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2005年10月30日

第193回「前兆」

 テレビ局の楽屋というのは、どれも同じようでいて、部屋によって微妙な違いがあります。畳が敷かれた和室タイプもあればカーペットの洋室タイプもあります。その中でもホテルの一室のようなゴージャスなものもあれば、スタジオによっては「えっ?」という感じのところもあります。また、トイレ、シャワーなどが完備されているところもあります。芸歴11年の僕は、シャワーなどは特別必要とせず、顔を洗う洗面台さえあれば事足ります。まぁ、ほとんどの楽屋にあるものですが。その洗面台が真っ赤に染まったのは、某番組の収録前のことでした。
 洗面台で顔をばしゃばしゃとやっていると、目の前の世界が真っ赤になりました。
「うわっ、なんだこれは?!」
目の周りのしずくを指でぬぐってゆっくり目を開けると、洗面台のシンクにたまった水が赤く染まっていました。マネージャーは到着してなく、衣装に着替えていたので、それがなんなのか判明するまでは、体勢を起こしてタオルを取りにいくことができませんでした。少しすると赤い液体は排水溝に吸い込まれ、また透明の水だけになりました。そして再びバシャバシャやると、同じように目の前が赤く染まりました。赤いしぶきが、周囲に飛び散っていました。
「これは、もしかして...」
シンクのまわりに飛び散った色は、まさしく血であろうと思わせる赤色をしていました。しかし、顔に傷があったわけでもなく、当然痛みなどもありません。となると考えられるのはひとつしかありませんでした。
「鼻血だ...」
鏡に映る僕の鼻から、どろっとした濃い赤色の液体が流れていました。
 もう30年以上も生きていると、「あ、そろそろ風邪ひくな」という「風邪の前兆」みたいなものがわかってくるものです。僕の場合そういったサインみたいなのがやたら多く、年中風邪ひきそうだと騒いでいる感じです。もっともスタンダードな前兆として、「体が熱くなる」というのがあります。これはほんとにしょっちゅうなのですが、疲れやすい体質なのか、ちょっと動いただけですぐに体が熱くなってしまうのです。なんというか、火照っちゃうのです。すると、身の回りの貴金属の冷たさに過剰に反応するようになります。ちょっとしたチャックとか、イスのパイプだとか、それらにちょっと触れただけで氷をさわったかのように反応してしまうのです。温度だけでなく、ちょっと触れられただけでも痛みをともなってしまうほど、スーパー繊細な体になるのです。しかも厄介なのは、体温計に繁栄されない熱なのです。体が燃えるように熱いのに、いざ体温を測ってみると35度7分みたいな判定が出るのです。だから、それを理由に仕事などを休みづらいわけです。異様に熱くて病院に行っても数値に反映せず、気まずくなったりするのです。しかしながら、この「体が火照る」という前兆を無視して行動していると、案の定、翌日ダウンしてしまうのです。
 もうひとつスタンダードなものを挙げると、「のどが痛くなる」というのもあります。これは風邪の前兆としてポピュラーなものだと思いますが、僕の場合、扁桃腺が腫れやすく、小さい頃から病院に行くたびに「扁桃腺まっかだよ」と言われ続けてきました。現在では、外から手でさわってわかるほどに扁桃腺がはれるほどで、それは「もうこれ以上働くとやばいよ」というサインなのです。ときどき「扁桃腺」を病院で取り除くことができると聞いたこともあるけれど、手術の後に尋常じゃない痛みに襲われるらしいし、今はむしろ疲れのバロメーターとして利用している感じなのです。
 もうひとつの風邪の前兆は、おそらく他の人はなさそうだけど、「耳のうらのあたりがズキンッとする」のです。これも昔からあるのですが、これがはじまると、1分に一度くらいの割合で耳の裏の辺りがズキンッっとするのです。このズキンッが恐ろしい威力を持っているのです。どんなにテンションあげていてもこの一撃でいっきにダメージをくらうのです。だから、この「耳うらのズキンッ」がはじまったらルルを飲むようにしているのです。
そして最近になって頭角を現してきた「風邪の前兆」が、今回の「鼻血」です。過度に疲れがたまると「鼻血」が顔をだし、「もう休養しなさい」と忠告してくれるのです。以前、朝礼のときに鼻血を出して倒れる生徒がいましたが、そんな奴らを貧弱な奴だと心の中で思っていた自分が30を過ぎて、実際に鼻血を出すようになるとは思いもよりませんでした。今年だけでもう5回くらい鼻血を噴出させています。前々から思っていたのだけど、鼻血ってどうしてあんなに格好付かないのでしょう。血の中で一番格好悪い気がします。事態は深刻なのに、どこか間抜けな印象を与えてしまいます。もしかすると「鼻」がいけないのかもしれません。鼻からでてくると、どこかコミカルな空気になってしまうからです。だから今後は、「いかに格好良く鼻血をだすか」が人類の課題となるでしょう。とにかく、「鼻血」がでたらダウンの直前というわけです。
 細かい現象をあげればまだまだあるのだけど、これらの「風邪の前兆」とうまく向き合って、なんとか今年の年末を乗り越えたいものです。みなさんも風邪をひかないように気をつけてくださいね。

1.週刊ふかわ | 10:30

2005年10月23日

第192回「愛しのあいつ」

 おかげさまで、僕が黄色のニュービートルに乗っているということは世間的にもだいぶ認知されてきたようで、街で僕本人を見かけて「ふかわかなぁ?」という疑惑も、車に乗り込む姿を見て確信に変わるケースも多くなりました。数々の番組に出演しているうえ、個性的なフォルムが僕のヘアースタイルにあっているからか、視聴者的に印象に残りやすいのでしょう。「ふかわといえば黄色い車」「ビートルといえばふかわ」といっても過言ではない状態になりつつあり、そろそろフォルクスワーゲンから礼状か宣伝料10万円的なものを頂いてもよさそうなものです。いや、もしかするとフォルクスワーゲン的には「これ以上ふかわのイメージをつけたくない!」と思っているのかもしれません。いずれにせよ、あの車からイメージする人物としてかなり上位にいることは確かでしょう。
 その黄色のニュービートルがいなくなってから一週間がたちました。わけあって体調を崩し、入院してしまったのです。毎日行動を共にしていただけに、あいつがいなくなったとたん、急激にさみしくなってしまいました。面会謝絶状態なので会いにいくこともできません。退院を待つしかないのです。
「あいつのいないあいだ、このさみしさをどう紛らそう...」
だからといって僕は、入院中にほかのもので代用するつもりはありませんでした。あいつのかわりになんて誰もなれやしない、そう思っていました。しかし、気付くと僕は、レンタカー屋さんにいました。
「ごめんよ、これは浮気じゃないんだ、しょうがないことなんだ!」
心の中で何度も叫びました。仕事のことなどを考えると、どうしても代用が必要だったのです。こうして僕は、あいつが入院している間、トヨ子との新たな生活をはじめたのです。
 トヨ子はある意味で完璧でした。ナビゲーションもしてくれるしシートベルトをしないとすぐに指摘してくれる。スタイルだって若者っぽいし。
「もしかしたら、このままトヨ子と...」
そんな気さえしました。あいつが入院していることを忘れることさえありました。
「ちょっと、どういうことよ!」
「あ、ごめん!」
「あなたの席は右側なのに、どうして左側にすわったのよ!」
「いや、その...」
「どうせ前カノでしょ!前カノが外人だったんでしょ!」
「いや、別にそういうわけじゃ...」
僕はあいつとの習慣のせいで、ついつい左側の席に乗ってしまったのです。
「もういいわ!私気付いてたの、いつも左側に乗ろうとしてるの。ウインカーとワイパーだってよく間違えるじゃない!音楽聴くときだってなんかおぼつかないし。全部き気付いてたのよ!」
「いや、それは...」
僕は、トヨ子に返す言葉が見つかりませんでした。トヨ子の言うとおり、あいつとの習慣が抜けきれず、あいつと違う部分に合わせることで、正直、疲れを感じ始めていました。
「だいたい私を選んだのも、前カノと似てるからでしょ!」
「そういうわけじゃ...」
トヨ子には完全に見抜かれていました。
「もう別れましょう...」
「おい、なに言ってんだよ、トヨ子...」
「誰かの代わりなんて嫌よ、別れましょう!」
「ちょっと待ってくれよ!」
「いやよ!あんな傷だらけのどこがいいのよ!」
「...もうわかったよ、事情を話すよ」
僕は、あいつが入院していて、その間の浮気だったこと、すべて話しました。
「わかったわ、じゃぁその子が戻ってくるまで、そばにいてあげる」
意外にもトヨ子は、僕のことを受け入れてくれました。
「そのかわり...」
「そのかわり?」
「私のこと、本気になっても知らないから...」
 レンタカーで借りた車が、そんな風に言っているような気がしたのです。レンタカー生活が、まるで奥さんの妊娠中に浮気でもするような、どこかうしろめたい気分になったのです。男性が車に求めることは、女性に対するそれと同じだというのを以前きいたことがありますが、確かに僕自身も、女性にかわいらしさを求めているという点ではあながち間違いではない気もします。ただひとつ言えるのは、車も女性も、好きになるのは見た目の美しさでも、愛するのは欠点だということでしょうか。はやく退院してほしいものです。

1.週刊ふかわ | 10:30

2005年10月16日

第191回「良質の基準」

僕は普段ひきこもっているわりには遠出をするのが好きで、時間さえあれば都会を離れ、温泉地などに車で出かけたりしたものです。緑の山々は都会の生活で疲れた僕をあたたかく迎え、体内に充満したストレスを溶かしてくれます。しかし、こういった旅のなかで重要なのは、目的地の山々だけではなく、そこでの食事だったり、メンバーだったり、様々な要素が絡んできます。中でも僕にとって重要なのは、途中に立ち寄るサービスエリアでのひとときです。もしもサービスエリアがこの世に存在しなかったら、旅の楽しさは半減してしまうんじゃないかと思うくらい、僕にとって、おそらくみなさんにとっても、サービスエリアは重要なものなのです。
サービスエリアに着いたときの開放感、幸福感。そして、まるで花火大会やお祭りに出かけるかのような期待感。サービスエリアにはそれほどのパワーを持っています。しかしながら、すべてのサービスエリアがそういうわけではありません。残念なことに、何の期待も抱けず、むしろ立ち寄ったことを後悔してしまうようなところさえあります。では、どういったサービスエリアが良質で、逆にどういった要素が駄目にしてしまうのでしょうか。そんなことを分析してみようじゃありませんか。そうすればデートなどでも間違ったサービスエリアに寄らなくなるのです。女の子とドライブをして間違ったサービスエリアに寄ってしまうことは、デートでしょうもない映画を観てしまったときと同じ気まずさを味わいます。そういうことのないように、良質のサービスエリアを知っておく必要があるのです。
「良質」といわれるための基準としてまず挙げられるのが、「アメリカンドックの旨さ」でしょう。アメリカンドッグの良し悪しはサービスエリアのそれに比例するといっても過言ではありません。つまり、アメリカンドックをおろそかにしているところは、サービスエリア全体をおろそかにしているということになるのです。遠出をする人にとってアメリカンドックは「旅の味」であり「旅の心」です。常に「揚げたて」を心がけているサービスエリアに繁栄は訪れ、放置時間が長く、旅人に満足いくドックを提供できないようなところは、衰退の道を歩むことになるのです。それくらい、アメリカンドックは重要なのです。
露店の数も大切な要素といえるでしょう。たこ焼きやお好み焼き、磯辺焼きやお団子など、それらの文字が描かれた旗が風に揺れている光景は、見知らぬ村のお祭りに遭遇したかのような印象を僕らに与えてくれるのです。特に日曜日などの場合、露店の数はピークを迎えることが多く、ジャンボフランクなどをほうばったり、なんだかよくわからない食べ物をほうばっている人々で賑わっている光景を見ているだけで、とても幸せな気分を味わえるのです。
館内のラウンジにも良し悪しがあります。まず規模の面で大切なのは「広すぎず、狭すぎず」です。席数が少ないのも問題ですが、あまりだだっ広くても雰囲気が出ないのです。だいたい満席で7,80名程度が着席できるくらいが、見栄え的にも程よい数と言えるでしょう。フードメニューに関しては、そば、うどん、カレーのトップ3を揃えていなければなりません。欲をいうと、やけに塩のきいたフライドポテトも欠かせません。また、購入方法も昔ながらの食券のシステムのほうがより雰囲気がでるでしょう。ときおりおしゃれなカフェを気取ったラウンジがありますが、そういったタイプは自己満足にすぎず、サービスエリアでは懐かしさや安心感を与えることを優先しなくてはならないのです。ドリンクに関していうと、わざわざ購入しなくても無料で飲めるお茶の機械みたいなのが完備されていなければ、良質のラウンジとはいえないでしょう。ちなみに、ラウンジとは別の場所にレストランのような店舗が併設されているところがありますが、そこではより近代的なつくりにするべきです。周囲を気にせずに落ち着いて食べたい家族やカップルたちが憩える場所なので、そこはラウンジとは違った雰囲気作りを心がけるべきなのです。
お土産コーナーも、良質なサービスエリアかどうかを見極める、重要な要素となります。ここでは地方の名産品などを取り揃えておくことは当然のことながら、そこのサービスエリアオリジナルの商品が並べてあるかどうかで差がでてくるのです。たいていオリジナル商品にはオリジナルキャラクターがいるもので、きまってそのキャラクターの緊張感がなかったりします。つまり、みうらじゅん氏曰く「ゆるキャラ」なのです。そのゆるさを笑う風潮がありますが、あのゆるさはすべて計算上のことなのです。長時間の運転で疲れた体を解きほぐし、リラックスさせるためにあえてゆるくしているのです。僕はそう信じます。なので疲れたドライバーこそお土産コーナーに足を運び、ゆるいキャラクターに癒してもらうべきなのです。お土産コーナーこそが、リラックススペースなのです。
 次の項目に行く前に、駄目なサービスエリアについて触れておきましょう。これはすでに数箇所で発見されたのですが、「都内でもよく見かけるコンビニが、無造作にあるだけのサービスエリア」です。これは本当にサービスエリアとはなんたるものかを全く理解していないのです。サービスエリアというのはある意味、天空の町であって、夢の世界でなければならないのです。なのによくみかけるコンビニがあったのでは、いくら品揃えはよくても、気分をぶち壊しているのです。また、コンビニに限らず、普段見かけるファーストフードのお店がはいっていたりするのも、あまりよくないなのです。天空の町にはマックはないのです。どうしてもそこにほしいのであれば、サービスエリアバージョンのカラーリングにするとかの工夫が必要なのです。
 最後は周囲の環境です。やはり、せっかく遠出をしているのだから、緑に囲まれているのが望ましいでしょう。ちょっとした広場みたいなのがあって、木のベンチでのんびりできたりするのもいいですね。山々を望み、空は青く、深呼吸したときに空気がおいしい、そういった幸福感を与えてくれる所が、より良質なサービスエリアといえるでしょう。あとは、トイレを清潔に保っていてくれさえすれば問題ないのです。
 ということで、サービスエリアに関して長々と語ってしまいました。これだけ思い入れがあるのだから、200回記念はサービスエリアめぐりになるのでしょうか。そうでなくとも、サービスエリア同好会なるものを設立してみようかな。

1.週刊ふかわ | 10:30

2005年10月09日

第190回「蝉が鳴いている」

「来週、映画の顔合わせと本読みがはいりました」
都内某所にて映画「蝉しぐれ」の顔合わせが行われたのが去年の5月のことでした。顔合わせという名目で出演者が集まるのはテレビドラマでもよくあることで、僕自身も過去に何度か経験ありましたが、今回の顔合わせは、その経験をまったくいみのないものにしてしまうほどに、僕の体を緊張させました。というのも、大きな会議室みたいな部屋に会したメンバーが、ある意味、日本の俳優界を代表する面々であり、同じ芸能界でも滅多に会えない方々なわけで、バラエティーでは味わえない、とても重厚な空気が流れていたのです。
「やっぱり、映画ってすげぇなぁ...」
本読みも終わり、監督をはじめ共演者の方々、そこにいるほぼ全員の方々に挨拶をし、会場をでると、僕はようやく自由に呼吸できるようになりました。あまりの緊張感で酸欠になりそうでした。しかしながら、自分が大きな作品に出演するのだと、あらためて実感したのでした。それから数日後のことです。
「来週、第2回本読みがはいりました」
「えっ?第2回?」
「そうです」
「えっ?みんなくるの?」
「だと思いますが...」
本読みというものが、2回もあるものなのかと、多少の違和感が生じたものの、映画だから、ということで納得しました。しかし、2回目の本読みは1回目のそれとは大きく異なりました。
「それじゃぁ、始めましょう!」
監督、助監督ら数名が部屋にはいってくるや言いました。僕は本読みを始める前に確認したいことがありました。
「監督!これはひょっとして...」
「どうした逸平!」
逸平とは僕の役名です。
「監督!これはひょっとして、第2回本読みという名の!」
「第2回本読みという名の?」
「第2回本読みという名の、補習授業なんじゃないでしょうか?」
「そうだ!第2回本読みという名の補習授業だ!!どうしてわかった?!」
「はい、それは僕しかいないからです!!」
「さすが逸平!鋭いな!」
「ありがとうございます!でも、なんで僕だけが?」
「逸平!知りたいか?」
「いえ!知りたくありません!」
思い起こせばそんなこともありました。冷静に考えれば、緒方拳さんや市川染五郎さんに第2回本読みがあるわけないのです。その後、週一で慣れない着物を着て殺陣の練習にも通いました。7月の山形で、暑い中ちょんまげを被り、汗が背中を流れ落ちるのを感じながら撮影をしました。そんな日々を思い出しながら僕は、舞台の上に立っていました。あれから一年以上経ち、ようやく舞台挨拶の日までたどりついたのです。舞台上からは、ご婦人方のハンカチが動く様子が見て取れました。その中に、僕の両親も混じっていました。おそらく、若者よりも年配の方のほうが、心にしみる作品なのだと思います。決して豊かとは言えない時代に生まれ、必死に働いて生きてきたものの、どこか時代に流されてきたような違和感。めまぐるしく変わる世の中に対し、なにも言わずただひたむきに生きてきた人々の心の中には、決して失ってはいけない大切なものがありました。その大切なものが、美しい景色とともに描かれているのです。まるでスクリーンの中から、「あなたが今まで持ち続けた大切なものはこれですよね?」と語りかけるように。日本人、そして人間が持っている、時代を越えた美しさが描かれているのです。そんな素晴らしい作品にめぐり合えたことをとても光栄に思います。
「この前韓国でも試写会があったんですよ!」
嬉しそうに木村佳乃さんが僕に話しかけてきました。
「そしたらね、ふかわさんのところでみんな笑うんですよ!すごいですね!」
それがすごいことなのかどうかはわからないけど、韓国の人々が、まったくボケもなにもない逸平を見て、なぜか笑っていたそうなのです。もしかしたら、僕には国境を越えるなにかおかしな雰囲気があるのかもしれません。これはまさしく、拠点を韓国にシフトしろということなのでしょうか。韓流スターが輸入されたあとは、和製コメディアンが輸出されるのかもしれません。ともあれ、都会で鳴かなくなった蝉はいま、劇場で鳴いています。それが終わる前に、是非観にきてください。

1.週刊ふかわ | 10:30

2005年10月02日

第189回「アキバ系の陰謀」

結局一回も見ないまま「電車男」が終了してしまいました。僕はもともと、世間で盛り上がれば盛り上がるほど冷めてしまう性質で、「えっ、お前これも見てないの?!」と周囲に衝撃を与えるほどメジャー作品を見ていないことがよくあるのです。それはドラマに限らず、ワールドカップやオリンピックなど、国民のほとんどが熱狂しているものさえも、どこか入り込めない自分に気付いたりするのです。だから、今回こそは見なきゃだめだと思っていたのです。なんせ社会現象になっているのですから。にもかかわらず、さっそく初回を逃してしまうともう途中参加する気になれず、そのまま終了を迎えてしまったわけです。ともあれ、ドラマは大好評のうちに幕を閉じたようで、それはそれでよかったのではないかと思われます。これら一連の「電車男」ブームが、世の中の男性に勇気を与えたのかはわからないけれど、いわゆる「アキバ系」と呼ばれる人々の存在を確固たるものにしたのではないでしょうか。

それこそ「アキバ系」の男たちというのは、昔から存在しました。存在はしていたものの、彼らをどう扱っていいものか、いじっていいものなのかわからず、そっとしておいた感がありました。その頃はまだ「アキバ系」という言葉は生まれてなく、「オタク」という言葉で表現されていました。「オタク」たちは、かわいらしいキャラクターのアニメなどに情熱をそそぎ、どこか非現実の世界を生きているようにも見えました。また、シャツを微妙な色合いのジーンズの中に入れる独特のファッションが後押しし、どこかで気持ち悪がられていたのです。そんな彼らを唯一受け入れたのが、秋葉原という街でした。そこはいつでも彼らを暖かく迎えてくれました。だから「オタク」たちは常にそこに足を運ぶようになり、いつしか「オタク」たちであふれるようになりました。他の場所では完全に少数派になる彼らも、そこに行けば圧倒的な多数派になるのです。彼ら中心の街になりました。そうして秋葉原は「オタク」たちの聖地と化したわけです。

それからインターネットが普及し、誰もがパソコンを持つようになると、社会の風向きが変わりました。一般の人も秋葉原へ足を運ぶようになるのです。そして、パソコンを購入しに秋葉原へ行く人たちは皆、こう思いました。

「秋葉原にいる人たちってなんか気持ちわりぃな...」

このときすでに、彼らが世の中で頭角を現し始めていたのです。世の中が気になりはじめると、もはや彼らのことを放っておくことはできなくなってしまったのです。

「あの、秋葉原の人たちは一体なんなんだ...」

そうして「秋葉原に人々」は「アキバ系」という言葉に変貌し、「オタク」にとって代わることになりました。これまで、「渋谷系」だ「裏原系」だと、なにかにつけて「系」でブームを表現されてきたように、「アキバ系」と称されたのは、社会に認められたことを証明しているわけです。「アキバ系」がカルチャーとして承認されたのです。ということは、もはや弱者ではなくなり、彼らをいじることが解禁になるのです。コントなどで彼らを面白がるのはそういうことです。彼らのキャラクターを楽しんでいいんだし、彼らも自分自身のことをわかっているのです。そうして2005年、遂に人気ドラマの主人公になるに至ったのです。しかし、彼らのピークはここではないのです。では、この先どうなるのでしょう。

まず、「アキバ系」の代表者が出馬します。アキバ党を設立するのです。もはや、アキバ系の人口というのははかりしれないものになっているわけで、彼らの中から議員になる者がでて然るべき状態になっているのです。この前の選挙でも、「アキバ系」の立場を代表する人を擁立していればさらに議席を増やせたことでしょう。とにかく、彼らの代表者が政界に参入するのです。メイド喫茶の店舗拡大のために。そして彼らは、「秋葉原独立運動」を行うようになるのです。「アキハバラ」というメイド喫茶だらけの独立国家です。そうして彼らは彼らにとって快適な世界を築きあげるのです。独立国家となった「アキハバラ」は、やがて領土拡大のために、日本を侵略するようになります。ウイルス作戦により、日本中の情報を錯乱させ、自滅に追い込むのです。そうして北海道から沖縄まで、日本は「アキハバラ」の支配下に置かれるのです。当然彼等の次の矛先は海外に向けられます。日本だけでなく、海外にもメイド喫茶を設立させるためです。彼らはまるで「猿の惑星」の猿たちのように、世界を侵略し、征服しようと企むのです。ではなぜ、世界を征服するのでしょう。

なぜなら、彼らは宇宙人なのです。彼らは何十年も前から「オタク」という姿で地球に潜んでいる、宇宙からの使者なのです。前々からうすうす感じていたのだけど、きっとそうなのです。だから秋葉原には宇宙のどこかの惑星と交信する場所があり、そこで情報交換を行ったりしているのです。おそらくそれがメイド喫茶なのです。「アキバ系=宇宙人」、そんな風に考えると、彼らのことがまた興味深く思えてきます。今後の「アキバ系」の動きに期待したいものです。

1.週刊ふかわ | 10:45