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2013年07月28日
第540回「それはまるで時間の器のように」
そこが行きつけのカフェになると感じたのは、入った瞬間、耳に届いた音のせいかもしれません。現にいま、こうやって食事のあとのプリンをたいらげたというのに、椅子にくっついてしまったかのように、腰が持ち上がりません。どうやら直感は間違っていなかったようです。
原付を家に置き、歩いて7,8分。おそらく開店したばかりの平日のランチ前。遂に僕はその扉を開けました。静かな店内。単にBGMが心地いいというよりも、音そのものが心地いい。やさしいウッドベースが誰もいない店内を漂っています。奥に進むと、まるでジャズ喫茶のように大きなスピーカーが待ち構えていました。大きな窓。木製のテーブル。居心地のよさは、ほかのお客さんがいても変わらなそうです。聴かせるでもなく、聞こえないほどでもない、絶妙な音量。その距離感と同じように、店主の男性が佇んでいました。
「あれは、ラジオですか?」
棚の上に、たくさんのラジオが並んでいます。それも、どこか懐かしいアンティークなラジオ。それらが、まるで観葉植物のように店内を彩っています。お店の名前のとおり、たくさんのラジオが並んでいるカフェ。ラジオ好きに悪い人はいない、とまでは言わないにしても、ラジオが好きだと聞くと、どこか安心してしまいます。
「ほとんど外国のものなんです。海外のラジオはカタチがいいんですよ」
この時代はそれが普通だったのか、ラジオだけでこんなにも大袈裟に場所をとっているのは、スマホでなんでもできてしまう現代、とても贅沢なことかもしれません。今後、このようなサイズのラジオは生まれることはないのでしょうか。話によれば、周波数の帯域が若干異なるものの、海外のラジオも日本で使えるらしく、店内のいくつかはまだ聴けるのだそう。食べ物も、器によっておいしさが異なるように、こんなかわいらしいラジオから流れてきた音や声は、また違った味わいになるのでしょう。それこそ、こんな雰囲気のカフェなら、同じコーヒー一杯でも、同じ30分でも。この店で味わうものは、どれもおいしく感じてしまうだろうと思ってしまうほどこのカフェは、居心地のいい器なのです。
それにしても、主人の声がとても穏やかで、それもこのカフェのサウンドのひとつ。彼が、パッドを操作すると、別の音が店内を漂いはじめました。浮遊感のある音。
「これはアルゼンチンのアーティストでね」
かつて通っていた、近所のレンタルビデオ屋を思い出しました。数年前につぶれていまはないのだけれど、品揃えこそ少ないものの、仕事帰りに寄るのが好きでした。店員の方に「おすすめは?」なんて訊くと、20分くらい話し込まれて。奥から女性がはいってきました。
「いま食べてるんだから、ほどほどにね」
話好きな旦那さんのブレーキ役でしょうか。目の前の器には黒ゴマプリン。コーヒーゼリーも惹かれたけれど、アイスコーヒーにコーヒープリンはさすがに難易度が高いでしょう。南米のアンビエントサウンド。読書をしたり、原稿を書いたり、ここでだったら、この器があったら、何時間でも、「時間を味わう」ことができそうです。
「また、来ますね」
店をでると、踏切の音が聞こえてきました。
2013年07月21日
第539回「だからといって僕は、それを食べログで調べたりはしない」
「あれ?」
ハンドルを握る手が異常を察知する。手ごたえがない。アクセルを回しても、音が聞こえない。出来の悪さも遂にここまできたのか。踏切で停車中、勝手にエンジンが切れる始末。
「え?ここで?」
電車が通過すると僕は、邪魔になるのでその場を離れ、スクーターのお尻を引っ張るように持ち上げる。
「ほんとにお前ってやつは…」
腹が立つのは、出発するときは、まだまだいけるよ!的な雰囲気を出していること。最初から無理ですと降参してくれればいいものを。玉の汗がアスファルトに落ちてゆく。ここから押していくにも、あの登り坂が気になる。20代ならチャレンジしていたかもしれないが、いまは、精神力はあっても、腰がついていかない。半ばやけくそになりながら、何度もキーを入れなおしては、鉄の棒を踏み込んでみる。
「ったく、もう、買い換えてやる…」
すると突如、手に振動を感じた。尻尾から煙がでている。もう懲り懲りだとため息交じりにヘルメットをかぶりなおすと、少し離れたところの看板が目に入る。水出しコーヒー、BLTサンド。何度も通った道でも、そこがカフェだとは知らなかった。行きつけのカフェができればいいのにと思ってはいるものの、こだわりの強い男ゆえに、そう簡単に「行きつけ」ができない。店の外観や名前、そして「水出しコーヒー」の文字に期待値があがる。しかし、初めてのお店にはいるのは、いささか、勇気のいること。しかも、このタイミングではいったら、でるときまたアスファルトに潤いを与えることになりかねない。ここなら、家から歩いて来れなくもない距離。とりあえず、今度にしよう。そして僕は、この出来の悪い子に運ばれて、踏切を越えていった。
2013年07月17日
第538回「向かいの店が涼しいことを犬は知らない」
「暑すぎる…」
いまにも陽炎が見えそうな商店街。いつものコンビニの前に車を停め、ドアを開けると、サウナのようにもわっとした空気が体を覆います。アイスコーヒー用の無糖のコーヒーを買う場所がいくつかある中で、このコンビニにおいてあるのはごく普通のもの。無糖が置いてないコンビニもあるので、ファーストコンビニに無糖タイプがあるだけで感謝すべきこと。ただ、その日は、コンビニの向かい側が気になりました。
「大丈夫かな…」
果たしてこのお店はやっていけるのだろうかと、いろいろ心配を誘う店構え。なんとなく視界に入っていたものの、選択肢には入らなかった商店。店頭に、コーヒーのボトルが陳列してあります。もしかしたらこっちのコーヒーのほうがコンビニのよりおいしいのではという薄い期待を込めてボトルを握りしめると、薄暗い店内はまるで昭和にタイムスリップしたかのような雰囲気。冷房もかけていないようですが、たとえかけたとしても、八百屋さんのように扉もないので、きっと暖簾に腕押し。奥から、店の主人がでてきました。
「あと、ふりかけって、ありますか?」
そういえば、切れていたのを思い出しました。すると主人が、陳列棚からくじを引くように取り出したのが、瓶にはいったふりかけ。聞いたことのない商品名。このタイミングで、ならいいですとは言えず、台の上に、常温のコーヒーのボトルと、見知らぬふりかけが並びました。
「中に、冷えたのがあるけど、それと交換しようか?」
家で氷をいれてかきまぜるのでその必要はありません。
「いいよいいよ、取り替えてやるよ」
そういって、奥へと消えていくと、足元に、なにか異質なものを感じました。
「え?」
薄暗くて気が付きませんでした。そこには、いまにも床にとけていくように、犬が、のびています。お店のなかでここが一番涼しいのでしょう。
「いらっしゃい」
「え?」
「いらっしゃい。暑いんだから、2回も言わせないでよ、お兄さん」
「あ、すみません…」
間違いなく声は、そこから発せられています。
「近所なの?」
「はい、そうなんです…」
「一緒だよ」
「はい?」
「一緒だよって言ってんの」
「一緒、というのは…?」
「そのふりかけ」
「ふりかけ?」
「そう、よく見るふりかけと一緒だから、安心していいよ」
「あ、そうなんですか…」
「あとね、ここは別に、大丈夫だから」
「大丈夫?」
「心配してたでしょ、この店構え」
「いや、そういうわけじゃ…」
「意外とね、大丈夫だから」
すると、主人の声が聞こえてきました。
「お待たせ、こっちのほうが冷たいからね」
薄暗い店をでると、向かいのコンビニの入り口には、冷たいデザートの看板。あの中が涼しいことを、あの犬は、知っているのかもしれません。
「今度、名前を訊いてみよう」
強い陽射しを浴びた商店街。僕は、まだほんのり冷気が残った車に乗り込みました。
2013年07月07日
第537回「タナバタ・ヘルシージュース」
混雑した駅が苦手な僕が始発の新幹線を利用するのは珍しいことではなく、その日も朝6時にはホテルをチェックアウトし、駅に向かいました。すでに駅は通勤の雰囲気が漂いはじめているものの、ひとたび新幹線のなかに飛び込めば、そこはとても静かで落ち着いた空間。コーヒーを片手にのんびりと、音楽を聴きながらぼーっとする時間がもったいなくて、眠ることもできません。あっという間に新横浜に着くと、スーツを着た人たちに逆らうように歩きながら僕は、電話をしていました。
「いまから20分くらいで着くよ」
自宅は都内にあるものの、品川や東京でなく新横浜を利用するのは、単に横浜の人間だからというよりも、駅からのびるこの広い道路とそこから見える景色のせいかもしれません。空が広く感じる道から地元のバス通りを抜け、実家の玄関を開けると、台所に、父と母の二人が立っていました。
「なにそれ?」
二人の前に、見たことのないドデカいマシンが置いてあります。ミキサーでしょうか。
「ちがうの、これはジューサー!」
どうやら母はそこにこだわりがあるようです。たしかに従来のミキサーに比べると、大きくて、機械的で、コンパクトな工場のよう。ミキサーと呼んではいけない気もします。これが、家電量販店の閉店セールで売れ残っていたのだそう。
「すごいから見てて」
まるで理科の実験がはじまるかのように、マシンの前に立つ父と母。機械がウイーンと鳴りはじめると、キウイ、リンゴ、オレンジ、予め皮を剥いた果物たちが、父の手から離れていきます。
ドリップコーヒーのようにぽたぽたと、しずくがおちていきます。たしかに、すべてすりつぶすミキサーとは異なり、すりつぶしたものが液体と固体とに別れ、片方には大根おろしのような山が、一方には、クリアでしぼりたての果汁がたまっていきます。そしてできあがった我が家特製の栄養たっぷりフレッシュジュースは、たしかに口当たりもよく、ざらざらした感じもしません。すりおろされた果実は、基本は捨てるのだけど、これはこれで何かに使えそうです。
「これを毎朝飲むと、調子がいいの」
あれだけ果物を投入したのにできあがったのは若干少ない気もしますが、たしかに体にはいいでしょう。ただ、一回一回洗うのも大変そうで、僕は、これ持っていきなさいとでもいわれるんじゃないかとびくびくしながらそのジュースを飲んでいました。
「もう一杯飲む?」
そして、また、我が家に大きな音が鳴り始めた。
「あら、大きな笹」
窓の向こう。竿だけ屋の竿のように、トラックの荷台で3メートルほどの長い笹がゆさゆさと大きく揺れています。どこに運ばれていくのでしょうか。横浜と言えど、うちの脇道を上がっていくと、タヌキが時々降りてくるほどの山があり、小さい頃はそこでタケノコをとったものです。あの大きな笹は、きっと山で揺れていたのでしょう。小学校に持っていくのでしょうか。
「そうか、七夕か」
いまはどうかわかりませんが、地元の商店街は、七夕祭りと称して、飾りつけが施され、鼓笛隊のパレードなどを行っていました。僕も小学生の頃、炎天下の中、練り歩いたものです。汗びっしょりになっては、途中、給水所のような場所で、おばちゃんたちから冷たい麦茶が支給されました。あのときの一杯と、いま目の前の一杯が重なる瞬間。ヘルシーなジュースが、喉を通り抜けて行きました。