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2018年08月31日
第759回「それでも、夏を嫌いになれない」
さて、そろそろ夏も終わりですね。この暑さだと、秋が恋しい気もしますが、やっぱり夏の終わりはどこか寂しさが伴うもの。今年は、どのような夏でしたでしょうか。
突然梅雨が明けたかと思えば、瞬く間に列島を襲った猛暑の日々。連日、最高気温は更新され、酷暑という文字を度々目にしました。刺すような暑さと熱帯夜。台風も頻発し、いたるところで水害などの自然災害に見舞われました。あらためて自然の中で暮らすことの難しさ、自然との共生について考えさせられる夏でもありました。
その一方で、「異常」という言葉を耳にする度に、腑に落ちないところもあます。「例年に比べ」という表現は違和感ないのですが、「異常気象」というのは、どうもしっくりきません。人間にとっては「異常」でも、自然にとっては「異常」も「通常」もありません。ゆっくりと温暖化に向かっているのか。何れにしても、自然界に「異常」はなく、むしろ「変化しない」方がおかしいと思います。
朝のサイクリングに出かけて、汗だくになって帰ってきて、頭から浴びる水シャワー。ふわふわかき氷のミルクやアイスコーヒの香り。近所の小学校のプールから聞こえる声。テレビから聞こえる甲子園の音。乾いた洗濯物の感触。川のせせらぎや、きらきらした山の緑。海の波音、潮の香り。ゆっくりと沈む夕日に、赤く染まった空。すべて、夏の色。夏のメロディー。花火こそ見られませんでしたが、積乱雲の中での激しい閃光に、心を踊らされずにはいられませんでした。そういえば、今年はラジオ体操の音も聞けませんでしたが、最近はあまり地域でもやっていないのでしょうか。
フェスの開催やアルバムリリースこそできませんでしたが、充分夏を満喫できました。「こどクラ!」のオンエアを、うたた寝しながら聴いた夏の日の午後は、まさに「Waltz in August」。ゆったりとした時の流れは、まるで異次元世界にいるようでした。
これから徐々に涼しくなり、この暑さのこともやがて忘れてしまうのでしょう。秋から冬へ。美味しいものに舌鼓を打ち、灯油ストーブが登板しはじめる。そしてまた、夏が訪れた時、初めて経験するかのように、夏に手を焼くのでしょう。2018年の夏。とても素敵な時間でした。さよならサマー。ありがとうサマー。やっぱり夏が、嫌いになれない。
PS:来週、再来週は「夏休み」のため、休載となります。次回は、9月23日の配信です。よろしくお願いします。
2018年08月24日
第758回「残暑見舞い申し上げます」
台風と猛暑が交互にやってくる2018年夏。皆様、お変わりありませんでしょうか。
さて、前回お伝えした通り、私、44歳になりました。イレギュラーにもかかわらず、三宿のイベントにわざわざお越しいただいた皆さん、ツイッターやブログなどにコメントを寄せてくれた皆さん、本当にありがとうございました。おかげで素敵なバースデーになりました。いつも以上に心地よい音と、美味しいお酒を堪能できました。
44歳。もはや誕生日ではしゃぐような年齢でないことは百も承知なのですが、それでも祝ってもらえることは嬉しいもの。ツイートで触れたように、あれから月日は経ち、体型も変わり、すっかり中年街道まっしぐら。階段を上がっただけで息が切れてしまうほどですが、とても幸せです。常に、いまが最高だと思えるのも、皆さんのお陰です。
ときおり、「誕生日が嬉しくない」なんていう人もいますが、こうして齢を重ねることは、とても素晴らしいことだと思います。その年齢でしか見られない景色があるから。それに、誕生日を迎えられることは、決して当たり前ではありません。
こうして、お酒やコーヒーを飲むことも、映画を観たり、音楽を聴くこと。風を感じられること、木々を眺められること。汗をかいたり、お腹が空いたり。悲しくなったり、気分を害されたり。どれも、生きているからこそ。決して当たり前ではありません。日常への感謝。全てに感謝。
それでも人間ですから、365日、四六時中感謝していられるほど、日常に余裕があるとは限りません。些細なことで腹を立てることもあるでしょう。それでも、この世に生を受けた日には、全てに感謝したくなるものです。「おめでとう」と言ってくれる人がいること。グラスを合わせられること。
1年は365小節。ビートは心臓が刻んでいます。日々の出来事は、その上で奏でられるメロディー。だから、人生に、無駄なものなんてない。速くなったり、遅くなったり。いろんな音で奏でられるシンフォニー。ときには、休符も必要でしょう。全ては音楽、人生は音楽。そう思って、あらゆる事象を受け止めたいと思います。
あらためて、今日まで活動できたのも、皆さんのお陰です。まだまだ至らぬ点ばかりですが、どうか、発酵食品だと思って、これから熟成され、いい味が出てくるのを楽しみに待っていてください。50を過ぎたあたりが食べごろと言われています。いま置かれている環境に感謝して。
2018年08月03日
第757回「暑中お見舞い申し上げます」
さて、8月。誕生月。もうすぐ44歳ということは、この世界の門を叩いてから24年ということになります。ほぼ四半世紀たった現在、こうして毎日仕事に向かえるのも、皆様の支えあってこそ。本当にありがとうございます。
5時に夢中!を始め、きらクラ!、アベプラ、ひるおび!、最近は関西の番組に呼ばれることも多くなりました。月曜日のラジオも加わり、適度なテンポで心地よいリズムを刻ませてもらっています。
文筆に関しても、東京新聞の風向計や、朝日新聞のtelling.、そしてこの週刊ふかわと、なかなか油断できない日々ですが、こうして連載を抱えていると、常にアンテナを広げていることになり、社会に対して敏感になります。ただ、批判や苦言ばかりの世の中なので、あまり風刺や批判的な文章は書きたいとは思えず、自分なりの目線で表現ができればと思っています。
マルチ、という表現はあまり好きではありませんが、多角的な活動をしている印象を持たれているかもしれません。皆さんがどのように感じているかわかりませんが、全て、違った「ふかわりょう」でいるつもりです。番組によって、また同じ番組でも曜日によって、微妙に違う「ふかわりょう」が存在します。
役者さんでも、作品ごとに変わるタイプと、どの作品でも一貫した色を持っている方といますが、僕はどちらかといえば前者なのでしょう。それが僕のスタイルだと思います。
光は、反射することによって、色を帯びる。反射するものによって発光する色が異なる。それと同様に、僕は、番組や場所によって放つ色の異なる人間でありたいと思っています。
色や濃度の違いという意味では、かつて放送していた深夜ラジオの「ロケットマンショー」は最も原液に近いものを4時間という時間で薄めていた番組でした。
仕事の合間に行うDJの時間も僕にとっては欠かせません。表現者として、リズム感はとても大切だと感じるからです。と言っても、これは口実であって、単に好きだからやっているだけですが。でも、一番好きなのは、曲を作ること。音と戯れる時間。無心になれるからかもしれません。スタジオを後にする午前2時。見上げたビルが病院に見えることもありますが、心の中にあるものを音にすることで精神のバランスを保っているのでしょう。
2018年8月。派手にならず、目立たないように。スタンダードな味になるように。そして、常にいまが素敵だと思える、思われる人でありたい。どうか、これからもよろしくお願いします。
PS:来週、再来週の週刊ふかわはお盆休みのため、休載とさせていただきます。