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2020年10月16日

第850回「つなぎの女」

 

「ねぇ、何見てるの?」

そう言って彼女がパソコン画面を覗き込もうとすると、涼は反射的に画面を閉じてしまった。

「なんで隠すの?」

「いや、別に隠してないよ」

「隠したじゃない?」

「隠してないよ、ちょうど見終わったから」

「何見てたの?」

「別に、なんとなく見てただけ」

「ふーん、なんとなくならいいでしょ?」

彼女は涼のパソコンを開いた。

「え?何これ?」

彼女の表情が険しくなる。

「ねぇ、どういうこと?こんなの見てどうするつもりなの?」

涼は黙っていた。

「私がいるのに、どうして?」

彼女の尋問に、涼の口が動き出した。

「出会った時、言っただろ?」

「出会った時?」

「そう、言っただろ?」

「なんて?」

「つなぎだって」

彼女は思い出したようだった。

「冗談だと思ってたけど、本心だったの?」

涼は大きく息を吐いた。

「ひどい!私のことそんな風に思いながら一緒にいたなんて。しかも、まだ一年もたってないじゃない!」

「しょうがないだろ、つなぎなんだから」

その言葉に、彼女の目に涙が溢れてくる。

「ほんと最低な男。あなたはそうやっていつも若い女に目移りして。一生、いろんな女と付き合えばいい。だからいつまでたっても結婚できないのよ」

その言葉に、涼は思い切りパソコンの蓋を閉めた。

「流石にそれは言っちゃいけないんじゃないか?」

「だってそうでしょ。46歳にもなって、周り見てみなさいよ。他にそんな人いる?」

「いるさ」

そう言って、涼はいくつか名前を挙げると、彼女は笑うように言った。

「何言っているの、笑わせないで。格が違うのよ。あの人たちは孤高!あんたは孤独!最終的に捨てられて、孤独に死んでいくんだから」

「いいだろ、別に誰に迷惑掛けているわけじゃないんだから」

「掛けてるの。みんな扱いに困っていることに気づいて。あなたは不発弾なの」

彼女は続けて話した。

「そもそも、この子のどこがいいわけ?単に若いだけでしょ?別に私に不満があるわけでもないのに。バッテリーだってまだ…」

 彼女が話していると、涼は何も言わずに部屋を後にした。

「ちょっとどこいくの?」

 涼は応じなかった。しばらくして玄関の扉が閉まる音が聞こえてきた。彼女は涼を追いかけて外へ出たが、彼の姿はなく、ただ金木犀の香りが漂っていた。テーブルの上には、食べかけのリンゴが佇んでいた。

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2020年10月09日

第849回「あざといって何だろう?」

 

 7月に特番として放送されたテレビ朝日「あざとくて何が悪いの?」が、この秋からレギュラー番組になったのですが、エンディング・テーマとして書き下ろした「あざとい夜はもう来ない?」が引き続き使用されることになりました。

 2ヶ月前の段階で秋のレギュラー化が決まっていたものの、エンディング・テーマに関してはどうなるかわかりませんでした。しかし、田中みな実さんや弘中綾香アナをはじめ、ゲスト出演した人気女優の皆さんたちが曲に合わせて踊り、それらがyoutubeにも残り、これだけで十分だったので、レギュラー化に関しては気にしていませんでしたし、きっと違う形になるのだろうと思っていました。

「引き続き、曲を使用させてほしい」

 だから、番組側から連絡があった時は頭の中でミラーボールが回るほど嬉しいものでした。「使用させてほしい」どころか、この番組がなかったらこの曲も生まれなかったのですから。しかも、新たに出演者が踊ってくれるとのこと。このメルマガが配信される時はレギュラー放送開始後になりますが、現段階ではどんな風に仕上がっているのか知らないので、とても楽しみです。

 子供の頃見ていた、「オレたちひょうきん族!」で流れていた「ウイリアム・テル序曲」や「DOWN TOWN」「土曜日は大嫌い」は、今でも耳にすると当時の感情を思い出します。オープニングの高揚感と、エンディングの楽しい時間が終わる切なさと多幸感。特に、バラエティーのエンディングはスタッフ・クレジットとともに、ピースフルな時間が流れます。そんなサタデー・ナイトを彩る音になれることは非常に光栄です。あらためて番組と、あの方への感謝はさらに大きなものになりました。なにせ、田中みな実さんの一声だったのですから、一生抱き続けることでしょう。

 それにしても、大躍進の2020年。京都の今年の一文字はみな実の「み」でいいんじゃないでしょうか。それくらい彼女の活躍はめざましいものでした。彼女のキャラクターを象徴する「あざとい」という言葉。もちろん、昔からありますが、こんなに時代にフィットするとは。「抜け目ない」「ずる賢い」「計算高い」、そしてかつての「ぶりっ子」に近いものがありますが、昨今耳にする「あざとい」には憎めないニュアンスが込められています。「お前、あざといな〜」と笑いながら言える空気。そこには「可愛げ」のようなものもあるのでしょう。

 「あざとい女」はイメージできますが、「あざとい男」っているのでしょうか。きっと、いなくもないのでしょうが、「小悪魔」とか「魔性」のように、女性の方が似合っている気がします。「ズルい女」なんていう曲もありましたが、「ズルい男」はあまり惹かれません。女性の性格を指す表現は男性よりも「クレバー」なものが多い気がします。男は、「あざとさ」に気づかない生き物。とにもかくにも、今月からスタートした「あざとくて何が悪いの?」は、毎週土曜日夜955分から。最後まで「あざとさ」をお楽しみくださいね。お茶の間でミラー・ボールが回ることを願って。

 

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2020年10月04日

第848回「面倒くさいことを愛している〜後編〜」

 

 おそらく人生で初めてのDJは、六本木にあるクラブだったと思います。繁華街の派手な空間ではなく、落ち着いたラウンジやバーに近いお店。なので、ダンス・ミュージックを繋いでいくというより、好きな曲を次々にかけていくというもの。たしか、ファラオ・サンダースの「YOU’VE GOT TO HAVE A FREEDOM」など、当時持っていたアナログ・レコードをかけていました。   

  もともと持っていたレコードもあれば、DJを始めるにあたって新たに買い足したものもあります。もちろんCDは普及していましたが、市販されているものではあまりクラブ・ミュージックがなかったのと、単純に「DJといえば、レコード」という先入観に従いました。

 テクニクスのターンテーブル2台、VESTAXのミキサー、さらにPIONEERCDJ700を2台購入し、いつでも部屋でDJできる環境を作りました。三宿WEBでも最初はレコードを持参しましたし、当時は「CDは邪道」という空気がありましたが、そこから徐々にCDに移行したのには理由があります。

 パソコンで曲作りをする前に、「リミックス」に興味があったので、AKAIMPC2000XLというサンプラーを購入しました。音を取り込んでリミックスするのですが、出来上がった曲をクラブでかけるには一度CDRに焼かなくてはなりません。そのためにCDレコーダーという別の機材も必要なのですが、自分でアレンジした曲をクラブでかけることが楽しくなり、レコードよりもCDRを使用する頻度が増したのです。

 ただ当時、CDJという機材は、いきなり蓋が開かなくなったり、CDRを読み込まなくなったり、トラブルが頻発。また、お店に必ずあるわけではないので、事前確認が必要だったり、見たことのない機種が置いてあったり、何かと苦労しましたが、ブース内のターン・テーブルは徐々にCD置き場になって行きました。

 その後、CDJが進化していくと、パソコンでDJをしたり、USBメモリーやSDカードなども挿入でき、とても身軽になりました。CDさえいらなくなったのです。レコードの持ち運びを弟子がやるような時代ではありません。DJでなくても、音楽の聴き方自体も変わりました。いつでもどこでも手軽に聴ける。しかし、ダウンロードやストリーミングにすっかり慣れてしまったのに、無性にレコードが使いたくなりました。納戸に眠っていたターン・テーブルを引っ張り出し、ミキサーに配線し直すと、もうこれだけで場所をかなり占拠されます。久しく使っていなかったので、針圧を調整したり、針自体を交換しないといけません。レコードも湿気に弱いので、クリーニングしないと針を傷めてしまいます。

 やっとの事で環境が整い、久しぶりに鼓膜を通過するアナログ・レコードの音。レコードが回転し、針が接するときの音。プチプチというノイズ。全てが懐かしい音。針を落とす時は、武道のような緊張感がありますが、A面からB面をひっくり返すことなどの、一連の動作やそれに付随する匂いは、デジタルにはない安心感も与えてくれます。単に音だけではなく、そう言った手間こそ、自分が求めていたものだったのかもしれません。

 レコードが今でも愛されているのは、利便性に溺れ、流されゆく日々の中で、アナログ・レコードと向き合う時間に、音楽を通じた「時間」というものをしっかりと感じられるからではないでしょうか。嫌われがちな、「面倒くさいもの」こそ、人間には必要で、我々はそれらを愛していることに気づいていないだけ。いろいろな聴き方がある中で、ターンテーブルのある生活は、私に、「手間」や「面倒くささ」という、アナログな感触を与えてくれているのだと思います。

 

 

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