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2019年02月15日
第778回「カメラを向けるな!」
不適切動画が連日マスコミで取り上げられています。株価が下がったり、イメージダウンに繋がったり、企業の損失は多大なるもの。たかがバイトのいたずらとはいえ、笑い事では済まされません。しかも、これだけ社会現象として話題になっているのに相変わらず後を絶たないのは、もちろんSNSを理解していない、いわゆるネット・リテラシーの欠落も否めませんが、ひとつ気になるのは、ほとんどの者が、「笑わそうとしている」ことです。
バイト先でのいたずらは昔から少なからずありました。それをSNSに上げるかどうかの違いもありますが、SNSの有無より、「カメラの有無」です。
芸人さんでもあります。カメラを向けられた途端に、暴走してしまう。私も若かりし頃はありました。「笑い」のために、自分でも考えつかないような行動をとってしまう。「笑い」を欲するのは芸人さんだけではありません。カメラを向けられたら誰だって、無茶をしてしまう。バイト先だろうが教室だろうが、いきなりレンズを向けられれば「え?何?何かしなくては!」という暴走スイッチが入る。これが、昨今、不適切動画が後を絶たない理由の一つ。カメラを向ける者が一切お咎め無しということでもないでしょうが、レンズを向けた側にも少なからず責任はあるでしょう。しかし、映像には残らず、笑い声のみががはいるだけ。
「笑わせたい」これは悪い感情ではありませんが、その想いが強すぎて、客観的な判断ができなくなってしまう。「笑わせてみて」というレンズの無言の圧力と、「笑わせなくては!」という勝手な思い込み。結果、二人に訪れる、笑えない事態。ネットという大海原で溺れる始末。一回の過ちで人生を棒に振ってしまうかもしれません。カメラを向けなければよかったのに。どこか、銃社会に似たものを感じます。
ネット社会というのは、「教習所なき車社会」であることは何度も言及してきました。しかし、免許を持っていても事故を起こしてしまうほど、ネット社会は常に危険と隣り合わせ。ちょっとハンドルを切り誤ったらたちまち大炎上。ましてや若い世代は単なるコミュニケーション・ツールとして使用しているので、それが世界に繋がっているという認識が薄く、事故を起こしやすい。
企業も、バイトに依存しすぎていた責任も多分にあると思います。安価な労働契約では、このようなリスクも伴うということを学んだでしょう。敵は味方に存在する。今後は、危機管理に一層コストがかかるかもしれません。
こういったことを背景にして、今日もカメラは向けられる。カメラを向けること、銃口を向けること。人にカメラを向けないで。
2019年02月08日
第777回「アイルランドへのチケット」
見間違えでも、打ち間違えでもありません。アイルランドです。iPadを購入してからの変化の一つとしては、映画を観る頻度が高くなったことが挙げられます。定額制サービスの映画サイトには、ほとんど好きな映画がなく、正直、いつ解約してもいい状態でした。しかし、観たい映画ではなく、知らない映画を観ようと何度かトライしていくうちに、とてもいい映画に出会いました。
「はじまりの唄」「シング・ストリート」「ダブリンの街角で」
すでに観ている方もいると思います。今あげた作品は、どれもジョン・カーニーという監督の作品で、音楽映画3部作と呼ばれているそうです。監督はもともと、ミュージシャンだったこともあり、音の使い方が非常に巧みで、ミュージカル映画といってもいいくらいたくさんの歌が劇中に流れ、心情がすーっと伝わってきます。
どの作品も、男女の間にある揺れ動く想いや距離を歌で表現しているのですが、曲は劇中でなくても素晴らしいものばかり。中でも、「シング・ストリート」は、登場人物の若さゆえか、アイルランド版スクールオブロックとでもいいましょうか、駆け抜けるバンド・サウンドが爽快なのです。
また、劇中に登場するテープ・レコーダーや公衆電話。そして、舞台となっているアイルランドの街並み。ダブリンが中心なのかもしれませんが、いわゆるヨーロッパの街並みとも違う穏やかな雰囲気は、ギターの音色と調和し、スクリーンの中に誘われるのです。
お団子のように、3つの作品を一気に見てしまうと、すっかりアイルランドに魅了され、アイルランドの他の作品も観たくなります。
「君だってかわいくないよ」
4番目に出会ったこの映画は、小生意気な女の子とその叔父との話なのですが、のどかなアイルランドの風景の中で繰り広げられる、大人と子供の言葉の掛け合いが絶妙で、口が悪いのに美しいハーモニーを奏でています。前述の3部作に比べればその比重は高くないかもしれませんが、劇中に流れる音も素敵で、優しい光のように、作品全体を包み込んでいます。非常に大好きな映画が、アイルランドにたくさんありました。映画を通して出会った、アイルランド。
こうして僕は、アイルランドへのチケットを手に入れました。有効期限はありません。それがいつになるかはわかりませんが、必ず訪れるでしょう。本や映画、音楽が人生に与える影響は大きいもの。アイルランドの光をぜひ。
2019年02月07日
第776回「音楽にまつわる」
昨年のフランシス・レイに続き、先日のミシェル・ルグランの訃報。音楽界の巨匠たちがこの世を去っていく。もちろん、彼らの音楽はこれからも輝き続けるわけですが、喪失感は否めません。せめて、この機会に知らなかった人の胸にまで響くことを願います。
「シェルブールの雨傘」は、その曲自体も素晴らしいですが、全編にわたってミュージカルという、非常に斬新かつ大胆な演出も際立っています。すべての登場人物の台詞を五線譜に乗せてしまっているのに、いつの間にかその違和感がなくなって。音楽だけではありません。あのカラフルという言葉で片付けられない絶妙な色彩感覚にはもう、ひれ伏すしかないのです。芸術の都で培われたフランス人の感性が、あのような作品を生むのでしょう。映画は総合芸術と言いますが、あの作品はパリの宝石であり、パリそのものといってもいいかもしれません。
総合芸術という意味では、「街」もそういうものだと思います。街は、時代や社会、そこに暮らす人々の価値観を反映しています。パリという街こそ、時を重ねたフランス人の総合芸術でしょう。
最近ではあまり「銀幕のスター」という表現を耳にしないのと同様に、「映画音楽」がヒットするケースは少なくなり、むしろ楽曲の宣伝の場として商業的に使用されてしまうことが増えました。かつて映画音楽は、作品を広めるためにありましたが、楽曲を広めるために映画が利用されてしまっています。
映画において、音楽が重要な役割を担うことは少なくありませんが、決して感情を煽るだけがその目的ではありません。映像と音楽が絡み合うことによって、深く印象付けられる。それはテレビ番組においてもそうです。
「笑っていいとも!」を思い出す時、あの「お昼休みはウキウキウォッチン〜」を切り離すことができません。我々が、「I WANT YOU BACK」を聴くと、「5時に夢中!」を思い出してしまうように。かねてから、サザエさんは30分のミュージック・クリップだと主張していますが、我々は毎週日曜日、「サザエさん」という音楽を聴いているのです。映像を観ながら、音を味わっている。だから習慣になるのです。
仮に、「5時に夢中!」のオープニング・テーマが存在せず、「こんばんは!」から始まっていたら、これほどたくさんの人に愛されていたかはわかりません。それくらい、人々は音を感じている。
教会音楽だって、きっと、信者を増やすためという目的もあったでしょう。どんな目的であれ、美しいものは美しい。時代的に、ショパンやベートーベンのような、また、フランシス・レイやミシェル・ルグランのような大作曲家が生まれる可能性は低いですが、人々の心を潤すのが音楽であることは変わらないでしょう。どんなに時代は変わっても、その目的や形は変わっても、僕たちの人生を彩ってくれる音楽こそ、素晴らしいものなのでしょう。