです。僕としても会えないことは残念ですが、書いてくれた文章はすべて僕の心に届きました。なので、どうか気を悪くしないでください。きっとまたこういう機会はあるはずです。この人たちとなら泊まりも可能だとも思いました。
もう少しすると、当選者の方にはその旨のメールが届くかと思います。でも僕は全員に感謝しています。本当にたくさんの応募ありがとうございました。まだまだ至らぬ点が多いですが、末永くこの「週刊ふかわ」を見守っていてください。それでは次回からまた、よろしくお願いします。
P.S.
三宿webの「ロケットマンデラックス」は毎月第2金曜日になります。次回は、4月14日(金)6周年記念スペシャルです。ロケTを買いたい人は是非この機会に。
2006年04月02日
第214回「僕がバーベキューをやりたい理由」
「こうなったらもうバーベキューをやるしかない!」
僕はそう心に決めました。
こんな僕でも一応は芸能人だから、新幹線に乗る際はたいていグリーン車になります。大阪、名古屋での仕事が比較的多いので、のぞみに乗ることが多いのですが、のぞみのグリーン車はとても快適です。ひとり分のスペースがゆったりとしていて、シートもソフトに仕上げられています。しかも車内はとても静かなので、ものすごくリラックスできるわけです。そういえば、「グリーン車は寝過ごしそうになったら車掌さんが起こしてくれる」というのをきいたことがありますが、実際のところどうなんでしょう。僕自身、真偽を確かめるために何度かチャレンジしようと思ったのだけど、いつも良心が痛み、いまだ確認できずにいます。お願いすれば起こしてもらえるのでしょうかね。ちなみに僕は、きまって禁煙のA席に座ります。海が見えるからです。当然、長い間見えるわけではありません。途中に見える数秒間のために、いつもA席なのです。それでも、時折見える海や山などの自然の景色は、日々の疲れを癒してくれるわけです。そんな景色が現れる前に、新幹線が発車してまもなく、女性の乗務員がウェットティッシュを配りにやってくるのですが、このウェットティッシュこそが今回の主役であります。
昨今、ティッシュにセレブという言葉が使われはじめ、カシミヤが使用されていたり、匂いがするタイプから味のするものまで様々なタイプのティッシュが存在します。正直、味のあるティッシュには衝撃を受けましたが。そこまで高級にする必要があるのかはわかりませんが、一枚一枚を大切に使うようになるのであればそれでいいのかもしれません。ティッシュと同じように、ウェットティッシュも高級化が進んでいます。そもそも、ティッシュをウェットにしたという段階で贅沢なものですが、たしか僕が小学生の頃に世の中に登場した気がします。そのときはそのときで衝撃を受けたのですが、現在では、匂いのするタイプやメイクの落とせるものまで、ウェットテイッシュも着実に進化していると言えるでしょう。そんな中、のぞみのグリーン車で配られるウェットティッシュは、とても高級感のあるウェットティッシュと言えるでしょう。
使用した人はご存知だと思いますが、生地がとてもしっかりしているのです。それでいてキメの細かい網目になっているので肌にやさしくフィットし、ウェット感もちょうどよく、薬品っぽい臭いもないのです。もはやこれは、ティッシュの域を超えた、上質なウェットティッシュなのです。それだけに、たかが移動では使いたくなくなってしまうのです。お菓子の粉が指に付いたくらいではもったいないのです。その結果、袋からださずにかばんの中に忍ばせてしまうのです。つまり持って帰ってしまうのです。そのせいで、部屋にはグリーン車のウェットティッシュ入れがあり、この前数えたら100を越えていました。別にたくさん集めたらなにかをもらえるわけでもないのに。ここまでくると、物を大切にするというよりは単なる貧乏性なだけです。紙袋や包装紙をため込むおばちゃんと同じです。ただ、なんの目的もなくためているわけではありません。部屋に飾って眺めているのではないのです。こんな上質なウェットティッシュだからこそ、充分にその機能を発揮できるときに開封したい、ということなのです。
それこそまさに、バーベキューなのです。バーベキューのときほどウェットティッシュが必要になることはありません。お花見、遠足、運動会などのときも必ず登場しますが、準備で汚れ、タレでベタ付くことを考えると、やはりバーベキューのときが最も需要が高まるといえるでしょう。バーベキューのときのウェットティッシュは、いくら多くても多すぎることがないのです。バーベキューのときこそ、のぞみのグリーン車でもらったウェットティッシュを活用するときなのです。そのときのために僕は、グリーン車では多少の手のベタつきを我慢し、使用せずに持ち帰っているのです。
「やだぁ、こんなに手にタレがついちゃったぁ...」
「ほら、これ使いな!」
「えっ、いいんですかぁ?」
「いいんだよ。こんなことがあるんじゃないかと思って、いままでグリーン車でもらっても使わないでおいたんだ」
「すごぉーい!さすがふかわさん!もう大好きです!」
「いやいや、たいしたことないよ。よかったら、もう一本」
「えっ、いいんですかぁ?」
「こんど手がベタついたら使うといいよ。僕だと思って...」
「ふかわさん...」
だからバーベキューをしないといけないのです。バーベキューでみんなの喜ぶ顔を見たいのです。そこから生まれるロマンスもあるのです。誰かバーベキューに誘ってくれないかなぁ。
PS:三宿webのイベント「ロケットマンデラックス」が毎月第二金曜日に変わります。次回の6周年記念は4月14日になりますので、よろしくお願いします。