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2006年06月25日

第226回「レコーディングのため休刊」

遂にこの日を迎えました。週刊ふかわを開始して5年、ようやく僕の夢を叶える日がやってまいりました。「レコーディングのため休刊」、これこそまさに僕がかつてから憧れていた「かっこいい休み方」なのです。
これまでに何度か「週刊ふかわ」を休んだことがあります。「お盆休みのため休刊」だとか「お正月休みのため休刊」、「風邪のため休刊」だとか。しかし、今回の理由をあらためてご覧ください。これまでの「お盆休みのため」に比べて100倍ものかっこいい響きがあります。休んでいるのにむしろ仕事をしているような印象を与え、なおかつアーティスティックな響き。かつて、高視聴率番組だったザ・ベストテンで、1位を獲得しているにも関わらず欠席していたオフコースのような感じです。出演しないことで、むしろ出演以上のインパクトを与えたのです。あの感じを出せる時が遂に訪れたのです。というのも今週は連日、まさにスタジオ缶詰状態で、ほかのことに意識が向かなかったため、さすがに今回はお休みさせてもらったほうがいいのではと思ったのです。中途半端なことを書いて間を埋めるより、落ち着いてからしっかりとした文章を書いた方がいいですから。そうして僕は、憧れの「レコーディングのため休刊」を実行するに至ったわけです。おそらくこの「レコーディングのため休刊」は、「かっこいい休み方」の上位にランクインされていますが、当然ほかにもあります。
「全国ツアーのため休刊」
・・・「レコーディング」に並ぶいい響きです。「海外ツアーのため」だったらより最高ですね。
「映画撮影のため休刊」
・・・やはり「映画」は高貴な匂いが漂います。
「参院選出馬のため休刊」
・・・この5文字はとても重みがあっていいです。
「恋をしたため休刊」
・・・仕事が手につかないくらいの恋。ほどよい公私混同は魅力的です。
「試合前なので休刊」
・・・なんの試合かはわからないものの、男らしさを感じさせます。
「新入社員が生意気なため休刊」
・・・生意気な奴いるから。
「育児のため休刊」
・・・高感度があがりそうです。
「メンテナンスのため休刊」
・・・とても都合のいいフレーズです。これを言われたら文句言えません。
「東北に行くため、休刊」
・・・東北になにがあるのか気にさせる理由です。
「ミスドに行くため、休刊」
・・・ポップな感じが事の重大さを忘れさせてくれます。
「やっぱり九州にいくため、休刊」
・・・東北やめたんだね。
「足をぶつけたため休刊」
・・・小指?
「ジュースをこぼしたため休刊」
・・・オレンジ?
「なかなか親戚が帰らないため休刊」
・・・しかも泊まろうとしてない?
「肩をやっちゃったため休刊」
・・・負傷しているイメージは、どこか男らしさを感じさせるのです。
「Tシャツの乾きが悪いため休刊」
・・・部屋干しだからしょうがない。
「キャッチはいったから休刊」
・・・最近聞かなくなったこのフレーズを懐かしむ意味もこめて。
「チャリのチェーンがはずれたため休刊」
・・・昔はよく道端でなおしている人見かけたものです。指を真っ黒にして。
「ほかに大切なことに気付いたため、休刊」
・・・今まではなんだったんだよ!と物を投げたくなります。
「失恋したからってわけじゃないけど、休刊」
・・・きっと失恋したんだろうな、という同情をあおります。
「自分を見つめ直したいから、休刊」
・・・やっぱり失恋したんだろうな、という同情をあおります。
「あてのない旅にでるため、休刊」
・・・確実に失恋したな、という同情をあおります。
「どうせ俺のことなんて誰も気にしてないから、休刊」
・・・完全に心の扉を閉じてしまいました。
「大切さに気付いてほしいから、休刊」
・・・失って初めてその必要性を感じるものです。
「俺ってわがままだから、休刊」
・・・少年ぽさを感じさせます。
「もぉ!!休刊!!」
・・・ほどよく理不尽な感じ。いいです。
「そこまで言うなら休刊」
・・・完全に責任転嫁です。
「とにかく休刊」
・・・説明するのが面倒くさくなってきちゃってます。
「とにかくカネヨン」
・・・カネヨンのキャッチコピーです。
「好きです、、、休刊」
・・・告白の勢いに任せて。
「振り向けば休刊」
・・・唄のタイトルにでもなりそうです。
「チャゲ&休刊」
・・・チャゲに免じて。
「別の意味で休刊」
・・・どんな意味?
「お・と・な・の・休刊」
・・・セクシーな休み方。充分に間をとって。
「休刊だけど、その前にちょっと水ちょうだい」
・・・「水」というところに親近感が湧きます。
「逃げて!逃げて!!休刊のことはいいから、逃げてー!!」
・・・よくわからないけど、とにかく危機状態にあるんだということはわかります。
「空が青いから休刊」
・・・とてもロマンチックな印象を与えます。
以上が、僕の憧れる「かっこいい休み方」ですが、ちなみに「かっこ悪い休み方」もあります。
「仮免試験のため休刊」
・・・本試験ならまだしも仮免でいっぱいいっぱいになっているのがひしひしと伝わってきます。
「人間ドックのため、休刊」
・・・目も当てられないほどにオヤジ度満点です。
「仮装大賞準備にはいるため休刊」
・・・しかも4週にわたって。
働き者の日本人は、まだ休むのが下手な気がします。休むことは悪いこと、みたいな先入観が邪魔して、思い切って有給休暇を使えなかったりするのが現状でしょう。
しかし、休むことは決して悪いことではないのです。休むことは仕事目線ではオフだけど、人生ではオンなのです。そして、どうせ休むのなら、かっいい休み方をしたいものです。そうすれば、休むことが悪いことだなんて思わなくなるのです。
ということで今回は、誠に勝手ながら、「レコーディングのため休刊」とさせていただきます。次週より、通常のコラムを配信したいと思います。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年06月18日

第225回「幸福とお金と情熱と」

経済学部をでたものの、「インサイダー取引ってなに?」ときかれたら、雰囲気でしか説明できないような僕の意見なので、適当に流して聞いてもらえればと思います。
 僕は、あの人の顔やしぐさなどを見ていると安心します。あの人の言動や行動を見ていると、ほっとするのです。「やな奴でよかった...」と。
もしも彼が、あらゆるインタビューなどに対して、長嶋さんのようなユーモアのあるコメントをして、人間的に魅力的に見えていたら、「世の中まちがってる!」と思うのだけど、案の定、彼は見事に憧れにくい言動をするので、「世の中ちゃんとできてるな」と、安心したわけです。彼が叫べば叫ぶほど、「お金がすべてじゃない」という事を実感できるのです。
 お金はないよりあったほうがいいでしょう。少ないよりも、ある程度余裕があったほうがいいでしょう。しかし、だからといって、お金を増やすことを最大の目的にしては本末転倒と言えます。つまり、お金は人間の暮らしを豊かにするために流通しているものであって、人間の生活の目的ではありません。お金持ちの芸能人やスポーツ選手だって、べつにお金のために仕事をしているわけではなく、自分の挑戦を繰り返していった結果、お金がたまっていっただけのことであって、お金が目標ではないのです。当然、最初はお金持ちに憧れるケースもあります。いい車乗って、大きい家に住んで、みたいに。でもそれだけでは長年やっていく原動力にはならないのです。サラリーマンだって同じです。最初は生活のためにお金が必要だから働くのかもしれませんが、やっているうちに仕事の中にやりがいを見出し、いつのまにかその目的はお金ではなくなり、お金が単なる結果でしかなくなってくるのです。お金は目的ではなく、結果なのです。
 「勝ち組」という言葉がもはや死語になろうとしています。時代が生んだ言葉が時代によって葬られようとしています。時代は表面上の華やかさの奥を見抜いたのです。簡単に手に入れた1000万円と、彼女のために一生懸命バイトしてためた10万円とでは、経済的には1000万円でも、人間としては後者のほうが価値があり、尊いものだと思います。表面上の数字で判断したり、数字に惑わされてはいけないのです。
 お金は時に、人を狂わせます。お金が人間の判断能力をおかしくさせるのです。お金が原因で友人と疎遠になってしまったり、猜疑心が強くなってしまうケースもあるでしょう。また、お金を得たいがためにいい加減なことをする企業も少なくありません。だからお金は恐いのです。お金は人を殺すのです。上手に向き合わないと、お金に動かされた人生になってしまいます。
お金に殺されるような人生を僕は歩みたくありません。お金のために自分を見失うような人生を、送りたくないのです。たとえ富を失っても、自分らしく生きる道を進むべきなのです。そんな風に考えていると、いま自分が何をすべきなのかが自然に浮かんでくるのです。自分が何に情熱を注ぐべきかがわかってくるのです。それを見つけることが、幸せのはじまりなんだと思うのです。情熱にお金はかからないのだから。でも、インサイダー取引くらいは知っておかないとね。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年06月11日

第224回「便利の功罪」

ここ数年間、「便利」という言葉について考えています。一般的には良い意味で使
用される言葉ですが、果たして本当に、「便利という言葉は良い言葉なのだろうか」
そんなことをずっと考えているのです。

自動車の発明により、世の中はとても便利になりました。電車が走ることで、移動が
便利になりました。便利さを追求した結果、人間の暮らしが豊かになったことは否め
ません。しかし、便利さはときに悲劇を生むということも否めません。便利さに埋没
してしまい、大切なことを見逃してはいけないのです。

いまもなお、交通事故は後を絶ちません。車社会で生活が豊かになっている陰で、
それによって命を奪われている人たちが常に存在しているのです。いわば便利な世の
中の犠牲になっている人たちが存在している、ということから目を背けてはいけない
のです。便利なものを利用する際は、常にその扱いに注意を払わないと、思いがけな
い悲劇につながる可能性がある、ということです。人間の頭脳を駆使して、いくら便
利さを追求しても、そこには危険というものが必ず追いかけてきて、それらを振り
払って走ることはできないのです。便利には必ず危険が伴うのです。

ただ、危険を振り払うことはできなくても、危険に追いつかれないようにすること
はできます。それは、「安全」に努めることです。そうすることで、危険を遠ざける
ことができるのです。便利なものを追求する際は、それと同じ位、安全に対しても同
じ量の情熱を注がないと危険に追いつかれてしまう、ということです。

そういう意味では、エレベーターが乗り物である、ということを僕たちは少し忘れて
いたのかもしれません。建物に当然のようにあるエレベーターは、その便利さに慣
れ、それを便利だと感じれないほど、当然のものになりました。「このマンション、
エレベーターなくて不便だぁ」と思う人はいても、「このエレベーター便利だぁ」と
感動しながら乗っている人はあまりいません。しかし、エレベーターこそ便利な乗り
物であって、それだけに危険が伴っていることを、すっかり忘れていたのかもしれま
せん。おそらく、社会にエレベーターが登場したとき、人類は慎重に乗ったことで
しょう。しかし、いつのまにか慣れてしまって、その危険性を見失ってしまったので
す。いくら技術が進歩していても、無人の乗り物であることには違いないのです。

少し余談になりますが、エレベーターにはたいてい「緊急連絡先」みたいなのが表示
されています。だけど、大きな地震が訪れたときに、たとえば東京のほとんどのエレ
ベーターがとまってしまったとき、管理システムはそれに対応できるのでしょうか。
もしも東京で地震が起きたら、ほとんどのエレベーターが管制センターとつながらな
い気がするのです。そんなことを思うと眠れなくなります。すべてが終わってから改
善するのでは手遅れだから、今のうちにちゃんとして欲しいです。話を戻します。

人類は、悲しいかな、だれがなんと言おうと、楽なほうに流れてしまう生き物で
す。そういう意味では、アリとかよりもずっと怠慢な生き物かもしれません。だか
ら、便利なものがでるとそこへみんなが流れてしまいます。でも便利なことを追求し
てきたわりにはいまだに人類は満たされていない気がします。そう考えると、「便
利」というものは幻想でしかなくって、人類はどの時代もその落とし穴にはまってい
るような気がします。洗濯するのが大変だから、世の中に洗濯機が登場しました。い
まは、「こんな商品をだせば儲かるかもしれない」という価値観で登場する商品が少
なくない気がします。たとえ誰も求めていない便利さであっても、人類は一度味わう
とそこから抜け出せなくなってしまうしょうもない生き物なのです。だからといっ
て、いまさら「便利禁止法」みたいに、「この便利さは人類を堕落させるから発売中
止!」みたいなことは、現状の資本主義経済の中では難しいでしょう。となるとやは
り、僕たちが常に意識することが大事になってくるのです。「便利さの陰には必ず危
険が潜んでいる」ということを。そして、便利さが大きければ大きいほど、その危険
度も高くなるのです。乗り物とかじゃない便利なものも、当然危険は伴っています。
便利になった分、なにかを失っているのです。人間はいったいいつまで「便利」とい
う幻想を追い求めるのでしょうか。便利の光を浴びているだけでは、いつまでたって
も悲劇は消えないのでしょう。

1.週刊ふかわ | 10:00

2006年06月04日

第223回「雨上がりの旅路〜後編の後編〜」

「では、用意しているかもしれませんが、ロケットマン温泉タオルを皆さんに配布するので使ってくださいね」
普段、クラブでDJをするときに投げたり、ラジオの景品として使用されている温泉タオルが、ようやく日の目を見ることになりました。
「ほったらかし!」
「おんせーん!!」
再び昭和の夕方のバラエティー番組「夕焼けにゃんにゃん」を想起させる掛け声とともにシャッターが切られました。記念撮影を終えた白いタオルの集団は、男女に別れ、一気に温泉に流れ込みました。
「ほら、いい景色でしょ!」
今回唯一の男性参加者と僕は、腰にタオルを巻き、山の上の露天風呂から甲府盆地を見下ろしていました。
「夜になると夜景がまたすごいんだよ」
「そうなんですか」
僕自身夜は来たことないのですが。
「ごめんね、男ひとりだけになっちゃって」
「いえ、全然大丈夫です」
「実際文章だけで選んだらそうなっちゃったんだ」
「そうだったんですか」
その後、彼とはお互いの夢を語りあい、絆を深めました。
「じゃぁ、先あがってていいよ」
ぬる目の温泉なので長時間はいっていてものぼせない感じでしたが、彼が我慢していたら悪いので先にあがっててもらいました。
「で、会う約束したの?」
片方が少し興奮していました。
「うん、まぁ...」
「なに、デート?」
「まぁ、そういう感じでもないけど、ただ普通に...」
「ど、どこいくの?!」
「うん、とりあえず八王子いって...」
「八王子?八王子行ってなにすんの?!」
「いや、特には決めてないんだけど...」
「二人なんだろ?!」
「まぁ、そうだけど...」
「じゃぁやっぱりデートじゃんか!」
「いや、そんなんじゃないよ...」
若者二人組の初々しい恋愛談義を聞きながら、のんびり日ごろの疲れを癒していました。結局一時間半くらいはいっていたでしょうか。そろそろ集合時間が近くなったので着替えてでることにしました。
「ちょっとはいりすぎたかな...」
火照った体に冷たい風があたり、心地よい気分で階段をのぼっていくとそこには、予期せぬ光景が待っていました。バスの中で待っているのだろうと思っていたら、階段の上の広場でみんなが待っていてくれました。ただ涼んでいたのか、気をつかったのか、僕の勘違いなのか、こんなにも愛情を感じた風呂あがりはいまだかつてありませんでした。普段出待ちとかされないから余計にそう感じるのかもしれません。でも出待ちとかそういうんじゃなくて、まるで最後のマラソンランナーが競技場にはいってきたような温かい感じ。おかえりなさい、よくがんばったね、みたいな。そのとき僕は、みんなのことをひとりひとり抱き締めたくなりました。
「皆さんお風呂はどうでしたか。結構ぬるめだったので長時間はいれたと思います」
僕は、現地で販売されていた「入浴ヤンキース」という世界一おしゃれなTシャツに着替えていました。バスは山を下り、山梨名物「ほうとう」のお店に向かいました。
「これからほうとうを食べるのですが、僕も当然好きなんですけど、結構ヘビーな食べ物なので、あまり無理しないでくださいね」
いろんな野菜、特にかぼちゃが煮込んであって、一人分食べるのも結構大変という印象がありました。
「なにこれ!ちょーうまいじゃん!!」
しかし、実際に出されたほうとうはとても食べやすいもので、以前食べたようなヘビー感は一切ありませんでした。
「今まで食べた中で一番うまいよ!」
ちょっとした屋外でみんなで食べたからそう感じたのでしょう。いわゆるバーベキュー現象です。食事を終えると、隣接したお土産やさんで買い物タイムになりました。
「さぁみなさん、ちゃんと戻ってきてますね」
もうすっかり学校の先生フレーズも板についていました。そしてバスは、東京へ向かうことになりました。
「みなさん、これから東京に向かわなければなりません」
車内は少し悲しげな空気になりました。しかし、まだやり残していることがありました。
「お待たせしました!自己紹介タイムがやってまいりました!」
みんなそんなことはすっかり忘れていましたが、まだしていない人が何人かいたので、朝から断続的に行われてきた自己紹介を完結させたかったのです。でもすでにみんなはうちとけていたのでやる必要もなかったのですが。ようやく、半日がかりで行われた自己紹介タイムが終了すると、バスは最後のサービスエリアに到着しました。往きにも寄ったサービスエリアの反対側になります。旅の帰りのサービスエリアほど、せつなさに包まれる所はありません。日が落ちて微妙に暗くなってきてるのが、より一層センチメンタルな気分にさせました。
「さぁ、それではあとは新宿に向かうだけなんですが、最後はちょっとしたゲームをしたいと思います!」
ゲームと言うのはいわゆる山手線ゲームでした。テーマは、
「古今東西、一言ネタ!」
こういった機会じゃないと成立しないテーマでした。とはいえ、50名の人たちがそれぞれ違う一言ネタを言うわけだから、おそらく一週目で脱落する人がほとんどだろうと思っていました。
「えっ!まじで!!」
バスの中は奇跡が起きていました。予想をはるかに越えました。一周どころか何周してもなかなか脱落者がでませんでした。淡々と一言ネタを発する者、考えてしぼりだす者、雰囲気で憶えている者、みんなの体内にこんなにも一言ネタがはいっているとは思いもよりませんでした。
「これじゃ、終わらないかもしれない!」
無数の一言ネタが飛び交うバスの中は、おそらく地球上で最も一言ネタが熱い空間になっていました。
「よく憶えてないけど、たしかそんなネタあった気がする!」
一度しか言ってないようなネタや、僕自身が覚えていないネタをだしてくる人もいました。
「えー、5周目に突入します!新宿に着いても、これが終わらないと帰れませんよ!」
そして、7周目くらいのところでようやく数が絞られてきました。残りの人数が、ちょうど商品の数と一致していたのでようやく終了となりましたが、おそらく人生で行われた山手線ゲームの中で、最も長い試合となりました。そして、気付くと窓からは都庁が見えていました。最初は緊張感のあったバス中も、いつのまにかクラスの遠足のような雰囲気になっていました。
「...今日は本当にありがとうございました」
 バスから降りる人、一人一人と握手をしてお別れしました。一日で数回訪れた抱き締めたい願望ですが、やはりこのときがピークでした。
僕は、今回参加してくれた人たちからこんなにもパワーをもらうとは思いませんでした。この人たちを裏切るわけにはいかない、応援を無駄にすることはできない、とあらためて感じました。アメリカンドックをみんなで食べたことや温泉で待っていてくれたこと。バスの中の緊張感がゆっくりとほどけていった感じ。そしてなにより、みんなが僕のことを理解してくれていると実感できたことが、かけがえのない心の支えとなりました。
「お疲れ様でしたー。どうでしたか?」
朝、見送ってくれた女性スタッフが待っていました。
「うん、楽しかったです。というか、みんなからパワーをもらった感じです。たぶん、またやると思います。」
みんなと同じ時間、同じ景色を感じた雨上がりの旅路は、僕の心に深く刻まれました。

1.週刊ふかわ | 11:00