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2007年03月25日
第261回「THE SOUND OF MUSIQUE」
3つの裏メニューのまず一つ目は、アルバムです。ロケットマンの4枚目、サンセットレコードとしては2枚目のアルバム「THE SOUND OF MUSIQUE」です。発音は「サウンド・オブ・ミュージック」です。このタイトルにした理由は、あの映画を観てもらえればなんとなくわかると思います。ちなみに、特に大きな意味はありませんが、アルファベットだと「MUSIQUE」なので気をつけてください。5月9日リリースということは、あと1月半くらいあるわけですが、考えてみれば、前回の「愛と海と音楽と」が去年の8月リリースだったから、まだ一年も経っていないのです。つまり、「愛海」(略して言う場合の参考例)をリリースした興奮がさめるまもなく、次の制作に取り掛かったわけです。タレント業をやるかたわら、驚異的な速さで制作したのに誰もほめてくれません。でも、正直、とても満足しています。前回も満足していましたが、今回のそれは前回のそれを上回っているかもしれません。その満足感を得られた要因のひとつに、アルバム制作に慣れてきたということがまず挙げられます。なにかと初めての作業が多かった前回に比べ、今回は色々な面でスムーズに進んだので、一切の妥協のないアルバムになったのです。
内容的なことを言うと、今回も様々なゲストヴォーカルの方々に参加してもらいました。いわゆるフィーチャリングものがいくつか収録されています。また、今回も例によって例によるわけですが、作詞作曲はもちろんのこと、特にピアノに力を入れました。つまり、ピアノをたくさん弾いたわけです。それはもう、指の爪が割れてしまうほど弾きまくったのです。前回も弾いてないわけではなかったのですが、今回は全面的に弾いています。一度ピアニストをあきらめた僕が、こうしてアルバムの中に自分のピアノの音を収録できたことはとても幸せなことであり、小さい頃習っていたピアノの先生に感謝しました。全体的にはハウス率が高く、前回よりもクラブミュージックの度合いが強くなっています。でも、クラブとか行かない人でも充分楽しめるアルバムなのです。
ロケットマン結成が7年前、今回で通算4枚のアルバムをリリースしたわけですが、考えてみれば、ロケットマンはシングルを出したことがありません。シングルをリリースして、チャートが何位だとかって騒いだ思い出が一個もありません。つまり、ロケットマンは「NO SINGLE ARTIST」なのです。わざわざ英語で書くこともないのですが、つまり、シングルなきアーティストなのです。日本では、シングルを発売した後にアルバムをリリースするのが一般的です。ちなみにアメリカだと逆で、アルバムを出して、そこからシングルカットされることが一般的なのです。ロケットマンは、そのどちらのタイプにもあてはまりません。ロケットマンは「NO SINGLE STYLE」なのです。
ただ、このシングルというのも、もうすぐなくなってしまうでしょう。シングルの代わりに、ダウンロード数でチャートが決まるのです。まずはシングルカットとして配信し、ダウンロード数が多ければアルバムをリリースする、という流れになるのです。もっと言うと、アルバムさえなくなってしまうかもしれません。そんな時代がいつか訪れるでしょう。それがいつなのなのかはわかりませんが、現段階でわかっるのは、「NO SINGLE ARTIST」だからって、すごいことでも恥じることでもなんでもない、ということです。シングルを出そうと出すまいと、それは個人の勝手であって、そんなことはどうでもいいのです。ただ僕の場合は、たまたまレコード会社がセールスよりも作品性を重んじてくれる会社(売れなくてもいい、ということではなくて)なので、アルバムだけを作ることが成立しているのだと思います。
ということで、3つの裏メニューのまず1つ目、アルバム「THE SOUND OF MUSIQUE」は、ロケットマンが自信をもってお届けするアルバムです。発売まで、楽しみにしていてください。
1.週刊ふかわ | 10:30 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月18日
第260回「そのカフェはいつも」
そのカフェはいつも、深夜になると人が集まっていました。
「マッシュルームのピザをひとつお願いします」
「スベリソースのパスタをふたつ!」
「リアクショーネください!」
会社帰りのOLさんや、学生さん、ときどき業界人なども訪れ、こじんまりとしたフロアーはすぐにいっぱいになります。店長ひとりで切り盛りしているから、彼はいつもフロアーと厨房を行ったり来たりしていました。
「はい、お待たせしました、オムライスです!」
なかでも定番メニューの「オムライスいじられ風味」は、お店の売りにもなっていて、初めてくるお客さんはたいていそれを注文します。その日も、彼は小さな店内を駆け回っていました。
「いらっしゃい、、、あ!」
扉が開く音に振り向くと、そこには一人の女性が立っていました。
「こんばんは」
「ファンちゃん!」
「なんか久しぶりに店長の味が恋しくなって」
「そっか、ありがとう!じゃぁ奥のテーブル空いてるから」
店長は、彼女を座らせると、丸いテーブルの上にお水を置きました。
「ほんと久しぶりだね、何年ぶり?」
「何年もたった?なんか仕事で忙しくってなかなかこれなくって」
「そっかぁ、そうだよね、、、」
「でも本当はこの前来たんだよ」
「え、ほんと?」
「うん。来たんだけど、閉まってたの」
「え、いつだろ?」
「3ヶ月くらい前かな」
「あ、もしかして結構早い時間帯じゃない?最近は深夜営業にしてるから、8時くらいだとまだ開いてないんだよ」
「そうなんだ」
「あ、ちょっと待ってて」
そう言って、ほかのテーブルの注文を受けると、また急いで戻ってきました。
「ごめんね、なんせ一人だからさ」
「バイト雇えばいいのに」
「そうなんだけどね、まぁ一人でもいいかなって。で、なんにする?」
「じゃぁ、リアクショーネと、、、」
「あれ、お酒飲めるようになったの?」
「うん、カクテルくらいなら」
「食事は?」
「そうだ、あれ、ある?」
「あれって?」
「ほら、前に店長が何度か作ってくれた」
「あー、あれね!いいよ」
それは、常連客にしか出さない、裏のメニューでした。
「はい、お待たせしました」
しばらくすると、店長は飲み物と、「あれ」を持ってきました。
「なんか、無理言っちゃってごめんね」
「いえいえ、常連さんですから。こんなのありあわせの材料で作れちゃうし」
店長は、彼女がおいしそうに食べるのを嬉しそうに見ていました。
「ごちそうさまでした」
「あ、今日は、僕のおごりだから」
「そんな悪いよ、払うって!」
「いやいや、いいですよ。こんなの裏のメニューなんだし」
「そんなの関係ないって。だいたい、なんで表のメニューにしないんだろって前から思ってたし」
「それはほら、やっぱり洋食屋だから。あんまり違う感じのは出せないでしょ」
「そんなの気にしなくっていいのに。別に誰も文句言わないんだから。それよりも、自分が本当においしいと思う料理を出したほうがいいって。私なんかが偉そうに言うことじゃないけど、店長の料理、もっとたくさんの人に味わってもらうべきだよ」
そういって、彼女はテーブルにお金を置くと、「またくるね」と声を掛けて去っていきました。それから、一ヶ月くらいたちました。
「こんばんは!」
「あ、どうも、いらっしゃい!あれ、今日は一人じゃないんだ」
「そんな、友達がいないみたいじゃない。今日は同僚も連れてきちゃいました!」
「どうも!」
「こんばんは」
同僚のふたりが両脇から顔を出して挨拶すると、店長は3人を奥のテーブルに案内した。
「今日はなんにしましょう?」
「定番はオムライスなんでしょ?いじられ風味の」
「あ、でも、このスベリソースのパスタもおいしそうだなぁ」
「実はね、ここのお店のオススメはメニューにのってないの。店長、あれ、いい?」
ファン子が目で合図した。
「あ、はい、いいですよ」
「え、なに、あれって?」
「ん?この店の裏メニュー」
「裏メニュー?」
「そう。メニューには載ってない、常連さんだけが味わえる隠れメニュー」
「そうなんだ!じゃぁ私もそれがいい!」
「じゃぁ俺も!」
「あの、実は、、、」
すると店長が、気まずそうな表情で言った。
「え、もしかして、もうやってないの?」
「いえ、そうじゃないんです」
そう言うと、店長は壁にかかっているボードを指差しました。そこには、それまで彼女がひそかに頼んでいた裏のメニューがしっかりとオススメメニューとして書かれていました。
「店長!表にしたんだ!」
「やっぱり、これまでの味も大切ですけど、ほかの自分の味も味わってもらいたくって。もう、表とか裏にこだわらない、全部自分の味ですから」
「裏メニュー、解禁ってわけね。じゃぁ、今日は堂々と注文できるんだ!」
そして店長は、開店時間を早くしたことも彼女に伝えた。
「じゃぁ、オススメメニューのABCひとつずつお願いします」
「かしこまりました、お飲み物は?」
「じゃぁ、リアクショーネを3つ」
注文を受けると、店長はいそいで厨房にはいっていきました。まるで歌を歌っているかのような幸せな音が、中から聞こえてきました。
ということで、5月9日に3つの裏メニューをリリースすることになりました。詳細は次週お伝えします。
1.週刊ふかわ | 10:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月11日
第259回「返却できない男」
前回だったか、少し触れましたが、僕はビデオを借りていることを忘れることがよくあります。これは、ちょっとした病じゃないかと不安になるくらい、延滞率が高く、下手するとブラックリストに載っているんじゃないかと不安になるほどです。なぜ返却できないのかというと、それは単純に忘れてしまうからです。でも、ずっと忘れているかというとそうではなくて、ポイントポイントでは思い出しているのです。ふとした瞬間に借りていることを思い出し、そのときは「今日返さなくちゃ」と心に刻み付けるのだけど、数分後には、返却を誓ったあの頃のことをすっかり忘れてしまっているのです。人間の記憶というのはそういうもので、なんでもかんでも記憶し続けることはたいていできません。ごくおおざっぱに言えば、大事なことは覚え、そうでないものは奥の奥のほうへと消えていきます。受験のときに、どうしてもっと簡単に記憶できないのかと、自分の脳を責めたくなりましたが、簡単に記憶できて永遠に覚えている脳が優秀だとはいえません。そんな脳にバージョンアップでもしたら、おそらく頭がおかしくなって死んでしまうでしょう。楽しいことだけではなく、悲しいことさえもいつまでも鮮明に覚えているから、一度味わった悲劇から立ち直ることが非常に困難になります。つまり、歴史の試験で忘れっぽいのは嫌だけど、人生においては忘れられることこそ幸福なのです。たぶん、「なんでも記憶できて忘れない脳」よりも、「記憶しにくく忘れっぽい脳」のほうが、人間にとっては都合がいいのです。人間の脳の不得意な部分は、パソコンなどが補ってくれるだろうし。
それにしたって僕は納得できませんでした。この延滞率の高さは人としてだめなんじゃないかと、自分に腹が立ってしまうのです。自分の怠慢さを棚にあげて、個人的な要望を言えば、店側のシステムを少し改善してほしいというのもあります。借りた事実をもっと印象づけてくれればいいのです。現状のようなカウンターでの受け渡し程度ではなんの思い出にもなりません。だから、たとえばお祭りの射的のように借りたいDVDをうまく倒すことができたら借りれる、みたいなことにしてくれたら、ひと夏の思い出のように心に刻まれ、ふとした時にスローモーションでその様子が浮かんでしまうくらい忘れられなくなるでしょう。そうでなければ、青い袋を女性からのプレゼント風にして、返却日のレシートもラブレター風の便箋とかにしてくれたら、まるで後輩から告白でもされたような気分になり、確実に忘れられない思い出になるでしょう。正直、無理な注文ですが、僕の脳はもはやそこまでしてもらわないと、一週間前に借りたDVDを思い出せるほど余裕がなくなっているのです。
そんなことをわかっていたので、僕はその日、返却しなくてはならないDVDを車に載せてから家をでました。家の近所にあるその店は、ほぼ毎日通る道沿いなので、どんなに仕事中に忘れようとも、車に乗せていれば帰りに思い出すし、その店の前で気付くはずだとふんでいました。
「今回は、絶対忘れない!延滞しない男になってやる!」
そう何度も心に刻み付けました。そして、収録がおわったの12時過ぎ、車に戻ると横にDVDの袋がおいてありました。
「よし、順調だ!このままいつもどおり帰れば確実に返せる!」
僕はそう意気込んでいつものように帰っていました。信号で止まるたびに袋を確認しては、気持ちを引き締めていました。すべてが、いつもどおりに進んでいました。
「すみません、工事中なんで、ここ迂回してもらえますでしょうか」
赤い棒を持ったおじさんが言ってきました。
「ったく最近多いよな、、、」
年度末だからか、最近はよく道路工事を見かけます。なにかの工事で、家の近くの道も、ある区間だけ通行止めになっていました。しょうがないので僕は、すこし迂回してからいつもの道に戻り、いつも寄るコンビニでいつものようにコーヒーとお菓子を買い、いつものように車を車庫にいれ、いつものように家の鍵を開け、いつものように部屋着に着替え、いつものように原稿を書いて、いつものようにお風呂に入り、いつものように歯を磨き、いつものように寝て、いつものように翌日起きて、いつものように準備をして、いつものように家を出て、いつものように車に乗ると、いつもとは違うため息がこぼれました。
「か、返してない、、、」
昨日のままの状態で、DVDの袋が置いてありました。なぜ返していないのか、昨日の行動を振り返りました。するとすぐに、赤い棒のおじさんのことを思い出しました。
「あのときか、、、」
僕は愕然としました。ビデオ屋さんの前の道、ほんの数十メートルが通行止めになったことで、僕は完全に返却することを忘れてしまったのです。厳密にいうと、思い出すきっかけを道路工事に奪われたのです。そこの道を使いだして3年近くなるのに、そんな工事は初めてでした。よりによって返却を誓ったあの日に通行止めになるなんて、CIAかなにかの組織の陰謀としか考えられませんでした。
「ほんとは昨日の夜返したかったんですけど、なんか通行止めで通れなかったんです、あはは」
「あ、そうですか。えっと、一日延滞なんで、300円になります」
僕の気持ちなんて、誰もわかってくれない。
1.週刊ふかわ | 10:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月04日
第258回「続きはどこで?」
「続きはwebで」という終わり方をするCMが出始めの頃、正直僕は腹が立ってしょうがありませんでした。なんて未消化な広告なんだ、視聴者を馬鹿にするにもほどがある!と、頑固親父のようにイライラしていました。だって、クイズの問題だけ出しといて答えをwebでっていうようなものです。なにもせずにストレスを感じるのは絶対におかしいと思ったのです。そんな切なる願いが通じてか、世の中のCMのほとんどがそのようなに形になりました。皮肉なことに、世間は僕のように腹を立てる人よりも、受け入れる人のほうが多かったのです。「続きはWEBで」といわないまでも、検索ボタンをクリックする画面をテレビで見ない日はないくらい、その類のCMが当たり前になったのです。裏を返せば、CMを見て、ネットで詳しく調べてから購入する、そんなリズムが消費者の間に定着したということです。消費者は、CMを見ただけでは買わなくなったのです。検索をしてからじゃないと、財布を開けなくなったのです。
人類の歴史の中で、今日ほどに検索という言葉を口にしている時代があったでしょうか。いつのまにか、僕たちは検索する生き物になったのです。なぜ検索するのかの答えは簡単で、なにより、失敗したくないからです。買わなきゃよかったって後悔したくないのです。その気持ちは当然昔からありました。でも、この情報が錯綜する現代にこそ、それが難しくなってきたのです。自分にとっていい情報だけを取り入れていきたいのだけど、何を選択すればいいのかわからないのです。だから、後悔しない買い物をするために、気になるものをネットでゆっくりみて、安心して購入するようになったのです。だから、CMを流す側は、いかに消費者に検索させるかが勝負となるのです。
人間は、自分に必要だと思った情報しかインプットされません。しかし、その必要事項は自分の置かれている状況で変わります。つまり、常に必要と感じているものと、ふと必要だと感じるものがあるのです。クルマなんて、買い換えようと思ってる人なんてそう多くはいません。だから、いかに買い換えようっていう気分にさせるかが鍵なのです。あんだけ欲しくて手に入れたモノをいかに不満に思わせるか、なのです。不満と不安を与えて、新しいものを買わせ満足させる、このことの繰り返しなのです。企業はそういうものなのです。でないと、誰もお店にいかなくなってしまいます。当然、そんな心のうちを明かしている企業はほとんどありません。その内面を隠して、うまいことやっているわけです。でも、その内面が時々でちゃっている場合があります。「従来のタイプはここが弱点でしたが、新しいこの商品は、これまでの弱点を克服しました!」みたいなことを掲げているCMが最近ありました。どことは言いませんが、あんなCMは駄目なのです。あなたがあんなに素晴らしいって言っていたから僕たちは高いお金を払って買ったのに、その商品の弱点をいまさら宣告するなんて、ほんとそりゃないぜってことなのです。好きな女性を口説くときは散々自分をアピールしといて、目的が達成されたら「君みたいな魅力的な女性は僕にはもったいない、君にはもっとふさわしい男がいるよ」と、あとくされなく去ろうとする男みたいなものなのです。話がそれているようですが、つまり、愛がなくちゃだめってことです。男女の間にも、企業と消費者の間にも、愛がなくちゃだめなのです。視聴者に対する愛があれば、捏造なんてしないのです。多少なりとも愛はあるだろうけど、それよりも企業の利益を優先させてしまったからいけないのです。企業はいつも、「多大なる愛と、ほどよき不満」を与えないといけないのです。
気分転換に映画でも観ようと、ふらっとレンタルビデオ屋さんにいくことがあります。なにかいい映画ないものかと思っているのに、いくら探してもなかなかこれだというものが見つかりません。僕が観たい映画が一個も置いてないのです。それでなんだかよくわからない映画を借りてくると、途中で観るのをやめ、また今度にしようなんて思うのです。でもそんな魅力のない映画に再び再生させるパワーもなく、結局借りていることさえ忘れ、延滞料金を払って返却する、といういつものパターンに陥るのです。でもそれは、お店の品揃えが悪いわけでは決してありません。お店にそのときの僕の気分にあう作品がないわけないのです。あるのを発見できなかっただけなのです。量が多すぎてなんだかよくわからなくなってしまったのです。
店舗によって多少の違いはあるものの、たいてい五十音順だったり、監督別、俳優別、ジャンル別などにわけられていたりします。でも、ソフトが飽和状態のいま、人はそれだけでは自分の求めているものに出会えないのです。人は、自分がいま何を求めているかすらわからないのです。だから、たとえばニューシネマパラダイスが好きな人がそういった類の映画にも出会えるように、関連映画を横に並べてみるとか、50音順に並んでいても、泣ける映画には目立つように青いステッカーを貼ってみたり、これまでとは違った分類をすることが大切なのです。情報をうまく分類をする人、現代はまさに、そういった選ぶプロが必要になっているのです。でも、ただ分類すればいいってわけではありません。その分類に魅力がなければいけないのです。
さまざまなアーティストたちの名曲を一枚に収めたアルバムが飛ぶように売れることがあります。いい曲を聴きたい、でも特に誰ってわけじゃない、みたいな人たちにはとても手に取りやすいものです。これだけたくさんの商品が氾濫している中で、良質なものを選び、ひとつのテーマで括れる人がもてはやされる時代なのです。新しい作品を作る人も必要ですが、これまでに埋もれてしまった良い作品を探しだす人も必要な時代なのです。そういったコンピレーションアルバムにも、売れるもの、売れないものの差が出るのは、その分類の仕方に魅力があるかどうか、なのです。漠然とした気持ちでなんとなく立ち寄ったお客さんに、「あなたの求めていたのって、こんな感じのじゃないですか?」と差し出して、「うん、なんかこういうの求めてたかも」と思わせたら勝ちなのです。作るひとも、選ぶひとも、どちらもアーティストなわけで、そういう意味では、コンピレーションアルバムがゴールドディスクとして選ばれる日も遠くないかもしれません。
映画に関しても、やがてはコンピレーションDVDとしていくつかの映画がはいったものがでるかもしれません。曲がひとつ5分に対し、映画は120分だから困難だとしても、お店の棚にそれを作ればいいのです。「日曜日のけだるい午後におすすめ」というコーナーがあったり、「眠れぬ夜に」「ストレス発散!」みたいなくくりのコーナーがあるのです。「全米ナンバー1」という言葉が日本人の心に響かなくなったいま、「全米が馬鹿にした映画、日本上陸!」とかいうほうが、むしろ観たくなるのかもしれません。こういった世の中の風向きをしっかり理解したうえで、どのようなテーマ・イメージを掲げるかが大切なのです。
ファッションデザイナーとスタイリストの関係のように、情報が蔓延している現代では、新しい作品を作るのと同じくらい、既存の作品から時代にあったものを選びだす作業も、立派なクリエイティブなことなのです。これは決してコンピューターにはできない、人間の感性なのです。それでは、この話の続きはwebで。