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2009年04月26日
第358回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第四話 風の見える場所
いくつもの街を通過するうちにすっかりポルトガル語での挨拶にも慣れてきました。最初は不審な目を向ける人もひとこと「ボンディア」と声を掛けると笑顔になります。それはまるで心の扉を開ける魔法の言葉。普段膨大な量の日本語を使っていながらおそらく最初のほうに身につけたであろう挨拶の言葉をあまり使わないのはとてももったいないことかもしれません。ちなみに「こんにちは」は「ボアタールデ」、「こんばんは」は「ボアノイテ」になります。
実際ポルトガル語との出会いがこのタイミングかというとそうではなく、もっと昔、それこそ小学生のときかもしれません。というのも、ボサノバが好きだったからです。父の部屋にあったレコードを勝手にターンテーブルに載せては「イパネマの娘」などを聴いていたので、無意識にポルトガル語が注入されていったのです。だからいまでも有名なボッサナンバーは意味こそわからないもののポルトガル語の歌詞が頭にはいっています。「イパネマの娘」はGarota de ipanema、「三月の雨」はAguas de marco、「おいしい水」はAgua de beber。「de」が英語の「of」であることがわかりますね。好きなことだとストレスなく自然に覚えられるものです。
ボサノバはブラジル音楽ですが、なぜブラジルがポルトガル語かといえば、世界史で習ったと思いますが、大航海時代にさかのぼります。帝国主義の国々が富を求めて世界へ航海にでていた時代、ポルトガルは未開の地ブラジルを訪れ植民地化しました。いまでいう南米のそれ以外の地域はスペインが征服し植民地化したわけですが、スペインが原住民をほぼ壊滅させたのに対しポルトガルは原住民との共存を選択しました。だからブラジルには白人と黒人の混血が多いのです。僕が最初ポルトガルを訪れて南米っぽいと感じたのはそういう意味では当たり前なわけで、中国を訪れて「ここ中華街っぽい」というようなものなのです。ちなみに日本でもなじみのある「金平糖」はポルトガルの「コンフェイト」。「カルタ」や「カステラ」「ボーロ」などもポルトガル語です。「うんともすんとも」の「ウン」「スン」もポルトガル語から来ているという説もありますが、意外なところで僕たちはポルトガル語と接しているのです。
相変わらずオリーブ畑は続き、緑の草原をなでるように風が通り抜けていきます。ピクニックをしているようにのんびり寝そべっている牛や羊たち。同じ羊でもアイスランドのそれとは種類が違うようで、アイスランドの羊がふわっと丸みがあるのに対し、ここの羊はスマートで毛の密集率が高そうに見えます。ふわふわパーマとパンチパーマといったところでしょうか。
ポルトガルは大きく6つの地方に分かれていて、いま僕がいるのはアレンテージョと呼ばれる地方。オリーブやコルク樫の緩やかな丘陵地帯はこの地方の代名詞で、絵画のような風景がいつも気持ちを落ち着かせてくれます。大きな観光名所ではなく、通過点に目にする光景に心を奪われます。なにもない草原に飛行機のように大きな水撒き機があったり、映画「ミツバチのささやき」にでてくるような廃墟が平原の中にポツンと現れたり。たしかに子供だったら秘密基地として最適な場所です。波のように輝く草原と色褪せたコンクリート。それらがまざりあう光景はなんともいえない美しさを醸し出しています。そんな、風が作り出した景色がアレンテージョにはたくさんあります。それを風景と呼ぶのでしょう。ここは、風が見える場所なのです。
そうこうしていると標識に目的地の名前が現れました。もうすぐかと思うと胸が高鳴るのがわかります。標識を見落とさないよう注意を払いながら車を走らせているとオリーブ畑のずっと向こうにそれらしきものが見えてきました。ゆっくりと大きくなって近づいてきます。そして推測は確信にかわりました。異様な光景です。なんだかアニメを見ているようです。それは、モンサラーシュという村でした。
「時代の流れから取り残された村」
ガイドブックの言葉はすぐに僕の心を捉えました。山の上に位置するその村はポルトガルでもっとも美しい村としてあげられる場所。まるで下界の町の生活から取り残されたようなこの村には、日暮れ時と遅めの朝に沈黙の音がするという。こんなことを書かれたら行かずにはいられません。沈黙の音とはいったい。この村を訪れたいということが、今回ポルトガルを選んだ理由のひとつでもありました。でもあまり期待しすぎないよう、平静を保ちながら坂道をあがっていきます。一気に空が近くなり、さっきまで走っていた平原が眼下に見えてきました。やがて道が終わりエンジンを止めるとあたりは静まりかえっています。
「ここか…」
目の前に茶色い城壁が左右に広がっていました。この中に、モンサラーシュの村が存在するのです。人の気配がありません。この壁の向こうに人々の暮らしはあるのでしょうか。門のほうに向かうとそこから少しだけ中の様子が見えてきました。ラバーソウル越しに石畳の凹凸が伝わってきます。そして必要最低限の荷物だけを手にした日本製の体が門を通過していきました。
2009年04月19日
第357回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第三話 オリーブと太陽と白い町
6月から9月までが乾季のポルトガルは秋から春にかけて雨が多く不安定だとガイドブックに書いてあったのでしっかりスーツケースに入れておいた折り畳み傘やレインコートに申し訳ないくらいの青空が広がっていました。雲ひとつなく、太陽が燦燦と輝いています。温度計は28度を指していました。
「なんだあれ…」
高速道路に乗ってすぐの橋を渡っていると左手に背の高い像が見えてきます。なにも知らなくてもシルエットだけでなんとなくわかりました。太陽に照らされたキリスト像。両手を広げてリスボンの街を見守っています。ポルトガルは国民の97%がカトリック信者なのです。
それにしても噂では聞いていたものの、皆スピードがはやいです。120キロ以上で走っている車も珍しくありません。もしかするとヨーロッパで売られている日本のガイドブックには、「この国の運転はのんびり」と書いてあるかもしれません。右側通行で高速道路は3車線ですが一番左が追い越し車線なので日本とは逆。たしかに物凄いスピードで通り過ぎて行く車もたまにありますが、量自体少なくそれこそ日本の首都高で訓練された僕にとってはとてもわかりやすく安全快適で、また数十キロおきに「エリア・ジ・セルビシオ」いわゆるサービスエリアもあり、形態こそ違うものの日本と同じようにのどかで幸福な雰囲気が流れています。こうして、日本から抱えてきた多くの不安は時間とともに解消されていったのです。
車窓からあっというまに建物の姿はなくなり地平線に向かってのびるアスファルト以外は一面緑色の平原で覆われました。きみどり色と濃い緑のコントラスト。小さく丸みを帯びた木々が列をなしている光景は童話の世界にいるようです。オリーブ畑、コルク樫、牧場、それらがゆっくりと車窓を通過し太陽だけが僕の車についてきます。時折訪れる緩やかな起伏と曲線。背の高いものがないからそれだけ空が大きいです。アイスランドのごつごつしたダイナミックな自然と違って、ここにはかわいらしく穏やかな自然がありました。
「ここで降りるのかな…」
高速道路を降りるとさっきまで遠くに見えていたオリーブの木々がすぐ両脇に並びはじめ、信号のない道がまっすぐに伸びています。信号も電柱もない道を、僕はある場所を目指して走っていました。今日のメインディッシュではなく前菜のようなところでしょうか。しばらくして目的地の文字が記された看板を通過します。ポルトガルでは街や村の入り口に看板が立っているようです。こうした看板が上になく地面に立てかけられていることも空が広く感じられる要因のひとつでしょう。空を奪うものはなにもないのです。
「これか…」
丘の上にまぁるいスタジアムのようなものが見えてきました。頂上の茶色い城壁から白い世界が広がっています。それは、アライオロスという小さな町でした。町と言うべきか村と呼ぶべきか、車一台が通れるくらいの石畳の道とその両脇に並ぶ白い家々。家といってもいわゆる戸建というよりは白い壁にただ玄関と窓がついているだけ。それぞれの壁には水色だったり黄色だったりラインがはいっていておもちゃの町並みです。ここでは絨毯のお店が多く、白い壁にカラフルな毛織の絨毯がかかっているかと思えば、それとは対照的に黒い衣装をまとったおばあさんが石畳をのんびり歩いています。
白い迷路のようなその町は、丘の上から放射線状に階段がのび、どこからでも城壁まであがることができます。階段をあがっていくとそれまで見えなかった家々の茶色い屋根が見えてきました。青い空と白い家、茶色い屋根とオリーブの緑。ぶつかり合うものはなにもありません、すべてが調和しています。ラジオが流れているのか、どこからか音楽が聞こえてきました。カフェのテラスでお茶をしている人たち。木々のまわりで遊ぶ鳥たち。僕は絵本の中にいるのでしょうか。アライオロスではゆったりとした時間が流れていました。
前菜をおえると本日のメインディッシュへ向かいます。車もほとんどない一本道に時々小さな街が現れてはそのかわいらしさに車を降りて散策したくなります。また交差点、といっても信号はなくロータリーのような場所で曲がるポイントを誤って道に迷ってしまうことがあるのですが、それも嫌ではありません。なぜなら会話をする機会ができるからです。ここでは道を尋ねられて一瞬でも嫌な顔をする人はいません。紙に書いたり途中まで送ってくれたり。なんだかみんな教えたくてしょうがない感じです。リスボンから離れれば離れるほど彼らの言葉は温かみを増し、離れれば離れるほど英語を耳にしなくなるのですが、言葉はわからなくても、声のトーンや身振り、表情などでなんとなく想像できたりするものです。それに、理解できなくてもいいのです。彼らのやさしさを感じられればそれでいいのです。
「じゃぁ途中までいくからついておいでよ」
「え、いいんですか?」
もしかするとこの国では地図はいらないのかもしれません。Tシャツ一枚になった日本人となかなか話をやめない現地の人との触れ合いを太陽とオリーブの木々が見守っていました。
2009年04月12日
第356回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第二話 リスボンの街
目が覚めるとカーテンの隙間から光が差し込んでいます。日本との時差は9時間なのでポルトガルの朝7時は日本の夕方4時。いつもなら時差ボケと興奮で夜中の3時くらいに目を覚ますのにいろいろな疲れからかちょうどいい時間の起床となりました。
旅行中は欠かさないホテルの朝食は案外期待に応えてくれて、ハムとかベーコンとかソーセージとかいわゆるアメリカンブレックファーストな朝は僕の気分を穏やかにしてくれました。意外だったのは大抵このタイミングで日本人が数組登場したりするのだけどまったく見かけなかったこと。この国があまり日本では注目されていないからかもしれません。ちなみに日本からの直行便はなく、ヨーロッパのどこかで乗り継ぐことになります。僕はドイツのミュンヘンでしたが。また、仕事で世界中を飛び回っていた父は過去にこの街を訪れたことがあるそうで、僕はそのDNAに動かされているのかもしれません。
そもそもポルトガルというとどんなイメージでしょうか。鉄砲伝来とかヴァスコ・ダ・ガマだとか歴史の教科書にもその名は登場しましたが、場所すらわからない人も少なくないでしょう。ヨーロッパ大陸の南西端イベリア半島のスペインの西。ミュンヘンを基点としたら右からドイツ・フランス・スペイン・ポルトガルという風に並んでいるわけです。国土はとても小さく日本の四分の一、人口は10分の一程度。たしかにエッフェル塔やヴェルサイユ宮殿のようなわかりやすい観光名所もないため、日本でそのことを口にしたりポルトガル行ってきたよという人には滅多に出会いません。そもそも観光名所を基準に旅をしないのでそれは別にかまわないのですが、今回この国を選んだ理由のひとつに、意外な発見があったのです。
「え、こんなに?」
数年前のこと、例によってお正月を海外で過ごそうといろいろな国のガイドブックを見ていると、他の国に比べそれほど分厚くないポルトガルのガイドブックの最初のほうにある折れ線グラフが東京のそれや他のヨーロッパ諸国のそれよりも高い位置にあったのです。ヨーロッパの冬はどこも寒いという印象が強かったのだけど、ポルトガルに関してはとても温暖で一年中穏やかな気候なのです。日本にとっての沖縄のようなものでしょうか。だからなんとなく目星をつけていたのです。でもそれだけではわざわざ休みをとって行く決め手にはなりません。温暖な気候ともうひとつの要素、それはまた旅の途中にでも話しましょうか。いずれにしてもどうしても行きたいという場所ではなく、もし行くならここかなくらいだったので行く直前まであまり気が進まずアイスランドのように足取りも軽くありませんでした。そんな感じで訪れるとやはり視点もネガティヴになってしまいます。なんか違うなぁと。そんな僕の心境に変化が訪れたのは、ホテルをチェックアウトする時でした。
アイスランドで味を占めた僕は海外で車を運転することが当たり前になり、レンタカーを事前に予約していました。営業所の場所がまったくわからなかったものの、ホテルの人に訊けばいいかと高を括っていたのです。
「ん?レンタカー?」
しかし、フロントのメガネを浅くかけたおじさんはどうやらピンとこないらしくなにやらぶつぶつ言って奥へ行ってしまいました。面倒くさいことを訊いてしまったと申し訳ない気持ちでいると彼が戻ってきました。
「住所がこれだから場所はおそらくこの通りの・・・」
パソコンでプリントアウトしたレンタカー会社の資料と営業所までの地図、大事なところには蛍光ペンでマークがされています。電車で行く場合、タクシーで行く場合、歩くと結構あることなど、丁寧に説明してくれました。この程度のことは日本のホテルでも珍しくないかもしれません。でもなんか違うのです。「うちのホテルはサービスが行き届いているでしょ?」じゃなくたまたま遭遇した街のおじさんに教えてもらうような印象。サービスという感じではないのです。
「オブリガード」
はじめてポルトガル語を実践した瞬間です。そういえば日本語の「ありがとう」と少し似ています。ちなみに「どうもありがとう」と言いたいときは「ムイトオブリガード」。今回の旅でどれだけこの言葉を発することになるか、このときの僕はまだ知らずにいますが。
「親切な人だったなぁ」
ホテルの外観がいつものデジカメに収められるとオレンジ色のスーツケースが石畳の上をガタガタと音を鳴らしていきます。時間には余裕があったので散策がてら歩いて向かうことにした僕の目の前でいきなり車がとまりました。タクシーではなく普通のクルマです。一瞬運転手と目が合ったもののわけがわからず視線を逸らすと車は僕の前を通過していきました。
「もしかして、いまの…」
歩道にいる僕を見かけて彼は横断させようと車を停めたのでしょう。車の通過を待ってから渡るのがあたりまえだった僕にとってわざわざスピードを緩めて横断させる運転はとても新鮮に映りました。ポルトガルの人はもしかするといつも人のことを考えているのでしょうか。自分のことでいっぱいではなく、人のことを気にする余裕があるようです。
「こっちでいいのかな」
不安な顔をした日本人がリスボンの街を彷徨っていました。いくら住所と地図があっても、やはりはじめての地では距離感がつかめず思うようにいきません。僕は覚えたてのボルトガル語「ボンディア」と「オブリガード」を武器にいろんな人に道を尋ねました。まだ都会なので英語が通じる確率も高く、挨拶だけポルトガル語であとは英語に切り替わってなんだか3ヶ国語を操っているかのような錯覚にもなります。なにを言っているかわからないのにわかったフリをしたり、数十メートルおきに声をかけたり。見覚えのある場所がないから実際にその場所にたどり着くまで安心できません。たかがレンタカーに着くまでにどれくらいの人にお世話になったことでしょう。でも、どの人も面倒くさがることはなく親身になって教えてくれます。やはり心に余裕があるのでしょうか。人の親切に触れられることが嬉しくて道を尋ねることが楽しくなってきます。世界は旅人にやさしい、旅をすると人のやさしさに触れることができる。海外にいくといつもそう感じます。困っている人がいたら助けてあげる、こんな当たり前な人間関係も日本では希薄になっているかもしれません。ホテルを出てから45分。レンタカーにたどり着いた青年は、ポルトガルという国、そしてポルトガルの人たちを好きになりはじめていました。
「じゃぁゆっくり話しますね」
カウンターの女性は僕のためにゆっくりと英語を話してくれます。ちなみにポルトガルではあまり日本車はなく、またなにも言わないとマニュアル車になってしまいます。異国の地で慣れないマニュアルよりは値段に差がでますがオートマを選びました。そして、日本ではあまり見かけない車に乗った僕は、やや緊張した面持ちでリスボンの街へと繰り出します。
路面電車やケーブルカー、坂道や港、石畳、そこにはイメージどおりの光景がありました。でも、そんなリスボンの街に僕はまったく興味を抱きません、というと語弊があるかもしれないし結構写真も撮りましたが、僕が行きたいのはこの観光客であふれるリスボンの街ではなかったのです。車はハイウェイに吸い込まれていきました。
2009年04月05日
第355回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第一話 色褪せた街
そのときの僕はどこか憂鬱な気分でした、というと大袈裟かもしれないけどたしかに胸は弾んでいませんでした。それは乗り継ぎを含め20時間もかかったことや持ち前の荷物の多さからくるものではありません。まさにいま乗っているバスのせいです。なにを急いでいるのかやたらと飛ばすし公共の乗り物とは思えない荒い運転。手すりに掴まって両足に力をいれていないと立ってられないし掴まってもぶんぶん振り回されます。窓を流れる風景も、古い建物を残しているというよりは風化した建物ばかり。街灯も少ないからなんだか荒廃したスラム街にでも来てしまったかのよう。それでもこの国に対する期待が大きければすべてプラスに解釈できるのだけどまだ好きにもなっていない未知数の段階では期待よりも不安が勝ってしまいます。急停車するたびリュックに体を持っていかれ不安定な気持ちがさらに揺さぶられます。いったいどこを走っているのかこのバスであっているのかもわからないままアコーディオンのあそこみたいなもので強引に2台のバスをくっつけた巨大なバスは色褪せた街の中をものすごい勢いで進んでいきました。
なんとなく直感で降りた場所は決して的外れではない気がしたのは目の前の広場の中心に背の高い塔が立っていてここが中心部でないわけがないという雰囲気が漂っていたから。軽いバス酔いをしてしまった僕は再び地図を広げてホテルの位置を確認します。
「コカインどう?」
それがこの国での最初の会話。はじめはなんといっているかわからなかったけどすぐにそれだとわかりました。地図にスーツケースという絵に描いたような観光客は彼らにとって格好のターゲットなのでしょう。夜遅いせいもあり歩いていると何人も近づいてきます。本当に治安はいいのだろうかとガイドブックの言葉が信用できなくなってきたとき、赤いネオンで光るホテルの文字が見えました。
「朝食は朝7時から1階のレストランです」
ほかに誰もいないフロントで一言も現地の言葉を使わずにチェックインを済ませると0階から2階へとエレベータはあがり薄暗い廊下を抜けて部屋の扉を開けました。ルームカードを差すと蛍光灯の音とともに固そうなベッドが現れます。綺麗ではあるもののどこか20年前のような内装。シャンプーはあってもリンスはなく日本のホテルでは捨てているであろう段階のタオル。なんだかヨーロッパにいると言うよりもどこか南米っぽい感じ。この色褪せた世界は僕の気分を重くさせました。まったく弾まないベッドで仰向けになる僕の口から深い息がこぼれ天井のあたりで雲のようにぷかぷかと浮いています。この国を選んで正解だったのだろうか、いい旅ができるだろうか、そんな自問自答を頭の中で繰り広げる日本人の部屋からまもなく明かりが消えます。こうして、ポルトガルでの最初の夜は過ぎていきました。