« 2006年10月 | TOP | 2006年12月 »

2006年11月26日

第247回「七色の旗」

「ETCをつけるような男にはならない!」
僕はその機械が登場したとき、そう心に決めました。ETCというのは、高速道路などの料金所における、センサーによる料金支払いシステムで、それがあると停止せずに通過できるという、まさに近未来的な設備のことをいいます。これによって料金所での渋滞を解消し、警備などにも役立つわけです。これほど便利な機械に対し、僕がなぜ拒絶するかというと、カーナビを搭載していないのと同じ理由が挙げられます。まず、そこまでして機械に頼らなくってもいいだろ、ということです。確かに便利だけど、別に今のままでもそんなに不自由じゃないのだから、むしろ人間の怠慢さの表れだ、なんて思ってしまうのです。もうひとつは、自分が見張られているようで嫌だ、ということです。センサーで反応することが、どこか大きな組織の管理下におかれているような感覚になり、束縛されている気分になるのです。だから、僕はカーナビが登場したときも、「俺はカーナビを搭載するような男にはならねぇ!」と決心し、いまだに古い地図をいちいち開いては、集合時間に遅刻する、という日々を送っているのです。それほどまでに、日常生活における機械の侵略に対して常に警戒をはらっている僕だから、ETCが登場したときに拒絶反応を起こすのも無理はなく、周囲がスイスイETCのゲートを通過していくのを尻目に僕は、料金所にさしかかると、車内のあらゆる窪みから小銭を集め、しっかりと停止して料金を支払っているわけです。
料金所で働く人たちは比較的年配の方が多いです。おそらく、定年後の再就職先として紹介されたりするのでしょう。高齢な方の中にも、とても元気に挨拶してくれる人がいたりして、一台一台にそう声を掛けているのかと思うと、ほんとにお疲れ様です、と頭があがりません。人によっては、「あれ、どっかで見たことある顔だね」「あら、見てるわよ、がんばってね!」などのような暖かい声を掛けてくれることもあります。だから僕は、そんな料金所の人々を裏切りたくないというのもあって、断固としてETCを搭載しないことを決意していたのです。しかし、時代の流れは残酷なもので、最初は料金所の端にあったETCのレーンが次第に頭角を現し、国会での議席数を増やすように、ETC党の席が徐々に増え、いまでは現金で支払うレーンが端に追いやられ、あからさまにETC利用者が優先されるようになりました。完全にETCが与党になったのです。しかも、ETC車には割引制度があったりと、喫煙者のように、なぜだか肩身の狭い思いをするようになってしまったのです。おかしな話です。楽をしている人が優先されて、いままでどおりの人のための場所が少なくなる。これではむしろ、喫煙者を優遇し、非喫煙者を外へ追いやるようなものです。いずれにせよ、駅に自動改札なるものが登場したときはそれほど感じなかったのに、このETCの普及になるとどこか寂しい感情が生まれたのは、改札の人が無表情で言葉を発さなかったのに対し、料金所の人とは言葉を交わすコミュニケーション、つまり人間の温度があったからかもしれません。
「えー、みなさんの耳にも多少はいっているかもしれませんが、今日からこの料金所にも、ETCが導入されることになりまして...」
ある朝のことでした。
「6レーンのうち、半分の3レーンがETCになるため、人件費もいままでの半分でまかなえるようになりました。それに伴い、これから読み上げる者は本日をもって...」
ETCの導入によってカットされた者の中に、藤村がいた。藤村は定年退職した後にどうしても働きたく、知人の紹介でいまの料金所の仕事に就き、もう7年が経とうとしていた。
「藤村さん、長い間おつかれさまでした。今日はお昼で帰っていいですからね」
「な、なんでじゃ...」
「午後からはETC専用になりますので、藤村さんは午前中で終了となります」
「わしは...わしは明日からどうしたら...」
「もしよければ来ていただいても結構ですが、とりあえずゲートでの業務は今日で...」
「そんな、急な...」
「ちなみに、いまのところは半分ですけど、あと何年かしたら全部がETCになるかもしれないですからね。皆さんにはお気の毒ですけど...」
藤村は言葉を失った。

「ほら、おじいちゃんいるかな?」
藤村には愛する孫がいた。息子夫婦の車が料金所を通るたびに、藤村は窓からのぞく孫にお菓子を与えていた。それが、料金所で働く藤村の一番の楽しみでもあった。
「亮太、今日はおじいちゃんなにくれるかな?」
藤村はいつも、どの場所にいるかわかるように、七色の旗をたてていた。
「あれ、旗がないわね、どうしたのかしら」
「おかしいな、出勤してるはずなんだけど...」
「おじじは?ねぇおじじは?」
亮太は藤村のことをそう呼んでいた。
「おじじはねぇ、今日はいないみたい」
「おじじは?ねぇ、おじじは?」
息子夫婦は藤村が料金所にいないことが少し気になった。

「えっ、今日で終わり?なんでまた急に?!」
「それが、ETCとかなんとかいう機械が設置されたみたいでね...」
藤村の妻である房江が、お茶をいれながら言った。
「おじいちゃん、だいじょうぶ?」
「わしは...わしは...あんな機械には負けん!」
「おじいさん、怒ってもしょうがありませんよ。これからはゆっくり休めるじゃないですか」
「わしは...わしは...人の役に立ちたいんじゃ!!」
「おじいちゃん...」
しかし、その日から藤村が料金所に立つことはなかった。

「おじじは?ねぇおじじは?」
それから数ヶ月後のことだった。
「亮太、もうおじじはいないんだよ」
「おじじはね、あの遠いお空の上にいるのよ」
「いやだ!おじじからお菓子もらう!おじじのお菓子たべたい!」
「亮太...」
「世間の車はみんなETCつけてるけど、うちは、つけないでいような...最後の最後まで...」
「うん...」
亮太は、七色の旗を手にし、遠ざかる料金所を後ろのガラス越しに眺めていた。
どこかでこんなことが起きているかと思うと、胸が痛くてETCを搭載できなかったのです。おじじのためにも、僕は、あくまで人のいる料金所を通過したかったのです。
そんな僕の車に、もうすぐETCが搭載されることになります。あんなに頑なに設置するのを拒んできた僕が、遂にETCを搭載することに決めたのは、決して便利さに心が揺れたからでも、時代に流されたからでもありません。あくまでも気晴らしです。気晴らしに散歩をするように、気晴らしにETCをつけるのです。でないと、おじじをはじめ、全国の料金所のおじいちゃんたちを裏切ることになってしまいます。
「決しておじじを裏切ったわけではない。料金所のおじいちゃんたちの笑顔を無駄にしたわけではないんだ!」
いくらそう心にいいきかせても、それでも僕の心は痛みます。
「では、来週の水曜日にお待ちしてますので...」
ETCを設置する日程を決めたとき、まさに人間が便利さに溺れ、堕落してゆく瞬間を、身をもって感じました。こうやって人は便利さに振り回され、時代に流されていくのです。
「昔は料金所でいちいちとまってたんだよ」
「へーそうなんだ。パパの時代は大変だったんだね!」
なんて会話がいつかおとずれるのでしょう。料金所に人がいたことも、そしておじじがいたことも、みんな忘れてしまうのでしょう。時間は、ときに残酷で、時代はときに犠牲を生みます。こうしてまたひとつ、地球から大事なコミュニケーションが消えていきました。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年11月19日

第246回「若気の至り」

はやいもので、「かくし芸」という言葉がきこえてくる時期になりました。とくにうちの事務所は、このお正月恒例番組をたちあげてきたので、ここに対する思いは熱く、会社あげての大イベントという感があります。なので、今くらいの時期になると、誰が何をやるだとかの話が随所で持ち上がるのです。

そんな環境もあって、強い印象こそ与えていないものの、僕自身もなんだかんだ毎年出演しています。集団の中のひとりだったり、誰かのサポート的な感じで。ただ、この「かくし芸」という言葉をきくたびに、僕の古傷がじんじんとうずくのです。心がちくちく痛むのです。それはまだ、僕が20歳の頃のことでした。

高2のときに決心したとおり、僕は20歳になってから芸能界の門を叩きました。決意通りに、20歳の誕生日を迎えると、まずその門を探すところからはじめ、あらゆる門を手当たりしだい叩き、「どうぞ」と開けてくれたのが、いまの所属事務所であるワタナベエンターテインメント(当時渡辺プロ)だったのです。ただ、このはいった、というのは幻想にすぎず、決してその段階で契約が交わされているわけではなく、当然なんの保証もされていません(それは今も同じですが)。事務所主催のお笑いライブに出演するためのオーディション(ネタ見せ)に通うだけなのです。だから、所属というよりは、勉強会に参加しているという色が強いのです。とはいうものの、参加が自由かと思えばそうでもなくって、一度通い始めたら、なんとなく登録っぽい雰囲気になり、契約はしてないんだけど、どこの事務所かといえばうちだから、的ななんともいえない微妙な関係になるのです。その後ライブに出続けて、テレビなどでの出演が安定してくると、正式な契約が交わされ、宣伝材料の写真を撮影し、入り口の壁に飾られ、所属タレントっぽい感じになっていくのです。そんな段階になるずっと前に、事件は起きました。

「ということで明日の日曜日、うちの事務所が制作するかくし芸大会の収録に、みなさんに手伝ってもらうことになりました」

ネタ見せが終わった会議室に集まっている名もなき若手たちを担当する平田マネージャー(仮名)は、ホワイトボードの前で説明していました。

「詳しくは明日話しますが、簡単に言うと、顔面を白く塗って、全身シロタイツを着て、背景のオブジェになってもらいます」

当時、フジテレビがまだお台場ではなく、曙橋駅の河田町というところにあったときでした。

「朝、6時集合なので少し早いですが、現場になれるためにも非常に意味のあることなので、ぜひ参加してください。もし都合が悪い人がいたら言うように」

そう言って、その日のネタ見せはおわりました。まだタレントでもなんでもない若手が収録に呼ばれたら、その役がなんであろうと、それがオブジェであろうと葉っぱであろうと、二つ返事でやるのがあたりまえです。しかし、当時の僕は違いました。

「お疲れ様でした!」

みんなが部屋を出ていくと、僕は平田マネージャーのところへ行きました。

「どしたふかわ?」

「あの、明日のことなんですけど、、、」

「朝6時な。遅刻すんなよ」

「いえ、あの、、、」

「なんだよ、どした?」

「明日、、、僕いけません!」

「なんでだよ、バイトか?」

「いえ、バイトじゃないです」

「デートか?」

「いえ、デートでもなくって」

「じゃぁ、なんなんだよ。ちゃんと理由をいいなさいよ」

すでにイライラしている彼に言うことをためらいましたが、口が勝手に動きだしました。

「明日の仕事って、言ったら誰でもいいことですよね」

「まぁ、そうだなぁ」

「学生のバイトでもいいわけですよね」

「そうだよ、それがなにか問題ある?」

「だったら、僕はいいです!」

「いいですって、参加しないってこと?」

「はい」

「お前なにいってんだよ、そんなこと言ってたら一生仕事こないぞ」

「でも、これだって、僕にきた仕事ではありませんから」

「そりゃそうだけど、最初はそういうもんなんだよ!」

「僕は、オブジェをやるためにこの世界にはいったんじゃないです!」

おそらくそこまでは言ってないと思いますが、そんなニュアンスのことを言って、担当の平田氏を呆れさせました。そして翌日、結局僕は収録には行かずに、一日中そわそわしながら過ごしただけでした。

たしかに、全身白タイツで顔を真っ白にして、おまけに背景ときたら、誰がやっても同じです。しかし、だからといって自分のことだけを考えていたらだめなのです。普通、そんなことを言う若手は、「あいつ何様なんだ」とまず事務所にいられなくなります。あの頃は若かったから、ナイフの刃先のように、相当尖っていたのでしょう。そんなことを言っていた僕がいまこうして、この番組の収録にのぞめるのも、ある種奇跡的なことなのかもしれません。

自分のやりたいことも大事だけど、自分を貫く強さの前に、周囲のために尽くす柔軟性も必要なわけです。自分のやりたいことなんて、そうカンタンにできるものじゃなくって、ひとのために尽くしてこそ自分のやりたいことを追求する資格がもてるのです。自分らしく生きることは、自分勝手に生きることではありません。周囲のために生きなければきっと、自分らしく生きることなんてできないのです。あれから12年、僕もこんな風に考えるようになりました。芸能界もわるくないです。

PS:ツアー表には記してませんが、来週の水曜日に福山のBACUというクラブでイベントをやります。お近くの人はぜひ遊びにきてください。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年11月12日

第245回「一膳と言えない男」

多いときで週に2回、京樽にいきます。知らない人のために説明すると、京樽とはお寿司やさんなのですが、いわゆる回転寿司とかのタイプではなく、駅とかにあるような、ショーウインドーにおにぎりとか太巻きとかが並べらている、売店のような店舗です。かつては、京樽という和食レストランを良く見かけたものでしたが、どこかに買収されたのか、いまはその手のタイプはなくなってしまいました。しかし、規模は小さくなったものの、都内ではその店舗をよく見かけます。僕が普段利用しているのは、世田谷のとある駅前にある店舗で、自宅から原付で5分くらいのところにあります。

一人暮らしを開始してもう10年以上たつというのに、いまだ料理のレパートリーがやきそばとチャーハン、これをいれていいのであればフレンチトーストというくらいなので、相変わらず外食中心の食生活になっています。僕にとって、オリジン弁当を中心としたお弁当やさんなどは、僕の厨房であり、それらの厨房をローテーションさせることで、どうにか飽きがこないよう食卓にしているのです。そんな中でも、この京樽の厨房はローテーションがまわってくるのが早く、「今日行ったら店員さんに、他にないのって思われる...」と、自粛することさえあるほどです。それほどまでに、京樽は僕の食生活の柱となっているのです。特に惹き付けるは、赤飯おにぎりです。ここの赤飯おにぎりはコンビなどで売っているのに比べ、とてももちもちしていて、小豆も豊富で、何個でも食べてしまえるのです。だから家には、京樽の赤飯おにぎり用に、瓶のごま塩が常備してあるのです。「迷ったら京樽にいけ!(ランチ時)」という言葉は、息子たちに遺言として伝えたい言葉のひとつでもあります。そんなにも京樽を愛しているのに、僕は嘘をついていました。いつの頃からか忘れてしまったけれど、僕は、京樽に嘘をついていたのです。

「お箸は何膳になさいますか?」

その質問に対し、一人暮らしである僕は、

「一膳お願いします」

と答えればいいのです。なのに、全国ネガティブ選手権30代男性部門第1位の僕は、

「お箸は何膳になさいますか?」

という質問がどうしても、

「これ何人で食べるんですか?」

という風にきこえてならないのです。だから、一人で寂しく食べている、と思われるのが嫌で、

「えっと、二膳でお願いします...」

と答えてしまうのです。見栄を張ったばっかりに、僕はずっと、京樽に嘘をついてきたのです。しかも、コンディションがわるく、ハードネガティブのときは、店員さんの質問が、

「あなたよく買いに来るけど、ほんと赤飯おにぎり好きだよね。冒険心ってものがないのかな。で、こんだけ買ってるけど、いったい何人で食べんの?まさか一人じゃないよね?これを一人で食べてたら、なんか悲しくて同情しちゃうよ...」

という風に聞こえてしまうのです。だから僕も同情されないように、

「あと、しょうゆとしょうが多めにください...」

と言うことによって、孤独じゃないアピールをし、誰かと食べている感じを出しているのです。もっと言うと、

「そうなんですよ、赤飯おにぎり好きなんですよ。もう毎日でもいいくらい。っていうか、僕っていうより、彼女なんですけどね、ほしのあき似の。その彼女が買ってきてっておねだりするもんだから...」

というストーリーを、入店するあたりのしぐさなどで精一杯表現しているのです。

そんなことをしていたら、家の割り箸、そして小分けされた醤油としょうががどんどん増えていきました。

もう後悔してもしょうがありません。これから先が大事なのです。大きくは、二つの選択肢があります。ひとつは今度行ったときに、「一膳でいいです」と、いままでの謝罪を含め、すべて正直に伝える。もうひとつは、こうなったら嘘をつき通す。つまり、彼女的存在になってくれる人を募集し、一緒に京樽に入店してもらう。入店するなり、「なんだ、ほかのもあるんじゃない!」と、いつも家で待ってる風な雰囲気をだすのです。そうすることで、「なんだ、ほんとに二人だったんだ」と思わせることができるのです。ちなみに「お箸いりません」と言うことも可能ですが、それでは解決にならないので、上の二つから選ばなくてはなりません。でももしかすると、あの店員さんはもう気付いているのかもしれません、僕がひとりで食べていることを。本当は、「お箸一膳でいいですよね」といえるところを、あえてそうはきかないでいるのです。きっと店員さんのやさしさなのです。だから、このまま店員さんのやさしさを享受していてもいいかもしれません。そしてそのやさしさが当たり前になるとき、つまり、お箸が本当に二膳必要になるときが訪れる日まで、嘘をついていてもいいのかもしれません。

「一膳」と言うべきか、「二膳」と言うべきか、それが僕の目の前に立ちはだかった大きな問題なのです。それが決まるまでは、京樽には行かず、小僧寿しチェーンに行かないといけません。いずれにしても結論が出るまでは、僕が一人で食べていることは、絶対に京樽に言わないでおいてください。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年11月05日

第244回「命の重さ」

それにしても、日本のマスコミはひどいものが多いです。物事の真実を捉えようとせず、単に悪者を吊るし上げて楽しんでいるだけに終始していることがよくあります。テレビや記事から伝える場合、どうやったっても100%真実にはならないのだけれど、限りなく100%に近づくようにしなくてはなりません。なのに、それがまるで真実であるかのように脚色して伝えてしまう。世間の関心を引くために色をつけてしまう。それではいつまでたっても真実は伝わりません。誰が悪者なのかの前に、もっと物事の本質部分にレンズを向けなければ、問題は解決しないのです。そういう意味で、一連のいじめ報道の中には、メディアによるいじめを行っているだけにすぎないものが多いようです。
さらに、いじめ報道というのは非常に危険をはらんでいます。誰かを悪者に仕立てあげることによって、まるで自殺という行為が正義のように見えてしまうからです。自殺が美化され、自殺志願者の気持ちを助長しかねないのです。日本人はとくに帰属意識が強いため、いじめられている人がニュースを見て、「僕もこういう人と同じだ」という感情が芽生え、同じ道を辿ろうとしてしまうのです。ましてや、自分の居場所がないと感じる人たちは、画面に流れる自殺者になんの抵抗もなく吸い寄せられてしまうでしょう。だからこそ、こういった報道は常に慎重にやらなければだめなのです。報道することが必ずしも良い結果を生むとは限らない、むしろ自殺者を助長するケースだってある、ということを理解したうえで放送するべきで、僕が見る限りでは、そういった類のものがとても少ない気がします。
マスコミにかぎらず、世間一般でも、昨今のいじめ問題に関して言及することは、ときに誤解を招き、ときに危険が生じます。それは、人が死んでいるからです。人が死んでしまうと、物事の判断能力が鈍りやすくなります。普段は人を殺すことなんて考えたことのない人も、恋人を殺されたら犯人を殺害することを考えるでしょう。そこには、正義とか善悪とかを突き抜けた感情があるのです。そうすると、冷静な判断ができなくなってしまうのです。あらかじめ言っておきますが、これは自殺志願者をとめようとするための文章ではなく、あくまで僕の頭の中にあることを表現するだけであることをご了承ください。
そもそも、いじめのない社会というのは実現できるのでしょうか。世界的にいじめが存在すること、国内でのいじめ件数の多さからみると、いじめのない社会の実現はなかなか難しいかもしれません。人間には、嫉妬、羨望、競争心など周囲に対する意識が常に存在するため、資本主義だろうと共産主義だろうと、いじめというものは必ず社会に存在するものなのかもしれません。ただ、国、時代によって、いじめの方法などは違います。ネットによる中傷などはまさに現代のいじめといえるでしょう。しかし、いじめは強さからうまれるものではなく、人間の弱さからうまれるものであるということは、どの時代、どの国でも共通していることではないでしょうか。つまり、いじめは弱い人間がすることなのです。
弱い人間が実行しているのに、いじめを撃退することは容易ではないのが現状です。それはあまりに陰湿な方法でいじめを行うからです。つまり、正々堂々としていないのです。これらを根こそぎ排除するのが難しくても、芽を摘むことはできるはずなのです。しかしながら、学校という社会においてそれをやることが難しくなってきています。子供たちの権利を守りすぎたために、教師たちが自由に叱ることがしにくい環境になってしまったのも、要因のひとつです。
それでも、学校で起きたいじめの場合、なにかと学校がその標的にされます。誤解されないように言っておきますが、僕は教師や学校側を擁護するつもりもありません。ただいえるのは、教師は神ではないということです。何十人もの生徒の人生の面倒を見れるほど、完璧な人間ではないのです。大事なのは、「教師が悪くない」ということではなく、「悪いのは教師だけではない」、ということなのです。
教育というのは、学校だけでおこなわれることではなく、すべての環境が子供たちの教育の場だと思います。そういう意味で、周囲の力、それは地域の力ともいうべきでしょうか、個人と地域とのかかわりが欠如していることが、昨今のいじめ問題の大きな要因のひとつであるであるといえるのでしょう。
「とてもいい子でしたよ。いじめられるような子には見えませんでしたけどねぇ」
なんてインタビューに応えるおばさんほど、その子のことなんてなにも知らないのです。お前がなにを知ってるんだ、ってことなのです。でも、おばさんが悪いのではないのです。そういう社会になってしまっただけなのです。
かつては近所のおばちゃんがしょうゆを借りに来たり、おかずをわけにいったりしたものでした。しかし、文明の発達とともに、そういったアナログなコミュニケーションは激減・崩壊し、ほとんどの地域社会が有名無実なものになってしまいました。いまあるのは、デジタルなコミュニケーション、つまり、ネット上でのやりとり、それはある意味で架空、バーチャルなコミュニケーションだといえるでしょう。昔は、もっとも僕が生まれる前は、物理的になにもなくっても温かい社会でした。なのにいまは、物質的にはあふれているのに、温度があがらない社会。冷え切った社会になってしまったのです。おそらく、ネット上で自殺志願者を食い止めることもできるケースもあるでしょう。しかし、直接的に声をかけたりする社会というものがなくなっていることは、いじめや虐待などを発見できない要因なのです。隣人に誰が住んでいるかわからない状態では、隣の部屋で人がコンクリート詰めにされていても気づかないのでしょう。だからといって、その隣人を責めることはできないのです。そういう世の中になってしまったのです。文明の発達によって、個人の権利が重んじられたばっかりに、家族、そして地域という集団の筋力がとても弱ってしまったのです。
いじめられている人を救うものはたくさんあります。友人だったり先生だったり、ネット上の仲間だったり。人間だけでなく、音楽だったり本だったり映画ということもあるでしょう。そういった、救ってくれるものがなにもないという人もいるでしょう。でも、そういう人でも、「生きるしかない」のです。どうにか生きる場所を探さなければならないのです。場所が見つからない人のためには、生きていく場所をつくるべきなのです。それは、学校と家庭との間にあるものかもしれません。なんらかの場所、コミュニティーが必要なのです。老人には老人ホームがあります。いじめられている人にも、精神的にぼろぼろになっている人の心のケアをする施設が今後、必要になってくるわけです。ある意味、防空壕のようなものです。空襲が終わるまで、わざわざ地上にでる必要はないのです。ほとぼりがさめるまで守ってあげられる場所が必要なのです。罪を犯した少年のために少年院があるなら、生きる力を失くした少年にも、それに適した場所が必要なのです。とにかく、死なせちゃいけないのです。そういうことに税金を使うべきなのです。
そして最後に、これは決して自殺者を責めるわけではありませんが、
「自殺と他殺は同じ」だということです。
自殺をする人は、本当につらい日々を送ってきた果てに、自ら命を絶つということを選択したのでしょう。しかし、殺しちゃいけないのです。それがたとえ自らの意思であり、自らの同意があろうとも、殺してはいけないのです。いじめる人は、人間として最低だと思います。しかし、世の中、最低な人間ばかりです。つまり、仏のような完璧な人間なんていないのです。世間は鬼ばかりなわけで、世の中うまくいかないものです。きっと「私は世界で一番不幸だ」なんて、生きていくうえでみんなが感じることなのです。だから絶対に死んではいけないのです。自分のことをいじめる人を憎んで殺してしまうのと、いじめられるのが嫌で自分を殺してしまうのは、僕は同じだと思うのです。どんなにつらくても、誰にも命を破壊する権利なんてなくて、人の命も自分の命も、同じ重さなのです。
僕はスピリチュアルカウンセラーでもなんでもないけど、もし仮に、魂というものが肉体を借りているのだとしたら、僕たちの肉体は借り物に過ぎないのです。一つ前の肉体を前世というのであれば、自殺した人は、きっと次の肉体を借りれないのです。
「お客さん、契約違反なんで、もうお貸しできませんよ...」
ということなのです。
どんな状況であっても、命を破壊してはいけないのです。だから、自殺してはいけないのだし、そうならないように、社会が救わなければならないのです。いじめをゼロにすることが難しいのなら、いじめが起きた後にすぐ解決できる社会にはなるはずです。そうすることで数を限りなくゼロに近づけることはできるはずです。そのためには、社会の変化、文明の発達によって失ったものをしっかりと認識し、ぽっかりと空いてしまった部分を埋めていかないといけないのです。いじめの第一の原因は、僕たちを含む社会にあることを、みんなが認めなければならないのです。

1.週刊ふかわ | 10:00