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2006年07月30日
第231回「アルバム発売を前に」
便利な世の中になりました。CD屋さんにいかなくても、友達から借りなくても、ダウンロードをすれば自宅で音楽を集めることができるようになりました。それで集まったたくさんの音楽を、小さな箱に詰め込み、何千、何万もの曲を連れて、いつでもどこでも好きな音楽を聴けるようになりました。ほんと、便利な世の中になりました。僕自身もその夢の箱に好きな曲を詰め込むだけ詰め込んで、「便利になったなぁ」と感動したものでした。そんなある日のことでした。
「なんかもの足りないな...」
なんてわがままな生き物でしょう。あんなに便利だと感動した夢の箱に不満を感じはじめたのです。いつも出かけるときは持っていた夢の箱に物足りなさを感じはじめたのです。そして僕はその夢の箱を手放し、以前使っていたCDが一枚入るタイプの機械を探しました。カバンを重たくする鉄のかたまりです。
「そうそう、これなんだよ!」
どこかにしまっていた鉄のかたまりを引っ張り出し、それでCDを聴くようになりました。聴きたいCDをその都度選んで聴くスタイルに戻ったのです。すると満たされなかった部分が埋められていったのです。では、夢の箱に対する物足りなさとはなんだったのでしょうか。
それはまさしく「歯ごたえ」でした。食べ物じゃないのだから厳密に言うとおかしいのだけど、でも僕が求めていたのは「歯ごたえ」でした。プラスティックのケースを手にした感触、ジャケット写真からのぞく世界、そこから一枚CDを手にしてセットする動き、それらのプロセスで感じる「アルバムの重み」を、僕は無意識に求めていたのです。便利になればなるほど、それらの手ごたえ、つまり何かを食べるときの「歯ごたえ」がなくなってしまい、まるで味はあるのだけどすべて飲み物になってしまったような気がしてならないのです。だからこそ僕は、「歯ごたえのあるアルバム」を作りたかったのです。
だからといって、ダウンロードや夢の箱がいけないなんて、これっぽっちも思っていません。それはそれで、人類の夢を実現したわけだし、たくさんの音楽をいつでもどこでも聴くことができるのは幸せなことです。僕自身も、海外旅行などには鉄の塊でなく夢の箱を持っていくことでしょう。ただ、そんな便利な時代だからこそこだわりたかったのです。なんでも簡単に手に入り、なんでもケータイが吸収してしまう世の中だからこそ、アルバムというカタチ、重みにこだわりたかったのです。
僕は今回、一本の映画を撮る感覚でアルバムを作りました。だから、ダウンロードで切り取った音楽は、映画のワンシーンを観ているに過ぎません。それは一曲として成立はしているものの、アルバム全体の中では一断片なのです。だからダウンロードでアルバムの世界を少し覗いてみて、もしそれがあなたにとって好きな世界だったら、是非アルバムを手にするところからもう一度感じて欲しいのです。ジャケット写真が目に飛び込んでくるところから、アルバムの世界は始まっているのですから。
「愛と海と音楽と」
それは僕の体内にある音と言葉とリズムで作ったアルバムです。ダウンロードだけでは感じることのできない、歯ごたえのあるアルバムです。この世界を、是非、体中で感じてください。
2006年07月23日
第230回「いまこそ、その時」
最近はこのコラムでもアルバムのことばかりで、生活のすべてをそこに捧げているような印象を与えていたかもしれません。確かにそれに近い状態のときもありました。楽曲のことはもちろん、ジャケットやブックレット、PVやグッズのデザイン、ましてやツアーの日程まで、どれも自分で決めないといやな性格なので、常になにかを気にしながらなにかの作業をし、正直、頭の中の整理が大変でした。もう「キーッ!!」となりそうでした。しかし、「キーッ!!」となりながらも、アルバムの制作と同時にもうひとつ、僕にはやることがあったのです。
「小説?!」
予想外の言葉に僕は耳を疑いました。
「はい、そうです」
「えっ、コラムとかエッセイとかじゃなくて?」
「はい、小説です」
「なんで?そんなのやったことないよ」
「そうなんですけど、編集部の人が是非書いてほしいということで」
「ほんとに?なんでだろ?」
「わからないですけど、劇団ひとりさんの流れですかね」
「こっちに流れてくるとは思わないけど」
「どうしましょう?」
「どうしましょうって、言われてもなぁ、、、」
即答できる内容ではありません。
「ちょっと2,3日考えさせて!」
男には、何日か寝てみないと出せない答えがあるのです。
僕の中で、「小説は40歳になってから」みたいなのがありました。いつかはやりたいと思っていたものの、40年くらいの人生経験が必要だと思っていたのです。だから、31歳の自分には早すぎる、そんな気がしてならなかったのです。だから悩みました。やりたいことはやりたい、でも、生半可な気持ちで着手はできない。やがて、決断をしなければならない時が訪れました。
「ねぇ、ほんとに小説じゃないとだめなのかなぁ、、、」
「あ、まだ悩んでますか?」
「うーん、今日中に答えだすから!」
持ち前の優柔不断さが発揮されました。
「いや、やるよ!!」
今日中と言っておきながらも、5分もしないうちに決断を下しました。
「え、やりますか?!」
「きっと今ってことだと思うから」
「もう一度エッセイじゃ駄目かきいてもいいですけど」
「いや、小説でいこう!俺だっていつかはやると思ってたし、いま話がきたってことは、そういうことなんだよ!いまこそ、その時なんだよ!」
「わかりました、それで進めていきます」
受ける勇気が断る勇気を上回り、結局僕は小説を書くことに決めました。自分の想定よりも約8年早いスタートです。でもそれでいいのです。いまできることでいいのです。40歳になるのを待ったところで、きっと「もう小説を書ける準備はできた!」なんて思わないのです。できるかわからないけどやるしかないだろ、という時もあるのです、人生には。そんな気持ちが後押しして、小説を書きはじめました。たしか4月の中頃の話でした。
そして7月24日。配信日から考えるともう明日でしょうか。若者向けファッション誌smartにて、小説の連載がはじまります。ちなみにですが、連載が始まったからといってこっちを手抜きすることはありません。なぜなら、もう書き終えたからです。あとは小出しにしていくだけです。男性ファッション誌ですが、女の子も是非見てください。編集長の器のでかさがうかがえます。では明日、smartでお会いしましょう。
2006年07月16日
第229回「部屋とYシャツと私と」
「じゃぁ次は、マイセレナーデ!」
学生時代の彼女にカラオケで平松愛理さんの曲を唄ってもらうほど、僕は平松さんの曲が好きで、なかでもそのハッピーなメロディーと、かわいくて奔放でしたたかな女心を綴った歌詞はもちろんのこと、あまりにキュートな唄声が僕の心をぎゅっと掴んだわけです。だから彼女に平松さんの曲の世界を理解してもらおうと、車内で流すだけでなく、カラオケに行くと必ず唄ってもらっていたのです。そんな若気の至りも今はいい思い出となり、彼女は既に別の男と結婚して子供もうまれ、バラエティー番組の「昔の恋人登場!」的なことも一切断って、もう一生僕の目の前に姿を現すこともなく、幸せな家庭を築いていくのでしょうが、それはそれとしてとにかく平松愛理さんと、その楽曲の中に登場する女性は、学生時代の僕にとってまさに理想の女性像だったわけです。
「では、そろそろはじめましょうか」
その平松さんがレコーディングブースの中にいるわけだから、僕としてもしっかりしようと努めるものの、声もルックスもあまりにキュートなのでついみとれてしまっていました。前回の鈴木康博さんがジョンとポールのどちらかならば、平松さんはそのコケティッシュなキュートさという意味で、僕にとってのシンディー・ローパーでした。それくらい大きな存在なのです。今回アルバムに参加してくれたアーティストの皆さんと写真を撮っていたのですが、平松さんの写真だけなぜか異様に多かったことは、僕のミーハーな気持ちを証明しました。
鈴木康博さん、平松愛理さんのほか、今回参加してくれたのは、土岐麻子さん、一十三十一(ヒトミトイ)さん、甲斐名都さん、コオロギマリさんです。土岐さんはだいぶ前にやっていたラジオにシンバルズとして来てくれて、そのかわいらしい声とルックスに完全に魅了され「この人といつか必ず!」と思っていたのです。ヒトミさんは、以前から、とても唄がうまいという印象があったのですが、今回の曲の中に、その独特のせつない声がはまりそうな曲があったのでお願いしました。甲斐名都さんは事務所の後輩なのですが、これまで何度か生の弾き語りなどを聴いたことがあって、「是非この人にも参加してもらおう!」と勝手に思っていたのでした。コオロギマリさんは、以前音楽番組で知り合い、一緒にライブをしたりデモテープ作りに協力もらったりしていました。なのでどこかでちゃんとカタチにしたいと思っていたのです。でもなりよりその名前のインパクトでしょう。一度聴いたら忘れられないその響きは、ある種彼女の才能の一つかもしれません。
いまこうしてあらためて見ると、女性アーティストは皆キュートな声の持ち主ばかりです。しかしただキュートなだけでなく、どこかにせつなさが流れています。こういったアーティストの方たちとアルバムは作られたわけですが、その中で感じたことがありました。それは「情熱を注げばおのずと出会える」ということです。
「出会いは大切だ」とよく耳にします。だからと言って、周囲ばかり気にしていても、いつまでたっても出会えない気がします。周囲を気にするよりもむしろ、自分のスタイルを貫くことで、必ずや尊敬する人、頭の中に登場する人物と出会える気がするのです。だから、もしも僕の音楽に対する情熱が足りなかったら、きっとこんな素敵なアーティストの方たちと共にアルバムを作れなかったのです。自分を追及していくと、「出会いが大切だ」とか言ってなくても、自然と様々な人々と出会うものなのです。やはり結局はここに辿り着くわけです。自分自身を見つけること、これがすべての始まりなのです。自分が何を表現したいのか、自分とは一体なんなのか、それを避けてやみくもに突き進んでも良い結果は生まれません。たとえ世界にひとつだけの花だとしても、それが何色なのかわからなければ意味がないのです。どんな色でどんなカタチでどんな匂いなのか、自分でそれを発見できなければ、世の中はその花の存在に気付いてくれないのです。ただそれは考えてわかることではなく、一生懸命生きていると、あるとき鏡に映るのです、自分の姿カタチが。そのとき辺りを見渡すと、あなたのために咲いてくれている花が見つかるのです。あなたのスタイルに賛同してくれる人たちなのです。
人類は進歩なんてしていないのです。ただ環境を変えているだけなのです。自分たちに都合のいいように、環境を変え、やるべきことを機械に委ねているだけなのです。部長も課長も係長も、だれが偉いとかじゃないのです。それは、部屋の色が違うだけ、環境が違うだけなのです。だから、どの時代に生きていても大切なのは、その環境の中で自分らしく生きているか、ということなのです。そんな価値観で生きていると、人類は平等だと思えるのです。たとえどんな状況にあっても、自分を見失わないでいること、物質的に飽和しているこれからの世の中を生きていくために必要なことなのです。このことに関してはまたあらためてしっかりと話しましょうか。あ、ちなみに平松さんの曲は「部屋とYシャツと私」で、最後の「と」はありませんので。
2006年07月09日
第228回「愛と海と憧れと」
その日僕は、ある人のライブを観るため、鎌倉に向かっていました。前々から行くと決めていたのではなく、ライブがあると知った当日、行こうと決めたのです。あまりライブに行く習慣がない僕は、よほどのことがなければ足を運ばないのですが、そのときばかりは体をコントロールすることすらできかなかったのです。
鎌倉の森の中に佇む洋館の中にライブ会場はありました。200人程度のお客さんがはいるアットホームな空間で、年齢層は僕よりも上の人たちが多く、コアなファンの方たちが集まっている印象を受けました。僕はそんな中、ただじっと、その登場を待っていました。やがて照明がゆっくりと落ち、「そろそろだ」という空気に包まれました。そして、あたたかな拍手に包まれて、彼は登場したのです。
「こんにちは、鈴木康博です」
おそらく名前を聞いてもわからない人が多いかと思います。でも「オフコース」と聞けば、多少知っているのではと思います。オフコースは小田和正さんがソロになるまでやっていたグループで、「さよなら」「愛を止めないで」などのほか、最近でも「言葉にできない」などはテレビでも流れていたりします。オフコースのサウンドは小さい頃、物心をつく前から僕の体内に注入されていました。いつも兄の部屋から流れていたからです。やがて自分でCDを買う年齢になり、詩の意味を理解できるようになると、こんなにも素晴らしい曲だったのかと、それまでよりも深く感動したわけです。だからオフコースは青春のBGMであり、人生のサウンドトラックなのです。鈴木さんはオフコース結成時のメンバーであり、その楽曲は小田さんのそれとともにファンに愛されてきたのです。僕にとって二人は、ビートルズでいう、ジョンとポールなわけです。どっちがどっちというわけではないですが、いずれにせよすごい存在なわけです。その人が、遂に僕の目の前に登場したのです。そして、拍手が鳴り止まないうちに、ギターを弾き始めました。そして目の前で唄い始めると、僕の体が異変を起こしはじめました。いままでずっと聴いてきた唄声が、まさに目の前から流れていることに、体が対応しきれなかったのです。どうにもならなくなった僕の体から、大量の涙があふれてきました。もしものために持ってきておいたタオルがこんなにも役立つとは思いも寄りませんでした。
「やばい!これ以上唄われるともうだめだ...」
もはや涙なんだか鼻水なんだかわからなくなり、体の震えがとまりませんでした。周囲の人たちはおそらくライブに何度も足を運んでいるようで、終始楽しんでいるのに対し、僕はずっと肩を震わせていました。そしてようやくその唄声に順応できた頃、ライブは終焉を迎えようとしていました。
「いやぁ、やばかった...」
ギター一本と唄声だけで表現した鈴木さんの世界は、音楽を愛する人の情熱があふれていました。しかし僕は、ただ鈴木さんの唄声を聴きにきたのではありませんでした。
「あの、鈴木さんに挨拶させていただきたいんですけど...」
芸能生活12年の運を最大限に活用し、スタッフの人に頼んで楽屋まで通してもらうことになりました。するとそこには、ライブを終えた鈴木さんがいました。僕が幼少の頃から聴いていた音楽を作った、鈴木康博さんがいたのです。突然の芸人の登場にさぞ驚かれたことでしょう。
「鈴木さんに、どうしても唄ってほしい曲があるんです!」
とにかくそのことだけを伝えました。唄ってほしい曲のCDと、僕がどれだけオフコースサウンドを愛しているかを綴った手紙、そして大事な人に贈る高級菓子、ナボナを渡し、握手を交わしました。おそらく、号泣した直後だったので、目を真っ赤にしていたことでしょう。
「もう、あとは天命を待つだけだ」
それから2週間ほどたちました。目黒のレコーディングスタジオに、ギターを抱えた鈴木さんがやってきました。鈴木さんは、僕のために、ロケットマンのために、惜しみなく唄ってくれました。コーラスもいれてくれました。ギターも弾いてくれました。小さい頃からずっと聴いていたアーティストに自分の楽曲を唄ってもらえた現実は、もしかするとあと1年くらいしてじわじわと実感するのではないかと思うくらい、夢の中のような出来事でした。
そうしてひとつの曲が完成しました。オフコースを聴いて育った僕が、鈴木さんに唄ってほしい曲を作ったことは、ある意味必然的なことだったのかもしれません。この曲には、オフコースに対する愛と、憧れと、潮の香りが詰まっているのです。
2006年07月02日
第227回「愛と海と音楽と」
「自分らしく生きよう」
これがすべての始まりでした。
人の幸せを決める基準は単純ではなく、人それぞれに価値観が違うわけだから幸せを定義することは容易ではありません。お金をいっぱい持っていることが幸せだと思う人もいれば、親友がたくさんいること、家族が笑顔でいること、周囲を幸せにできること、おいしいものを食べること、愛し合うこと、どれも否定することはできません。ただ、30年も生きていると、幸せとはなんなのかを真剣に考える日もあったりするわけで、それは20才の頃には考えもしなかったような価値観が、30歳になって生まれたりするのです。そう考えると40歳、50歳、それこそ80歳ではじめて感じることだってあるのでしょう。
「自分らしく生きよう」
それは自分自身を知ることから始まるのかもしれません。一見簡単なようで、結構難しかったりするこの言葉。20歳から芸能界にはいり、もうすぐ32歳になる僕の体内を、この言葉が駆け巡るのです。
「なぁ、俺たちもヒップホップやらないか?」
兄が突然言いました。
「ちょっとなに言い出すの!僕たちはずっとフォークで頑張ってきたじゃない!」
思いも寄らぬ兄の言葉に、弟は戸惑いました。
「だってさ、冷静に考えたら今フォークなんて聴いてる奴ほとんどいないぜ!」
「そんなことないよ!フォーク聴いてる人いるよ!」
「たとえいたとしても極々少数だろ?そんな音楽やってもしょうがないよ!」
「でもうちらヒップホップなんてきいてないじゃんか!」
「だからこれからやるんだよ!そうしたらギャルにもモテるし最高じゃないか!」
「僕はモテたいために音楽やってるんじゃないし、自分の好きな音楽やりたいよ!」
「馬鹿だなぁ!お前は考えが甘いんだよ!CDが売れない時代にさらにだれも聴かないフォークなんかやってたってもう売れないのはわかってるんだよ。それなら売れる音楽やったほうがいいだろ?」
「でも僕は、ヒップホップで1000枚売れるよりも、自分の好きなフォークで100枚うれるほうが嬉しいよ」
「俺は100枚なんかじゃ満足しない。そんなんじゃ生活だってできないだろ?」
「生活のこと考えてたら夢なんて追えないよ!」
「じゃぁきくけど、フォークで100枚売れるのと、フォークで1000枚売れるのだったら、どっちがいい?」
兄は弟に訊きました。
「そりゃ、同じフォークなら多く売れたほうがいいにきまってるでしょ?」
「そうだよ。だから、フォークを1000枚売るためにはヒップホップで一度注目されないといけないんだよ。ヒップホップの中にうちらのフォークの要素を入れ込めばいいんだよ。時代がヒップホップなら、その時代に自分たちのエッセンスをいれればいいじゃないか!」
「だったら僕たちのフォークのなかに、今の時代の要素をいれればいいじゃない!」
「フォークの中にヒップホップなんて無理だよ!」
「そういうことじゃないよ!時代の要素はヒップホップ意外にもたくさんあるでしょ。いまの時代だからこそ受け入れられるメロディーや言葉を意識すればいいんでしょ?」
「とにかく俺は自分のスタイルを変えてでも有名になりたい!」
「僕は、自分に嘘をついてまで売れたいとは思わない!」
兄弟の意見は二つに分かれてしまいました。
きっと、兄も弟も間違ってはいないと思います。どちらもある意味正論なのです。個人の好み、生き方になってくるのです。ただ、今の僕は、弟の生き方を選びます。
自分が表現したものをたくさんの人に受けとめてもらえることはとても素晴らしいことです。しかしそれが自分のものでないとしたら、たとえたくさんの人に受けとめてもらっても、きっと満足には感じられないはずです。偽りの自分を1000人に支持されるよりも、本当の自分を100人に受け入れられるほうが、僕は幸せなんだと思うのです。
気をつけなければいけないのは、「自分らしく生きる」ことと「自分勝手に生きる」ことは近いようで全然違うものです。「自分勝手」は一人でできるけど、「自分らしく」生きるのは、周囲の力がないとだめなのです。自分一人の力では、「自分らしく」生きれないのです。だから、ときには「自分らしくない」ことも必要です。人のためには「自分らしくない」ことをしなければならない時もあるからです。それを繰り返した分、「自分らしく生きる」ことに周囲が協力してくれるのです。重要なのは、自分の中で「ここだけは自分に正直でいたい」という部分をはっきりと持っていることなのでしょう。すべてにおいて「自分らしく」を優先させたら、必ずどこかで歪が生じてしまうのです。
「自分らしく生きよう」
そう思ったら、このアルバムができました。
「愛と海と音楽と」
自分に正直になったら、このタイトルになりました。このアルバムには、僕の体内に流れる音と言葉とリズムがつまっています。僕の真実がここにあるのです。
P.S.
念のためですが、途中に登場した兄弟の話はフィクションであり、今回のアルバムとは直接関係ないので、ご了承ください。