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2005年08月28日
第184回「夏の終わり」
ホームに立っている僕の目の前を列車が通過するように、今年の夏もあっというまに通り過ぎようとしています。幼少時代、ゆっくりとホームに入って停車までしてくれた夏列車は年々その速度を増し、いまは急行通過のようにスピードを緩めず通り過ぎていきます。やがては新幹線のようなスピードになってしまうのかもしれません。それにしても、どうして夏だけが惜しまれるのでしょう。「あぁ冬が終わってしまう...」みたいに、他の季節を惜しんでいる人はあまり見かけません。それだけ、みんなどこかで夏に期待をし、どこかで夏のせいにし、夏を口実にいろいろな経験をするからなのでしょう。「夏が嫌い」という人だって、少なからず「夏の終わり」にはさみしくなるものだと思います。
12両編成の夏列車はもう11両目くらいまで通過し、最後尾どころか、次にやってくる秋列車の先頭が遠くに見えてきました。花火大会や海水浴、絵日記になるようなことは一切せぬままに夏の終わりを迎えようとしている僕もやはり、過ぎゆく夏を惜しまずにはいられません。
「あぁ、このまま夏が終わってしまうのか...2005年夏、なにも起きなかったな...」
そんなせつない気持ちを胸に抱き、僕は近所のYD(ヤマダ電機)に行きました。
「すみません、ボイスレコーダーってどこですか?」
よく、記者のひとたちが政治家などのコメントを撮るために顔の近くに向けるのはこの類で、雑誌のインタビューなどでもよく見かけます。それこそ昔は、小型のカセットデッキなどが使用されていましたが、このタイプが登場してから急激に小型化し、しかも何十時間もの長時間録音が可能になりました。僕はそのボイスレコーダーで、日々の生活の中で感じたことを音で記録しようと思ったのです。それまでは、よくメモをしていたのですが、あとから振り返ってみるとなんのことだかわからなかったり、運転中に書いた字が読めなかったりするので、以前から、どうにかならないものかと思っていました。
「こちらが最新のボイスレコーダーになります」
案内されると、予想以上にたくさんのボイスレコーダーが並んでいました。小型で便利になったので需要が高くなったのでしょう。最近の電子機器はどれも小型で形が似ているので、なにも表示されていないと、それがMDウォークマンなのかi-podなのか万歩計なのか、判別できなかったりします。まぁいずれはケータイがすべてを飲み込んでしまうのだろうけど。
「なにか思いついたりしたときに、それをすぐ録音したいんですけど...」
盗聴とかに使うんじゃないかと怪しまれないよう、僕は過剰に用途を伝えました。
「そういったことでしたら、こちらのタイプで充分かと思いますが」
いくつか薦められたうち、僕はかろうじておしゃれに見えるタイプのボイスレコーダーを選びました。これなら、遠くからだとi-podを持っているかのように見えるのです。その箱を手にし、レジに向いました。
「あれ、おかしいわ...」
「どうしましたか?」
「す、すみません...ちょっとお財布が...」
「だいじょうぶですか?」
「あれ、どうしたんだろ...あれ...」
レジには困った顔をした店員さんと、カバンの中を必死にかきまわしている女性がいました。
「...どうしますか?」
「ちょ、ちょっと待ってください...」
次第に僕の後ろにも列が伸びてきました。女性は、店員さんや他のお客さんを待たせていることと、財布が見つからないこととで、だいぶ混乱していました。しかし、なかなか財布はでてくれません。
「よかったら、これ、使ってください」
女性の目の前に、一枚のカードが差し出されました。彼女は手を止め、驚いた表情で僕を見ました。
「ポイント...結構残ってるから」
「...ポイント?」
「そう。前におっきい買い物したときにたまっちゃって」
「でも...」
「いいからいいから」
「いや、でも...」
「すみません、これでお願いします!」
彼女が迷っている間に、僕はそのカードを店員さんに渡しました。
「はい、ではポイントご利用でよろしいですね?」
「はい!」
その子の代わりに僕が返事をしました。
「へー、じゃぁ、頭の中に浮かんだことを忘れないように、これに録音するってことですか?」
「そうだね。言ってみれば、瞬間を音で記録するってことかな」
僕らはYDの近くの喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいました。
「でもほんとに助かりました。私っていつもこうなんです。どこか抜けてるっていうか。」
「でもよかったじゃない、盗まれてなくって」
「そうですね。でも、お財布は盗まれてなかったですけど、別のものを盗まれました...」
「別のもの?」
「...わたしのハート...」
「なに、言ってんだよ!ったく調子がいいよなぁ!」
彼女の軽快なジョークに笑うと僕は、席をたちトイレに向いました。
「...僕は間違ってなかった。あの子のためにポイントを使って正解だった」
心の中で、自分のとった行為をあらためて評価しました。
「ここは私が払うんで...」
「いや、いいよいいよ...」
「いえ、払わせてください!だって、あんな何万円もするもの買ってもらったんですから!」
「じゃぁ...ごちそうになっちゃおうかな」
お店を出ると、ふたりは別々の方向へ帰って行きました。
「よかった...YDに行ってよかった...」
僕にとって、YDの評価はさらに上がりました。もわんとした熱気を突き破るように、原付で走っていきました。
「あれ?一件はいってない?」
家に戻り、再びケースから取り出すと、すでになにかが録音されていることに気付きました。
「おかしいな、まだ何も録ってないのに...」
すっきりしないまま再生ボタンを押してみました。
「...えっと、ミナコです。今日は本当にありがとうございました...」
「ミナコちゃん!いつのまに?!」
「えっと...夏の終わりにいい人と出会えました...」
僕はボリュームを少しあげました。
「...また、会いたいです」
そこで録音は終わっていました。
「...そうか、あのとき...」
ボイスレコーダーに最初に記録されたのは、恥ずかしそうに話すミナコちゃんの声でした。僕は彼女の連絡先も、なにもきかなかったことを少し後悔しました。
「これでよかったんだ...これで...」
それはまさしく、夏の終わりの恋の音でした。音で切り取られた夏の思い出は、この小さな機械にしっかりと記録されました。家の外から、力いっぱい鳴く蝉の声がきこえてきました。
2005年08月21日
第183回「いつものように」
いつものように
悲しいニュースがきこえてくる
人と人とが殺しあい
多くの命が奪われる
親は子を殺害し
子は親にナイフをむける
夫は妻を殴り
妻は夫を毒殺する
なにも珍しいことではない
よくある話
老人は若者を叱り
若者は老人を切り刻む
隣人は隣人をバットで殴り
隣人は隣人に銃を向ける
なにも珍しいことではない
よくある話
いつものように
悲しいニュースがきこえてくる
人と人とが殺し合い
多くの命が失われる
肌の色の違いで争う人々
宗教の違いで争う人々
油で米を研ぐことはできず
北と南の距離は変わらない
漫画喫茶でゲームをする若者たち
飢えで苦しむ子供たち
少ない休みに夢をたくすOLたち
血を流して戦う市民たち
自分の場所が見つからない少年たち
自分で命を絶つ少女たち
いつものように
悲しいニュースがきこえてくる
悲しいニュースを見た後に
一日の運勢を気にしてる
多くの命が失われても
一日の運勢を気にしてる
悲しいニュースがきこえても
僕らはそんなに悲しまない
自分におとずれるとは思わない
いつものように
悲しいニュースがきこえてくる
世の中はなにも変わらない
世の中はいつも、いつもどおり
いつもと違うことをあげるなら
今日僕が31歳になったってことくらい
あとはいつもと同じこと
この世に生を受けたこと
いままで生きてこられたこと
祝ってくれる人がいること
ありがとうといえること
それらすべてに感謝しなくては
2005年08月14日
第182回「夏のほう」
「是非、来年の夏のほうもよろしくお願いします!」
文化祭で言うなら、実行委員長的な立場の人が、まだ汗も引いていない状態の僕にそう言ってきたのは去年の末のことで、そのときに社交辞令っぽくはあったものの「はい、ぜひ!」と返事をしたのがそのまま決定になり、あっというまにその「夏のほう」に辿り着いた気がします。幕張の大きな会場で行われた「冬のほう」は、年明けまでの3日間行われるもので、僕はその一日目にDJを依頼されたのでした。初のロックフェスということで若干のためらいと戸惑いはあったものの、音楽に対してポジティブなお客さんばかりだったので、ジャンルにとらわれることもなく、大いに盛り上がることができました。だから今回、「夏の方」への参加が正式に決まっても、以前のような戸惑いはなかったのでした。
東京から車で3時間くらいのところにその会場はあります。ひたちなかというのは茨城の水戸よりもさらに先で、サーファーたちの集う大洗などの海水浴場から目と鼻の先くらいのところに位置します。僕は会場までの3時間、好きな音楽を聴き、グランデサイズのカフェオレを飲みながら、高速道路をひたすら走っていきました。周囲の景色が都会の街並みから徐々に緑色に変わってくると、空の青さと雲の白さがはっきりしてきて、エアコンの効いた車内にまでも、外の暑さや蝉の声が伝わってきました。最寄の出口を降りると、どことなく海が近いような感じがしました。関係者の入り口に向う長い直線を走っていくと、正面に青々とした海が見えてきました。そのまま海に吸い込まれてしまいそうなくらい、目の前一面に広がっていました。
「お疲れ様です!こちらからバスで送迎になります!」
車から降りると、もわんという熱気が体中を覆いました。ただ、それを東京で感じていたら単にいやな暑さなんだけど、大自然の中で感じると、同じ暑さでもなんというか、心地よい暑さに変換され、ある種「もうどうにでもなってしまえ」というような、都合のいいプラス思考になれるのです。だから、人生に思い悩んだり、壁にぶつかっている人にはいい環境なのかもしれません。
「では、14時半にお迎えにまいりますので、それまではご自由に」
校庭くらいの大きさの芝生の広場があって、その周囲に、円を描くように出演者のコテージが並んでいました。海浜公園というだけあって、ときおり海からの涼しい風が通り過ぎていきます。焼きそばやフランクフルトなどの露店もあり、ここの空間だけで、ちょっとしたお祭りっぽくなっていました。誰の関係者なのか、太陽に肉体を捧げる水着ギャルがいたり、上半身裸でサッカーをする若者たちがいたり、かとおもえばタオルを首にかけて歩くサンボマスターがいたりと、様々な人たちがこの広場にいました。そればかりか、奥田民生さんやエレカシの人、大物アーチストの方たちがそれぞれに広場でのんびりしている姿はとても不思議な光景で、それもフェスならではのことなのでしょう。常にどこからか、誰かの歌声がきこえ、常に歓声がきこえていました。みんなが夏を満喫し、みんながフェスを楽しんでいました。
「それではよろしくお願いします!」
ステージにあがった僕を、大勢の人たちが迎えてくれました。太陽や潮風を感じながらDJをする「夏のほう」は、即座に汗びっしょりになり、Tシャツを投げる回数も増えました。異様な熱気が僕のテンションを高め、いつ倒れてもおかしくない状態でした。みんなで汗を流し、みんなで騒いだ真夏の90分は、まるで今年の夏を凝縮したような、灼熱の90分でした。
「すごかったですねぇ!3000人くらいいましたよ!」
多少誇張しているのだろうけど、文化祭で言うなら実行委員長的立場の人の言葉は、僕にさらなる満足感を与えてくれました。そして、Tシャツがまだ乾かぬうちに、陽は沈み、あたりはいい感じに暗くなってきました。
「やっぱり日本人として、サザンは見ないとだめだよな」
もはや、帰ることはできませんでした。音の楽園から離れることができなくなっていました。今回のフェスティバルのトリを飾るのは、やはりこのグループでした。一つ前の坂本龍一氏の音楽がフランス映画なら、桑田氏のそれはハリウッド映画。しかし、世界観こそ違うものの、僕らにとってはたまらない流れでした。ワンマンのライブと違って、みんなが知っているシングル曲が多く唄われることも、こういったフェスの醍醐味といえるでしょう。桑田氏は、みんなで歌える歌をたくさん歌ってくれました。ひたちなかの空には、たくさんの星が輝いていました。
「冬のほう」は「冬のほう」でとてもいいイベントなのだけど、やはり「夏のほう」のほうが心に刻み込む印象度が違いました。あの暑さ、あの潮風、あの歓声。それらすべてが、僕の心と体にしっかりと刻み込まれました。こんな素晴らしいイベントに参加できたことを、とても光栄に思います。そして、僕にとっての今年の夏は、もう終わってしまったような、そんな気さえするのでした。来てくれたみんな、ありがとう。
2005年08月07日
第181回「Music takes me everywhere」
「音楽があればどこにでもいける」
そう思ったのはいつの頃だったでしょう。そんな昔でもなく、そんな最近のことでもなかった気がします。
仕事帰り、車の中で心地よい音楽を聴いていると、「あぁ、このまま家に帰らず遠くまで行ってしまいたい、、、」そんな衝動にかられることがよくあります。「このまま海が見えるところまで行って、海岸線をただひたすら走って、さらにその先のずっと先の方まで、あてもなく、行けるところまで行ってしまおう、、、」そんな衝動の風にのって湘南の海まで来てしまうこともしばしばありました。でもやはり、「明日仕事だしなぁ、、、」なんて、迫り来る現実に負けてしまい、それよりも先に進むことはできなかったりします。ただ、それもきっと時間の問題であって、現在の僕の中では理想よりも現実のほうが大事なのかもしれないけど、いつしかそれが逆転するときが来るかもしれません。現実のすべてを捨てて、理想の世界に突っ走ってしまうときが、きっと来るのです。それが何歳のときなのかはわからないけど。でも、そういう価値観になったら恐いものなんてなくなり、ただ音楽を聴きながらなにも考えずに遠くまで旅をしてしまうのでしょう。音楽が、僕をそんな気持ちにさせるのです。それほどまでに音楽が、はかりしれないパワーを持っているということは、みなさんもご存知でしょう。
僕が音楽に出会ったのは、たしか、まだ小学校低学年の頃でした。兄貴のいない隙を狙って部屋に潜入した僕は、大事なレコードプレーヤーを勝手にいじっていました。CDなど存在しなかった当時、棚には何十枚ものレコードがあり、それを片っ端から聴いていたわけです。そのときの僕には、いまのように深く「音楽を聴く」という感覚を持っていなかったと思いますが、それでもある曲がかかると、僕の心はふるえはじめました。いろいろ聴いていた中で、その曲は確実に僕の心の中に入り込んできたのです。幼い僕は、その曲を何度も聴くようになりました。そうして僕の体内には、レットイットビーのメロディーが流れるようになったのです。
その後ピアノを始めるようになった僕は、中学生になると、ピアニストになることへの強い憧れを抱き始め、「絶対音大付属高校にいくぞ!」と決意することになります。でもいろいろ考えた末に、僕は音楽というものを、「職業」とせずに「趣味」の範疇で楽しむ道を選びました。そうして僕は、残った「お笑い」という道を職業として選ぶことになるのです。「20歳になったら門を叩こう」と決めていたので、実際に20歳になってから、実質的な活動が始まりました。しかし、初めてオーディションにいったとき、僕はアコースティックギターを持っていました。テレビでエアロビのネタをやるときも、ダンスクラシックの音楽がかかっていました。結局お笑いをやっていても、音楽から離れることはできなかったのです。そんな僕が、やがてDJをやるようになるのも、ある意味必然的なことといえるでしょう。いくらお笑いをやっていても、いくらテレビで馬鹿なことをやっていても、体内には音楽の血が流れているのですから。どこかで音楽に触れてないと貧血になってしまうわけです。かといって、僕の体内にお笑いの血が流れていないわけではありません。そのことに対してはまたいつかお話しましょう。つまり、僕の体内には「音楽」と「お笑い」のふたつの血液が流れている、そんなようなことなのです。
テレビに出てちやほやされても、それなりのお金をもらっていても、僕はどこかで音楽にふれていないとだめだったのです。音楽を表現しないと体内のバランスがとれなくなってしまうのです。あのときに「趣味」と決めたのは僕の頭の中でのことであって、カラダはそんなことなんてきいていなかったのです。音楽に対する感情をそんな風に押さえつけることはとうてい無理だったのです。
「ロケットマン」のアルバムをだすことがきっかけでDJをやるようになった僕は、極端に言えば、水を得た魚のように、全国各地を飛び回り、大きな何千人もはいるクラブからから、単なるヤンキーのたまりばになっているようなところまで、ありとあらゆるクラブでDJをしてきました。きっとこれからもすることでしょう。それは紛れもなく、音楽が好きだからです。音楽が僕を全国各地に向かわせているのです。ちなみに僕は、それぞれのクラブでDJを際に、あまり言葉を発しません。ときどきマイクでわぁわぁ言う程度で、ほとんど話をしないのです。それでも僕は、そこにいる人たちと心が通じ合うのがわかるのです。音楽があれば、言葉はいらないのです。音楽の話のたびに言っていますが、僕は、音楽に優劣はつけられないと思います。数字で評価するものでもないし、多数決で決めるものでもありません。当然、流行やヒット曲というのは必ず存在するものですが、それだけが音楽の尺度ではないのです。ある曲が流れたとき、きっとだれかの心のすき間を埋めているのです。音楽は数字で表せない力をもっているのです。
「音楽って素晴らしい」そのことを伝えることが、アーチストの最初のメッセージだと思います。だから僕も、そのメッセージを伝えるひとりとして、音楽を表現していきたいのです。やがて僕はDJという枠組みを取り払うでしょう。自分の音楽を追求することでしょう。レットイットビーを聴いたあの頃からすでに、音楽から離れられなくなっていたのです。
「音楽があれば、どこにでもいける。音楽があれば、みんな幸せになれる」
そう信じて僕は、今日もステージに立つのです。