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2015年02月22日

第604回「おそるべし、アジフライ」

「あのお店がいいんじゃない?」
 先日、両親と三人で温泉に行った帰り。箱根から近いということで、小田原の文学館に寄り、昼食をとることに。第一希望のお店があまりに混んでいたので第二希望で立ち寄った川沿いのお寿司屋さんは、カウンターはもちろん冠婚葬祭用の会場もある三階建と大きく、待つことなくテーブルにつくことができました。ここはやはり海の幸で旅を締めくくろうという意識が働いてか、海鮮丼を頼む流れができていました。
「じゃぁ、アジフライにしようかしら・・・」
 耳を疑いました。たしかに地域的には鯵が有名かもしれないし、海の幸といえば海の幸。だからといって、ここでそれいく?母の、まさかのアジフライ宣言に、戸惑いを隠せません。すかさずロープが張られ、現場検証がはじまりました。
 ときどき遭遇するのです。いわゆる、わざわざここでそれ食べなくてもいいだろ、という事件。地域の名産品よりも、純粋に食べたいものが勝る人。まるでイタリアで中華料理を食べるような。以前もこんなことがありました。
 DJメンバーで山梨を訪れたときのこと。イベントの翌日、温泉に向かう途中に立ち寄ったほうとう屋さんがありました。ほうとうは山梨の名物なので、その4文字を避けて通ることはできないくらい「ほうとう推し」の強い地域。揺らめくのぼりに惹かれて4人は古風なお店に吸い込まれていきます。
「お、馬刺しあるじゃん!」
などと、ほうとうありきでサイドメニューを選んでいたときです。
「じゃぁ、おれ、肉うどん」
 店中が、一瞬固まりました。ほうとうののぼりに誘われ、みんながほうとうを頼むなか、ひとり肉うどんを注文する男。
「どうして、肉うどんなんだよ!」
 たしかにメニューにはあるものの、これはしょっちゅう来られる人のため。ほぼはじめての山梨でどうしていつでも食べられる肉うどんにいくのか。散々みんなに批判され、ほうとう裁判が開かれるなか、ほうとうが3つ、肉うどんがひとつ運ばれてきました。
「どうしてほうとういかないかなぁ!」
 そんなことを思いながら、太い麺との格闘がはじまります。
「ねぇ、ちょっとスープだけ飲ませて」
 ほうとうを頼んだDJが口火を切りました。若干重たいほうとうに比べ、うどんのすする音に、DJたちの耳が反応しました。
「やべぇ!しみる!!」
 その言葉を合図に、うどんの出汁が全員の体内をかけめぐります。ほうとうチームのメンバーたちの間で、ここは肉うどんだったかもという後悔のような想いが蔓延しはじめました。イベントの翌日でアルコールの残った体には、こってりしたほうとうよりも、あっさり出汁のきいた肉うどんのほうが合うのでしょう。まさしく、体に染み渡る感覚。それから山梨を訪れるたびに、みんなが肉うどんになったことはいうまでもありません。
地域の名産の誘惑にも屈せず、普通の肉うどんを頼めちゃう人。マイペースというか、冷静な判断力というのか、そういう人がとてもうらやましい。
「はい、お待たせしました」
運び込まれた、ふたつの大きな海鮮丼と、どこにでもあるようなアジフライ定食。
「いやいや、ここでアジフライは・・・」
 しかし、キャベツの上に横たわるアジフライにソースがかけられると、たちまち口の中でよだれがこみ上げてくるのがわかりました。
「正解は、アジフライだったのか・・・」
 いや、違う。アジフライなんていつでも食べられるんだ。自分の判断ミスを認めたくないので、「この海鮮丼最高!」と執拗に言い聞かせる息子。
 その数日後、僕はスーパーのお惣菜やさんの前にいました。
「アジフライひとつ・・・」
 あのときのアジフライがよほどおいしそうに見えたのでしょう。思わず、買いに出かけました。しかもこのお店は、かつて「カキフライ」を注文したのに家で開けたら「アジフライ」がはいっていて、「俺様がアジフライを食べるわけないだろ!」と激怒した過去もあります。そんな僕がついに、率先してアジフライを買いにくる日がやってくるとは。そして、期待を裏切らない安定感。このままでは、「なめろう」のお店で「アジフライ」を頼んでしまうかもしれません。それにしても、アジフライ、おそるべし。


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2015年02月15日

第603回「染まってしまった男」

 ちょうど600回を迎えるあたりから、この「週刊ふかわ」にひとつの変化があったのですが、お気づきになりましたでしょうか。これまでと違う点、それは、原稿を書く際のノートパソコンがMacになったこと。 WindowsからMacに変わったのです。そんなこと気付くわけないというのが一般的なリアクションですが、僕の性格を理解してくれているファンの方であれば、理屈は想像できるでしょう。気候や風土の違いがワインの味に影響を与えるように、環境の変化で週刊ふかわの味も変わるのです。
  iPhoneこそ使用していたものの、なかなかWindowsを離れられなかった要因のひとつは、そこまで手を伸ばしたら、性格まで変わってしまいそうな気がしていたから。上京して東京に染まってしまった人に対する「あいつ、変わっちゃったな」という目。人間としての大切ななにかを失ってしまうのではないだろうか。そんな妄想が、Macユーザーになる気持ちにブレーキをかけていました。
  しかし、制作意欲の維持のために適度にパソコンを買い換えているのですが、今回のタイミングは、どんなに贔屓目に見ても、Windowsコーナーに欲しいパソコンが並んでいない。かつてはあんなにわくわくさせてくれたVAIOにさえ、もはや心を揺さぶってくれるものがないのです。それで、一抹の後ろめたさを抱きながらレジに持って行ったMac Book Airの一番小さいサイズはいまのところ、とても快適で、オープンカーを購入した時に似た、もっと早く買っておけばよかったという気持ちさえ芽生えました。
  捨てられない箱、計算されたデザイン。指の感触。ひとつひとつ、細部にまでこだわりが見えるアップル製品の素晴らしさは、今更ながらラジオでも何週にも渡って語ってきましたが、もうひとつ大切なことがありました。それは、コーヒーが美味しいことです。
  独断と偏見で申し訳ないのですが、VAIOのノートパソコンで原稿を書いているときに飲むコーヒーよりも、Mac Book Airでカタカタしながら飲むそれのほうが、格段に美味しい。WindowsよりもMacのほうが、コーヒーに合うのです。スタバで作業している人たちのほとんどがMacであるのはそのためなのかわかりませんが、このコーヒーが美味しいかどうか、というのは非常に重要な尺度なのです。このことに関しては、またラジオでお話ししましょうか。ちなみに、Windowsに合うのはいまのところ、辛口のジンジャーエールか、豆乳です。
  僕はすっかり染まってしまったのでしょうか。内側にはいってしまうと気づかないように、大切ななにかを失ってしまったことに気づいていないのでしょうか。でも、失っていないものもあります。それは、国内製品への期待。こう見えても、ウォークマンで育った昭和の男。曲を作る際はいまでもWindowsにお世話になっています。いわばそれが最後の砦。それさえもMacになってしまったら、僕はもう、「東京」から帰ってくることはないのでしょう。僕が「地元」に戻るかどうかは、日本のメーカーの力量にかかっているのです。

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2015年02月08日

第602回「ロータスのビスケットを食べながら」

 この時期になると、続くとか続かないとか、はじまるとか終わるとかの話がちらほら聞こえてくるように、この世界にいる以上、改変の波を回避することはできず、季節の変わり目、とくに年度の変わり目は若干、意識を持って行かれてしまいます。

  気にならないといえば嘘になりますが、だからといって続かないことに対して反発や苛立ちを覚えることもありません。それは年齢的なものなのかもしれませんが、そもそも、なにも保証されていない世界ですし、そんな不安定さに憧れていたわけですから。すべてが終わったとしても、それはそれとして、新たな世界のはじまりとなるだろう、なんていまだに独身だから言えるのでしょうか。いずれにしても、自分に嘘をついてまでしがみつきたくないと心に決めたのも今は昔。一生とか永遠を目標にすると、ろくなことはないのです。

 だからといって、このラジオ番組が4年目に突入することに感情が芽生えないかといえば、もちろんそういうことではなく、まさしく朗報。とても嬉しいのです。終了を知らされた心境は、どこか社会に必要とされていない、まるで捨てられたかのような印象さえ受ける分、継続の知らせは社会的な役割を実感できるもの。しかし、この番組に関しては、単純に続けられて嬉しいという感覚。おいしいカフェに通い続けられる喜び。だから「きらクラ」の終わりは、行きつけのカフェが閉店してしまうような寂しさ。
 幸運にもそれはこの番組に限らず、ほかの番組においてもそう。内容自体に快楽が伴っているから、できることなら続いてほしいけれど、終わるときは、必要とされていないというよりも、行きつけの定食屋がなくなってしまい、じゃぁこれからどこに食べに行けばいいんだという感覚に陥るのでしょう。

 パートナーの遠藤真里さんをはじめ、素晴らしいゲストの方々との出会いは、お金を払って獲得できるものではありません。本当にかけがえのない財産。そしてスタッフのみなさん。随所に感じられる「NHKらしさ」はいまのところまったくストレスになっていないのは、僕が大人になったからでしょうか。優秀なスタッフとの出会いや運も含めて、タレントの力量なのでしょうね。

 そしてなにより、リスナーのみなさん。感性豊かな言葉と素敵な音楽、そして笑い声。とても心地よい音が浮遊する日曜の午後。クラシック好きのみんなが一堂に会す、あの空間がとても好きです。ロータスのビスケットを食べながらコーヒーを飲むひととき。このカフェが3周年を迎えられたことに感謝して。

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2015年02月01日

第601回「ドレスコードは羊です」






 



 東京での今年2度目の降雪は年始のそれに比べてかなり大粒で、冬もいよいよ本格的となってきましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。この週刊ふかわも無事に600回を迎え、これもひとえに筆者の努力の結晶かと思われます。つきましては、節目となるこの600回を祝して、イベントを開催することとなりました。これまで輪郭をぼやかしてきましたが、今回、具体的かつ正式に発表したいと思います。



 来る2015年3月22日(日)。14時より、永福町のsonoriumというホールにて、「フーマンの日曜日」というイベントを開催します。白い壁とグランドピアノ。そこに、フーマンがやってきます。



 表向きは、週刊ふかわ600記念となっているのですが、みなさん覚えていますでしょうか。以前触れた、僕が600回記念にやりたいこと。そうです、「褒めてもらう日」。それがこの日になったのです。3月22日は、みなさんが褒める日。だから、ここに来る人たちは、お手並み拝見ではありません。我が子を見守るスタンスで、暖かな目で座ってもらいます。



 ましてやフーマンは、ピアニストではありません。風とマシュマロの国からやってきた、羊とピアノを愛する男。ピアノを愛してはいますが、人の前では弾きません。羊たちの前でしか、ピアノの前に座らないのです。勘のいい方ならもうおわかりでしょう。みなさんは、羊。グランドピアノを囲む羊たち。そう、ドレスコードは羊なのです。



 だからといって、ハロウィン・パーティーのような、本格的な羊で来る必要はありません。仮装パーティーではなく、あくまでピアノ発表会。風紀を乱すほどの過度な羊は、容赦なくつまみだします。ふわふわ、もこもこ。あくまで羊っぽい格好。自分なりの羊らしさ。ワンポイント・シープ。フーマンは羊たちに草をあげていましたが、おとなしく聴いていたら、なにか与えてくれるかもしれません。



 あと二ヶ月を切りました。きっと、毎日練習していることでしょう。久しぶりにハノンを開いたとか。どんな日曜日になるのでしょうか。フーマンの日曜日。素敵な日曜日の午後になりますように。



 



 



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