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2019年08月30日

第803回「felicidadeな一日〜後編〜」

 

「僕のわがままにお付き合いいただきありがとうございます。一日長丁場ですが、よろしくお願いします」

 厨房の辻さん、コンパスコーヒーの小林さん、そしてお手伝い2名の力を借りて、いまオープンしようとしています。果たしてどんな雰囲気に包まれるのでしょう。11時ちょうどに扉が開くと、前に並んでいたお客さんが入ってきました。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの椅子が綺麗に埋まっていきます。まずは、ジョアン・ジルベルトの「A FELICIDADE」から。優しい声が店内を漂っています。

「では、僕の日常を彩るフェリシダージをご堪能ください。」

 DJブースの横でお湯が注がれるたびに立ち込めるコーヒーの香りが、鼻から脳を刺激してきます。スパイシーなものとまろやかなものと、2種類から選んでいただくフェリシダージ・カレーに、冷製スープと彩り豊かなサラダが添えられ、コーヒーとデザートも付いてくるフェリシダージ・ランチ。次々とカレーが厨房から飛んでいきます。奥のテーブル席も埋まり、早くも満席状態のcafé tora。お客さんたちの様子を眺めながら、僕はひたすらボサノバを選曲していました。

「ブラジルの水彩画」、「イパネマの娘」、「ワンノート・サンバ」。生粋のボサノバから、ボサノバ・アレンジのものまで。壁にペンキを塗るように、音で空間を彩る役目。一杯どうぞと、小林さんがコーヒーを淹れてくれました。

「今日は、特別メニューなんですけど、大丈夫でしょうか」

 扉の外から中を伺っている人の姿。ファンの方だけではなく、近隣のお店や住民の方も来てくださいました。いわゆる「ご近所づきあい」に、なんだかほっこりします。 

「これどうですか?」

 そういって手渡されたカップは、かぼちゃの冷製ポタージュ。まろやかなかぼちゃの甘みに思わず「フェリシダージ」が漏れてしまいます。

「そろそろ休憩にしましょう」

 たくさんのお客さんとスタッフのおかげで、ランチタイムを無事に終えることができました。ずっと立ちっぱなしだったので、腰のあたりが悲鳴をあげています。立ち仕事というのは本当に大変だと改めて実感する午後。2時間ほど休憩して、夜の部に突入します。

「引き続き、よろしくお願いします!」

 ランチタイムのカレーは、サラダが別添えでしたが、夜は一枚のお更に盛り付けられとても華やか。まるで芸術作品のようで、スプーンを入れるのがもったいないほど。

「ここ、開けちゃいますか」

 お店の入り口が大きく解放されると、心地よい風も遊びに来てくれます。夜はコーヒーに加え、シャンパンやワインなども飛んでゆく賑やかな雰囲気。店内から溢れるボサノバの音。いろんなバージョンの「A FELICIDADE」を、時報のように時折織り交ぜて流していました。

「そろそろ、ラストオーダーなのですが…」

 お客さんが絶えないので、なかなかそうもいきません。毎日やっているならまだしも今日だけなので、少し延長することに。九品仏の小さなカフェは、お客さんの笑い声、コーヒーをいれる音、食器の音、そして音楽と、たくさんのフェリシダージが溢れていました。そして、最後の「A FELICIDADE」が流れました。

「今日はありがとうございました!」

 もう、ヘトヘトでした。ヘトヘトでしたが、満たされていました。頭の中に浮かんだものが現実となった「フェリシダージな一日」は、夢のように過ぎていきました。またこのような催しができるかわかりませんが、とにかくやってみてよかった。お客さんのいなくなった店内で、ただジョアン・ジルベルトの声が、耳に残っていました。

 

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2019年08月23日

第802回「felicidadeな一日」

 

 台風の余韻を感じる風、僕は大きなリュックを背負って自転車を漕いでいました。

「ご相談したいことがあるんですけど…」

 そう言って、オーナーの辻さんに話を持ちかけたのは一月半ほど前のこと。駅のすぐそばにあるパティスリーRは、スウィーツとデリのお店で、サラダプレートやカレーを始め、僕の日常を彩ってくれています。常連とはいえ会話は挨拶程度。それでも僕の中で、この方なら話を聞いてくれる気がしました。

「面白そうですね!」

 漠然としたイメージにも関わらず、興味を持ってくれました。しかも、場所の候補すらない中で、パティスリーRの系列店であるCAFÉ TORAならお盆休みが一週間あるので、それを利用するのはどうかとご提案まで。同様に、コンパス・コーヒーにも足を運んでみると、オーナーの小林さんを紹介してもらい、電話越しに説明。即座に賛同してもらえました。普段飲んでいるコーヒーでももちろんよかったのですが、せっかくだからと、イパネマ農園の豆を使用した当日限定のスペシャルブレンドを用意するとまでおっしゃってくれる心意気。イパネマのコーヒーを飲みながらボサノバを聴く。なんと贅沢な試みでしょう。

 そうして、お盆休み中の816日に開催することが決まる頃、イベント名は「felicidade」に固まりました。ジョアン・ジルベルトの他界がなかったら、普段通りボサノバを聴いて終わる夏だったかもしれません。

 料理やデザートのバリエーション、値段や営業時間など、度々話し合って進行していく8月。いざ開催となると予想以上に大変な部分はありますが、それも含めて文化祭のような懐かしい感覚と新鮮さがあります。そうしてあっという間に、開催の日を迎えました。

「今日は長丁場ですが、よろしくお願いします」

 自転車を停め、扉を開けると辻さんはすでに厨房で作業しています。昨晩仕込みをしていたにも関わらず、今日も早くからいらして頭が下がります。オープンの11時まであと1時間半。僕はリュックから取り出した機材をセッティングし始めました。

 今回使う機材は、DJコントローラーというもので、いわばDJブースをコンパクトにまとめたもの。だいぶ前に購入していたのに使う機会がなく、いつか実践したいと思っていました。

「さぁ、出るかな…」

 天井に吊るされた2機のスピーカーからギターの音色がこぼれてきます。テーブルやカウンターの上にメニュー表などを並べ、飾り付けをしていると、コンパス・コーヒーの小林さんも到着。コンパス・コーヒーとCAFÉ TORAは目と鼻の先の距離ですが、小林さんがここの厨房に入るのはとても貴重なこと。今日だけの、フェリシダージ・ブレンド。DJブースの横に、コーヒーの機械が設置されました。

「こんにちは」

 オープン30分前。雑穀クリエイターの田中雅子さんがいらっしゃいました。僕が普段いただいているものもそうですが、今日のカレーもオール国産の雑穀米で召し上がっていただきます。僕の日常を彩るものたちが一堂に会し、そろそろオープンの時間。あの日、頭の中に浮かんだものが、今、現実になろうとしていました。

 

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2019年08月09日

第801回「コムシコムサ」

 

 今月19日に誕生日を迎えます。45歳。20歳の誕生日にこの世界の門を叩いたので、間もなくまる25年となります。では、門を叩く前。25年前の今頃はどうしていたのかというと、素人お笑い番組のオーディションに向け、大学の友人を今回だけだからと無理矢理誘い、「コムシコムサ」というコンビを組んで、日夜、ネタ作りに励んでいました。

 友人の前で披露しても、それは「友人」という関係性によって生まれる「笑い」であって、「客」を笑わせたことにならない。だから知らない人に見せるべきだという考えのもと、通りすがりの人にいきなり声をかけ、「ネタをみてください!」と路上でコントを披露しました。自分が何者だか知られていないので、羞恥心も怖いものもありません。

 しかし、いきなり見知らぬ二人組にコントを見せられて、面白いわけがありません。表情はこわばっているし、とても笑うような雰囲気ではなく、なんだかすごく申し訳ない気持ちにさえなりました。そこで場所を変えることにしました。

「ここなら笑ってくれるかもしれない!」

 路上では笑う雰囲気にならないけれど、ある程度あたまっている心境なら受け入れる体制になっているのではないだろうか。ネタを改良するのではなく、場所を変える方針。そうして向かったのは、遊園地でした。

 カップルだったり、家族連れだったり、すでに楽しい雰囲気に包まれています。僕らが声をかける段階でもう笑顔。そうしてショートコントを披露して、笑ってくれた時は、抱き合って喜びました。中には、アドバイスや一緒にオチを考えてくれたりする人もいたり。かなりの手応えを感じて、八景島シーパラダイスを後にしました。

 オーディションはなんとか通過し、僕らの稚拙なコントは無事に電波に乗ることができました。それと同時に「コムシコムサ」は解散。相方は就職活動をはじめ、僕はひとりで門を叩きました。一人だとどうしていいかわからず、ギターを弾いたり、小道具を使っては自分のスタイルを模索していました。まだ、ヘアターバンをする前のことです。

 人を笑わせることは、簡単なようで、とても難しく、雰囲気によって、タイミングによって、同じことをやっても結果は異なります。だからこそ、魅力があるのでしょう。その魅力のおかげで、今日まで続けることができました。

 

この25年の間に何をしてきたかといえば、皆さんの印象に残っているものがあるかわかりませんが、唯一言えることは、辞めなかった、ということでしょう。

 芸能界はボルダリングのように、とにかくどこかに手がかかっていたり、足が乗っかっていれば、なんとかなるもの。たとえ落ちそうになっても、誰かが手を差し伸べてくれます。

 ちなみに「コムシコムサ」は、フランス語で「まぁまぁだね」という意味。「最近どうだい?」「コムシ〜コムサ〜(まぁまぁかな)」学校で履修していたフランス語の授業で耳に残った言葉。あの日、抱き合って喜んだことを久しぶりに思い出しました。

 

PS:来週、再来週の週刊ふかわは、お盆休みのため休載です。

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2019年08月02日

第800回「felicidade」

 

 さて、800回を迎えました。節目節目で触れていますが、今は懐かしい「iモード」という機能が世に広がりはじめた、まだスマホのない頃、ツタヤ・オンラインという携帯サイトで12回限定の連載ということで、「週刊ふかわ」はスタートしました。当時は情報番組に出演することもなかったので、読者に違和感を与えたかもしれませんが、テレビでもラジオでも話さないような内容を綴ることができる場所になりました。話すのと書くのでは、スピードや掘り下げ方も異なりますが、曲を作ることと書くことは似ている気がします。また、些細なことに目を向ける習慣や、言葉を選んで綴ることは、文章構築の鍛錬の場にも。旅行の際には、帰国してから記すことで追体験もでき、それらが書籍化されたりもしました。

 「週刊ふかわ」というくらいですから、日々感じたことを言語化してお届けしてきましたが、今後も無理のない範囲で、休載も連載のうちという開き直りで、続けて行ければと思っています。

 環境が思考を作るのか、思考が環境を作るのか。何れにしても、ありふれた日常が奇跡であることは間違いありません。ささやかなしあわせ。そんな気持ちを抱きながら今日までやってきましたが、この800回という契機に、ちょっとした催しをしたいと思います。日常を彩ってくれるものたちへ、感謝を込めて。

 

「駅から伸びる小さな商店街には、素敵なものがいっぱい。散策するのも楽しいけれど、一堂に会する場所があったなら。美味しいコーヒーとスウィーツと、素敵な音楽に囲まれて。日常を彩る、私のfelicidade。」

 

 来たる20198月16日。夏真っ盛りの金曜日は、小さなカフェで、felicidadeなひととき。ここで素敵な時間を味わっていただこうと思います。

 ブラジルはイパネマ農園で採れたコーヒー豆による、当日限定フェリシダージ・ブレンド。アイスもホットもご用意します。もちろんその日しか味わえません。可愛らしいタルトやプリンなどのスウィーツや、普段いただいている雑穀米カレーをベースにした、特製フェリシダージ・プレートをご用意。私は、日常を支えてくれているボサノバ、そしてジョアン・ジルベルトへの感謝を込めて、ボッサ・ナンバーで彩りたいと思います。 

 

 そよぐ風はイパネマの香り。ボサノバとコーヒーで、felicidadeなひととき。フェスのような激しいイベントではありませんが、ささやかなしあわせにつながる時間になれば幸いです。日常を支えてくれる場所への感謝の気持ち。当日は、昼と夜の2部制になっています。心地よい風を感じながら、ここにしかない時間を味わってください。

 

 

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