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2016年03月27日

第652回「僕たちの甲子園」

 と言ったら大袈裟に聞こえるかもしれませんが、当時の若手芸人にとっては、それくらい憧れの場所でした。全国ネットの生放送。華やかな芸能人が集う場所。あまたあるテレビ番組のなかでも、ひときわ輝いていて、だれもが知っているだけでなく、みんなの生活リズムになっている番組。あの空間のなかにはいることは、この世界を目指す者にとって、夢のひとつでもありました。
 僕がはじめてアルタを訪れたのは、笑っていいとも!のコーナーゲストとして。たしか、2週に一度という頻度だったと思います。ちなみに、もうひとりは有吉くんでしたが。それまでは、事務所の先輩であるネプチューンさんが出演している画面を、指をくわえて眺めていました。
 テレフォンショッキングのコーナーではなく、コーナーゲストなのはもちろん、レギュラーを視野にいれているから。当時、いいとものレギュラーと言ったら、それは芸能人としてのステータス。社会的信用。全国区の顔。得るものがとてつもなく多いのですが、当時はそんな冷静な分析もなく、ただただ、あのメンバーに加わりたかったのです。そんな思いを抱えながら、アルタに向かっていました。
 その思いが現実になったのは、もちろん事務所やプロデューサーのおかげもありましたが、それでも、ついに甲子園出場が決まったような感覚に、素直に喜びました。しかし、全国区のフィールドは甘くはありません。そこにいるのは、なにひとつ番組に貢献できていない自分でした。ゲストで登場していた時のように、うまくはいりこめません。立場が違うと、こんなにも変わってしまうのかと、苦悩する日々。いつのまにか、アルタに向かう足取りが重たくなっていきました。
「お前、絡みづらいな」
 タモリさんからの言葉に、会場が笑いに包まれました。東野さんに頭をはたかれるようになりました。そのあたりから、シュールの貴公子はいなくなりました。そうして僕は、3年半、毎週足を運んでいました。小さな楽屋。前説の声。あそこには、あの場所でしか得られない、独特な緊張感がありました。そうして、本番3秒前にクリックの音が鳴り、あの曲が流れはじます。
 笑っていいとも!を見て育ち、笑っていいともを見て、この世界への憧れを抱きました。テレビの世界で、バラエティーの世界で、あれほど世の中を明るくした番組はあったでしょうか。そうして、時は経ち、番組は終了し、あらたな「お昼休み」がはじまりました。
 しかし、再びアルタを訪れる機会がありました。何年かぶりに足を踏み入れると、あの頃の懐かしい匂いがしました。そして、僕の名前が貼ってあったのは、タモリさんがずっと使用していた楽屋でした。
 もう、若い世代の人たちには、スタジオ・アルタを知らない人がいるのでしょう。これから、「いいとも!」を知らない人たちが増えていくのでしょう。あの場所に足を運んだ経験は、いまでも大きな糧となっています。
 そうして、迎えるスタジオ・アルタ最後の日。そんな節目に、あのスタジオを、あの楽屋を使用できること。「5時に夢中!」に感謝しています。土こそ持って帰れませんが、あの楽屋の空気を、アルタの空気を、たくさん吸って来ようと思います。

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2016年03月20日

第651回「記号に弱い、日本人」

 そもそも、日本人が記号に弱いのは否めません。以前「美しさにまつわる」でも散々お話しましたが、これは、僕自身が人生をかけて追求していること。モノの価値、美しさを決めるものはいったいなんなのか。それらはときに、本質を見えにくくさせてしまう。どうして人は、記号に振り回されてしまうのか。
 もちろん、記号は大切です。「なんのお店かわからないけど、おいしいお店」なんて、どんなにおいしい料理を提供していても、なかなか浸透しません。「なにしているかよくわからないけど、荷物を運んでいる男性、すごくかっこいい!」と言われても、ピンときません。頭のなかで処理できないのです。あの和食屋さん、すごくおいしい。佐川男子、最高。記号があるから、輝くのです。
 とくにテレビの世界は、記号を求められます。たくさんの人たちが触れるので、わかりやすさが求められるのです。僕は、サービスエリアが好きですが、その好きが高じて、DVDを作りました。するとどうでしょう。情報番組で呼ばれるようになるのです。サービスエリア愛好家として。呼ばれるために作ったわけではありません。そのDVDが売れようが売れまいが、まぁ売れている方が望ましいのですが、カタチになっていることで、視聴者は「そうか」と納得してしまうのです。それが本だったりCDだったり。逆に、いくらサービスエリアが好きだと言っても、そういった「記号」になるものがないと、だれも耳を傾けてくれません。「愛をカタチ」にしないとだめなのです。それが、テレビの世界。
 記号が力を持ちすぎてしまっているものもあります。「世界遺産」になった途端に集まりはじめる人々。「全米ナンバー1」という映画のコピー。かつては「カリスマ美容師」なんてのいうのもありました。ここまでくると、記号というよりもブランド。普通の女の子とだと思っていたら「AKB」のメンバーだった。そうした記号がつけられた途端に、見る目が変わってしまう。本質はなにも変わっていないのに、記号が一人歩きしてしまう。
 世の中は記号でできているといっても過言ではありません。記号やブランドは、世の中との関わりであり、社会の認証を得ているという錯覚に近いものを与えてしまいます。
 「海外で評価された」という記号に弱いのは、やはり、島国だからという部分もあるでしょう。もっというと、英語を話せないというコンプレックスも加担しているかもしれません。母国語なのだから話せて当然なのに、外国人が英語を話しているのを見て「すごい!かっこいい!」という印象を抱いてしまう。これぞGHQの思う壺。同じように、タイ語やマレーシア後を話す人々に同じ印象を抱けないのはどうしてなのか。「僕たちの話せない言語を巧みに操っている」という印象に振り回されているだけなのです。
 記号は文字とは限りません。「ハーフ」や「クウォーター」の人たちに対する印象もそう。人間として優劣などないのに、どうしても特別扱いしてしまう。顔自体が記号とも言えます。イケメンがどうかで、メニューをオーダーするときの声色は変わるでしょう。人間というのはそういうもの。記号を判断材料にしているのです。
 だからこそ、ブランドというものがあり、一度ブランディングに成功すると、とても楽になります。人々は記号に振り回されてくれるからです。
 そういった日本人の弱いところ、つまり、大好物が集まっているのだから、テレビが放っておくわけがありません。甘いマスク、甘い声。結果として、複数の記号がお茶の間の支持を得ましたが、この度、もう一つの記号がついてしまいました。「経歴詐称」という記号。意図的かどうかは別として、記号の恩恵があった分、負の恩恵だけ避けることはできません。とはいえ、これらはテレビのなかの話。僕個人としては、これまで「人」として接してきたので、今後なにかが変わるわけではありません。
 人は無意識に記号の影響を受け、それらによって判断していることを、今回あらためて感じました。記号に弱い日本人が無意識に担ぎ上げてしまったのです。それは同時に、自分で価値判断ができない者が多いということかもしれません。本質を見抜くことは容易いことではありません。ましてや、人間の本質なんて、自分自身でもわからないくらいです。だからこそ、記号に振り回されないよう、心がけるべきなのでしょう。
 

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2016年03月13日

第650回「きっと、谷底で」

 道路脇に置かれた紙袋のなかで、ふたつのスピーカーが雨に濡れていました。

 「ミニコンポ」という言葉をすっかり耳にしなくなり、家電量販店でも見かけなくなりましたは、僕が中学生の頃は憧れの存在でした。いわゆるコンポは大きいし、高価なものなので、手が届きません。ウォークマンやラジカセもいいけれど、家でじっくりいい音を聞きたい。そこで、日本の企業が頑張ってくれました。ステレオよりも、一回りもふた回りも小さなミニコンポの登場によって、ティーン・エイジャーでも頑張れば手の届くものにしてくれました。
 CDもカセットもMDも聞ける。もちろんラジオも聴ける。その頃は、レコードの肩身がやや狭くなってきたので、ターンテーブルは別売り。このサイズなら机の上に置くこともできます。CDデッキも、8センチCDはもちろん、3枚から5枚入れておくことが可能になったり、ほとんどの欲求に応えてくれました。
 ラジカセも頑張っていました。ダブルカセットでダビングができるようになったり、オートリバース、ハイポジション。多感なあの頃は、こういった言葉に囲まれていました。でも、欲しいのは、ミニコンポでした。憧れの存在だったのです。テレビから流れるCMも、ミニコンポをよく見かけました。テクニクス、ソニー、パナソニック、オンキョー、サンスイ、ケンウッド。たくさんのつるつるのパンフレットを持ち帰っては、見比べていました。
 そうして、何歳のときだったでしょうか。僕の部屋にやってきたのは、大きなコンポでした。というのも、親友がミニコンポだったので、見栄を張ったのでしょう。説明書を見ながら、汗だくになって、配線した記憶があります。迫力こそありましたが、決して高いものではなく、コンポのなかでもかなりリーズナブルなものでした。両サイドの大きなスピーカーからは、渡辺美里さんやレベッカ、ビートルズが流れていたと思います。詳しいことはわからなくても、ラジカセの音とは確実に違いました。また、リモコン操作ができるため、ベッドから起き上がる必要もなく、ひたすら音楽を聴くことができました。それから、数年経ち、ミニコンポもやってきました。もしかすると、一人暮らしをするタイミングだったのかもしれません。デッキ部分はシルバーで、スピーカーは明るい茶色。CDは3枚入るタイプ。もちろん、MDも再生できるので、CDからのダビングも可能でした。
 その後、引越しのたびにそのミニコンポを運んでいましたが、音楽を聴く環境も変わり、打席に立つ回数は減っていきましたが、廃棄することは頭にありませんでした。MDが取り出せなくなったり、CDを読み込まなくなったりすることがあっても、捨てられませんでした。しかし、ワイヤレススピーカーが我が家にやってくると、もはや、こちらでも見ていられないほど、肩身が狭くなっていきました。ミニコンポが、異様に大きく感じるようになり、ごちゃごちゃした裏側の配線が、妙に汚なく感じるようになってしまいました。
「もう、しかたない…」
 時代の波に逆らうことはできませんでした。
 そうして、20年近く頑張ってくれた、USB端子のない音楽機器は、谷底へ落ちていきました。実際、スピーカーだけでもと思い、CDデッキやアンプ部分などは落ちていったのですが、結局、使うことはありませんでした。
 スピーカーが雨に濡れていました。20年近く使っていた木製のスピーカー。決して、優れたものではないけれど、この木目の感じとか、やわらかい音も好きでした。もうすぐ谷底行きのバスがやってきます。終点に着いたら、デッキたちが待っているでしょう。再会したら、取り出せなかったMDが、鳴り響くことでしょう。

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2016年03月06日

第649回「解約できない男 後編」

「解約しちゃうんですね…」
 僕は、その表情に戸惑わずにはいられませんでした。
「…はい、この寒さにはかないませんでした…」
 ありきたりな返答しかできず、理由をいくらか用意しておけばよかったと後悔しました。
「私、ずっといつ来るかないつ来るかなって、楽しみにしていたんですけど、とても悲しいです…」
 女性スタッフの目が潤んでいる気がしました。
「すみません、僕の意思が固かったら…」
 そもそも、ジムに通う目的は達成しているので、決して、志なかばではないのですが。
「この時期。みんな辞めちゃうんです」
 想像していたとおり、気まずい空気が流れていました。だからといって、ここで引き返すわけにはいきません。
「なにかあったの?」
別の女性スタッフが声をかけてきました。
「いや、解約の手続きをしているんですけど…」
「え?解約しちゃうんですか?」
さっきよりも大きな声がフロアに響きました。
「あ、はい…体重も減らすことができましたし…」
「そうなんですか、でも、運動は続けたほうがいいと思いますよ!」
「そうなんですけど…」
すると、スタッフたちが入れ替わるように様子を伺いにきます。
「え?解約しちゃうんですか?」
「増えるのはあっという間ですよ!」
「また暖かくなったら泳ぎたくなりますって!」
 視線を移すと、エアロビクスの人々までも、ガラス越しに、鏡越しに、こちらを見ています。
「解約しちゃうんですか〜解約しちゃうんですか〜」
 ウェストサイドストーリーの若者たちのように、指を鳴らして迫ってきます。館内アナウンスまでも「解約しちゃうんですか」と尋ねてきます。
「なんだ、この状況…」
耐えられなくなった僕は、逃げるように建物からでると、道を歩く人が声をかけてきます。
「すみません、解約しちゃうんですか?」
行き交う人々が尋ねてきます。
「解約しちゃんですか?解約しちゃうんですね?」
多くの人々に囲まれて、うわーと叫ぶと、ベッドの上にいました。

「過ぎてしまった…」
 時計を見るともうフィットネスクラブの営業時間を過ぎています。解約の締め日を越えてしまったので、一ヶ月の猶予ができてしまいました。また無駄に引き落とされてしまいます。

「お久しぶりです!」
 それから数日後、僕はフィットネスクラブに足を運びました。なんとなく顔見知りだったスタッフの目が丸くなっています。意を決してジムに足を運んだ僕は、カウンターを通過し、階段を上がりました。向かったのは、ロッカールームです。
「ほんと、久しぶりだ…」
 冬眠からさめた動物のように、僕は、水着を引っ張り出して、泳ぎに来たわけです。フィットネスクラブ側の勝利。作戦に引っかかったわけです。電話で解約できるのであれば、こんな日は訪れなかったでしょう。僕みたいな人はきっと少なくないでしょう。そうして、すでに4、5回ほど泳いでいます。面と向かって断るのが面倒だからということで解約できなかった男が、再び、泳ぎ始めたのです。果たして、意思が強いのか、弱いのか。いずれにしても、春は、みんなに力を与えてくれるのですね。

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