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2007年11月25日
第295回「気がつけば」
ということで、約3ヶ月にわたって連載してきたアイスランド紀行も一段落し、気がつけばもう295回まできてるではないですか。ということは、あと5回で300回、つまり記念イベントを開催する時期がもう間近に迫っているわけです。思い起こせばおととしの5月、200回記念の際には、談合坂サービスエリアでアメリカンドックを食べ、ほったらかし温泉に入って甲府盆地を眺め、さらに山梨名物ほうとうを食べて帰ってくるという日帰りバスツアーを行いました。あれからもう100回も経ったのかという感じです。それで、300回はなににしようかと目下検討中なのですが、いまのところ以下のようなプランが上がっているので、それが必ずしも反映されるとはかぎりませんが、皆さんの意向を伺っておきたいと思います。
(1)祝300回!ヨコワケをマッシュに戻すように説得する会・・・トレードマークだったマッシュルームを静かに卒業し、いつのまにかヨコワケにしていた髪型をどうにか元に戻すようみんなで説得する会。都内某所にて。所要3時間。
(2)祝300回!夢のバーベキュー大会・・・いいかげんたまりにたまったウェットティッシュをそろそろ使わないとさすがに乾燥してしまうということもあり、この機会に念願のバーベキューを開催し、一気に使ってしまおうという企画。どこかの河川敷にて。
(3)祝300回!やっぱりサービスエリアめぐりツアー・・・相変わらずサービスエリア好きな僕と一緒に関東近郊のサービスエリアをバスで巡り、心の中で採点して帰ってくる。
(4)祝300回!こうなったらもう一泊して帰ってこようバスツアー・・やはり温泉に入ると旅館に泊まりたくなるものです。なので温泉旅館に団体で泊まって久しぶりの修学旅行気分を味わおう、という企画。値段が高くなりそう。
(5)祝300回!ムーミンワールドで待ち合わせ・・・フィンランドが誇る、世界でもっとも癒される場所、ムーミンワールドに行き、ムーミン谷で一日を過ごすツアー。現地集合、現地解散。
(6)祝300回!アイスランドでオーロラ鑑賞・・・何週にもわたって綴ってきたものの、やはりその地に訪れるのが一番です。この前の旅行では見られなかったオーロラを、ブルーラグーンにはいりながら鑑賞する至福のときをぜひ読者のみんなと一緒に。現地集合現地解散。ただ、本当に申し込み人数がたくさんいたら、日本からの直通チャーター便でいけるかも?
(7)祝300回!ヤマダ電気ポイントカード祭り・・・僕が所有するヤマダ電気のポイントカードを使って、みんなでひとつずつ商品を買い、ポイントを使いきる企画。ただ、いまはあまりポイントがたまってないことが懸念されます。
(8)祝300回!7年ぶりの合コン・・・もう何年も合コンをしていないので、そのやり方とかルールなどを忘れてしまったふかわ氏のための接待合コン。都内某居酒屋。
(9)祝300回!ハッピーターン祭り・・・日本が世界に誇る亀田製菓のお菓子「ハッピーターン」をみんなで持ち寄り、おなかいっぱいになるまで食べつくし、包装紙に書いてあるコメントにダメ出しする会。季節によっては野外で。
(10)祝300回!とりあえず集まってみる・・・祝300回でなにをやるか決まらないまま、とりあえず集まってみる会。その後は、そのときの気分で。一応、保険証のコピー持参。
ということで、結局はこの中にないものになる可能性もありますが、みなさんの意向を聞かせてもらえるとうれしいです。ちなみに300回は年内ですが、イベント自体は2008年の間であればいつでもいいかと思います。
1.週刊ふかわ | 09:50 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月18日
第294回「地球は生きている10〜children of nature〜」
それは、ある映画との出会いでした。もう10年以上前の作品で、当時見たときは、なんとなく綺麗で悲しい映画だなぁくらいしか感じられなかったのだけど、大人になってあらためて観てみると、以前は気付くことがなかったそのおそろしいほど核心に迫るストーリーに、ぐいぐい引き込まれてしまったのです。
アイスランドを舞台としたその映画は、「春にして君を想う」という映画です。フリドリック・トール・フリドリクソンというダジャレみたいな監督の、1991年の作品です。ただこの「春にして君を想う」というのは邦題で、この作品には原題がありました。以前見たときはその邦題の陰に隠れて気付かなかったのですが、それを目にしたときに、深い霧のあとの快晴のように、世界を覆う薄い膜みたいなものがつるっと剥がれるような感覚になりました。それはまさに、いま世界中の人々が意識しなくてはならないことです。「children of nature」、これこそ僕たち人間が絶対に忘れてはならないことなのです。
僕たちはいうまでもなく、母親の体から生まれてきました。でも、イメージをそこで切り離してはいけません。もっと視野を広くもって眺めるのです、人類というものを。僕たちが生きていくためには、いろんなものを食べて栄養をとらなければなりません。いろんな生命を体の中に摂取してるから生きていけるのです。つまり、いろんな生命を犠牲にして、僕たちは生きているのです。ゆえに、人間は決して、人間だけでは生きていけません。ひとりでは生きていけないのです。物理的には切り離されていても、生きるうえでほかの生命と切り離すことはできないのです。すべてはつながっているのです。
時折「母なる自然」「母なる大地」などという言葉を耳にしますが、自然が母であると同時に、僕たち人間は自然の一部であることを意識しなくてはなりません。えてして人間対自然という構図をイメージしてしまいがちですが、自然という大きな世界の中で人間はその一部分を担っているにすぎず、対峙するものではないのです。だから自然を破壊することは、自分自身を破壊するようなもので、アイスランドの大地も、フィンランドの森や湖も、僕たちとつながっているのです。
そしてなにより、僕たちは大自然に囲まれるとなんだかとても落ち着きます。海を眺めていると心が和みます。僕たちが自然に囲まれて安心するのは、僕たちが自然の中から生まれてきた、自然の子供たちだからなのです。なのに僕たちは、そのことに気付かずにいたのです。いや、気付かないフリをしていたのです。
青森の六ヶ所村で稼動を始めたプルトニウム再処理工場は、万が一のことがあったら日本列島を、場合によっては地球をも壊滅させる威力を持っています。うまく稼動させたとしても、核廃棄物が沖合いの海に流されることは避けられません。海に流せば必ず生態系が狂います。すでにイギリスではそういった事例が見られています。いずれにせよ、そんな不安と隣りあわせで生活している人たちがたくさんいます。どうして唯一の被爆国である日本が、わざわざ列島に原子力発電所を54箇所も設置し、さらにはその数百倍もの威力を持った再処理工場を作るのでしょう。当然日本だけではなく、世界のいたるところで原子力発電所は増え続けています。原子力発電所は果たして正解なのでしょうか。これが本来あるべき姿なのでしょうか。そこまでしないと人間は暮らせないでしょうか。地球上に暮らすって、そんなに大変なことなのでしょうか。どうしてもっと早く、国民に教えてくれなかったのでしょうか。
節電を訴える会社も、オール電化を進める会社も同じです。くさいものにフタをするように、真実を国民に教えてくれません。でも今回フタの下に眠るものは、臭いどころの騒ぎではありません。何百年と熱を持つ史上最悪の燃料です。それが日本中をトラックで運ぶようになるのです。これだけ重要なことなのに、テレビでは扱いません。扱うことができないのです。
ちなみに、水と地熱が豊富なアイスランドでは、水力発電と地熱発電がほとんどで、原子力はもちろん、いまや火力発電には一切頼っていません。自然の力を利用し、クリーンエネルギーだけで電力をまかなっているのです。旅をしていると時々地熱を利用した発電所を見かけますが、そこから噴き上がる煙はまさに自然、そして地球を守ろうとする心の現われのように見えます。
だからといって、日本もアイスランドと同じようにしようということではありません。風土も人口も違います。それでも、意識を持つことはできるはずです。意識することはお金も場所もとりません。国民全体の意識が高まれば、日本独自のエネルギー供給を見出せるはずなのです。地球を滅ぼす危険性をもつ施設を稼動させなければ生活できない国になってしまったのは、その意識が欠如していたからなのです。
自然の中で生きるって、そんなにも難しいことなのでしょうか。僕は、そんなことはない気がします。うまく欲望をコントロールさえすれば、自然を破壊せずに済むはずなのです。お金を儲けるために頭をつかうのではなく、自然を守るために知恵をしぼるのです。人間のあるべき姿、人々の生活をもう一度考え直すときなのです。温暖化はつまり、そのきっかけにすぎないのです。決して古代の人のような生活をするのではありません。大事なのは、意識を変えることです。自然の力を信じ、地球が生きていること、そして僕たちが自然から生まれた子供たちであることを意識することが、すべての始まりなのです。「children of nature」この言葉が世界を変えるのです。
1.週刊ふかわ |, 2.地球は生きている | 09:40 | コメント (2) | トラックバック
2007年11月11日
第293回「地球は生きている9〜のどが渇かない街〜」
「どうしてだろう...」
僕はその日、ほとんど水を飲まずにいることに気付きました。なんだかのどが渇かないのです。もしかするとそれは、一人旅で口数が少なかったからかもしれません。時期も関係しているのかもしれません。個人差も当然あるでしょうが、でもそれにしたって普段必ずペットボトルを持参して車に乗る僕ののどが全然渇かないことは、少なくとも空気が澄んでいることを証明しているのではないでしょうか。空気が澄んでいるからのども渇かないし、虹もくっきり端から端まで見えるのです。空気が澄んでいるから、気分がよくなるのです。でも、ないのは「のどの渇き」だけではありません。日本にあって、アイスランドにないものが、たくさんあったのです。
日本にあってアイスランドにないもの、まず挙げられるのは、ビルなどの高い建物です。都市部でもあるのはせいぜい5階建てくらいで、それ以外はほとんど2階建ての家屋です。だから、空が日本で見るそれよりも何倍も大きく見えます。郊外へ踏み出せば、建物自体見あたらなくなります。家屋もほとんどなくなり、赤い屋根をした教会が時折現れる程度です。さらに商業的な看板も一切ありません。渋滞は当然のこと、信号待ちどころか信号すらないのです。ほかの車を見かけずに何十キロも走ることだってあります。山の合間をただ道が走っているだけです。自然の色だけで構築された世界、そして偶然にしてはうまくできすぎているその自然界の配色に、感動すら覚えるのです。正直、車を走らせることが申し訳なくなります。
日本にあってアイスランドにないもの。それはトンネルです。調べたわけではないのでひとつもないとはいえませんが、まず見かけません。こんなにも山ばかりなのに全然ないのです。日本だったら山があったら穴をほってトンネルを作ります。でもアイスランドではそうはならないのです。山があったら仕方ない、なのです。日本のように、山の中に穴を貫通させるなんていう考え方はそもそもないのです。山があれば、その裾野を走るか、周囲を走るしかないのです。自然を破壊しないのです。自然や自然の景色がしっかりと守られているのです。誰の所有物でもない景観にこそ、そこにいる人々を映す鏡だと思いますが、まさにアイスランドの人々の精神がそこに反映されているのです。
日本にあってアイスランドにないもの。それは大げさな柵や注意書きの看板です。大きな滝のところにそういったものがなく、ほんとうに簡単に飛び込むことができてしまうのです。もし過剰な柵や看板などに囲まれていたら、いくら名所といわれても、せっかくの景色が台無しです。ここでも、ありのままの自然が残され、尊重されているのです。でも尊重されているのはそれだけではありません。人間の判断力です。判断力を信じているから厳重な柵をつくらないのです。「ここに柵を作らないから事故が起きたんだ!」というのは、ある意味責任転嫁であって、人間には本来判断する力があるのです。それがまだ備わっていない子供たちは大人たちが守ればいいのです。アイスランドでは、自然だけでなく、人間の判断力も信じられているのです。判断力を信じられているから、それだけ多くの自由が与えられるのです。
アイスランドにいると、普段の生活がいかに制約を受けているのかがわかります。それに慣れてしまって気付かないのだけど、僕たちの生活がいかに受動的であることがわかります。それはルールがあるから仕方ないのですが、いろいろな局面で自分の行動にブレーキをかけているのです。アイスランドの生活を新幹線とするならば、日本のそれはJR山手線のようなものです。動いたらすぐ停まる、そんな生活を送っているのです。だから知らず知らずのうちに、ストレスばかりが蓄積していくのです。
アイスランドの人々にもストレスはきっとあると思いますが、過剰なルールもなく、それぞれの判断力が信じられている社会で受けるプレッシャーは、僕らの社会からしてみれば、ほんのわずかなものだと思います。たとえストレスが蓄積しても、それは雄大な自然が吸収し、人々から解き放ってくれるでしょう。アイスランドには、ストレスを粉砕してくれる環境があるのです。なのに僕たちは、その装置を破壊して、便利さだけを信じてしまったのです。僕たちが、海を眺めたり、山を登ったときに感じる開放感は、決して気分の問題じゃないのです。自然には、そういう力があるのです。
僕の気のせいかもしれませんが、アイスランドの人たちは待たされることでイライラしていないように思えました。気候によって自分の予定が変わることに対して憤りなどを感じていないのです。事実を受け止めて、「じゃぁ、仕方ない」と、受け入れることが上手なのです。人口の違いは当然ありますが、何時間も飛ばずに2時間おきに飛ぶか飛ばないかを判断されるようなことがあれば、日本ではどっかしらのカウンターで怒っている客への応対に苦労する様子が見られるものです。しかし、そういった光景がまったくみられませんでした。それはきっと人々にゆとりがあるからでしょう。ゆとりがあるからイライラもしないのです。でも、ゆとりというのは、日本の「ゆとり教育」というような単に時間があるとか、経済的なものだけでは手にはいりません。自然を破壊していたらいつまでたっても本当のゆとりを手にすることはできないのです。
日本にあってアイスランドにないもの、それは数え上げればきりがありません。アイスランドにないものはたくさんあって、もしかすると3ヶ月もいたら日本に帰りたくてしょうがなくなるのかもしれません。でもそこには、ありのままの自然、ありのままの地球がありました。それと同時に、アイスランドの人たちの心にある、自然を残そうとする意識、があったのです。
だからログハウスに住みましょう、とか森の中で暮らしましょうということではありません。もちろん、トンネルを元に戻しましょうということでもありません。ただ少しだけ、これまでの生き方を見直しましょう、ということです。それは大きくなにかを変えることではないのです。自然の力を信じることが大切なのです。
人間は、自然を軽視し、文明に振り回され、便利さに翻弄されていました。便利もある程度は必要だけど、ありすぎてはいけないのです。現在の人類は未来の人類に比べどこか残酷に生きているのです。その残酷な部分を少しずつそぎ落としていかないといけないのです。おそらくあと何十年もしたら、現在の暮らしを憐れむことでしょう。僕たちが、昔の人は大変だったんだなぁと想うように、未来の人も現在の人々の生き方をみて「大変だったんだなぁ。まだ気付いていなかったんだなぁ」と思うことでしょう。もしかすると人類は、この何千年という歴史の中で、人としてのあるべき姿をまだ見つけていないのかもしれません。
でも、アイスランドをはじめ、北欧の人々はもう気付いているのです。僕たちが気付かなかっただけで、もうずっと前から知っていたのです。人間がいい暮らしをするために環境を破壊してしまっては、意味がないということ。自然を破壊することは、それはやがて自分たちにかえってくること。自然とともにいきなければ、豊かな生活がおくれないこと。そしてなにより、僕たちが、自然の子供であることを。
1.週刊ふかわ |, 2.地球は生きている | 09:33 | コメント (0) | トラックバック
2007年11月04日
第292回「地球は生きている8〜ノーザンライトな夜〜」
「まだ5時か...」
目を覚ますと、ちょうど夜が明けようとしていました。時差ボケもあって、いつもやたら早起きになってしまい、3時とか4時くらいに目を覚ましてしまいます。
「ちょっと散歩でもしてこよう」
ホテルの朝食は7時から。それまで待っているのもなんなので、僕はアークレイリの町をぶらぶらすることにしました。ホテルのすぐ横の階段をのぼると教会があり、そこから街並みを見渡すことができます。霧がかったフィヨルドの中には、飛行機雲のような細長い雲が、何百メートルにものびてゆっくりと移動していました。フィヨルドという地形ならではの雲なのでしょうか。しばらくすると、もやに包まれた夜明けのアークレイリに、ようやく太陽が山の向こうから顔をだしはじめました。
「帰りたくないな...」
その日は、レイキャヴィクに戻ることになっていました。アークレイリがあまりにきれいな街だったので、ほんの2日間しかいないのに、その地を離れることがとてもさみしくなります。僕は、目の前に広がる景色を目に焼き付けるように眺めていました。
朝食の時間にあわせホテルに戻ると、すでにたくさんの人たちがその場所に集まっていました。ホテルの朝食というのは旅行中の楽しみのひとつで、どんなに寝不足でも朝食だけは欠かせません。普段の生活では朝食なんて食べないし、食べてもヨーグルトひとつくらいなのに、旅先となるとまず抜くことはないのです。日本の旅館で味わう和朝食も好きですが、ホテルのビュッフェの、いろんなパンやハムとかソーセージとかフルーツとかジュースとか、普段思いっきり食べられないものが大量に並んでいるあの感じが好きなのです。子供の頃は、ハムとかサラミばかり食べることを禁じられていたので、その反動もあるのかもしれません。また、朝食をいっぱい食べておくと、なにより一日の原動力になるのです。でも、そんな楽しい朝食のときにも、ひとつ懸念していることがありました。
「またあの小さい飛行機に乗るのか...」
それだけが僕の不安でした。まるでセスナ機かと思わせるような小さい飛行機にさんざん揺さぶられた体の記憶がよみがえってきます。レイキャヴィクに戻るには、どうやってもあれに乗らなければならないのです。そう思うと気が重くなりました。
好きな街を離れる寂しさと、小さい飛行機に対する不安とが交錯するなか、荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトしました。空港に到着し、手続きを済ませると、予想通りの小さい飛行機が待っていました。
「またキミか...」
「またとは失礼だな」
「今日は大丈夫なの?」
「全然平気だって。信用してよ!」
「そう言ってこの前めちゃめちゃ揺れてたけど」
「え、そうだったっけ?」
飛行機には結構なれたものの、どうしても小ぶりのはまだ駄目なようで、筋肉痛になるほど体中に力がはいってしまいます。でもその日は天候が穏やかだったこともあり、来るときはそれどころではなかった景色も少しは楽しめ、レイキャヴィクの街並みも、帰りはしっかりと見下ろすことができました。
「この前ほどは揺れなかったな...」
なぜだかレイキャヴィクに来ると雨が降るようで、その日も灰色の雲が空を覆っていました。空港からタクシーでバスターミナルに移動した僕は、そこからバスに乗り換えてある所に向かいます。というのも、アイスランドでの最終日を過ごそうと決めておいた場所があったのです。
「いよいよブルーラグーンだ」
それは、レイキャビクから1時間ほどのところにありました。いまやアイスランドの中で、もっとも有名な観光地といっても過言ではありません。アイスランドで一番有名で大きな温泉、そして世界最大の露天風呂、「ブルーラグーン」に向かっていたのです。これまでも散々温泉に入っていましたが、最終日も追い討ちをかけるように温泉にはいることにしていたわけです。国際空港から近いので、このブルーラグーンにたっぷりつかり、旅の疲れをとってから帰る人が多いそうで、僕もそれにならったわけです。
「ノーザンライトイン...」
翌早朝に出発を控えていた僕は、ブルーラグーンに隣接する、ノーザンライトインというホテルで最後の夜を過ごすことになっていました。ホテルといっても一階建てのかわいらしい建物で、従業員も仰々しくなく、ペンションか友達の家に招かれたような感覚になります。チェックインした僕は、すぐに荷物を置き、さっそく世界最大の露天風呂に向かいました。
「帰るときまた連絡ください」
ホテルの人がブルーラグーンまで送ってくれると、たぶんそんなようなことを言って去っていきました。ミーヴァトンネイチャーバスは、町営露天風呂といった感じでしたが、ブルーラグーンは、外観こそ自然に溶け込んでいるものの、中はとても近代的で、おしゃれなスポーツジムのようにシャワーだの更衣室だのが備わっていました。ちなみにアイスランドの温泉は水着着用なのですが、入る前に体全身を洗ってからじゃないといけません。かけ湯程度では駄目なのです。
「真っ青だ...」
扉を開けると、青い世界が待っていました。曇った空を忘れさせるほど、青空のような温泉に白い煙がたちこめています。ミーヴァトンのそれに比べるとお湯の温度は低いのですが、その分何時間でもはいってられそうでした。
「さっそくやってみるか」
ブルーラグーンを訪れたら必ずやることがあります。それがここの名物、かつシンボルにもなっているのですが、いわば泥(マッド)のパックです。泥といっても茶色とかではなく、見た目は白くて洗顔料のようです。それを男女問わず、顔に塗るのです。だから、温泉に入っている人たちはみな、真っ白な顔をしているのです。
青い温泉には、たくさんの人たちがいました。カップルや夫婦、友達同士や家族連れ、当然、僕のようにひとりではいっている人もいます。アイスランドの人だけではなく、ヨーロッパはもちろん、アメリカ、中東、アジア、つまり世界中の人々がひとつの温泉にはいっていました。僕も数々の温泉にはいってきましたが、外国の人たちに囲まれてはいったことはありません。でもそこに違和感はなく、むしろ理想郷にいるような感覚になりました。日本も同じ温泉国なのだから、そういった世界中の人たちが集まる温泉ができたらいいのにと思います。それこそ、温泉サミットとかやったらいいのです。温泉サミットをして、日本の温泉、日本の情緒、そして日本人の奥ゆかしさを世界にアピールできたらどんなに素晴らしいことでしょう。きっと世界中の人たちが集まってくるはずです。
「どこからきたの?」
「日本です。どちらですか?」
「オーストラリアだよ」
「そうですか。遠くから来たんですね」
温泉にはいっている人たちはみな、幸せそうな顔をしています。地球が用意してくれた温泉で、世界中の人々が笑顔になっているのです。いったい、誰が戦争を望んでいるのでしょう。
ノーザンライトの夜は静かに訪れました。あと2週間ほどずらせばここからでもオーロラが見えるのだそうです。それこそ、ブルーラグーンにつかりながら眺めることもできるのです。アイスランドの家庭料理を食べた後、「もしかしたら」と何度も窓の外を確認しましたが、やはりまだ現れてはくれませんでした。いつかは露天風呂にはいりながらのオーロラを味わってみたいものです。
「まだ真っ暗だ...」
翌朝ホテルをでると、外はまだ薄暗く、ひんやりとした空気に覆われました。アイスランドは、もう冬の支度を始めているようです。「ノーザンライトイン」と刻まれた表札が、光に照らされていました。
「また必ず泊まりにきますね」
空港まで送ってもらうと、握手を交わし、自然とそんな言葉がでてきました。たとえ一泊しかしていなくても、その中にいろんな会話があったから、ホテルの人との別れはつらいものです。そして僕は、ロンドン行きの飛行機に乗り、ほんのり明るくなってきたアイスランドをあとにしました。
1.週刊ふかわ |, 2.地球は生きている | 09:55 | コメント (0) | トラックバック