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2007年01月28日
第254回「ひとり教育再生会議」
僕が生きている限りで、これほどまでに教育のことが話し合われたことはなかったのではないでしょうか。昨年のいじめの問題から、今年は教育というものに焦点が絞られ、学校の存在意義が問われています。かつて骨抜きにされた教育再生会議も、今年になってから具体的な案をだし、その良し悪しは置いておくとしても、話し合いを透明にしていることは、国民全体に問いかけているようで、良い傾向だと思います。週刊ふかわを読んでいる人はご存知かもしれないですが、僕自身、わりと教育というものには関心が強く、それこそ小学生の頃から学校教育に対する言葉にならない思いがあったのです。それが具体的な言葉になってきたのが高校のときで、それが芸能界を目指す要因のひとつにもなったわけですが。
「では宿題を発表します」
担任の古川が言うと、生徒たちがざわざわし始めた。
「はい、騒がない。えー、みんなへの宿題は...」
古川が黒板に大きく書きはじめると、生徒たちはそのチョークの行方に不安を抱いた。
「じゃぁ宮本、読んで」
「なみだ?」
「そう、涙。涙を流す。これが宿題だ」
再びクラスが騒がしくなった。
「先生、涙って、なんでもいいんですか?」
「うん、なんでもいい。映画でも本でも、なんでもいいから涙を流してきなさい」
「泣けなかったらどうするんですか?」
「いまからそんなことを考えるな。とにかく涙を流して、どの瞬間に涙が流れたかをそれぞれ発表してもらう。なので、涙を流したときの表情をケータイで撮ってくるように」
そう言ってホームルームを終えると、古川は教室をあとにした。
「なぁ、あの先生おかしいぞ」
「たしかに。意味わかんねぇよ」
「そもそも心の授業ってなんなんだよ?」
「しょうがないよ、新しく導入されたんだから」
「なんかテンションさがるよな、国で勝手に決めちゃって」
「うちらの意見もきいてほしいよな」
宮本と栗原のふたりは、出された宿題に対し、愚痴をこぼしていた。
「でも、涙なんて楽勝じゃない?」
「ウソ?俺自信ない!」
「マジで?ほら、なんとかの犬っていうの見たら泣けるっていうぜ」
「フランダース?じゃぁ俺それ見てみよっかな」
「だめだよ、俺が観るんだから!」
「別に平気だって、同じのは駄目なんていってないんだから」
週明けの月曜日が、宿題を発表する日になっていた。
「フランダース観たんだけどさぁ...」
宮本は教室にはいるなり口を尖らせた。
「泣けただろ?」
「ぜんぜん泣けなかったよ!」
「マジで?お前それおかしいよ!俺なんか号泣!」
「っていうか、気づいたら終わってた」
「じゃぁどうしたんだよ?」
すると、古川が教室にはいってきた。
「はい、みんな席着いて。今日は先週言ったとおり、涙を流した瞬間を発表してもらいます。では...田口から」
「え、俺っすか?」
「そう、俺」
「なんか嫌だなぁ」
田口の写真が画面に映だされると、生徒たちが笑い始めた。
「ちょっと、なんで笑うんだよ!」
「だって、あまりにブサイクだから」
「ひどいなぁ。だから一番は嫌だったんだよ」
「田口、これはどんな瞬間だ?」
「えっと、僕は涙を流すなら映画がいいと思って、映画を観ました」
「なんの映画?」
「え?ア、アルマゲドンです」
すると、近くにいた生徒がすかさず手を挙げた。
「先生、田口君嘘ついてます!本当はドラえもんです!」
「お前、なんだよ、なんで言うんだよ!」
「はい、静かに!べつに人がなにで涙を流してもおかしくないんだから、そんなに笑わないように。では次は...」
画面には別の生徒の顔が映し出された。
「僕は、北の国からを見ました」
「私は、たまたまお母さんに怒られて...」
「美容院に行ったらぜんぜんイメージと違ってたんで...」
次々に涙を流している顔が映し出されては、生徒たちが解説した。
「では続いて...」
古川が次の写真に切り替えると、見知らぬ女性の顔が映し出された。
「これは、誰の写真だ?」
すると、宮本の手がゆっくり挙がった。
「宮本の写真か?これはどういうことだ?」
「...えっと、いくつか映画見たんですけど、どうしても泣けなくって...だから、泣いている人を撮りました...」
「この人は誰?」
「河川敷で泣いていました。お願いしたら撮らせてくれて」
「そうか。ちなみになんで泣いてたんだ?」
「それは...わかりません...」
宮本は言葉を飲み込んだようだった。
「とりあえず、宮本は再提出!」
「えー、なんでですか!」
「みんな自分の涙を撮ったのに、一人だけほかの人でもいいってわけにいかないだろ」
「だって、出ないものは出ないから!」
「では、また今週も宿題をだします」
宮本の言葉を無視するように、古川はまた黒板に新たな宿題を書き始めた。
「あの先生やっぱおかしいよ」
「なんだよアングリーノートって」
「とりあえず、この宿題が出されたってことで1アングリーだな」
「そんな怒ってるときにいちいちメモりたくないよな」
「しかも俺なんて、涙がまだ残ってるんだぜ」
「それはお前が悪い」
「なんだよそれ!先生の味方かよ!」
「怒った?じゃぁそれも1アングリーだな」
「うわ、面倒くせー!でも結構腹立つことって多いな」
「一週間で100くらいいきそうだな」
二人は河川敷を歩いていた。
「そういえばさぁ、あの写真撮ったのって、この河川敷?」
「あぁ、そうだよ」
「なんで泣いてたか、ほんとは知ってんだろ?」
「え、知らないよ...」
「どこで泣いてたの?」
「あ、ちょうどあの辺り...あれ?」
宮本は目を疑った。
「どした?」
「いた」
「なにが?」
「あの人が、またいた」
「あの人って、あの写真のひと?」
「そう。しかも...」
「泣いてる?」
ふたりの視線の先に、肩を小刻みに揺らして泣いている女性がいた。
「いつもここで泣いてるのかな...」
「話しかけてみる?」
「まずいって!」
「大丈夫だよ、お前知り合いだろ?」
「そんなんじゃないから、まずいって!」
「わかった、近くで見るだけ!」
宮本の制止を振り払って、栗原はその女性の方に向かった。
「ひとり教育再生会議」次週へ続く。
P.S.
なにかをあげるわけでもなく、なにかを優先させるわけでもないのに、アンケートに答えて頂いてほんとにうれしかったです。皆さんの、無償の愛に感謝します。とても参考になりました。引き続き募集していますので、まだの方で興味のある方は是非ご協力お願いします。
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1.週刊ふかわ | 10:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月21日
第253回「ミッキーのいないディズニーランド〜後編〜」
ということで向かったブリュッセルは日本からの直行便がなく、僕はドイツからはいりました。年々十何時間に及ぶ飛行時間が短く感じてくるのは、やはり見えない分母(第166回参照)が大きくなっているからでしょうか。ヨーロッパ気分を味わう気満々で飛行機を降りた僕をまず迎えてくれたのは、巨大な「TOYOTA」の看板でした。実際、世界のいたるところで見かけます。確かに世界のトヨタですが、もう少し空気を読んでくれると助かります。そして空港でもうひとつ気付くのは、公共の案内が、仏・蘭・独・英の四ヶ国語で表記されていることです。国のおもな言語としては、ベルギー語というのはなく、地理的環境からフランス語とオランダ語とドイツ語で、たいていの人が英語も話します。実際、ブリュッセルからは、ロンドンもアムステルダムもパリもケルンも、鉄道で2,3時間で行けてしまう位置にあり、以前習ったEUの本部がおかれていることも、そういった地理的・言語的な要因かもしれません。ホテルの番組をみても、なんとなくなにをやっているかわかったらイギリスの番組、たまにききとれるのがフランスの番組、ほとんどわからなかったらオランダかドイツのそれといった感じで認識していました。そんな環境の中で僕は、15年前の受験で培った英語の残りわずかな貯金でどうにかやりくりしなければならず、非常に緊張感のある英会話をしていました。でも、どうにか単語を並べて相手の目を見て、心が折れさえしなければなんとかなるものです。
ブリュッセルを訪れたのなら絶対に行かなくてはならないのが、グランプラスという広場です。この場所を、ユーゴーは「世界で最も美しい広場」と言い、ジャン・コクトーは「豊饒なる劇場」と称賛しました。チェックインを済ませた僕は、さっそくグランプラスを目指しました。石畳の上を歩き、人の多いにぎやかな通りを抜けると、僕の想像を超えた幻想的な世界が待っていました。21世紀の偉大なヘルシーDJは思わず、「ミッキーのいないディズニーランドだ」と称賛したのです。ちょうどその時は、通常のライトアップだけでなく、音楽と光のショーみたいなのがやっていて、そのまま現実から遠のいていくような感覚になりました。
そのグランプラスを中心として、ロマンティックな街並みがひろがっています。パリを光の街と呼ぶ人がいるように、ヨーロッパの街はいつもあたたかな光に照らされています。ヨーロッパの人々は、内装こそリフォームしているものの、外観はかつての姿のままに、古くから残る建物をそのまま利用しています。建て替えることはせず、光を浴びせることによって彩を添え、現代的なモニュメントにしているのです。お店なども古い建物のなかにあるので、いってみれば、京都のお寺の中にジャスコや高島屋があるようなものでしょうか。それは、地震がないからできることもありますが、歴史に対するリスペクトもあるでしょう。昔があるから現代がある、ということかもしれません。蛍光灯ではない無数の光が、冬の寒さをやわらかく感じさせてくれるのです。
かの偉大なヘルシーDJは「ミッキーがいない」と言いましたが、その代役を務めるものはいます。ブリュッセルというディズニーランドには、ミッキーこそいないものの、「小便小僧」がいるのです。そのレプリカは世界中にあり、日本でもCMなどでおなじみですが、これはそもそもベルギーのものなのです。ミッキーの代わりといっても、街中をうろうろしてみんなと握手するわけでも、パレードをするわけでもありません。ただ、街の一角で静かにおしっこをしているだけです。現在あるのは、1619年に作られたもので、その実物の小ささにがっかりする者も多く、マーライオンなどと並ぶ、世界3大がっかりに指定されているようです。僕の中ではそのような感情にはなりませんでしたが。
そもそもこの小便小僧というのはなぜ有名になったのかというと、その由来はいくつもあるそうで、「敵軍に包囲されたブリュッセルの王子が、投げ込まれた弾薬の導火線におしっこをして国を守った」という説が、個人的には好きです。過去に、盗難されたことが原因でデモが怒ったほど市民の間では愛されていて、いまでは全裸の彼のために世界中から衣装が贈られているのです。タイミングがよければ、その衣装を着ておしっこをしているときもあるようで、そうするとかわいさも倍増するでしょう。
彼と写真を撮り、最寄りのおみやげやさんで購入した置物を、さっそく部屋に飾っているのですが、いまだにどうしても納得のできないことがあるのです。それは、なぜ「小便小僧」と訳したのか、ということです。現地の表記では「MANNEKEN PIS」(ドイツ語かな)、つまり「マネキン人形」と「おしっこ」という組み合わせで、直訳すれば「おしっこ人形」といったところでしょうか。現地では、その王子の名前から「ジュリアン君」「ジュリアン坊や」と呼ばれているそうです。にもかかわらず、誰が訳したのか知らないけれど、「小便小僧」とはまったく愛が感じられません。それじゃ、国を守った功績はなく、単なるいたずら小僧、問題児的な印象を与えてしまうだけなのです。僕だったらせめて「おしっこ坊や〜わが国を救った勇気ある少年〜」にしてたかなと思うのです。そうしたら、日本での彼の印象も多少は違ったのではと思うのです。ちなみに、世界中から贈られた衣装を着ている「ジュリアン君」を見れる博物館もあり、そのなんとも着せられてる感じが面白いです。実際日本からも、鎧兜や、桃太郎などの衣装がおくられていますが、どの衣装を着ても、必ずおしっこをしているところがかわいいのです。
そしてやはり、ベルギーというと、思いつくのがワッフルでしょう。「足乳根の母」の枕詞のように、ベルギー・ワッフルという言葉は日本でもすっかり定着していますが、現地では原宿のクレープやさんのように周囲に甘い香りをふりまくワッフル屋さんが多く見られるのです。あの香りを嗅いでしまうと、その気はなくても食欲がわき、「今日もいっとくか」と毎日食べてしまうほどです。上にチョコやイチゴを乗せたりするものもあるのですが、できたてのワッフルはこれまでの自分の中でのワッフルの歴史を変えるほどの衝撃的美味でした。やはりなんでもできたてですね。そしてもうひとつ多く見かけたのが「フライドポテト屋さん」です。ベルギーではなぜか「フライドポテトの国」という自負があるようで、街のいたるところでポテトのマークを見かけるのです。実際僕が食べた店は、マクドナルドとモスバーガーのポテトの中間くらいの大きさで、本場?だけあってやっぱりおいしかったのです。だからワッフルとポテトはなんだかんだ毎日食べてました。また、ワッフルとポテトだけでなく、美食の国といわれるだけあって、ベルギーの料理はとても緻密・繊細でおいしいです。フランスに近いこともあり、フランス料理と味が似ているのでしょう。海外にいくと避けられないのが、言葉の壁と食の壁です。時折、「あの国、飯がちょーまずくてさぁ」みたいなことを耳にしますが、「まずい」という言葉は僕は適していないと思いますが、「日本人の口にあわない」ことはよくあります。食も文化ですから、日本人が食べて合わないものがあるのは当然で、世界中どこにいってもストライクな食文化のほうが気持ち悪いのです。だから、ヨーロッパの気分を味わうとは思いつつも、これまでの教訓を活かし、しっかり日本食代表として、カップヌードルを持参していたのですが、その出番もなかったほどに、今回は食に困らなかったのです。
食でもうひとつ有名なのは、チョコレートです。コージーコーナーのような感じのチョコレート屋さんもあれば、骨董品屋さんのような店構えのチョコレート屋さんもあります。中でも、「ピエール・マルコリーニ」というまるでシャンパンかワインかのような名前のチョコレート屋さんは、シャネルとかの有名ブランドのお店のようで、ヴィトンのバッグのようにチョコが並び、ティファニーの指輪のようにチョコが並んでいました。たしかにそこのチョコレートは他のとは一味違う、と言わないといけない感じもしますが、僕の味覚力からすれば、どこのもおいしかったです。
ここまで書き綴ってきたことは、言ってみれば一泊二日もあれば経験できることです。じゃぁほかの数日間はどうしていたのさ、オランダはどうなのよ、ということですが、それは心のブログにしまっておきたいと思います。(心のブログ?)おそらく今後、なにかのときに表面化されると思うので。ただ、今回三度目となったヨーロッパ旅行で強く感じたことは、「やっぱり俺の前世はこっちの人だわ」ってことです。何回前の人生かはわからないけど、ヨーロッパを訪れたときの安心感とフィット感(そばを食べたいときにそばを食べた感じ)は、かつてそこで暮らしていたとしか思えないのです。絶対そうなのです。そう思わせてください。ということで、2007年もよろしくおねがいします。
P.S.
週刊ふかわ単行本化に向けた読者アンケート、時間があったらご協力お願いします。
1.週刊ふかわ | 10:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月14日
第252回「ミッキーのいないディズニーランド〜前編〜」
30歳になってから恒例にしている、お正月の海外旅行も今回で3回目を迎えることになりました。芸能界の先輩方に相談してみんなが南国を薦めたにもかかわらずフランスに行ったのが2年前のこと。それで味をしめてカウントダウンをウィーンで過ごし、さらにプラハにまで足をのばし黄金の街に魅了されたのが去年でした。そして今回も、いままで我慢していた反動からか、当然のようにお正月に海外に行く気でいたので、11月あたりから心のどこかでドラフト会議が開かれていました。
流れからすると今回もヨーロッパになりそうだったのだけど、やはりここは地球規模で選択しようと思いました。寒い冬に寒い国にいくことはないじゃないか。やはり寒い冬こそ、あたたかくてのんびりできる国に行こうじゃないか、そう何度も自分に言い聞かせましたが、どうしても気持ちがヨーロッパに向いてしまいました。前世がヨーロッパの人だったんじゃないかと思うほど、勝手に意識が向いてしまうのです。
「お正月にシチリア島にいきたいんですけど・・・」
ゴッドファーザーや、僕の最愛の映画「ニューシネマパラダイス」のロケ地ともなった、イタリアのつま先にある大きな島、シチリア島。そこに行って、あの名シーンを体で感じたい、そんな気分になったのです。地球の歩き方を筆頭に、あらゆる本やネットで情報をかき集め、お正月は海を見ながらパスタで過ごすのだろうと思っていました。旅行会社にも、印鑑とパスポートを持って予約金も入れ、それまでパスタ禁止を開始しようとしたところでした。
「いや!ちがう!シチリア島じゃない!っていうか、イタリアじゃない!!」
僕の体内で違和感が急発生しはじめました。あれだけ散々調べたのに、ネットでいろいろ写真も見たのに、それらを知れば知るほど微妙なズレを感じ始めたのです。ほんとはそばが食べたかったのにうどんにしてしまった、みたいな。だから、いまさらキャンセルなんて、と思ったものの、イタリアというパスタの国で、うどん食べたかったのにそば食べちゃったよ、みたいな気分になったらそれこそわけがわからなくなってしまうので、僕は勇気を出して旅行会社にきっぱりと言ったのです。
「あのぉ、先日予約金を入れさせてもらいました府川という者なんですけど・・・すみません・・・ほんと申し訳ないんですけど、やっぱり自分に嘘をつきたくないって言うか、自分に素直でいたいっていうか・・・」
と、世界一まわりくどいスタイルで、キャンセルをいれたのです。
「そうなんだよ、なんかイタリアじゃないんだよ!ベルギーなんだよ!」
なぜか突如浮上してきたのが今回の海外旅行の舞台となったベルギーでした。実際は、もう少し心の動きがありましたが、自然と吸い寄せられるように落ち着いたのです。そばを食べたいときにそばを食べたなって感じのフィット感が、ベルギーにあったのです。この例えが余計ややこしくしていることはわかっています。
「え、どこですか?」
「ベルギーだよ、ベルギー」
年末になると必ず海外どこに行くといった関係の話になります。南国・アメリカ系は、
「ハワイ?いいなぁ」
「ベガス?いいなぁ」
みたいなことなのですが、「ベルギー」は必ず二度聞きされます。しかも、急なベルギーに対する情報はほとんどないので、
「あ、そうなんだ・・・」
で終わるか、やさしい人で、
「ベルギーって、ワッフルの・・・?」
と聞き返してくれる程度です。ただ、全員に共通しているのは、
「ベルギーになにしにいくの?」
ということでした。僕もそのことを聞かれるまではそんな風に考えてはいなかったのだけど、あらためて訊かれると、返答に困りました。第一回目が「カフェオレを飲みに」、第二回目が「モーツァルトの生誕250周年を祝いに」、という名目上の目的があったものの、それはあくまで名目上のことで、実際は単に石畳の街を歩きたい、というくらいだったのです。だから、なにをしに?と訊かれても「ゴルフ」だとか「ショッピング」という具体的なワードじゃ説明できないのです。
「きみねぇ、その質問は非常にナンセンスだよ。それは、デイズニーランドに行く人になにしに行くのってきくようなもので、まったくロマンがない。そこに行くこと自体が目的なんだよ。そこにロマンがあるんだよ」
そんなことを言ったら自然に友達がいなくなってしまうので、心の中にしまっておいて、
「まぁ、ワッフルとか?まだあんま考えてないんだけどね、あはは」
みたいな感じでやり過ごしていました。とはいうものの、ベルギーだけだとコミュニケーション上あまりにパンチがないことを痛感したので、隣のオランダにも訪れることにしました。ベルギーだけよりも、オランダを加えた方が、「風車」や「ゴッホ」などの観光地としてのメジャーな印象を与えるのです。オランダには申し訳ないけれど、コミュニケーションを円滑に行うためには、オランダが必要だったのです。
そうして、おせち料理も食べずに向かったベルギーはブリュッセル。そこはまさにディズニーランドのような街でした。それこそ、ミッキーのいないディズニーランドでした。詳しくは次週お伝えします。