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2016年04月24日

第656回「I’M MUSIC」

ということで、今年もリリースすることになりました。「恋ロマンティック!!」から毎年夏に一枚というペース。昨年は、大きな吹き出物と表現しましたが、今年はなんと例えましょう。自分でも把握できないくらい曲を生産しているので、こういった節目をつくらないとメリハリがなくなってしまいます。
 それにしても、我ながら、なんて大胆なタイトル。ここまで言い切った音楽家はこれまでいたでしょうか。人生ではなく、もう、自分自身が音楽なのだと。
こんなタイトルでリリースできてしまうのは、音楽を愛しているからなのか、軽視しているからなのか。「life is music」以上にしっくりくる表現があるなんて。
 そういう意味でが、今年のアルバムはきっと「life is music 4」ではないかという憶測もあったと思います。なんせ、パッケージデザインも「3」から急にボーダーになったわけですから、ここで終わるってことはないだろうと。でも、期待に応え、予想を裏切る!これがクリエイターの宿命。裏切るためにこうしたわけではありませんが、不必要なこだわりを捨てたらこの言葉がでてきました。常に、いまのベストを尽くす。正直、僕自身も4だろうと思っていたので、裏切られた気分ではありますが、「life is music」シリーズが終わったわけでもありません。ある日突然「4」をリリースすることだってあります。いずれにせよ、「ryo fukawa」名義でリリースした時間があったからこそ、「ROCKETMAN」としての表現スタイルが明確になった気がします。「ryo fukawa」から「ROCKETMAN」へ。原点回帰ともとれますが、回帰したのではなく、地層のように、下からいろいろ積み上げられてひとつの地盤ができあがっているようです。
 もうひとついうと、今回から「テノヒラ」ではなくなります。「タンバリン」になります。タンバリンレコード。「テノヒラ」から「タンバリン」へ。ここには、「スマホを置き、タンバリンを持て」という思いがあります。タンバリンは平和の象徴。世界中の武器を楽器にとだれかが言いましたが、地球上の人々がみなタンバリンを持っていたらどんな世界になるのでしょうか。タンバリンの音色は幸せの音。イベントなどでみんながタンバリンを掲げる。そんな思いが込められています。「ryo fukawa」から「ROCKETMAN」へ。「テノヒラ」から「タンバリン」へ。そうして生まれた「I’M MUSIC」、自信を持ってお届けする最高傑作。今年も、みなさんの夏を彩らせてもらいます。

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2016年04月17日

第655回「それは、妹のような」

「じゃぁ、乗ってください」
そういうと、彼女は大きな荷物を抱えながら助手席に乗りました。
 同じイベントに向かうからとはいえ、僕が、助手席に乗せることに抵抗を抱かなかったのは、彼女の才能かもしれません。それは、スタジオにおいても同じで、あの椅子に座っていることに抵抗を感じている人は、あまり多くないのではと思っています。
 脇汗が滲むほど一生懸命で、力を込めた原稿読み。間違いなく、これまでとは違う音色ですが、違和感はあっても、不快感はありません。僕にとっては、いままでの同級生的な関係から、かなり年が離れた、例えるならCMの堤真一さんと高畑充希さんのような、上司と部下的なイメージもあったのですが、助手席に座ることの抵抗のなさ加減は、同性とも異性とも感じさせない、妹のような存在かもしれません。
 いままでのことを、ほとんど知らなかったのですが、 僕なりに一度共演してみて決めたことがあります。それは、なにも言わないでおこう、ということ。見放しているわけではありません。なにかアドバイスすることでプレッシャーになってしまうよりは、自分で気づいて成長してほしい。自分の力でこの山を登ってほしい。だから、ほかの方がどう接しているかはわかりませんが、よほどのことは別として、この子は放っておくのがいい、と判断しました。
 また、お茶の間の人たちに、変化を楽しんでほしいというのもあります。いまは、荒々しく、ごつごつしているけれど、この番組は、キー局の番組とは尺度が違います。整えられているものが必ずしも功を奏すとは限りません。その整っていない感じや荒さを受け入れる土壌はできていると思います。そして、ごつごつした部分が月日とともに丸くなっていくさま、力任せの荒々しい音がまろやかになっていく過程こそ、旨味であり、お茶の間に届けないともったいないと感じたのです。
 緊張をほぐすことはしても、「こうしたほうがいい」という具体的なことは言わない。登るべき山はこの山だよ、とは言っても、登り方、ルートまでは言わない。とてもいじわるなようですが、彼女の一生懸命な姿からは、勘違いして調子に乗っている印象はないので、僕は、彼女が遠慮なく、臆することなく、のびのびできる環境・空気を作ることに努めたいと思います。そうすることで、上田まりえという楽器がよく響くことでしょう。きっと、脇汗がなくなったらなくなったで、さみしくなるのかもしれません。なので、どうか、いまだけの音色を、そしてこれからの過程を、味わってほしいと思います。

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2016年04月10日

第654回「桜の木の下で」

「大丈夫ですか?」
 角をまがると、そこに、一人の女性が倒れていました。
「ちょっと、足を挫いちゃったみたいで…」
 見ると、膝から血がでています。
「大丈夫ですか?立てます?」
まるで腰を抜かしたように、地面から離れることができません。
「もしよかったら、どこかまで送りましょうか?」
それは、あたたかく、夏の日のような午後でした。

「すみません、迷惑かけてしまって」
「全然大丈夫ですよ、急いでないですし」
「本当に、近いところでいいですから…」
 ふたりを乗せた車は、近くの駅に向かいました。
「ここで、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です!本当にありがとうございます!」
そういって、車を降りようとすると、膝が痛んだのか、彼女の表情がこわばりました。
「とりあえず、消毒しましょうか」
車は、近くのドラッグストアに向かいました。

「もしかして、屋根開くんですか?」
 ドラッグストアから戻ると、彼女は、車の天井を眺めていました。
「あ、そうなんです、一応オープンカーなんで。乗ったことあります?」
「え?ないです、ないです!」
「ちょっと、開けてみます?」
「え、いいんですか?」
彼女の目が見開くと、弧を描くように、車の屋根が大きく開きました。
「すごい!ほんとに屋根がなくなった!」
視界が360度広がります。
「ちょっと寄り道でもします?」
「寄り道?」
屋根のない車が、都会をすり抜けていきました。

「すごい開放感ですね!!」
彼女の言葉が、風に飛ばされていきます。
「今日はまさしくオープン日和ですよ!どこか、行きたいとこあります?」
「行きたいところ…なら、わたし、海を見たいです!」
「海?」
「はい、わたし、一度も海を見たことがなくて」
「え?一度も?!」
「はい、おかしいですよね…」
「そんなことはないけど、珍しいね。じゃぁ、行っちゃおうか」
車は、南へと走り抜けていきました。

「なんだか、空を飛んでるみたい!」
車は、いくつかのトンネルを抜けます。
「いまが気候的にもちょうどいいですよ」
「こんなに気持ちいいなんて、知りませんでした」
昔からの知人のようなふたりを、太陽が照らしています。
「さぁ、もうすぐかな…」
そして、遠くに海が見えてきました。
「わぁ!海だぁ!」
彼女は思わず声をあげると、潮の香りがしてきました。
「ずっと、見たかったんです、わたし…」
そういって、なにも言わずに眺めていました。車は、海沿いの道を走っていきます。
「なにか、飲み物でも買ってきましょうか?」
車は海を望む駐車場にいました。
「あそこにコーヒー屋さんがあるから、買ってきますよ」
「すみません、なにからなにまで」
水面が、キラキラと輝いていました。

「ねぇ、桜の模様になってるよ…」
カップを両手に戻ってくると、彼女の姿がありません。
「あれ?」
膝を痛そうにしていたのに、すぐに歩けるとは思えません。しかし、あたりを見渡しても、しばらく待っても、彼女の姿は見られませんでした。
「おかしいなぁ…」
 桜の花びらが一枚、シートに落ちています。どこかでまぎれこんだのでしょうか。結局彼女を見つけられないまま、車は再び海岸線を走りはじめました。
「どこにいったのだろう…」
 花びらが、風に舞い上がると、海のほうへと飛んでいきました。
夏のような、あたたかい午後のことでした。

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2016年04月03日

第653回「新しい音色」

 ひとえにアシスタントといっても、番組によってその役割は異なりますが、この番組の場合、サポートだけではなく、身を削ったコメントを求められたり、非常に柔軟な対応力が必要とされています。間の取り方や、呼吸、でるところはでて、ひくところはひく。ある意味、コメンテーター以上にセンスが問われるかもしれません。MCとアシスタントというのはある意味、野球のバッテリーのような関係。ましてや、僕みたいにデリケートな人間の相手となると、その加減や塩梅がとても重要になるわけで、一歩間違えるとたちまち不協和音が響いてしまいます。
 もしも僕が指揮者であるなら、彼女はコンサート・マスター(ミストレス)。自ら音色を奏でながらも、指揮者と団員との架け橋。この番組においては、日替わりのオーケストラを支える重要な役割を担うわけで、その楽団全体の響きに影響します。
 アラフォーであるにもかかわらず、ちやほやされていた過去の栄光を捨てきれないものの、それが嫌味にならないところがまたいいのでしょう。どちらかといえば美人になるのでしょうが、にもかかわらず幸福の列車に乗り遅れている雰囲気、かたくなに次の列車を待っている決して妥協しないスタンスが視聴者に心地よい音色を与えていました。今回の卒業にしても、いわゆる寿卒業でもなく、「日本をはなれる」という、希望なのか不安なのかわからない「未来」がまた、番組らしく、彼女らしく、ちょっぴりビターな卒業式になりました。
 下ネタ全然オッケーというわけではないけれど、拒否しないスタンス。どことなく漂う、関口ファミリーの香り。そこら辺の塩梅が、絶妙でした。ザ・おかわりシスターズでも、ダンス未経験であることを一切感じさせないパフォーマンス、それどころか、完全にアイドルになりきっているあたりに、お茶の間の好感と爆笑を得られたわけです。
 そういう観点からも、彼女が素晴らしいコンサート・ミストレスであったことはいうまでもありません。僕が今日まで最低限のストレスで続けてこられたのも、彼女のおかげでしょう。
 占いというものを鵜呑みにするわけではないですが、あながち間違っていなかったと思います。そもそも、番組を見ていたときも、「相性のいいベストパートナーに選ばれた人」だとは知らず、スタジオでお会いしたとき、マネージャーに言われて気付いたのです。そのときでさえ、信じられませんでしたが、頭の中で繋がっていなかったのです。
 もしこのタイミングで卒業ではなかったら、アルタの最後を飾っていなかったかもしれないことを考えると、スタジオ・アルタの最後に立ち会えたこと、あの楽屋を使えたことは、内藤さんからの最後のプレゼントだと思っています。
 そうして迎える新しいカタチ。あらたな音色。そこに寂しさや違和感が生じるのは仕方のないことで、最初は風当たりも強いかもしれませんが、これまでと違う音色がお茶の間に受け入れられるようにすることも、僕の役割だと思っています。2016年、春。卒業もあれば入学もあります。僕は指揮者として、素敵な音色をお茶の間に届けたいと思います。

 

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