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2008年07月27日

第325回「シリーズ人生に必要な力その10休暇力」

(今回は少しボリュームがあるので、余裕のあるときに読んでください)

 日本人の労働時間の長さは世界で第6位だそうです(更新されているかも)。一時に比べて順位は下がったものの、おそらく韓国などに抜かれただけで、労働時間がさほど減少したわけではなく、サービス残業などを考えると実質的にははむしろ増加しているのかもしれません。満員電車に揺られ、階段を上り下りして乗換えをし、駅から一斉に会社に向かうサラリーマンたちの光景は、列をなして進む働きアリたちのようです。これはこれで悪いことではなく、これまでの日本経済を支えてきた、勤勉で真面目な日本人の象徴といえるでしょう。
 しかしその反面、日本人が怠ってきたことがあります。働きすぎておろそかにしてしまったこと、それは「休むこと」です。働くことに関しては優秀なのですが、このことに関してはあまり上手じゃないようです。休むことに対してどこか悲観的で、休んじゃいけないのではないか、遅れをとってしまうのではないかと、恐怖心すら抱いてしまいます。しかしそれはケータイを充電しないようなもので、ある程度休まないと体は動かなくなり、そればかりか心も動かなくなってしまいます。しっかり仕事をするためにしっかり休まなくてはならないのに、心の休息を怠っていると、ストレスだとか胃潰瘍、さらには取り返しのつかないことになりかねません。そのあとでいくら会社や国を責めたところでもう遅いのです。生活のための労働のはずが、労働のせいで人生を狂わせてはまさに本末転倒。だから、働くことと同じだけ、休むことは大切なのです。後者を軽視している会社、世の中は間違っていて、いずれ必ずどこかで破綻します。満足のいく休息が仕事に大きく反映され、それが会社全体、そして社会全体に反映されることを信じなくてはいけないのです。「成功する人ほど、休んでいる」のです。
 なんとなく頭の中でわかっているのに、なぜ休むことができないのでしょう。カレンダーどおり、もしくはそれ以下しか休めない、思いっきり休暇をとることができない。それは多少、国民性もあるでしょう。島国であるから、基本的に皆と同じであることが大事にされ、一人だけ休むことに抵抗があるのです。戦後の名残もあるでしょう。日本という国を建て直さなきゃ、という思いがまだ続いているのです。また、辛いことに慣れてしまっているところも実際あると思います。「ったくまいっちゃうよ」という愚痴が酒の肴であるような。つまり日本人全体がM体質なのです。その一方で、最近の若者は平気で休む、というのを聞いたことがあります。休むことに対する抵抗が徐々に減りつつあるのです。しかし、ただ休むならいいものの、なんでもすぐに辞めてしまう若者も増えているそうで、そういう意味では、上手に休みをとっているとは言い難いものがあります。
 結局の所、日本人の休み下手の一番の原因は、「働かなければならない」と思っているところにあるのです。
 では、そのことを掘り下げる前に、他の国の人々はどうなのでしょう。諸外国のあり方が必ずしも正しいわけではありませんが、参考までに見てみると、たとえばドイツでは、ここ20年で労働時間に劇的な変化が見られています。かつては日本と同等だったのが、いろいろな努力の末、いまや年間でみると日本人より500時間も少なくなりました。また労働時間貯蓄制度というのがあり、働いた時間をいわゆるポイントにして休暇に変換することができるのです。それは「休むこと」の大切さに気付き、積極的に「休暇」を取り入れていることの表れでしょう。 
 そもそもヨーロッパでは夏休みやクリスマス休暇をたっぷりとって家族と過ごす時間がたくさんあります。日曜日や夜遅くは当然のように店が開いてなく、午後の昼寝であるシエスタが社会的に認められている国もあります。休むことは決して悪いことではなくむしろ必要なことで、そんな闇雲に働かなくたっていい、ということなのです。労働に人生のすべてを捧げていないのです。
 それに比べて日本人はどうでしょう。働くことに捧げすぎているのかもしれません。確かに働くことは大切です。働く喜びもありますし、社会で生活している以上、社会になにか還元することも必要です。豊かな暮らしをするためにはある程度のお金も必要です。けれど日本人は、人生のほとんどを仕事に費やしてしまい、人間らしさ、自分らしさを見失いがちなのです。仕事で埋め尽くされた人生の隙間をどうにか自分や家族の時間に割り当てるという慣習が様々な悲劇を生んでいるのに、そのことを他人事のように扱ってしまう。日本人全員が、心の豊かさや家族の時間をもっと大切にするようになっていれば、悲しいニュースはこんなに多くなかったはずなのに、いつも経済的・物理的な豊かさばかりを求めてしまう。日本人は、「豊かさが偏っている」のです。
 人の暮らしの豊かさは、数字で表せることだけではありません。むしろ数値化されていないものが減少していることをもっと悲観したほうがいいのです。貯金をするだけして終わるような人生ではせっかくの命がもったいないのです。
 でも、そんな休んでばかりいては国の経済がうまくまわらないよ、と思うかもしれません。しかし、僕たちは国の経済のために生きているのではありません。経済は僕たちの生活の中の一側面でしかないのに、なぜか経済が豊かでないと世の中すべてがうまくいっていないかのような気分になってしまう。ガソリンが数円あがったことがこの世の終わりかのようになってしまう。たしかに、そのことを軽視することはできません。だからといって、それだけがすべてではないのです。経済が破綻しても、世界は終わりません。むしろ悲劇は、経済的な豊かさを追求した結果生まれているのです。メディアに踊らされているのです。
 では、結局どうしたらいいのでしょう。日本人はどうしたら心の豊かさを取り戻すことができるのでしょう。それにぴったりのアイデアがあります。それは「週休3日制」です。個人的には週休4日でもいいと思うのですが、段階を踏みます。
 「なんだよ、意外と普通じゃないか」と思うでしょう。ただ、週休3日といっても金土日じゃないのです。休むのは土、日、月なのです。仕事は火曜日から金曜日で土・日・月がお休み。というのも、金曜日はすでにいいイメージがあるので、それを休みにしても弱いのです。インパクトをつけるなら、一週間のはじまり、最悪のイメージをもつ月曜日を休みにするのです。ここがポイントなのです。満足のいく3連休を毎週とることで、残りの4日に集中して仕事ができます。現代社会は、4日働いて3日休む、これを常識にするのです。おそらくデメリットは、サザエさんの視聴率が落ちるくらいなものです。
 そしてもうひとつ、これはあくまで僕の理想論ですが、海外旅行休暇を設けるのです。人生に一度だけ、海外旅行をすることができるのです。20歳でハワイでもいいし、40歳でパリでもいいのです。そんなこと勝手にやればいいだけで制度にすることじゃない、と思うでしょう。ここでのポイントは、国がお金を払うということです。政府がスポンサーなのです。国民は、一生に一度、好きなところに旅行ができる、そんな国があってもいいじゃないですか。資金なんてどうにかなるものです。この海外での経験はいかなる補助金よりも価値あるもので、それは一生使える人生の糧であり、エネルギーになるのです。さらに心身ともに強くなることで医療費の個人負担も減少するはずです。休むことを恐れず、休むことで湧いてくる力を信じていいのです。
 文明が発達したことで、人間は効率よく仕事を行うことが可能になりました。しかし、それによって空いた時間がほかの仕事で埋められてしまっては、いったいなんのための効率なのかわかりません。僕たちが機械ならまだしも、人間です。それを絶対に忘れてはいけないのです。昔の人に比べていろんなことが何百倍ものスピードで行えるようになったにも関わらず、僕たちは自由な時間を全然手に入れていない。じゃぁいったい文明ってなんなのでしょうか。そのことに気付いているのかいないのか、僕たちは自由な時間を作ろうとしない。なぜなら欲望があるからです。経済的、物理的欲望に邪魔されているから永遠に心が満たされないのです。
 僕たちが普段住んでいる家やマンションを建てる際には、まず周囲に足場を組みます。その足場があるからこそ、生活の拠点となる家を作ることができます。それと同様に、世の中という大きな家を作る際にも足場が必要です。戦後、焼け野原から都市をつくるのは相当の努力を要したでしょう。あれから数十年たったのち、僕たちの周囲には「社会」という立派な家ができあがりました。あとは足場を撤去すれば当分の間快適に住めるはずなのに、人々はまた建て替えようとしてしまう。節目節目でリフォームするだけでいいのに、欲望に押されて新しい家を欲しくなってしまう。だから、いくら働いても時間が足りないのです。それではいつまでたっても豊かな生活なんて訪れやしません。だからもう、求めなければいいのです。みんなが助け合って生きていける家は出来上がっているのだから、その家で満足すればいいのに、また求めてしまう。それでお金が必要になってしまう。贅沢にお金はかかっても、心の豊かさにコストはかからないのです。
 人はもともと人間らしく生きたいはずです。人と触れ合いたいという本能があり、人にやさしくしたいはずなのです。なのに、別の欲望でかき消されているのです。だから、人間らしく生きたいという本能を目覚めさせ、経済的物理的欲望をそれが上回ればいいのです。そのためにはまず労働から離れ、自由な時間を取り戻さなければならないのです。たっぷり休暇をとることなのです。そうすれば皆、心にゆとりができ、やさしさが生まれます。いろんな人に、いたるところにやさしさが生まれ、そのやさしさは愛となって地球全体を包みこむのです。休暇力とは、愛を生む力なのです。そうなってはじめて、人類は本当の豊かさに出会うのでしょう。だから人生には、休暇力が必要なのです。

P.S.:
8月24日(日)15時〜名古屋星野書店 近鉄パッセ店にて「ジャパニーズ・スタンダード」のサイン会を行います。

1.週刊ふかわ | 09:53

2008年07月20日

第324回「シリーズ人生に必要な力その9締め切り力」

 これまでいろいろな力を紹介してきましたが、今回は少しタイプが異なります。というのも、これまでのそれは自分の中にある力でしたが、今回はそうではなく、自分の外にある力です。岩を持ち上げるテコのような、外部から働きかける力なのです。
 一般的に、「締め切り」という言葉はあまりいい印象を受けません。原稿の締め切り、応募の締め切り、どの「締め切り」もどこか自分を追い込むような、窮屈な印象を与えます。「私、締め切り大好き!」と言っている人も見かけたことありません。しかし、僕たちは気付かないといけないのです。この「締め切り」のおかげでこれまでやってこれたということを。この「締め切り」があるからこそ、数々の偉業を成し遂げたということを。
 たとえば夏休みの宿題にしても、人によっては7月のうちにすべて終わらせられる人もいますが、ほとんどの人が最後の3日で全部の日記を書いたり、3日間で40日分の朝顔の観察を書くものです。それこそまさに、新学期がはじまる9月1日という締め切りがあるからこそ、物凄い集中力を発揮できたわけで、これぞまさに「締め切り力」のおかげなのです。
 もし夏休みの宿題に締め切りがなかったらどうなっていたでしょう。提出日は特に決まってなく、「原則として9月1日ですが、最悪年末でもいいです」くらいの宿題だとしたら。おそらくほとんどの生徒が年末までなにもやらないでしょう。遊びすぎてDS焼けした子供たちは、結局宿題に一切手をつけずに新学期を迎えることになるでしょう。締め切りないと、力を発揮できないのです。そういう意味で夏休みというのは、なによりこの「締め切り力」を実感することが一番大切なのです。そのためにあるといっても過言ではありません。毎年締め切りの力を実感することによって、大人になってからの「締め切りライフ」につながるのです。
 胸を張っていうことではありませんが、このシリーズをここで発表するようになったのもまさにこの「締め切り力」を利用するためです。もともと自分の中でなんとなく書き溜めたおいたものの、どれも未完成ばかりで、「このままでは一生未完成に終わるな」と判断し、毎週配信という締め切りの力を借りることを決意したのです。すると、どうでしょう。パソコンの中でずっと中途半端だった原稿が、毎週こうして一つ一つがカタチになっているではありませんか。夏休みの最期の3日で発揮する集中力を僕は、毎週土曜日の朝に発揮しているのです。これこそ、小学校の夏休みに味わったあの実感が効いてきているのです。この週刊ふかわこそ、締め切り力の賜物なのです。(だから、僕はいわゆるブログには向いていないのでしょう。)
 ただひとつ気をつけなくてはならないことがあります。というのも皮肉なことに、もっとも「締め切り力」が必要とされる大人には肝心の「締め切り」があまりないのです。いや、あるにはあるのですが、どこか曖昧でぼやけていたり、締め切りを迫られる機会が減少してしまうのです。それは決して、やるべきことがなくなったのではありません。単に学校のように、誰かが「締め切り」を与えてくれなくなっただけなのです。だから大人になったら自分で責任をもって締め切りをつくる、「締め切りを設定する力」が必要になるのです。
 それは決して難しいことではありません。自分の能力を把握した上でそれに見合った締め切りを設定するのです。うまくそれが釣り合えば自分の能力を最大限に活かすことができますし、無理や見栄が生じては効果は生まれません。締め切りは未来の担保であって、締め切りを設定することは、未来の自分との約束なのです。
 ただ、ここで勘違いしてはいけないのですが、「締め切り力」を利用したところで、自分がラクになるわけではない、といことです。あくまでテコの原理によって自分の能力を引き出されるわけで、ある程度のエネルギーをかけなければ岩は動いてくれません。また、ときに痛みや疲労は伴います。しかしそれは、達成感という心地よい疲労なのです。
 どうもやる気が起きないとき、なかなか前に進めないとき、この「締め切り力」を利用すれば、おのずと前に進んでいくものです。締め切りを意識したとき、人間は最大限の能力を発揮するのです。締め切りがあるおかげで、本当に必要なものに気付くからかもしれません。だから人生にも締め切りがあるのです。締め切りのない人生なんて、味気なくてなんの魅力もありません。締め切りがあるからこそ、人は精一杯生きるのです。そういう意味で人間は、最も締め切り力を利用した生き物なのです。人生の締め切りは、夏休みの宿題のようにいつなのかはわかりません。でも、8月の最後の週に少年が物凄い力を発揮するように、人生の締め切りを意識したとき人は、人としての真の力を発揮し、本当に大切なもの、生きることの素晴らしさに気付くのかもしれません。
 締め切り、それは未来の自分との約束です。約束を果たすためにも、「締め切り力」を利用して、日々、精一杯生きていくしかないのです。

P.S.:
本日15時より、吉祥寺ブックス・ルーエにて「ジャパニーズ・スタンダード」サイン会を行います。
 また、8月24日15時〜名古屋星野書店・近鉄パッセ店でのサイン会も決定しました。お近くの方はぜひ来てください。

1.週刊ふかわ | 09:04

2008年07月13日

第323回「シリーズ人生に必要な力その8考えない力」

 「人間は考える葦である」とは、パスカルの言葉だったでしょうか。人間は自然界の中では弱いものだけど、考えることによって宇宙をこえることができる、という意味です。たしかに考えることは素晴らしいです。いくらコンピュータが進化したって、人間の思考力には到底及びません。これまでの文明も、この能力があったからこそ発展してきたといえます。もしも人間に「考える」という能力がなかったら、いまこうしてパソコンをうつどころか、存在することさえなかったかもしれません。人々は、考えることによって失敗をなくし、考えることによってここまで生きてこられたのです。世の中は、考える人たちによって、考えながら形成されたのです。
 しかし、だからといって、どんなときでも考えればいいのかというと、必ずしもそうではないのかもしれません。過去の天気図と比べて割り出された天気予報が外れることが少なくないように、考えて導き出された答えが必ずしも正解にならない場合もあります。
 たとえば、一目惚れで結婚した人が離婚する確率は、一目惚れでなく結婚した人たちのそれよりも低いというデータがあるそうです。私の結婚相手は誰がいいかしらと、何度もお見合い写真やプロフィールを眺めては年収や外見、仕事内容などを考慮して相手を決めるよりも、無意識に決まった一目惚れの方が、正しい結果を生むことが多い、ということです。現実は、頭で考えた通りにはならないのです。だから人間は、理屈じゃないけどこうだと思う、そんな気がする、という動物的直感もときには必要ということです。
 また、考えることで活動を制限してしまうこともあります。いろいろな「もしも」を考えてしまい、旅行のときは常に鞄がパンパンになってしまったり、有給をとるとヒンシュクをかってしまうかもと、旅行にすら行かなかったり。一方、なにも考えず、「向こうでどうにかなるさ」と手ぶらでいけてしまうタイプもいます。どちらがいいとはいえませんが、えてして過剰な心配は単なる取り越し苦労になることが多く、後者のタイプが取り返しつかなくなることはないのです。結局のところ、「考えること」も力だけど、「考えないこと」も力ということなのです。
 トップアスリートたちの脳波を調べると、ホームランを打つ瞬間やゴルフクラブをスイングするときは、無の状態になっているそうです。無意識なのです。散々考えて練習をこなした結果、最良の状態は「無」にあり、そのとき最大の力を発揮するのです。人間にとって無意識状態がどれだけすごいか、そして無になることがいかに難しいかということになります。無意識は無敵なのです。
 トップアスリートでなくとも、僕たちの生活の中でも「無」になる状態はあります。時間を忘れて夢中になっているときもそのひとつかもしれません。ものすごく集中力を発揮しているときこそ、考える世界を突き破り、考えない世界、「無」の境地にいるのかもしれません。
 考えない力、それは無になる力かもしれません。でも、自分で自由に「無」をコントロールすることはなかなか難しいです。目を瞑って無になりましょう、といってもそうそう簡単に無の世界には到達できません。そもそも無を意識した時点で無ではなくなってしまいますから。たとえば夢というのは、無の世界かもしれません。自分でも気付かなかった潜在意識が夢というスクリーンで上映されるのです。それは、無がいかに真実であり、考えることがいかにそれを見えにくくしているかということなのです。無になることで、心で感じているものがくっきりと浮き上がってくるのです。脳が発達しすぎると、心の感度が弱ってしまうのかもしれません。
 人間は考える生き物です。考える力は人間に与えられた素晴らしい力です。しかし、考えてきた結果、すべてがうまくいっているわけではありません。考えることが邪魔をして、本当に大切なことを見失ってしまうこともあります。現実はいつも、考えることを超えてやってくるのだから、脳でうだうだ考えてないで、動物的に、本能的に感じたものを信じることも大切なのです。「考える力」が必要なのと同じくらい、人生には、「考えない力」が必要なのです。

P.S.:
7月15日「ジャパニーズ・スタンダード〜試験にでない大切なこと〜」が出版されることになりました。それにともなって、20日15時〜吉祥寺ブックス・ルーエにてサイン会を行います。ご都合の良い方はぜひ遊びに来てください。

1.週刊ふかわ | 08:58

2008年07月06日

第322回「シリーズ人生に必要な力その7降りる人推察力」

 もうお気付きかもしれませんが、人は立っているよりも座っているほうがラクです。体の構造からしても、お尻に肉があるのは座り心地をよくするためで、生まれながらにしてマイ座布団を持っているようなものでしょう。個人的なことをいうと、僕は血行があまりよくないためか、立っているとすぐ下半身に血が溜まり、足がむくんでいてもたってもいられなくなります。だから、いつも僕は座れる場所を探しているのです。(座ったところで解決するわけではないのですが。)程度の差はあれ、足がむくんだり張ってしまうことで頭を悩ませている人は少なくないと思いますが、そんな人は特に、この「降りる人推察力」が必要と言えるでしょう。
 たとえば通勤や通学で毎日1時間以上電車に乗る、なんてことは珍しくないと思います。いまでこそあまり電車に乗らなくなったものの、僕も学生時代は往復2時間弱ものあいだ電車に揺られていました。いま思うとよくあんなことを毎日こなしていたなと、10代だった自分自身に感心してしまいますが、そんな長い時間も決して無駄ではありませんでした。音楽を聴いたり本を読んだり、好きな人を思い浮かべたり、電車の中で人は、それぞれに独創的で有意義な時間を過ごすわけです。いまではそれが、ケータイやゲームに時間を奪われているようで少し悲しい気もしますが、いずれにしても、この有意義な時間を立って過ごすか座って過ごすかで、疲労の蓄積度合いは大きく変わってきます。
 居眠りをするにしたって、眠りに就く時のあの電車の揺れほど心地よいものはありません。小説だって、立っていると腕が疲れてしまいます。車内の広告も、座って見回していれば、まるで美術館にいるかのような優雅な時を送ることができるでしょう。立っていたら立っていたで、座っている人には見えない景色もありますが、毎日見ている景色では、その鮮度をキープするのは難しいもの。座っていることで、電車に乗っている時間がとても有意義になるのです。
 始発の駅から乗ればまだ可能性は高いですが、途中の駅、すでに混雑している車両が目の前を通過していくと「また今日も立ちっぱなしか」と諦め顔で車内に足を踏み入れると思います。特に帰りのラッシュ時、立って揺れに耐えることは、仕事で疲れた体に重くのしかかってくることでしょう。それで結局、せめてもたれかかろうと、戸袋付近を選んでしまうのです。しかし、ここで諦めてはいけないのです。乗ったときに席が空いてなくたって、座れる可能性はゼロではないのです。この「降りる人推察力」さえあれば、あのふかふかのシートも自分のものになるのです。
 それはつまり、「降りる人を予測する力」です。電車でいうと、ベッチン?のシートに座っている人の中で一番先に降りる人を当てる力です。たとえばいま、あなたが渋谷から電車に乗ろうとします。案の定、すでにシートはすべて埋まり、満席状態です。このときあなたはどの位置に立つでしょうか。うまく降りる人を見出すことができれば、途中で座ることができます。東横線で言う、渋谷から乗り、学芸大学あたりで座れるかどうか、これは横浜まで立ってなきゃならないあなたにとっては、とても重要な課題なのです。
 では、会社員からOLさん、学生、様々な人種から、先に降りる人をどうやって見分けるのか。いまさらですが、厳密に言うと、降りる人を予測するのではないのです。むしろ、降りない人を推察することが大事なのです。それが結果的に、降りる人を導き出すことになるのです。
 もしあなたがシートの端、肘掛けのついてる席に座っている人の前に立っていたなら、残念ながら横浜まで立ち続けることになるでしょう。そればかりか、そんなことをしていては一生電車のシートの感触を味わうこともないかもしれません。なぜならそこは最も座ることに執着した人が座る場所だからです。降りる人推察学会の調査によると、もし自由に選べるとしたらどこに座るか調べにおいて、一番人気が高いのはシートの一番端、つまり肘掛けがあるところ(通称バー)なのです。ここが最も車内で競争率が高い位置なわけで、激戦を勝ち抜いた、もっとも気合の入った人が座っている席なのです。なので、肘掛けのある席の前でじっと待ち構えていても、降りろ降りろと念じていても、その人はきっと終点まで腰を上げることはないのです。
 では、中央に座る人の前に立つのがいいのか、ということですが、学会の調査では、中央はバーの次に競争率が高い場所と言われています。人は、わざわざ空間を詰めて座りません。端が埋まったら次は真ん中が埋まるものです。なので、端と真ん中の間に座っている人たちのほうが気合が弱い、つまり途中で降りる確率が高いということになるのです。
 さぁ、これだけでもかなり選択肢は少なくなりました。残された席の中で、降りなさそうな人を見つければ、自然と正解は浮き上がってくるはずです。では、どこにそのヒントがあるのでしょう。それは、その人が持つアイテムに隠されています。これから一般的な降りない人を、アイテム別に順に並べますので、参考にしてもらえればと思います。
 まず、文庫本などの小説を読んでいる人。この手のタイプの人は、電車に乗っている時間を有意義に使おうという気持ちが強く、雑誌などにくらべ、降りない確率は非常に高いといえます。なので前の人が小説を読んでいたらいさぎよく場所を変えるのがいいでしょう。だからといって、ヤンジャンなどの週刊誌や新聞を読んでいる人でも油断してはいけません。基本的に雑誌を読む習慣は、車内での手持ち無沙汰からくることが多いことを考えれば、雑誌類を読む人の前は避けるのが妥当と思われます。
 続いて、音楽プレイヤーなどで音楽を聴いてる人たちです。この手の人たちは、たとえ短い時間でも音楽を聴いていようとするタイプですが、立っていたらすぐに降りるのですが、すでに座っていたらなかなか降りない場合が多いです。でも、雑誌系の人たちに比べると、期待してみる価値はあります。
 そして、ケータイでメールを作成している人。このタイプはアイテム族の中では比較的期待値は高いです。というのも、毎日の通勤通学時間がもし長かったら、ほかの娯楽を取り入れたりするでしょう。なのに、メールを作成しているということは、長時間の移動でないことが想定できるのです。ただ、ケータイでゲームをやっている可能性もあるので、こっそりなにをしているかも確認しましょう。
 あとは、ノーアイテム族です。ここでは大きく二つに分かれます。一つはがっつり寝に入っている人。船をこいで時折よだれの確認をする人。目の前がこういう人であったら速やかに場所を変えましょう。もうひとつは、眠りもせず広告を眺めている人。時折目を瞑っては、またパッと見開いて周囲を見渡す人。この人はたまたま乗り合わせた人だったりすることが多いので、突然降りてぽっかり穴があく、「ラッキーポケット現象」が期待できます。その前触れとして、その人は駅に着くたびに「いまどこ?」とキョロキョロしたりするのです。
 もうひとつ忘れてはいけないのがミラクルシートの存在です。車内はたいていロングシートとショートシートの2バージョンあります。一般的に後者は車両の連結部分のそばにありますが、学会の間ではミラクルシートと呼ばれ、文字通り奇跡を呼ぶ場合があるのです。つまり、予期せぬ空席が起こりうる場所なのです。なので、諦めるて戸袋付近に行く前に、一か八かここを狙うというのもいいかもしれません。
 また、気をつけなくてはならないのが、マンガや雑誌を鞄のなかにしまったからといって、その人が次の駅で降りるとは限りません。マンガを終えて、がっつり寝にはいる、ということも多く報告されています。なので、そういった素振り、思わせぶりな人にはくれぐれも注意してください。
 総合すると、ロングシートの端と真ん中の間に座っている、雑誌も新聞もケータイも手にせずに、広告を見回していて、駅に着くといまどこかキョロキョロ見回している人、ということになります。さぁ、あなたの前の人はどうでしょうか。そうやって推察するあなたの目はもはや勝負師の目をしているでしょう。ふと窓ガラスに映った鋭い目にあなたは驚くかもしれません。あなたはもう、パチンコ台を選ぶギャンブラー、スコープを覗くスナイパーと同じ目をしているのです。
 この「降りる人推察力」を養えば、電車に限らず、どこにいてもすぐに降りる人を見つけることが可能になります。すっかり疲れたあなたの体も、シートがやさしく包み込んでくれるおかげで、エネルギーを充電することができるでしょう。だから人生には、降りる人を推察する力、この力が必要なのです。そしてもしも、人生という名の電車から降りようとしている人がいたら、こう声を掛けてあげてください。ここはまだ降りる駅ではないですよ、と。

P.S.:
7月20日15時〜吉祥寺ブックス・ルーエにて「ジャパニーズ・スタンダード〜試験にでない大切なこと〜」発売記念サイン会を行います。時間のある方はぜひ、この「降りる人推察力」を使って吉祥寺まで来てください。(発売は15日ですが、7月7日から整理券を配布します)

1.週刊ふかわ | 09:37