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2016年10月09日

第676回「パブリックまでの距離」

 インターネットの普及によってもたらされた社会の変化はいたるところで見られるなかで、もっとも影響を受けたもののひとつに、「パブリックまでの距離」があげられるでしょう。といっても、公園までの距離が近くなったということではありません。この場合のパブリックとは、世の中との接点を意味します。そこにたどり着くまでの距離が、以前と比べて、格段に近くなったのです。

 たとえば、僕もお世話になっている、サウンドクラウド。このサイト上でアップすれば、自宅で作った曲がたちまち全世界でアクセス可能になります。プライベートか、パブリックか。部屋だけで響かせるか、世界に響かせるか。それを、ワンクリックで決められる。なんて素晴らしいことでしょう。

 本来であれば、作った曲をすぐに届けることはできません。レコード会社を介し、レコードなりCDなり、なんらかの商品にして、さまざまな工程を経て、市場に流通するもの。物理的にも、時間的にも、それなりの「距離」がありました。そういった、パブリックまでの距離をすっとばして、いきなり市場に流通させることができるのが、ネット社会。それは夢のようなことでもありますが、同時に、怖いことでもあります。

 この度、ノーベル賞を受賞した、「大隈氏」。お気づきになりましたでしょうか。実は、間違いがあります。受賞したのは「大隈氏」ではなく、「大隅氏」。実際、ネットニュースではこのような間違いが多く見られました。間違いやすいとはいえ、人の名前、ましてやノーベル賞受賞者。新聞だったらこんなことは起きないでしょう。一度ネットニュースとなるとこのようなことが頻発するのはまさに、「距離」が短くなってしまったから。紙媒体であれば、文章が読み手の目に触れるまで、書店に並ぶまで、いろいろな人たちがチェックしますが、書き手から読者へダイレクトに伝えることが可能になったネット社会は、本来チェック機能の役割をも担っていた「距離」がそぎ落とされてしまいます。さらに、鮮度が命のニュースとなると、事故率が高まるわけです。

 新聞で誤字脱字はありえないものという信頼こそありますが、ネットの記事は、あまり信用できません。それは誤字だけでなく、内容自体にもいえることでしょう。まさに、玉石混交。だから、読む側も、気をつけなければ事故に巻き込まれることになります。

 全員に発信力が与えられたネット社会は、教習所なき車社会と同じ。皆がいきなり公道にでるので、危険なのです。炎上してしまう原因のひとつは、中身云々よりも、マネージャーや管理者などのチェック機能が働いていないことにあります。勢い任せの発信ばあまりに危険なので、ブレーキの設置が必要なのです。僕がこのように、直接ではなく、管理者を経由することでパブリックとの距離を保っているのは、そのためでもあります。(誤字はよくありますが、、、)

 誰だって過ちは犯してしまうもの。明暗を分けるのは、そこに距離があるかどうか。パブリックまでの距離が近くなったことは同時に、危険も近づいたということ。それが、ネット社会なのです。一方で、パブリックまでの距離の大切さは、ほかにもあります。

2016年10月09日 18:09

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