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2018年02月23日

第737回「ゆず記念日」

 

「抹茶と、バニラと…」

その二つ目の「と」に、私の体は反応しました。

「え?バニラで終わりじゃないの?まだ続きがあるということ?!ひょっとして…」

エアバッグのように、一瞬にして私の期待が膨らみました。

「3つからお選びいただきます」

「はい?」

興奮で3つ目をキャッチできずにいました。

「抹茶と、バニラと…」

耳に全神経を集中させます。

「ゆずシャーベットになります」

その言葉は、私の体をシャーベットのように融かしました。

「ついにこの日が来た…」

もはや諦めていました。まさかこんな日が訪れるなんて。

 

 都内に点在する、某有名焼肉店。日本でもっとも有名な焼き肉チェーン店といっても過言ではありません。もう長い付き合いになりますが、初めて訪れたのはこの業界に入ってから。

「ここがあの有名な…」

 今まで口にしていたホットプレートの焼肉はいったい何だったのか。味わったことのない上質なお肉に感動を覚えたものです。それ以降、自分へのご褒美として訪れたり、また、芸能人を実感する空間でもありました。しかし、非常に満足度も高く、それほどの信頼を寄せながらも、ふかログ的にどうしても満点にできないところがありました。

 

「サービスでアイスをご提供しているのですが」

 食後のデザート。美味しいお肉をたらふく食べた後のデザート無料にすっかりご満悦。しかし、回を重ねると、違和感を覚え始めます。「サービス」ということであまり気にしていなかったのですが、私的に、焼肉にこのアイスは合わないと、薄々感じていたのです。というのも、抹茶にしてもバニラにしても、比較的濃厚で、油っこい食事の後に、もったりとした印象。ここは、クリーム系のアイスより、さっパリしたシャーベット、特にゆずシャーベットが一番合うのではないか。そのほうが、食後の余韻も心地いいものになるのではないか。「焼肉」という曲のアウトロにこだわらずにいられなかったのです。

 妥協して食べるのはアイスにも申し訳ない。かといって、サービスに対して文句を言う訳にもいきません。サービスを断って、デザートだけ別の場所で摂ることもありました。

「柑橘系のシャーベットがあったらいいのに」

そんな願いを抱くこと十余年。ついに、叶う日が訪れたのです。

 

「え?ゆずシャーベットもあるんですか?!」

 まさかの3択に驚きを隠せません。それも、念願のゆずシャーベット。あらゆるシャーベットの中でこれなら間違いありません。

「ゆずシャーベットで!!」

 あらかじめ断っていたら、知らずに帰っていたかもしれません。そうして運ばれてきた、パソコンのマウスのようなゆずシャーベット。視界に入っただけで、口の中がさっぱり爽快。体が欲していることがわかります。

「やっぱり、これだ…」

 私の思った通りでした。求めていたものに出会った感覚。初めてここの上カルビを口にしたときに匹敵するほどの感動が押し寄せました。お肉で脂っこくなった口の中が一気に浄化され、美味しかったという余韻にたっぷり浸れるのです。

「ずっと願っていたんですよ、ゆずの登場を」

 店舗にもよるとのことですが、思いが通じたその日は、私にとって、ゆず記念日となりました。

 

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2018年02月16日

第736回「春はもうすぐ」

 

 お墓参りに行ってきました。多いときで年に数回訪れるのですが、雪の影響などもあり、今回は少し間が空いてしまいました。

 自宅から車で3時間半。不謹慎ではありますが、「ストーン・ウォッチング」と称するほど、割とカジュアルに捉えていて、どこか小旅行のような気分で向かいます。このような遠距離には、いつでも横になれるダッジ・バンが最適。長時間の運転もさほど疲れません。

 サービスエリアに立ち寄ることも、その楽しみのひとつ。パン屋さんで美味しそうなものをトングで掴んで、甘い系のパンもトレーに載せて。ホットコーヒーと音楽をお供に、景色をぼんやり眺めながら向かう祖母のお墓参り。

 何回か訪れるたびに、車内で流れる音楽が絞られていき、いまでは「お墓参りコンピレーション」なるものがあります。と言っても、決して暗いトーンのものではありません。東京を離れ、田畑が広がるのどかな風景にマッチした曲。特に冬は、田畑の黄土色がノスタルジーを刺激し、胸がキュンとなるのです。

「みたらしと、海苔と、しょうゆを2本ずつ」

 途中、お団子屋さんに寄るのも欠かせない要素。かつては平日に行くことが多かったので定休日にぶつかり、よく肩を落としていたものですが、今回は希望のお団子を手にすることができました。そこからほとんど民家はなくなり、山をいくつも越えたところに、祖母のお墓はあります。

 いつもの位置に車を停めて、歩いて向かいます。

 静かに両手を合わせる時間。

 目を瞑ると、祖母の顔が浮かんできます。

  墓地を後にした車は、来た道とは逆の方に向かいました。焼畑の煙が至る所で立ち上っているのが見えます。ダッジ・バンは車高が高いので見晴らしがいいのです。そして、サービスエリア、お団子屋さんに続いて、欠かせない場所がありました。

「早くついたな」

 それは道の駅。サービスエリアが好きな僕が、嫌いなわけありません。が、どこの道の駅でもいいかというとそうではなく、やはり好みがあります。ここの道の駅は川に面している場所で、心が落ち着くロケーション。地元の採れた野菜などが並んでいるのを眺めているだけでほっこり。今の時期は、苺がたくさん並んでいました。

 河川敷に停めた車の大きな窓から臨む川の流れ。さきほど購入したみたらし団子と珈琲。窓を開けて風の音を聴くこの時間がとても好きなのです。

 道の駅の後も、車は引き返しません。まだまだ向かうところがあるのです。

「うわぁ、最高!」

 僕の体は熱いお湯に沈んでいきました。ここで、朝からのロングドライブの疲れを落とします。毎回というわけではありませんが、時間に余裕があるときは温泉まで足を延ばすのですが、今日は、入るつもりで早起きして出発していました。完全露店ではないのですが、入口から脱衣所までの雰囲気と、土産物のラインナップなどが程よく鄙びていて好きなのです。地元のおじさんたちに混ざってお湯に浸かるひと時。帰りに梅酒を購入し、体がポカポカになって向かったのは、先ほどとはまた別の道の駅。

「一本ください」

 今度は、お団子ではありません。あゆの塩焼きです。ここの道の駅は食べ物が豊富でいつも何を食べようか迷ってしまうのですが、結局いつも手に取るのはこれになります。あの、身のうねりが堪らないのです。

 ここでもお土産を購入して、ようやく東京に向かいます。のどかな風景から、徐々に見慣れた看板を目にし始める郊外の街並みも、嫌いではありません。帰りの高速道路は、アゲアゲのDJミックスが流れていました。

 お墓参りというより、もはや日帰りのショート・トリップ。でも、祖母のお墓参りがなかったら、こういうこともしないでしょう。車の中は、苺の香りが漂っていました。

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2018年02月09日

第735回「シリーズ日常を支えるもの〜歯医者さん〜」

 

「ほら、見てください」

 そう言ってドアを開けると、バーのようにウィスキーやブランデーなどのボトルが並んでいました。想像以上の数に驚いてしまいましたが、お酒以外にも、箱に入ったフィギュアやソフビのようなものまであり、そこは院長室というよりも、子供部屋のようにさえ感じました。

 これまでの人生の中で、数々の歯医者さんにお世話になってきましたが、今通院しているところがおそらく一番長いでしょう。子供の頃は本当に嫌で、女性医師しかいない歯科だったり、幾つも転々としたものですが、もっとも安心感のある病院にたどり着くことができました。誰の紹介だったか忘れてしまいましたが、待合室でタレントさんにお会いすることも多々ありました。

 よくお話をされる先生なのですが、話が弾んでお酒の話になりました。ここにウイスキーを置いているということで、帰りに院長室を見せてくれたわけですが、アルコール依存症ということではありません。なんでも、高級なお酒は油断していると奥様に勝手に売られてしまうらしく、ここに避難させているのだとか。先日も、大切にとっておいたお酒が娘さんのパソコンに変わってしまったのだそう。仕事の後に飲むのかわかりませんが、そんな理由で院長室がバーになったことに、思わず笑みがこぼれてしまいます。

「それでは、麻酔を打ちますよ」

 奥から2番目の歯を抜いてから数ヶ月。結局インプラントではなく、ブリッジという形式を選ぶことにしました。最近、よく耳にしますが、ブリッジは、両隣の歯を橋脚のようにして、抜いた部分に橋を架けてしまおうというもの。もしかすると、インプラントより手間がかからないのかもしれませんが、橋を架けるために両側の歯も削らなければなりません。それが結構大胆で、なんの罪もない歯を思いっきり削られるので、ショックを受ける人も少なくないそうです。幸か不幸か、僕の両側はすでに前科持ちだったので、そこらへんのショックはありませんでしたが、それでも、新たに削り直すため、麻酔を数本打っての橋梁工事は、騒音と振動と、なかなかハードな時間でした。

「本当は、3本分なんですけど、2本分にサービスしておきますね」

 インプラントに比べればまだいいかもしれませんが、ブリッジもそれなりにお金がかかります。正直、このサービスの基準は良くわかりませんが、先生のおかげで安心して臨むことができました。

 仮に海外で生活する場合、懸念材料の一つはやはり医療です。特に歯医者さんとなると、海外だとあまりに不安が大きい。もちろん、自己管理ができていればいいわけですが、これまでの実績を考えると、歯医者さんにお世話にならずにこのままいける気がしません。やはり、いい歯医者さんの近くで生活している安心感。これは、失ってその大きさを実感するでしょう。

 これからは、習い事のように、週一で通って歯を診てもらいたいくらいです。そして、もう長いことお世話になっているので、いつか、院長室で一杯やってみたいものです。

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2018年02月02日

第734回「モレスキンの手帳」

 

「何かが足りない…」

 そんな気分になったのは、2018年が半月ほど経った頃。いつものように過ぎてゆく日常のなかに、どこか物足りなさというか、微量の違和感を覚えていました。

「もしかして…」

 その原因が、あの黒い手帳にあるのではないか。そんな憶測の元、通販サイトを開きました。

「よかった、あった…」

 一月始まりの手帳は、年を越す前に購入しないと、好みのタイプが手に入らないことがあります。それでかつて、書店に電話をしまくったこともありました。しかし、スマホの波が押し寄せているのか、今回はその必要もなく、すんなりカートに入れることができました。

 使い始めたのは何年前のことだったでしょう。小さいものから特大サイズまで経験があります。しっくりこなくて、途中で乗り換えたこともありました。サイズこそ変わりますが、分刻みで動くわけではないので、見開きで一ヶ月のスケジュールが目に飛び込んでくるタイプを貫いてきました。

「やっぱり、これがないと調子が出ないのか」

 帯番組をはじめ、レギュラーの仕事をこなすのが主なので、必ずしも手帳で管理しなくても、スマホやパソコンのスケジュール機能で十分だろうと思ったのですが、やっぱりダメでした。紙に記入する行為がないと実感がわかない。利便性ではなく、むしろ面倒臭いことを求めているのかもしれません。一旦スマホに入力したものを、家で書き写す場合が多いのですが、すっかり文字を書かなくなってしまったいま、ほんの少しでも自分の字を見つめる時間は、相変わらず中学生のような文字に自分でもがっかりしますが、決して悪いものではありません。必要なのは、管理することではなく、自分自身を見つめる時間。 

 東京新聞で、かつて、「指にもご馳走を」というコラムを載せましたが、スマホやパソコンのキーではなく、革製のカバーや紙に触れることで、指先を刺激し、脳を活性化させる。それが、「人間らしい生活」なのかもしれません。

 完全にアナログだけの生活は困難ですが、もはや我々の生活から切り離せなくなってしまったデジタルと、アナログのハイブリッド・ライフがいまはちょうど良いのでしょう。モレスキンの手帳。まだまだお世話になりそうです。

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