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2016年07月17日

第667回「曲ができるまで」

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 ひとりぽっちの夜」
 この詩を読もうとすると、意識しなくても勝手にメロディーに乗ってしまいます。むしろ、メロディーから切り離して読むほうが困難で、また逆も然り。メロディーを聴いただけで言葉がついてくる。もはや、一心同体。メロディーと言葉を、どうやったって切り離すことができないのです。

 たくさん聴いたからなのか。それもあるかもしれません。でも、たくさん聴けば必ずこのようになるとは限りません。素晴らしいメロディーと素晴らしい歌詞、ふたつが見事にマッチしたケースのみに生じる現象。言葉をメロディーに乗せたのか、メロディーを言葉の下に敷いたのか。日本には、そういった曲は少なくありません。
 僕の場合、ほとんどの曲がメロディー先行。まずピアノの音色でコード進行を作成し、気に入った流れが定まると、それらをリズムの上に載せます。コード進行は、休日に行きたい場所のように、その日の気分で異なります。悲しい気持ちだったら悲しいコード進行ということではないですが、今日は海に行きたいとか、今日は温泉にはいりたいとか、心の隙間を埋める雰囲気を探します。
 そこにリズムをつけるということは、車で行くか、電車でいくか、というようなものでしょう。だから、同時にテンポも決まります。行き先が同じでも、交通手段によってまったく印象は異なります。実際、作っている途中でもっと早くしようとか、遅くしようというのはよくあって、BPM65というダウンテンポな曲を作っていて小康状態が続いたとき、一気に120くらいまであげてみると、また違った印象できこえてきて、「あれ?こっちのほうがいいんじゃない?」と、打破することがあります。
 コード進行とテンポ・リズムが決まったら次はメロディーライン。これはすぐに降りてくることもあれば、なかなか降りてこないこともあります。早く降りてくればいいというものでもありません。なかなか降りてこなければ、ひたすら聞いて、かき分けるようにメロディーの道を探します。この道を行けば、素晴らしい景色にたどり着けるかもしれない。一度進んだ道が行き止まりになることもあります。最終的に、メロディーという一筋の道を進んでいると、言葉が聞こえて来るようになります。いつのまにか言葉が付いてくる、なんてことであれば非常に楽なのですが、ひたすら聴かないと、すべてのメロディーに言葉は乗りません。
 最初に降りてきた言葉がタイトルになってしまうこともあるし、一方で、とりあえずこの言葉を載せておいた言葉があとからひっくり返ることもあります。「ARE YOU READY?」で進めておいた曲が「OK!バブリー!」になったり。そういったことでジャッジするエネルギーを消費するので、日常生活におけるほかのジャッジが適当になります。言葉のないメロディーから言葉が聞こえてくる。そういう意味では、空耳も大事です。ベートーベンには田園の曲を構想する散歩道があったように、朝の散歩の時間や車を運転している時間は、推敲するためのとても重要な時間です。
 大まかにいえば、このような流れで曲が仕上がっていくのですが、コード進行、メロディー、そして歌詞と重要な要素は揃ったものの、完成までは半分といったところでしょう。言葉やメロディーを推敲するのもそれなりの大変さがありますが、ここまではまだ心地よい作業。ここから先は情熱なくしては進むことのできない苦しみの世界。登山も頂上が見えてからが大変なように、なかなかあの場所にはたどり着けません。実際、細かな作業が続くのですが、簡単にいうと、耳だけの作業になります。耳だけで判断する。それは神経に直結する作業なので、体を動かしていなくても、ヘトヘトになります。情熱と根気と。それらが無いと、曲は完成しないのです。いったい、どこからその情熱が湧いてくるのかわかりませんが、いつか、「上を向いて歩こう」のような、みんなで口ずさめる曲を作りたいものです。

 

2016年07月17日 17:52

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