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2008年06月29日
第321回「シリーズ人生に必要な力その6シラを切る力」
人間、なにごとにも正直であることは大切です。誠実さ、それはいつになっても失ってはいけないものです。しかしながら、生きる上でどんな局面においても正直であるべきかというと、必ずしもそうとは言えないかもしれません。たとえば奥さんに「この名刺どこのキャバクラ?」と訊かれて、「あぁ、六本木の...」と即答していては、大抵の場合、地獄を見ることになります。正直者が馬鹿を見ると言う諺があるように、時には正直さを捨て、シラを切ることも必要なのです。勘違いしてはいけないのですが、それは決して嘘をつくということではありません。シラを切る、それは代々受け継がれてきた伝統、人生をうまく歩むための知恵であり、技なのです。
ちなみに「シラを切る」はわかりやすく言うと「とぼける」「知らないふりをする」ということですが、漢字で書くと「白を切る」となります。「白」は「知らない」の略で「白」は当て字。「切る」は「言い切る」の略なので、「知らないと言い切る」が「白を切る」になった、とネットに書いてありました。
さて、人生の色々な局面で必要になる「シラを切る力」ですが、おそらくほかの力に比べ、わりと早い段階で求められます。しかもそれがある意味、人生において最大の正念場ならぬ、シラ切り場といっても過言ではありません。ここでシラを切れるかどうかが、あなたの運命を変えるのです。人生最大のシラ切り場、それは修学旅行のときに訪れます。
学生たちにとってのそれは、旅行に行けるということよりもむしろ、普段の退屈な授業がない、ということだけで相当嬉しいもの。人によっては、告白などの恋愛要素を盛り込んでいるケースもあるので、これほど気持ちが高まるイベントはなかなかありません。また、先生の目を盗んでというのも、恋愛を盛り上げる絶好のシチュエーションです。余談ですが、僕の人生最初の接吻は、京都の旅館の屋上でした。
それは前半ではなく、旅の疲れで集中力が切れてきた修学旅行後半に訪れます。無茶なペース配分で騒いでいたから疲労が溜まり、緊張の糸がほどけてきた頃。さらには入浴という最も気持ちがリラックスしたとき、その気の緩みが下着に現れるのです。すっかり注意力を失ったあなたは、自分の脱いだパンツをロッカーに置いたまま部屋に戻ってしまいます。気の緩みが、あなたのパンツを脱衣所に忘れさせるのです。
「昨日、風呂場にパンツ忘れた生徒がいたんだが、心当たりないか?」
あなたのパンツが、全員の前でひらひらと風に揺られています。なにもこんなところでと思いますが、全体集合のとき先生は、首をとった武士のように、あなたのパンツを掲げるのです。
もしここで、仮に心当たりがあっても、うろたえてはいけません。「あっ!」なんて声も絶対ダメです。ましてや、手をあげて「はい、僕です」なんて言ったら、それこそ数ヶ月間あなたのあだ名に影響し、楽しかった修学旅行の思い出もパンツ一色になり、その後の学校生活に多大な影響を及ぼすことになります。パンツを受け取る写真が卒業アルバムのスナップページに載り、卒業文集でも「パンツを忘れそうな人」で1位に選ばれ、卒業証書を受け取る際にも周囲はざわつき、場合によっては卒業証書の変わりに白いパンツを渡す、というボケを先生がやる可能性だってないとは言えません。それも卒業までの辛抱、と高を括ってはいけません。
卒業してやっと決別できたと思いきや、同窓会のときも「そういやお前、パンツ忘れたよな」「今日は大丈夫か?」などと、再びパンツキャラが再燃し、「しかも、ちょっと黄ばんでたよな」と、ないことを足され、話が膨らんでいくのです。
あのとき正直に名乗り出たばっかりに、同窓会の葉書が来るたびに嫌な気分にならなくてはなりません。下手したら、棺おけにいれられてしまいます。脱衣所のパンツ、100まで、なのです。
さぁ、この時こそ、人生最大のシラきり場です。周囲も「誰だよ、忘れた奴!」と笑っています。ここで普通に黙っていて顔や耳が真っ赤になっていては、すぐに周囲にバレてしまいます。これが一番ダメなケースです。飄々と、「ったくだれだよ、忘れた奴!」と瞬時にガヤにまわり、「他人事」ぶらなけれなりません。しかし、ここで試練は終わりません。
「ゴムの所にイニシャルが書いてあるぞ...R・Fかな?R・Fって書いてあるけど、誰だ?」
ここからが真のシラ切り場です。仮に自分がR・Fでも、絶対に諦めてはいけません。ここで心が折れてはいけないのです。
「あいつじゃない?古川じゃない?古川って良介じゃなかったっけ?」
と、あくまで自分に関心を寄せないように風向きを変えないといけません。ここでも瞬時にガヤに回り、新説をとなえることが大事なのです。このためには、普段から空き地などでイニシャルトークなどしてトレーニングしておくといいでしょう。
万が一、イニシャルでなく、「りょう」って書いてあるぞ、と言われても、「橋本じゃない?あいつりょうだよね?」と架空の人物をでっちあげるくらいの気持ちでいることが大切です。なので、修学旅行に行く際は、万が一のときに備えて、自分と同じ名前の人をある程度ピックアップしておくことをおすすめします。とにかく、全員が自分に疑いの目を向けていたとしても、仮にフルネームで書いてあっても、どんなことがあっても、自分のパンツだと認めないぞという気持ちが大切なのです。ちなみに、教育に熱心な学校では、修学旅行中、脱衣所にパンツを仕込む場合もあります。つまり演出です。それくらい重要視されているのです。修学旅行は、歴史を学ぶためでも、集団行動のためでもありません。シラを切ることを学ぶ場なのです。だから、積極的に学びたい者は、率先して脱衣所に忘れていいのです。
ここでシラを切る力をつけておけば、その後の人生は楽なものです。奥さんにいくら詰め寄られても、車内やエレベーター内で「誰かおならしたぞ」と言われても、まったく動じず、顔色一つ変えずに生きていくことが可能になります。あのときの修羅場に比べたら痛くも痒くもないのです。シラを切る力は、人生のあらゆる危機を回避するのにもっとも有効な手段なのです。この力があれば、乱気流を回避する飛行機のように、木々をすり抜ける鳥たちのように、人生をすいすいと進んでいくことができるのです。シラを切る力、これが人生には必要なのです。
2008年06月22日
第320回「シリーズ人生に必要な力その5袋とじ開封力」
最近の写真週刊誌は毎回のように袋とじがあるどころか、ひとつの雑誌の中に何度も登場し、どこか本末転倒な感があります。というのも、そもそも袋とじは通常のページ以上に危険度が高く、買った人のみが味わえる禁断の扉であるべきなのに、それが何回も登場してしまっては禁断度合いが薄れ、読者の期待値も減少してしまいます。しかも、実際開封してみると、とじられていないページとさほど大差はなく、なんのためにとじたのかと疑問に思うことも少なくありません。これでは、めくる作業に加えて、破るという手間をひとつ増やしているにすぎません。こんなに袋とじが当たり前になってしまったら、やがて雑誌全体をとじてしまうんじゃないでしょうか。もしそうなったら、単に立ち読みさせないために紐で縛ってある雑誌と同じです。そうならないためにも、今後はひとつの雑誌につき袋とじは1箇所、という具合に雑誌協会で取り決めをおこなわないと、自らの首をしめる結果になります。古来より、「一誌一袋」と言われるように、変に欲張らず、ひとつの袋にとどめておくことが、最も読者を興奮させることができるのです。
そんなことを心の中で思いながら、いま、袋とじを開けようとしています。新幹線の中で、禁断の扉に手をかけようとしています。普段あまりそういった類のものは読まないのですが、長い移動のときには時間つぶしのひとつとしてお菓子と一緒に週刊誌を購入するのです。飛行機などの場合、離着陸の際はオーディオプレイヤーを使用できないので、こういった週刊誌があると助かるのです。だからといって、いつでも開封していいわけではありません。この袋とじを開けるという行為、一歩間違えると大変なことになりかねないのです。
袋とじは、一般的にアダルトなイメージが強いため、うかつに開封していると、「こいつ、エロいのを読もうとしているな」と勘繰られてしまいます。言うなれば、レンタルビデオ屋のAVコーナーの暖簾をくぐろうとしているのをん目撃されるのと同じです。だから、周囲に気づかれないように開封しなければならないのです。その力こそが、今回の「袋とじ開封力」なのです。
そんなこと簡単じゃないか、ある人はそう言うかもしれません。しかし、簡単に見えてこれがかなりの技術が必要なのです。あまり音を立てないようにゆっくりと開封するのだけど、この音が驚くほど目立つのです。特に新幹線の中では、周囲の音にかき消されるかと思いきや、あのミシン目に沿って離れていく紙の音が、なぜだか異様に響くのです。それは、静かにやろうとすればするほど。「禁断の扉」は静かに開いてはくれないのです。
袋とじを開封している最中に「切符を拝見します」とか「お飲み物はなにになさいますか?」なんてこられたら実も蓋もありません。彼女の顔にはでていなくとも、「この人、いやらしいページを見ようとしてる!」と心の中で思われることは避けられないでしょう。また、新幹線ともなると、これから大事な契約を控えている会社員たちが大勢乗っています。そういった人たちにきこえないようにするのが大人のマナーといえるでしょう。周囲に気づかれないと同時に、周囲に迷惑をかけずに、禁断の扉を開けなければならないのです。
また、初心者によくあるのが、音はでていないものの、顔にでてしまうケースがよくあります。顔にいやらしさが露呈してしまうのです。これではまったく意味がありません。むしろ音のほうがいいくらいです。いかなるときも、涼しい顔で、まるで小説のページをめくるように、重要な書類の封を切るように、水着ギャルであふれたページを開封するのです。
では、実際にどういう開封法があるのでしょう。袋とじ開封協会の方に伺ってみたので、いくつかご紹介しましょう。
一般的に広く活用されているのが「フィンガー開封」です。いわゆる指で行う開封法ですが、これはミシン目がある場合はいいのですが、ミシン目がないと音はでるどころか、ページもめちゃくちゃになる可能性があるのであまりおすすめできません。ミシン目のない場合に有効なのは、切符をカッターのようにスライドさせる「チケット開封」です。これは音も少なく切り口もきれいなのですが、ある程度の訓練が必要となります。いずれにしても大事なのは、ミシン目があるからといって油断するのではなく、どちらも慎重に決行しなくてはなりません。
ほかには、伸びをしながら両手で開封する「伸び開封」や、音楽を聴きながらノリノリで開ける「ipod開封」、トイレで開ける「ラボラトリー開封」。ビールを飲んでアルコールに依存する「麦芽開封」、鞄の中で開封する「バッゲージ開封」や、イスを倒しながら行う「リクライニング開封」などがあります。中でも周囲に気づかれないことを一番の目的とするなら、家に帰ってから開ける「おみやげ開封」(お持ち帰り開封とも言う)が有効かもしれません。慣れないうちは、誰もいない空き地や砂浜などで練習し、テクニックがついてきたらいろいろな開け方にチャレンジしてみたらいいでしょう。
周囲に気づかれず、迷惑をかけないように袋とじをあける「袋とじ開封力」、この力が人生には必要なのです。この力が身につけば、どんなところでも禁断の扉を開けることが可能になるのです。ただ、くれぐれも、高揚する気持ちは開封しないように。
2008年06月15日
第319回「シリーズ人生に必要な力その4ポイントカード離れ力」
世界中どこへいっても家族を大切にしないところはないでしょう。ただ、ひとえに大切にするといっても、その仕方は様々かもしれません。たとえば欧米ではクリスマスなどの長期休暇を家族で過ごしたり、家族同士でハグしたりする習慣があるのに対し、日本ではどちらかというとイベント時は友人や恋人と過ごしたり、家族でハグしたりすることも多くありません。当然それは日本が家族を大切にしていないということではなく、昔からスキンシップというカルチャーがなく、いつも一緒でいることよりもむしろ離れていることの「美」、家族の絆という心のつながりを大切にしているからかもしれません。英語ではあまり馴染みのない「親離れ」や「子離れ」という言葉も、そういった日本人の家族観を象徴しているのでしょう。
僕自身、それができていると胸を張って言えるわけではないし、将来的に子供ができたら、子離れできる確信もありません。しかし、いつまでも親のすねをかじっていたり子供を過保護にしていては、人間として成長しているとは言い難く、かわいい子には旅をさせよというように、子供は親から、そして親は子から、いつしか離れないといけないのです。一人暮らしという物理的なものではなく、精神的な自立。ただ、人間の成長過程で離れなくてはならないものはこれだけではありません。実はもうひとつあるのです。それは、ポイントカードです。
かつては僕の財布の中にも何枚かはいっていました。人によってはそれで財布がパンパンという人もいるかもしれません。お店からしてみれば、今後リピーターになってもらうためには欠かせないアイテムで、客側としても買い物をした結果特典がつくのであれば申し分ないのです。つまり、カードを持っていて損はないのです。しかし、僕は以前からそのことに疑問を感じていました。それは、
「果たして本当にポイントカードは得なのだろうか」
ということなのです。
たしかに買い物だけで考えれば、1000円ごとにひとつもらえるスタンプが50個たまったとき、なにももらえないのと1000円がもらえるなら、もらえたほうがいいでしょう。だから、得といえば得です。しかしながら、1000円の得のために費やしたエネルギーのことを考えると、果たしてそれを得と捉えるかは微妙なところなのです。そのことを強く感じるのが、飛行機に乗る際のポイントカード、いわゆるマイレージカードです。僕は、このカードに出会い、ポイントカードに対する考え方が大きく変わりました。
どんなに急いでいても、どんなに時間がなくても「ちょっとマイルの登録だけさせて!」と、慌ててマイルレコーダーに駆け寄る人がいます。特に目標が決まっているわけではないけれど、なにがあってもマイルの登録は欠かさない。なぜなら、これを万が一忘れると、ものすごく損をした気分になるからです。登録を忘れると、機内のキャビンアテンダントに「マイル登録し忘れたんですけどどうしたらいいですか!」と、泣きそうな顔で話しかけ、事後登録で半券を郵送したりします。ましてやマイレージなんて貯まったところで特典に交換するのを忘れてしまったり、気づいたら期限切れになっていたりと、せっかく苦労してためたマイレージをどぶに捨ててしまうこともあります。そこでまた損をした気分を味わうのです。
月に一度送付される郵便物にも年内で失効するマイル数が表示されているのですが、その通告を受けることで、どうにか有効にしなくてはという焦燥感に見舞われ、無理に飛行機を利用するなど、日常生活にも支障をきたすようになります。貯めたものを無駄にしたくないという気持ちと、なにかしらで得をしたいという二重の欲求が、僕をマイルレコーダーへと向わせました。そんなある日、僕は気づいたのです。
「僕がためているのはマイルではない!ストレスだ!」
結局の所、僕がためているのは、マイルという名のストレスだったのです。ストレスをためるために、わざわざ急いで機械に向かい、わざわざ友人を待たせていたのです。僕がマイレージカードを作ったとき、悲劇は始まっていたのです。
これと同じ様なことがお店のポイントカードでも起こりうるのです。それを忘れてしまうことでとても損をした気分になったり、貯め始めた以上ポイント増やさなきゃと、ここでもポイントに対するストレスが蓄積するのです。それだけでなく、本当に必要でないものも購入してしまったり、判断力も鈍ってしまいます。だから人生には、ポイントカードに振り回されない力、ポイントカード離れ力が必要なのです。
一番理想的なのは、ストレスをためずにポイントを増やすことです。なにもしていないのに「え?俺、1000ポイントたまったの?」という風に。ケータイで買い物をするとそのままポイントが加算されるというケースが多くなるでしょう。そうしたら、ポイントカードによるストレスは大きく軽減されるはずです。もしくは、すでに貯まっているポイントカードを道で拾う、というのもストレスをためずに得できる良い例でしょう。ただ、これには相当の人生経験が必要ですが、心の片隅にでも覚えておくといいかもしれません。
人生を歩む上で、人間が離れなくてはならないものがあります。親離れ、子離れ、そしてポイントカード離れ。この3つが人間の3大離れです。パンパンでもいい、振り回されずに育って欲しい。ポイントカード離れ力は、人生には必要なのです。
2008年06月08日
第318回「シリーズ人生に必要な力その3ジャケ買い力」
僕がはじめてそれを経験したのはいつ頃でしょう。ビートルズとか特定のアーティストではなく、いわゆるコンピレーションCDを買うようになった頃。ボサ・ノヴァとか、なんとなく日常のBGMとしての音楽を聴き始めた頃。それは、大学生のときだったかもしれません。いい感じの曲がはいっているのではないかとおしゃれなジャケットを手にレジに向かった日、僕ははじめて「ジャケ買い」をしました。
なんだかよく知らないアーティストばかりでも、ついついそのジャケットのデザインから、きっと音楽もセンスのいい曲なのだろうというポジティブな想像が働き、つい手が伸びてしまう。期待に胸を膨らませながら家に帰り、スピーカーから流れてくるその音に、まるで合格発表を待つかのように、耳を傾ける。ドキドキしながらトラックを進め、僕の場合、その中に一曲でも名曲に出会えれば「ジャケ買い」は成功とみなされます。ほんとに一曲でもあればいいほうで、中には「箸にも棒にも掛からない」ものもあり、見事に二度とケースを開けることなくラックの最下段に雑に収納されるか、部屋のインテリアと化してしまうか、いずれかの運命を辿ることになります。とはいうものの、ラックを見渡してみると、どちらかというと成功したものが多く、わりと「ジャケ買い」の打率は高いほうなのかもしれません。そんな、ジャケットを見て中身を判断する力、これが人生に必要な力なのです。
ただ、この「ジャケ買い」という行為は音楽のみにあてはまることではありません。ラーメン屋さんの暖簾を見てその味をイメージしたり、AVのパーケージを見てクオリティーの高さ・内容の濃さを想像したりと、僕たちは無意識に「ジャケ買い」をしているのです。だから「ジャケ買い力」を高めることは、私たちの人生においてとても重要なことで、いってみれば、人生は「ジャケ買い」で決まる、といっても過言ではありません。それだけ様々な局面で求められるのです。ではこれらのほかにどういった場面で「ジャケ買い力」が試されるのでしょうか。
急に映画が見たくなってツタヤを訪れ、ありきたりの作品でなくほんのちょっと感動するくらいの映画が観たいとき。特に有名でないDVDを借りる際、裏面の文字情報で本当に面白いのかどうかを判断しなくてはなりません。監督も俳優もタイトルもすべて無名でも、もしかしたら「知られざる名作」に出会うこともあります。飲み会のときの女の子選びもある意味ではジャケ買いです。飲みの席という「ジャケット」で実際どういう人間であるかを想像しなくてはなりません。それこそ女性はメイクという強力なスポンサーがいます。飲み会でなにを求めるかにもよりますが、男性はとくにアルコールに負けない「ジャケ買い力」を持っていないと、のちのち痛い目に遭ってしまうのです。はじめての病院にかかる際も、はじめての美容院に行く際も「ジャケ買い力」は必要です。旅館を予約するときも、新人グラビアアイドルや若手芸人が長持ちするかどうかを見極めることも、ひとつのジャケ買いです。もはや、「ジャケ買い」をせずに人生を歩むことはできないのです。
では、ジャケ買いに成功するにはどうしたらいいのでしょう。答えは恐ろしいほど簡単です。それは失敗しないことです。
ジャケ買いというのは、特別大きななにかを成し遂げることではありません。失敗しないこと、ミスのないことが大成功なのです。たかが失敗といっても、CDひとつ失敗しようと数千円の痛手ですが、病院などでジャケ買いに失敗してしまえば取り返しのつかないことにもなります。ジャケ買いを笑うものはジャケ買いに泣くのです。
では、失敗しないためにはどうしたらいいのか。それは、表面上の甘い言葉に踊らされないようにすること。「羊頭狗肉」という言葉があるように、看板にだまされてはいけないのです。昔の人のいうことは真実です。ラーメン屋さんの「おいしいよ!」という看板の言葉をそのまま鵜呑みにして「え、ほんとに?」とすぐさま暖簾をくぐる人はいません。「おいしいよ」と謳わないほうが味に自信があるのだという背景を想像すると思います。だからといって、頑固な雰囲気だけの「ジャケ負け」しているラーメン屋さんも少なくありません。そういう意味では、現代社会は非常にジャケ買いが困難な時代になってきているということなのです。だからこそ、ジャケットという表面でなく、その奥に潜む真実をいかに汲み取れるかが常に求められるのです。もしかするとそれは、どこか匂う、といった人間の鼻で感じる部分、嗅覚のようなものなのかもしれません。
実際にどうすれば「ジャケ買い力」を高めることができるのでしょう。やはりそれは、経験が一番です。つまり、体で覚えていくしかないのです。失敗は成功のもと。ジャケ買いの成功のためにはある程度の失敗経験が必要なのです。そうしているうちに、自然とジャケ買い力は高まるでしょう。
僕たちの日常生活でそれは欠かせないものであり、ないよりあるにこしたことはありません。そしてなにより、僕たちの顔もいってみれば、ジャケットのようなものです。このジャケットに集約された顔から、その人となりを判断することも人生には必要です。それと同時に、ジャケ負けしない人間でいたいものです。
P.S.
先週は風邪をひいてしまい、文章を書く集中力がありませんでした。