« 2017年09月 | TOP | 2017年11月 »

2017年10月27日

第723回「ラングラーが届くまで3」

 

「だいたい150万くらいかかりますね」

 とあるディーラーにいました。スーツの男性は、車体の上半身全てを換えないといけないため、それくらいかかってしまうとのこと。ある程度覚悟していましたが、予想を大きく上回ってきました。

 幌が壊れやすいのはカブリオレ、いわゆるオープンカーの宿命で、実際修理は今回が初めてではありませんでした。中古で購入してから数ヶ月で不具合が生じ、窓ガラスと幌の接着面をビスのようなもので補強しました。大事に扱っていても経年劣化は避けられず、特に布なので、生地の収縮によってどうしても窓ガラスが剥がれてしまう、今回はまさにその状況でした。

「それにしても、150万とは…」

 いっそ、買い換えてしまった方がいいのではと思わせる値。ディーラーの策略かもしれません。だからと言って、このままにしておいたら雨水が入って電気系統の故障したりと、ますますコストがかかってしまいます。

「やはり、ここしかないか…」

 幌、修理。検索するといろいろ出てきます。たくさんあるのですが、やはりディーラーのような安心感はどこにもありません。いくつか問い合わせてみると、どこも個人でやっているから回答もまちまち、値段設定もバラバラ。なんとも当たり外れが大きい気がしますが、少なくとも、幌に手を焼いている人が多いことは確か。玉石混交な中で、嗅覚を頼りにしました。

 

「あ!やっぱりそうでしたか!」

 いわゆる下町の住宅街にその小さな工場はありました。僕の姿を確認するなり、ハイテンションで迎えてくれます。

「はい、ディーラーに行ったら、150万かかるって言われまして」

「ははは!そう言うだろうね、ディーラーは!大丈夫、うちでやったら絶対剥がれないから!ははは!」

どこから来るのか、非常に自信のある言葉。でも、もう引き返せません。

「じゃぁ、お願いします」

 絶対剥がれない超強力なボンドと、気のいい下町のおじさんの言葉を信じることにしました。

 

「明日の午前中には、到着すると思いますので」

 ラングラーが出発してからというもの、なんだかそわそわしていました。冒頭でお伝えしたように、もうワクワクして胸がはちきれそうという状態とは程遠く、不安が波のように寄せては返していました。あんなに喉から出が出るほど欲しかったのに。気分を高めようと思っても、あの頃のボルテージにはどうしても及びません。

「いま、所定の場所に到着しました。」

 到着の日。大きなトラックで運ばれて来るので、近くの大通り沿いで待ち合わせしていました。電話を切ると、僕は、やや急ぎ足で向かいました。初めてデートをする時のような、妙な緊張感があります。

「いた…」

 大きなトラックの荷台に載せられて、アンヴィル・グレーのラングラーが光っていました。

 

 

 

13:50 | コメント (0) | トラックバック

2017年10月13日

722回「ラングラーが届くまで2」

「守りに入ったら終わり」
最後の決め手となったのは、この言葉でした。
 たかだか数百万で何をビビっているのだ。車なんて何台持っていたっていいじゃないか。買ったらどこかで話せる。後悔したって、どこかでネタになる。裏切られたっていいじゃないか。守りに入ったら、その時点で終了。やらない後悔が、一番価値がないのだ。そうして私は、ジープの沼に溺れて行きました。
「これで、良かったんだ…」
 電話を切ると、全身の力が抜けていくような、不思議な感覚に襲われました。何だろう、この感覚は。その時私は気づいたのです。私が格闘していたのは、私が溺れて行ったのは、ジープの沼ではありませんでした。それは、守りの沼。ジープが、守りの沼から私を引き揚げてくれたのです。

「決めたのね」
「え?」
「決めたのね。」
「決めたって、な、何を?」
「いいの、もう、わかってるから。こうやって私も捨てられるのね」
「捨てるって、何のこと?」
「あなたって本当わかりやすい。結局、スタイルのいい女が好きなのよ。私みたいな小柄な女よりも、あのムチムチで豊満な、馬鹿みたいな女が好きなのよ」

それから数日後、ビートルの屋根が開かなくなりました。

 納車までの間に、契約書がメールで送られ、郵便で大きな封筒が届くと、徐々に実感が湧いてきました。遂にラングラーがやってくる。アンヴィル・グレーのラングラーに乗ることができる。毎日、中古市場をチェックする必要もなくなり、平穏な生活に戻りました。しかし、楽しみで仕方ないかというと、そうでもありません。心の中に、一抹の後ろめたさや罪悪感があることを認めずにはいられませんでした。

「本当に、これで良かったのだろうか…」
 出産を控えた方とは比べものにならないでしょうが、それに似た感覚かもしれません。ラングラーが届くことはとても嬉しいのだけど、果たして私にその能力があるのだろうか。3人の子供を養えるのだろうか。そんな不安や後ろめたさが膨らみ始め、なんだか気が重くなってきたのです。あんなに欲しかったのに。一年以上も探していたのに。車の画像を何度も眺めては、強引にでも気分を高めたり。あの時の感情は契約と同時にどこかへ消えてしまったのでしょうか。だからと言って、「やっぱりやめます」なんて、人としてやってはいけないこと。もう後戻りできない。そんな、不安定な状態が続く中、担当者から連絡がありました。

「本日、出発しますので」
 アンヴィル・グレーのラングラーが、東京に向かい始めました。

13:49 | コメント (0) | トラックバック

2017年10月06日

第721回「ラングラーが届くまで」

 

 だからと言って、到着までずっと胸を膨らませていたかというと、そうではありません。むしろ風船が萎むように、気持ちは収縮していきました。

 

「もう、ダメだ…」

 相変わらず、沼と格闘する日々が続いていました。サイトを開いては、市場に上がっていないかチェックし、街で通りすがりのジープを目撃しては、指をくわえて眺めている。まさしく、恋のように苦しく切ない日々。自分の欲しいカラーと出会いたい。妥協したくない。そうこうしているうちに、年を越してしまいました。

 

 以前もお伝えしましたが、僕が狙っているのは、jeepのラングラーという車種。最近は都内でもよく見かけます。色は、2014年に限定発売されたアンヴィル・グレー。その年にしか生産されていないので、流通量も少なく、さらに黒の革張りとなると日本では100台程度とのこと。もちろん「限定」や希少性に踊らされているのではなく、その絶妙な色と形の組み合わせによるクールな世界観にすっかり虜になってしまったのです。

 

「出た…」

 パソコンの前で思わず声が漏れました。僕の目の前に、ラングラーのアンヴィル・グレーが映っています。実はこれまでも、ネットの中古車市場に出回ることはありましたが、内装が違っていたり、ボンネットに模様があったりと、いまいち踏み切れずに見逃していました。そんな中で、検索史上もっとも理想的な状態のものが現れたのです。

 

「このタイミングを逃したらもうないだろう」

 いつかは現れるかもしれないけれど、きっとしばらくない。いや、中古車なので、これ以上状態の良いものに遭遇する確率はかなり低いはず。ここでスルーするわけにいかない。いよいよ、現実味を帯びてきました。

 ただ、一つ問題がありました。取り扱い店が遠方なため、見に行くことができません。試乗もせずに購入なんてしていいものか。決して安い買い物ではないだけに、購入意欲にブレーキがかかります。

 

「とてもいい状態ですよ」

 ディーラーはどんな車でもそう言うでしょう。しかし、この車を狙っているのは間違いなく僕だけではないはず。

「問い合わせがあるので、この週末に決まってしまうかもしれません」

と煽られては、

「府川さんのためにとっておきました」

と調子のいいことを言われ、完全にカモにされていました。お店の人も、「もうすぐ落ちるな」と感じているのでしょう。もう一つ、何か決め手となるものが欲しい。そうすれば背中を押してもらえるのに。このジープの沼に溺れてしまえるのに。

 

「よし、買おう!!」

 冬の日の午後でした。きっと買うまでこの欲求は消えることはなく膨らむ一方。そうなるともう、日常生活にまで支障をきたしてしまうから。

「もう、腹くくりました、よろしくお願いします!」

 電話越しにそう伝えると、向こうから、安堵混じりの喜びと感謝の言葉が返ってきました。現物を見ずに購入することや、複数台の所有に若干の抵抗もありましたが、最後は気持ちよくジープの沼に溺れていきました。

 

「もう1年以上も恋い焦がれているのだから、この感情は間違っていない。これは買っていいものなんだ」

 そう自分に言い聞かせていました。それともう一つ、購入の決め手となることがありました。

 

 

 

 

13:47 | コメント (0) | トラックバック