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2005年03月27日
第163回「タワレコ派な僕は」
視聴器にヘッドホンがふたつ付いていることに疑問を感じはじめたのはだいぶ前のことで、それからというもの、その答えを導くためにずっと頭を悩ませてきました。雨の日も風の日も、食事中でも仕事中でも、いかなるときも僕は、「ひとつの視聴器に対してなぜヘッドホンがふたつなのか」を考えてきました。しかしながら、そうした努力の甲斐もなく、月日だけが経ってしまい、ともすれば、僕が答えに到達する前に、他の研究者が発表してしまう危険性まででてきました。なので、まだ途中ではありますが、現段階での僕の見解を、この場を借りて、述べたいと思ったのです。
その発表の前に、僕とCDショップとの関係性について簡単に述べておきたいとおもいます。それは、どこかの国の一夫多妻制のように、僕には何件かの行きつけのCDショップがあります。ただ、単に数えてみたら数件あった、ということではなくて、それぞれに役割があり、TPOにあわせてCDショップを使い分けているのです。たとえば、DJをやっている以上、ある程度新鮮な音楽を仕入れないといけません。なので僕は、魚屋さんが市場に仕入れにいくように、渋谷のタワーレコードに、その開店時間に合わせていったりします。開店と同時に現れ、午前中のうちに渋谷をでるのです。なぜ開店時間かといえばやはり人が少ないからです。店内も、渋谷も。人が少ないと、ひとりの店員さんに対するお客さんの数が少ないわけです。飛行機で言うと、エコノミーでの客室乗務員とビジネスのそれとの違いですね。わがまま言えちゃうわけです。だから、「明日あたり、大量に仕入れるか」というときはかならず午前中のうちに渋谷に現れ、店員さんに聞きたい放題きいて、多いときで20枚くらい買ってしまうのです。ちなみにHMVでないのは、タワレコのほうが若干探しやすいのと、店内が明るいのと、袋がかわいいからです。HMVのユニフォームもあんまり好みじゃなかったし。
「わざわざ渋谷まで出向かなくっても手に入るだろう」って時は、近所の山野楽器やツタヤのような、というか山野楽器やツタヤなんだけど、CDショップに行くのです。こういうところはタワレコのような、あらゆるジャンルを網羅した店にくらべて、消費者の最大公約数が並べられています。なので、流行ってる曲、メジャーな曲を仕入れるときは近所の山野楽器で済ませられるわけです。
特に目当てがあるわけではないんだけど、なんかよさそうなのがあったら買おうかな、くらいの気持ちでいくのが、なぜかCDも置いてある雑貨やさんです。本来CDがメインではないんだけど、なぜかCDも置いてあるお店。本来は雑貨屋さんだったり家具屋さんだったりするんだけど、まるで音楽もインテリアだと主張しているかのように、当然のように並べているお店。それも独特の視点でセレクトされていて、「ここで売ってるならだいじょうぶだろう」と思わせるような感じ。実際僕は、この手のショップで購入することが多いため、近所のインテリアショップに陳列されているCDのほとんどを所有している状況です。
仕事帰りにとりあえず寄ってみるのが、以前紹介しました、「本とCDとゴルフ用品」という、独特な組み合わせのお店です。ここの詳細は以前述べたので割愛しますが、夜遅くまでやっているこのお店は、ジャズやボサノバ、ラウンジコンピレーションなどの大人向けのCDが多く、ちょっとしたカフェバーに寄るような感覚で入ってみるのです。仕事を終え、家に帰る前に一杯飲んでいくように、ラウンジCDを一枚買って帰ることは、僕にとってちょっとしたストレス発散にもなっているのです。
このように、僕にの生活にCDショップは絶対に欠かせないものであって、さらに目的に応じたCDショップが、いくつかないとだめなのです。一夫一婦制じゃだめということです。で、どのお店にも視聴器というものはあるのだけど、どこもやはり、ヘッドホンがふたつなのです。「そんなのカップルで聴くためでしょ」なんて思うかもしれないですが、そんな理由だけではないはずなのです。きっと、なにか理由、活用のしかたがあるはずなのです。そのことについての見解を今日発表する予定だったのですが例によって前置きが長くなってしまったので、来週にしましょう。
2005年03月20日
第162回「10years」
渡辺美里さんのアルバムの中に「10years」という曲があります。僕が中学生の頃に発売された「ribbon」というアルバムの最後のほうの曲だったと思います。
「あの頃は何もかも大きく見えた、あの頃は何にでもなれる気がした...あれから10年も...この先10年も...」
これらの言葉は、なにも知らなかった僕の心にさえ、すっと入ってきました。その「10years」を久しぶりに聴きたくなったのは、「あれから10年」が経ったからです。
「それでは、開会の挨拶をしていただきましょう。僕らを厳しく指導してくれました、松山先生です!」
高校の同窓会で司会を務めることになりました。学年全体の同窓会があるから是非参加して欲しい、と担任だった先生から連絡があったのが昨年末のことで、それなら是非司会をやりたいと申し出たわけです。とはいえ慣れない司会業なので、関西のテレビ局のアナウンサーになった同級生とふたりでやることになりました。みんなの印象が高校時代でとまっているものの、自分が30歳ということはみんなも30歳というわけで、そんな風に考えていると、その日が待ち遠しくてしかたありませんでした。13クラスあった学年だから、全体で500名程度。半分くらいが出席するんじゃないかと見込まれていた中、会場には300人近くの生徒たちが集まりました。顔を合わせては歓声をあげ、昔の朝礼を思い出させるような先生方の話をBGMに、みな各々で懐かしんでいました。
「では続いて乾杯をしたいと思います。音頭は木村先生にお願いしたいと思います」
ただ僕は、こうして進行している間にも、あることが気になっていました。
「それではみなさん、グラスを持ってください」
僕の意識はグラスではなく、グラスの向こうにありました。
「それでは、乾杯の前にひとつだけ話しを...」
僕は、ある人を探していたのです。
「前置きが長くなりましたが...」
どの友人よりも会いたい人がいたのです。
「カンパーイ!!」
会場が拍手に包まれました。
とりあえず進行が一段落すると、みんなが寄ってきました。同じクラスだった人や同じ部活だった人たち。なんとなく顔は知っているけど話したことのない人や、まったくピンとこない人まで、みんなと写真を撮る状況になりました。当然これは嬉しいことでしたが、そんなときでも、あの人を探していました。これまでの出版物を読んだことのある人はご存知でしょう。僕が高校時代付き合っていた人。毎年クリスマスの時期に桜木町の公園でプレゼントを交換していた人。そして、大学に進学してから僕に別れを告げた人。その人を探していたのです。
「ちょっと、外でようか...」
「えっ?」
「外、でようか?」
「え、でも...」
「だいじょうぶ、しばらくなにもないから...」
およそ10年ぶりに再会した僕と彼女は、周囲で盛り上がっているのをよそに、会場を抜け出すことにしました。
「あの頃の匂いだ...」
「ねぇ、ほんと大丈夫?生徒とかいるんじゃない?」
「今日は休みだし、こんな時間だから誰もいないよ。それに、同級生に会うのも懐かしいけど、教室の空気も感じたいでしょ」
校舎に侵入した僕たちは、同じクラスだったときの教室の中にいました。
「ここで、出会ったんだよね...」
「...うん」
「隣の席になったね、たしか...ここらへんで」
「...うん」
「ほら、教科書とか忘れると隣の人と一緒に見るじゃない。だからわざと忘れたりして。そういえば、時計もおそろいのだったよね?パーソンズの」
「......」
「どうしたの?」
僕は彼女が悲しそうにしていることに気付きました。
「ううん、なんでもないの。ただ...」
「ん?」
「...どうして別れちゃったのかなぁって」
教室の中が静寂に包まれました。彼女に好きな人ができたから別れたわけで、僕が何度追いかけても彼女は振り向かなかったわけで。僕は、すぐには言葉が見つかりませんでした。
「...それで、よかったんだよ、きっと。あのときは辛かったけど、いまとなっては本当にいい思い出だから...」
「わたし...いまでも亮くんのこと...」
「もういいんだって!」
「だって、わたし...」
彼女の瞳から涙があふれてきました。
「ちょっと、ふかわ!私とも写真とってよ!」
そんな僕の想像のスクリーンを突き破るように、ひとりの女子がやってきました。
「いいけど、もう酔っ払ってるの?」
「いいじゃないのぉ!あ、そういえば、あの人来てないね」
「あの人って?」
「彼女よ、彼女!」
「やっぱり来てないんだ」
「なんかいま妊娠中らしいよ。それで来れないんだって、残念ね!」
「えっ?なんて?!」
昔の恋人は、一年前に結婚し、妊娠8ヶ月とのことでした。僕と別れた頃、あれから10年がたったのです。
「まぁ、幸せならよかったよ、幸せなら...」
そうつぶやきながら、それほど仲良くもなかった女子と写真を撮りました。
「ふかわ、2次会来るんだろうな!」
「2次会?あぁ行くよ...」
久しぶりに聴く「10years」は、中学生のときよりもずっと、心にしみました。
2005年03月13日
第161回「SとMのカンケイ」
まったくそんなつもりはなくっても、「カンケイ」と表記すると否が応にも「おしゃれカンケイ」を想起してしまいます。それは決して悪いことではなく、ある意味、日本人である証なのかもしれません。しかし、それだけ日本人の脳に焼き付いている「おしゃれカンケイ」も、もうすぐ見納めになってしまうらしいです。業界の中にいるくせに伝聞形で申し訳ないのですが、4月からは「おしゃれism」という番組にリニューアルし、メインパーソナリティーは藤木直人氏が務めるそうです。個人的な意見をいえば、番組タイトルに「おしゃれ」を残すよりも、愛着のある「カンケイ」を残して欲しかったのですが。ちなみに「カンケイ」には、数年前にいちど出演したことがあります。でもそのときはスペシャルの回で、いわゆる通常と違い、ひとりのゲストに対する時間が短かったので、あまり出演したと胸を張って言えなかったのです。それだけに、いつかちゃんと単品で出演したいと思っていたので、それを果たせぬまま「カンケイ」が「ism」になってしまうのは、ちょっと残念でもあります。古館氏の軽妙なトーク術、満里奈さんの笑顔。また、日曜の夜は、「おしゃれカンケイ」「電波少年」「ガキの使い」というゴールデントリオの時代がありました。「明日は月曜日だ」と日本人が抱える憂うつを払拭してくれたものです。いまでは「ブラックバラエティー」の良純氏が担ってますが。いずれにせよ、報道ステーションを担当するようになった古館氏にとって、「おしゃれカンケイ」が少なからず負担になってしまったのかもしれません。あとは直人氏に期待したいものです。「カンケイ」という言葉のせいでだいぶ寄り道をしてしまいましたが、こんなことを言いたかったわけではありません。
リビングにあるリモコンをテーブルの上に並べてみると、ひとつの部屋だけで6個のリモコンが存在することが判明しました。テレビ、ビデオ、ハードディスクレコーダー、ケーブルテレビ、エアコン、コンポ。ひとつの機器に対しひとつのリモコンがあるわけだから、こんなリモコンだらけの状況になるのも当然で、珍しいことではないでしょう。ただ、いまとなっては当然のように存在するリモコンですが、かつてはそんなものはなかったのです。
チャンネルを変えるために腰を持ち上げることが億劫になった人類は、「リモコン」という夢の道具を開発することに成功しました。おかげでソファーに座ったままチャンネルを変えることが可能になったのです。しかし、夢の生活にも落とし穴がありました。やがて人類は、「テレビのリモコンが見当たらない」という問題に直面することになったのです。結果、チャンネルを変えにいく手間は省けたものの、「リモコンを探す手間」が生まれてしまったのです。この問題に対し多くの研究が進められましたが、現段階での最良の対応策として、「カゴとか、なんらかのリモコン入れを設置してみては」ということが提案されました。しかしこれに至っても、実際にはほとんどのリモコンがそこに戻ってくることはなく、滅多に使わないリモコンだけがひとりで留守番し、最終的に単なる小物入れと化してしまう、という結果になりました。このリモコン問題は、快適な生活をのぞむ現代人を少なからず悩ましているのです。ただ、このリモコン問題を扱ううえで最も大事なことを我々は見落としてはいけません。それは、彼らは生き物だということです。リモコンは生きているのです。このことに気付かなければならないのです。つまり、彼らがソファーのすき間や新聞の下、電話の横やなぜか玄関などにいたりするのは、彼らが生きているからなのです。だから、リモコンを使用することは、ペットを飼うくらいの気持ちがないとだめなのです。「母さん、テレビのリモコン知らない?」ではなく、「母さん、デュークどこいった?」というように、名前をつけてやらないと、リモコンたちもなついてこないのです。放り投げたり、乱暴に扱ってしまえば逃亡するのも当然なのです。これらのことをしっかり認識せずにリモコンを扱うと、リモコンに動かされることになってしまうのです。このように、リモコンは僕らの生活を快適にし、もはや欠かせない存在になっているわけですが、リモコンによる影響もあるのです。
リモコンを手にしたことによる一番の影響は、「視聴者が待てなくなった」ということです。リモコンのない時代は、一度チャンネルを設定するとCMになっても、多少興味のない映像が流れても、すぐに変えようとはしませんでした。しかし、「ザッピング」という言葉が生まれたように、リモコンを手にした視聴者は、ちょっとでも興味のない映像が流れるとすぐに他のチャンネルに移行し、自分の興味にあてはまる映像を選ぶようになりました。これによって、視聴率が1分間で大きく変動するようになり、番組を作る側は、「どの瞬間を切り取っても興味が持てる番組」を作るようになったのです。10秒でも飽きさせてしまったら、リモコンで変えられてしまうからです。だから、CM前に盛り上げて、CMをまたいでから結論を出すことが主流になるのも必然なのです。人類がリモコンを手にしたことによって、「CMまたぎのストレス」がついてきたわけです。また、「ヒロシです」などの一言系ギャグが流行るのは、瞬間で切り取れるという点で、時代に合っていたということも、その要因のひとつと言えるでしょう。ただ、この状況が悪いと決め付けることは出来ません。瞬間瞬間で勝負することはとても大変なことです。映画は観てすぐには感動できません。テレビはつけたらすぐに面白いです。どちらが優れている、とかじゃなくって、性質が全く異なるということです。映画館のように、見る人が最後まで見るという前提でつくる映像と、リモコンで変えられてしまうかもしれないという宿命の中で作る映像では、根本的に違うのです。だから僕は、映画が芸術でテレビが低俗で、みたいな議論は全くナンセンスだと思うのです。
このように、テレビが瞬間で勝負するようになったことこそ、テーブルの上に置かれたリモコンのせいなのです。視聴者は、もう待ってはくれないのです。リモコンを手にした視聴者はテレビに対し、チャンネルを変えるという苦痛を与え、テレビはどうにか苦痛に耐えようとする。しかしテレビはその苦痛を拒んだりしない。リモコンを持つものは無意識のうちにサドになり、テレビはいつのまにかマゾになっている。つまり「SとMのカンケイ」にあるのです。では、「カンケイ」に代わる「ism」が、この苦痛に耐えられるのか、しばらく見届けてみましょうか。
2005年03月06日
第160回「別れの情景」
うちの洗濯機がやばい状況にある、ということを以前報告したのを、みなさんは覚えているでしょうか。洗濯をしていると突然「ドーン!」と落雷のような音がきこえ、見に行くと「ピピピピッ」と壁にもたれて鳴き、全自動なのに節目節目で確認しないといけない状況になってしまった、というお話です。それからというもの、状況が改善されることはなく、容態は悪くなる一方で、何度と買い換えることを決意したものでした。しかし、情というのはこわいもので、いちど愛着が湧いてしまうと、それがたとえ洗濯機であっても、別れたくなくなってしまうのです。それがたとえ脱水をしてないのに終了の合図をだすようになっても、「もう終わりにしよう」とは言えなくなってしまうのです。そんなイカれ具合がむしろ可愛らしく感じてしまうというか。しかし、別れなくてはならないときが来たのです。どんなに情がはいっていても、もう一緒にはいられなくなってしまったのです。なぜなら、もうすぐ「乾燥機付き洗濯機」が到着するからです。
洗濯機売り場にいってみると、もはや「乾燥機つき」が主流であることがわかります。ただ、乾燥機つき洗濯機といっても、各社それぞれに魅力的な商品を開発していて、「わが社の洗濯機は、さらにこんな機能もあるんです!」みたいに、他社との差別化をはかっているため、なかなか「これだ!」と決めるのも困難なのです。この洗濯機は節水機能に優れていて、こちらのタイプは乾燥時間が短く、こちらのは衣類を傷めません、みたいな風に。そんななかでも僕は、節水に優れていて衣類を傷めないという、なかなか優秀なタイプを選びました。陳列されていた中ではわりと値が張る方でしたが、大型液晶テレビを購入したことでたまったポイントは、その価格を簡単に飲み込みました。
「ごめんよ、もうお別れのときがきたんだ…」
「……」
「ほんとうにキミには感謝してるから。だって10年も一緒に暮らしていたんだ。君がいなかったら僕の生活がどうなっていたことか」
「…もう、いいの…なにもいわないで」
「いや、ちょっとでいいから聞いて!キミと出会ったのは、無印良品のお店だったね。僕が一人暮らしでいろいろ揃えているときだったね。まさかキミみたいな人があそこにいるなんて思ってなかったから最初は驚いたけど、でもすぐにキミの魅力に惹かれてったっていうか…」
「悲しくなるから、もうやめて…」
「それからというもの、僕の生活の中には常にキミがいてくれた。何度引越しをしても、いつもキミはそばにいてくれたね」
「でも、わたし、いつも失敗してばかりで…」
「…たしかにキミはこれまで出会ったことのないタイプだったよ。落雷みたいな音をたてるし、お水を溜めるだけためてじっとしてたり。すすぎ以降の行程を拒否するときもあったね。だからキミに触れるときはいつもドキドキしてたよ。でも、わかったんだよ。キミはさみしかったんだね。今思うと、そんなキミのすべてがすごく愛おしいよ」
「じゃぁ…どうして…」
「…僕にはもう、新しい恋人ができてしまったんだ…だから…」
僕は彼女を抱きしめました。長い同棲生活に、終止符が打たれました。
「ピンポーン」
新たに同棲するものが家に着いたようです。
「じゃぁ、コンセント抜くね…バイバイ…」
わっと目に涙があふれてきました。
「ふかわさーん、ヤマダ電機の配送の者ですが!」
玄関には、あの日僕が選んだ乾燥機付き洗濯機が立っていました。
「じゃぁ、ちょっと置く場所見せてもらっていいですか?」
「あ、どうぞ、こちらです」
配送スタッフをさきほど別れを告げた場所まで案内しました。
「ここなんですけど。この古い洗濯機は持っていってもらえるんですよね?」
「あ、はい、そうですけど…ちょっと待ってください…」
なにやら微妙な表情をしていました。
「なにか、問題ありましたか?」
「いや、ちょっと…」
スタッフは巻尺のようなものでいろいろな幅を計っていました。
「もしかして…」
「そうですね…ちょっとここにははいらないですね…」
「えっ?はいらないって、それじゃぁ…」
「また別のを選んでもらうということで…」
調子に乗って多機能なタイプの洗濯機を買っちゃったものだから、比較的サイズが大きくなり、家の洗濯機置き場に収まらなかったのです。
「もうすこし、いっしょにいようか…」
配送スタッフを見送ったあと、僕は、先ほど抜いたプラグを再び入れなおしました。新しい生活はまだ先のようです。