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2006年12月24日

第251回「心の中で乾杯」

[注]
次回の週刊ふかわは2007年1月14日(日)公開(配信)となります。

第251回「心の中で乾杯」
 気付けばこの連載も250回を突破しているではありませんか。モーツアルトの生誕250周年記念があるのだから、この250という回数は十分祝うに値するタイミングではないでしょうか。しかもモーツアルトに関しては今年、故郷のザルツブルグや活動の拠点となったウィーンなどでさまざまな音楽祭が開催されたので、個人的には故郷の横浜で週刊ふかわ音楽祭なんてやってもいいのですが、それを実現するにはあまりに予算不足いうことで、なくなく断念しました。なので、100回200回の記念企画のように読者の皆さんを巻き込んだお祝いも考えたのですが、これを実現させるにはあまりに準備不足ということで、結局この250回というタイミングでは、「250回おめでとう...」と、心の中でグラスの先端を合わせるという、ある意味エアー乾杯的なお祝いすることにしました。ただ、300回が遠くに見えているので、心のどこかで300回記念はどうしようかな、なんて考えたりもしています。
それにしても、よくまぁ続いたものです。誰に頼まれているわけじゃないのだから、こんなの好きじゃなきゃやってられないです。いまだに「本人が書いてるんですか?」みたいな疑惑を抱く人もいるけど、ここまで付き合ってくれるゴーストライターもそうそういないと思います。ほんと、一度くらいは全然関係ない人に書いてもらってもいいのではと思うほどです。
とは言うものの、自分ではわかっています。「よく続いたなぁ」なんて言ってるけど、本当は知っているのです。どうして僕がこの連載をここまで続けるのかを。それは、呼吸だからです。僕にとってこの連載が呼吸だからなのです。つまり、生活になくてはならないものだということです。1、2週休むことは平気なのだけど、これを完全にやめてしまうと呼吸困難のようになり、苦しんで、あわよくば死んでしまうのです。さみしくて死ぬうさぎのように、書くことを絶たれて死んでしまうのです。人類初の、コラム中断死です。だから、この呼吸のラインが絶たれたら、ほかの呼吸法を探さないといけないわけです。そんなことに、結構前に気づいたのです。
だから、時々「これ、単行本にしないんですか」なんて言われるんだけど、あまりそういうことを意識してはいなかったのです。実際、この週刊ふかわを基にした単行本は、「ムーンライトセレナーデ」と「カフェオレスマイル」というタイトルで絶賛発売したのがおよそ3年前のことで、それからというもの僕はその2冊で満足し、単行本にすることを意識しないでいました。意識してしまうとそれが露呈したり、自由さを欠いてしまうこともあります。そしてなにより僕にとってこれらの文章は呼吸なので、単行本になろうとなかろうと、呼吸できればいいと思っていたのです。
しかし!しかししかし!!そんな無欲な32歳の男のところに重大なニュースが飛び込んできました。ちょうどこの250回を迎えるにあたり、まるでコウノトリが運んできたかのように、この週刊ふかわの単行本化の話が舞い込んできたのです。あまり詳しいことはまだ言えないのですが、そんなことになっているわけです。そうなると、出版の際にはまた記念イベントを開催しなくてはなりません。出版記念サイン会もいいけれど、せっかくだから出版記念温泉ツアーぐらいやりたいところです。夢は膨らむばかりです。
普段あまり本を読んだりしない僕ですが、たまに好きな本に出会うと、読まないのにかばんの中にいれておきたくなることがあります。そんな、ついついそばにおきたくなる本を目指したいところです。ただ、僕が今懸念しているのは、この250という数の文章からどれを選ぶべきか、ということです。数が数だけに、すべてを掲載するわけにはいきません。「じゃぁ、3冊セットで!」みたいなことを言える身分でもありません。なのでやっぱりここは、読者の皆さんに「掲載してほしい回」を投票してもらうのがいいかと思います。それを参考にすれば必然的にみなさんの納得のいく感じになるんじゃないかと思うのです。なので時間のある人は過去の回もなんとなく気にしててください。実際の投票に関しては、またあらためて発表します。ちなみにですが、「ネットで前のを見れるんだから、わざわざ単行本で見る必要ない」的なものには絶対にしないので、発売日も決まっていないですが、いまから心の中で予約しておいてください。
ほっとくとすぐ社会批判的な文章を書いてしまうので、今日は少しハッピーな話題にしました。それではメリークリスマス!!よいお年を!!

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年12月17日

第250回「ヘルシーDJはいつも風邪気味」

僕がそのことに気づいたのは、ちょうど季節が秋から冬に変わろうとしていた頃です。

「前からうすうす感じていたけれど、ひょっとして僕は、ヘルシーDJかもしれない・・・」

夏からの地方イベントを繰り返してきた中で感じたとはいろいろとありましたが、なかでも強く感じたのが、自分がいかにヘルシーなDJであるか、ということでした。自分で言うのもなんですが、こんなにヘルシーなDJはほかに類を見ない気がします。その理由のひとつには、お酒を飲まない、ということが挙げられます。

東京のイベントでは景気づけに赤、白ワインで乾杯をしたりしますが、地方のイベントではまず飲みません。スタッフの人に「飲み物は何にしますか」と訊かれるのですが、僕は決まって「水でお願いします」というのです。「え、水ですか?」と必ず聞き返されます。一時期は、DJ後のコーラが世界一うまい飲み物だと思っていましたが、最近では味よりも健康に気をつかうようになったためか、自然と水を飲むようになったのです。        

タバコを吸わなくなったことも、僕がヘルシーDJである理由のひとつです。クラブというと、どこか煙に包まれたダークなイメージがあります。また、DJによってはタバコをくわえながらレコードをセットするさまがかっこよかたりもするのですが、3年前にタバコを卒業したので、今ではまったく吸わないのです。いま思うと、喫煙時代に違和感さえ感じます。このように、今年の地方巡業の間、一滴も、そして一本も酒もタバコをやらなかったことは、まさにヘルシーDJと称するに値するのではないでしょうか。しかも、ヘルシーDJのDJバックの中にはいつもパブロンがはいっています。小袋がふたつほど常備されているのです。なぜなら、常にパブロンを携帯しておかないと「早めのパブロン」ができないからです。もしかしたら胃薬を携帯しているDJはいるかもしれないけど、常に風邪薬を携帯しているDJはそうそういないと思います。さらに、新幹線や飛行機で寝るとすぐにのどをやられてしまうので、ヘルシーDJのバッグにはマスクもはいっています。特に冬場はこれをしないと100%体調を悪くするのです。ついでに言うとヘルシーDJは、午前中にタクシーに乗りません。これはいまだに理由がよくわからないのですが、午前中にタクシーに乗ると必ず具合いが悪くなるからです。だから、ヘルシーDJにとって午前中のタクシーは禁物なのです。

ヘルシーDJはいつも足を高くして寝ます。足が異様にむくんでしまうので、足を高くしないと寝れないのです。新幹線や飛行機のなかで寝るときは、どうにか足を高くできるように、常に足の指先のひっかかるポイントを探します。2センチほどのでっぱりがあればなんとかなるものです。

ヘルシーDJは腕時計をしません。特に冬場は絶対にしません。なぜなら、腕時計をすると風邪を引いてしまうからです。そんな馬鹿なことがと思うかもしれませんが、これが本当なのです。腕時計といってもすべてのタイプではなく、金属系のもの、ひんやり系の時計です。いわゆる、「おなかを冷やすと風邪ひくよ」というのが僕の場合、「手首を冷やすと風邪ひくよ」になるのです。「腕時計をすると風邪ひくよ」「貴金属をさわると熱出すよ」というのも、類句として挙げられます。

ヘルシーDJは毎日豆乳を飲みます。一時期はミツカンのお酢をストレートで飲むことにはまり、海外にまで持参するほどでしたが、いまではやはり豆乳になりました。これと野菜ジュースを毎日一本ずつ飲むことで、ヘルシーさを保っているのです。ちなみにヘルシーDJはなにかを気にしてか、コーヒーは無糖です。20代のカフェオレ期から30代のブラック期へと突入したのです。

これだけ健康に気をつかっているというのに、こんなにもヘルシーな日常を送っているというのに、ヘルシーDJはいつも風邪気味です。いつも熱っぽいです。微熱という言葉では若干ニュアンスが違うのですが、いつも体がほてっている感じなのです。常に綱渡り状態で、ちょっとでも無理をするとすぐに扁桃腺が腫れてしまいます。

これらが、僕がヘルシーDJたる理由です。ヘルシーDJというよりは、むしろ病弱DJと言うほうが近いのかもしれませんが、いずれにしても、ヘルシーであることは否めないのです。世の中にはいろんなミックスアルバムがありますが、ヘルシーミックスというのをやりたいくらいです。ロケットマンのベジタブルミックス、みたいなことでしょうか。サウンド的にヘルシーさを表現するのはなかなか難しいですが、聴いた人に「このミックスアルバム、ヘルシーだなぁ」と感じさせることができたらとても素晴らしいです。DJ中は、曲ごとに消費カロリーが表記されたり、Tシャツを投げるかわりにサプリメントを投げたり。クラブ自体も、5階建ての健康ランドの中にあって、禁煙フロアや他の階にいけば岩盤浴や温泉、薬局などがあるのです。「ちょっと踊り疲れたから温泉いってくる」みたいに。瓶のコーヒー牛乳を片手に踊ってる人もいて。それこそまさに、ヘルシーDJにとっては夢のクラブです。そんなことを目指して、ヘルシーDJは全国各地のクラブを飛び回るのです。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年12月10日

第249回「感謝の言葉にかえて」

週末となると、どこかしらのクラブでDJをしていたから、どこにもいかない週末に一抹の違和感を感じるようになりました。8月のリリースを皮切りに、北は北海道札幌から南は九州大分まで、全10都市のクラブでイベントをしてきたのですが、季節が秋にかわろうと、コートを着るようになっても、夏のアルバムのプロモーションをしていたので、一段落したいま、ようやく長い夏が終わったような感じさえあります。

イベントで全国をまわっているものの、あまりその土地土地の名物を堪能する時間もなく、ほぼとんぼ返りに近いケースがほとんどでした。それでもやはり、東京以外のクラブでイベントするのは新鮮で(東京が新鮮ではないという意味ではなく)、それでいて場所によっては数年ぶりに会う人たちがいたりと、懐かしい故郷に帰るような気分にもなります。大好きな新幹線で、コーヒーとお菓子を横に、好きな音楽を聴いて景色を眺めていることも、普段味わえない貴重な時間です。でも、地方イベントはいいことばかりではありません。

一応、アルバムリリースのイベントなわけだから、会場での物販がつきものです。今回はサンセットレコードTシャツとアルバムを会場で販売したのですが、この準備が一苦労なのです。というのも、そういった物販の品物を僕が管理しているからです。Tシャツなんかは、自分で業者に発注して自宅で保管しているので、タイミングによっては、部屋がダンボールだらけの倉庫のようになることもあります。そしてそれらをイベントの数日前にアルバムと一緒に箱つめして発送するという、非常に地味な作業を避けられないのです。だから週に一度は最寄りのコンビニにダンボールを二つ抱えて現れ、各地に郵送していたのです。おかげで伝票の書き方にも慣れ、この地域だといつくらいに着くかということも、だいたいわかるようになりました。

その規模の大きさもあり、地方のイベントは都内のイベントよりもDJ中のテンションが若干高いかもしれません。それでよく、DJ中にTシャツを脱いではフロアに投げまくったりしていました。かつてはその後も、上半身裸のまま汗を吹き散らしてDJを続けていたものです。それは、華奢ではあるものの、若い男の肉体と汗の結晶により、DJブースをまるでリングのように感じさせていたことでしょう。しかし、時は無常なもので、いつのまにか32歳になり、肉体的な緊張感がなくなりはじめ、汗を吹き散らしてDJをすると、ゆるい肉体と汗の結晶により、DJブースをまるでサウナのように感じさせてしまいます。その結果、脱いだらすぐ着る、というライフスタイルに変わったのです。

また、いろいろ回ってきて感じるのは、どこの地方でもとてもお客さんたちが素直だ、ということです。僕が両手をあげれば両手を挙げて、声を出せば声をだす、という良いお客さんたちに恵まれたと思います。また、人里離れたクラブでも、地元のDJたちのおかげで、とても洗練された音が流れていたりするのです。やはりクラブは、DJたちがお客さんのセンスを磨くのかもしれません。

ちなみにですが、僕はいつも控え室のようなところにいきません。DJが終わったあとも、控え室やVIPなどにはいかないのです。じゃぁどこにいくかというと、みんなのいるフロアにいくのです。それは、これまで一環してきたことなのですが、僕の場合は、DJプラスその後のコミュニケーションがセットでDJだと思っているので、プレイ後はたいていフロアにいくのです。すると、みんなが寄ってきて握手をしたり、頭を触ってきたり、ズボンをおろそうとしてきたり、抱きついてきたり、プロポーズしてきたり、といろんなことが巻き起こります。余談ですが、地方のクラブにいくと必ず一人は「結婚してください」という人が現れます。当然、本気ではないのだろうけど、ほんと不思議な現象です。それはそれとして、一番多いのはやはり写メールです。「お客さん全員と撮ったかも」というくらい、みんなと撮ります。正直へとへとになります。あまりに疲れて表情も笑顔になってないです。でも記念になればと思い、僕はみんなと撮るのです。おそらく、全国に存在するケータイのなかで、かなり多くのケータイの中に僕の顔が保存されているかもしれません。また撮ったあとに友人に送っていたりすると、一気にその地域で僕の顔のデータがとびまわっているかと思うと妙な気分になります。ちなみに、都内では常連さんが多いことや、雰囲気的にあまり写真をお願いされることもありません。どちらかというと、僕のほうがみんなをパチパチとっているくらいです。

この夏からの地方巡業で僕が感じたことは、これだけではありませんでした。いろいろイベントを重ねてきて強く感じたことがもうひとつありました。それは次週おはなしすることにします。それでは、全国のイベントに足を運んでくれた皆さん、そしてクラブのスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。またいつか必ず訪れるので、そのときまで。この文章をみなさんへの感謝の言葉にかえて。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年12月03日

第248回「ビリーにくびったけ」

基本的に出不精で、よほどのことがないと足を運ばない僕が自らぴあに電話をしてチケットを取るほどなのだから、僕にとっては相当な人なわけです。いまも聴いている、というよりは、青春時代に聴いていたから、もはや殿堂入りしていて、彼のアルバムは他とは違うところに保管してあるのです。さらに彼はピアノのアーティストだから、より一層に愛着があり、今回の公演は、見に行かないわけにいかなかったのです。
そもそも僕が彼のサウンドに出会ったのは小学生の頃でした。やはりこれも兄の影響なのですが、我が家のゴールデンタイムは、テレビ神奈川のビルボードのチャート番組が流れていたのです。しかも当時は室内アンテナで異様に映りの悪い状況でした。兄とのチャンネル争いに負けていた僕は、番組自体には興味がなくっても、そこから流れる音楽には体が勝手に反応してしまうようで、小学生の僕でも「いい曲だなぁ」と思うものも少なくなかったのです。そのひとつが、「アップタウンガール」でした。それは、彼にしては珍しく明るいアップテンポの曲なのですが、彼の名前こそ知らないものの、その曲が流れると異様にテンションがあがっていたのを覚えています。それが、僕とビリージョエルとの出会いでした。もう20年以上前のことです。そして、その後も彼はヒット曲を連発し、日本でもラジオから「オネスティー」が流れ、CMでは「ストレンジャー」が使用されたりと、おそらく「ビリー・ジョエル」の曲は日本中に響き渡っていたのです。僕がこれまでピアノを手放さなかったのは、彼への憧れというのも否めないでしょう。僕の体内には、20年前からビリーのサウンドが流れているのです。
「ポールは何年前だったかな...」
ポールのときが、それはもう大変なことになっていたから、今回は大量のポケットティッシュをポケットにつめこんで、車を降りました。地下駐車場から地上に出ると、ポール以来の東京ドームは、冷たい風が吹き付けているものの、多くの人たちであふれていました。やはり目立っていたのは、スーツを着た大人たちで、青春時代にビリー・ジョエルにはまった人たちが、会社帰りに集合している感じでした。
「これだと、泣かないな...」
自分の席に辿り着くと、ステージを正面にしているものの、予想以上に遠く、きっと感情移入できなくて泣くまではいかないのではと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。開演の7時を少し過ぎるとドーム内が暗くなり、しばらくして突如ピアノの音が鳴り響くと、場内が沸きました。そして、巨大スクリーンに彼の顔が映し出されるとさらなる歓声に包まれました。
「これは、やばいかもしれない...」
どうにか表面張力で耐えているものの、それも時間の問題でした。彼が歌いはじめるともう涙上昇してくるのがわかりました。そして、一曲目のサビでもはや堤防は崩壊しました。これは、涙腺のゆるさの問題ではなく、小さいころから聴いていた音楽がいまあらたに体内に流れ、それは、悲しみとか幸福とかを超越した感情が、涙というカタチになってあふれてくるのです。
「これはまた2時間コースだ...」
ポールのときも結局最初から最後まで肩をふるわせていました。次から次へと流れるナンバーに、僕の体はおかしくなってしまいそうでした。僕は、米粒のように見える生の姿と、大画面に映る彼の表情を頭の中でうまく編集してライブを楽しんでいました。
そして、彼がピアノの前に座り、ハーモニカを首にかけると、場内はそれまでとまた違った雰囲気になりました。誰もが、ついに来たと思いました。「上を向いて歩こう」をジャジーに弾いて和やかな空気にしたのちに、あの名曲のイントロを弾き始めると、なんとも言えない緊張感とどよめきが起こりました。この曲は、彼がまだ全然無名な頃に、ニューヨークのピアノバーで弾き語りをしていた当時のことを歌った曲で、もっとも愛されている曲かもしれません。
「聴いていたい!でも歌いたい!」
おそらく皆そんな気分だったでしょう。でもやっぱり気持ちが抑えきれず、歌わずにはいられませんでした。気付くと全員で「ピアノマン」を歌っていました。ひとりの海外のアーティストの歌が日本人に愛され、自然に歌えるということは、どんなに素晴らしいことなのでしょう。音楽の力、そして音楽が国境をこえていく瞬間を目の当たりにしました。ピアノをやっていてよかったとも思いました。そしてなにより、ポケットティッシュを多めに持ってきてよかったと実感しました。ポール以来の東京ドーム、僕がこんど訪れるのは、誰のときなのでしょう。

1.週刊ふかわ | 10:00