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2016年04月10日

第654回「桜の木の下で」

「大丈夫ですか?」
 角をまがると、そこに、一人の女性が倒れていました。
「ちょっと、足を挫いちゃったみたいで…」
 見ると、膝から血がでています。
「大丈夫ですか?立てます?」
まるで腰を抜かしたように、地面から離れることができません。
「もしよかったら、どこかまで送りましょうか?」
それは、あたたかく、夏の日のような午後でした。

「すみません、迷惑かけてしまって」
「全然大丈夫ですよ、急いでないですし」
「本当に、近いところでいいですから…」
 ふたりを乗せた車は、近くの駅に向かいました。
「ここで、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!本当にありがとうございます!」
そういって、車を降りようとすると、膝が痛んだのか、彼女の表情がこわばりました。
「とりあえず、消毒しましょうか」
車は、近くのドラッグストアに向かいました。

「もしかして、屋根開くんですか?」
 ドラッグストアから戻ると、彼女は、車の天井を眺めていました。
「あ、そうなんです、一応オープンカーなんで。乗ったことあります?」
「え?ないです、ないです!」
「ちょっと、開けてみます?」
「え、いいんですか?」
彼女の目が見開くと、弧を描くように、車の屋根が大きく開きました。
「すごい!ほんとに屋根がなくなった!」
視界が360度広がります。
「ちょっと寄り道でもします?」
「寄り道?」
屋根のない車が、都会をすり抜けていきました。

「すごい開放感ですね!!」
彼女の言葉が、風に飛ばされていきます。
「今日はまさしくオープン日和ですよ!どこか、行きたいとこあります?」
「行きたいところ…なら、わたし、海を見たいです!」
「海?」
「はい、わたし、一度も海を見たことがなくて」
「え?一度も?!」
「はい、おかしいですよね…」
「そんなことはないけど、珍しいね。じゃぁ、行っちゃおうか」
車は、南へと走り抜けていきました。

「なんだか、空を飛んでるみたい!」
車は、いくつかのトンネルを抜けます。
「いまが気候的にもちょうどいいですよ」
「こんなに気持ちいいなんて、知りませんでした」
昔からの知人のようなふたりを、太陽が照らしています。
「さぁ、もうすぐかな…」
そして、遠くに海が見えてきました。
「わぁ!海だぁ!」
彼女は思わず声をあげると、潮の香りがしてきました。
「ずっと、見たかったんです、わたし…」
そういって、なにも言わずに眺めていました。車は、海沿いの道を走っていきます。
「なにか、飲み物でも買ってきましょうか?」
車は海を望む駐車場にいました。
「あそこにコーヒー屋さんがあるから、買ってきますよ」
「すみません、なにからなにまで」
水面が、キラキラと輝いていました。

「ねぇ、桜の模様になってるよ…」
カップを両手に戻ってくると、彼女の姿がありません。
「あれ?」
膝を痛そうにしていたのに、すぐに歩けるとは思えません。しかし、あたりを見渡しても、しばらく待っても、彼女の姿は見られませんでした。
「おかしいなぁ…」
 桜の花びらが一枚、シートに落ちています。どこかでまぎれこんだのでしょうか。結局彼女を見つけられないまま、車は再び海岸線を走りはじめました。
「どこにいったのだろう…」
 花びらが、風に舞い上がると、海のほうへと飛んでいきました。
夏のような、あたたかい午後のことでした。

2016年04月10日 17:33

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