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2019年01月25日

第775回「Day By Day」

 

「これは、プロデューサーのハーブ・アルパートがイントロをつけた方がいいって言ったんだ」

 リチャード氏が挙げた方こそ、まさしくA&Mレコードの創始者。「A」はALPERTの「A」。世界的に有名なトランペット奏者で、彼の曲は深夜ラジオ番組のオープニング・テーマ「BITTER SWEET SAMBA」を始め、「SOUTH OF BORDER」など、今なお親しまれています。

 彼が創設したA&Mから、たくさんの素敵な音楽を届けてもらいました。もちろんカーペンターズもそうですが、セルジオ・メンデス&ブラジル’66の作品はかなり聴きました。そして、その弟分でもあるBOSSA RIO。おそらく唯一のCDである「サン・ホセへの道」というアルバムに出会ったのは大学一年の頃。18歳。とにかく聴きまくりました。車に乗せた友人に「お前何こんな古臭いの聴いてんだ」と馬鹿にされたので、強く印象に残っています。

 ラテン・アメリカ研究会に所属したのはボサ・ノバなどの南米の音楽が好きだったからですが、ボサノバ・コンピを買いあさっている際にセルジオ・メンデスに出会い、そしてすぐにBOSSA RIOにたどり着いたのは、同じA&Mだったからでしょう。

 日本ではセルジオ・メンデスの方が有名ですが、BOSSA RIOのサウンドも決して劣っていません。セルジオ・メンデスほどの派手さはないものの、ジャケットにもあらわれているように6、70年代の音や空気が詰まっていて、最高なのです。絡み合うオルガン、エレピ、ヴォーカル。まるで色あせた映画を観ているような気分になります。ジャケットの影響でコーデュロイの古着を買いに行くほど。かつてのエアロビ衣装は、BOSSA RIOに憧れて購入したシャツとパンツの組み合わせでした。

 アルバムの中で一番聴いたのはやはり「DAY BY DAY」。世界中で愛されているこの曲はフランク・シナトラが唄い、ドリス・デイやクリス・モンテスなど、様々なアーティストがカヴァーしています。どれも素晴らしいですが、僕の中ではやはりBOSSA RIOバージョンが好きなのです。BOSSA RIOがあったからここまで好きになったのかもしれません。

 好きすぎて、アレンジ対象としてみたことはなかったのですが、番組のコーナーでBOSSA RIOCDを持っていった際に、パーソナリティーの市川さんとDAY DY DAYトークになり、頭の中で繋がって、今回のカヴァーにいたりました。市川さんの柔らかい声にぴったりだと思います。

 作詞・作曲はAXEL STORDHALPAUL WESTON。とてもロマンチックな歌詞と切ないコード進行。僕はトロピカルな夏の色彩で、クラブでもかけられるようにアレンジしましたが、いろいろなバージョンを聴き比べても面白いと思います。 ちなみに、A&Mのもう一人は、ジュリー・モス。1962年に創設したのです。試験に出るので覚えておいてください。そして、いつもダウンロードしてくれる皆さん、ありがとうございました。

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2019年01月18日

第774回「新しい楽章」

 

 1994年の夏、ちょうどはたちになった日に芸能界の門を叩きました。もともと、齢を重ねながら向き合える仕事として選んだわけですが、いまや人生の半分をとっくに超えています。25年。それは、決して短くはない道のりでした。

 デビュー当時はネットがないので、もちろんYouTubeも、ユーチューバーも存在しません。若手芸人の全員が皆テレビを目指していました。いつかテレビに出られると信じて、ライブのステージに立っていました。

 事務所主催や、小さなお笑いライブに出続けること半年。オーディションで深夜番組にひっかかりました。フジテレビの「P-STOCK」という番組。そこからじわりじわりと認知度が上がり「S1グランプリ」というテレビ朝日の特番や、TBSの「トキキン急行」に出演することで、全国の視聴者に名刺を配ることができました。ネットのない中で一気に広まる実感は、現在とは比にならないテレビの影響力の大きさを証明していました。

 ただ、名刺は配ったものの、バラエティーにおける役割が見つかりません。そんな中で、様々な方に救いの手を差し伸べてもらい、どうにか芸能界の大海原で生き延びることができました。そこから、いじられキャラという立ち位置がしばらく続きます。 

 30歳を過ぎ、未来の自分を想像した時、自分のイメージと現状に乖離がありました。しがみつくのはやめよう。やりたいことと、求められることは違うものですが、少しでも本来の自分に近づけたい。そうしないと、きっと、50、60歳の時にテレビの中にはいられないだろう。そんな意識が芽生え、ちょっとずつ軌道修正しながら進むことにしました。周囲から何を言われようが、自分の感覚を信じてきた結果、現在、やりたいことすべてができているわけではありませんが、両者が釣り合ってきました。

 先日青山テルマさんが「猫かぶっていた」とおっしゃったように、誰しも最初からやりたいことだけをやれるとは限りません。目の前の与えられたことでいっぱいいっぱいで、気にする余裕さえありません。今後の展望の地図を広げるまで10年かかりました。そして、いろんな島に漂着し、自分らしくいられる場所にたどり着くことができました。

 だからきっと、ここにずっといられるわけではないでしょう。やがてはこの島を離れ、また新天地を求めて航海をするのだと思います。

 芸能界に入るまでが第一楽章。入って25年間が第二楽章。そして、第三楽章へ。ちょうど元号が変わり、新しい時代とともに響き始めるハーモニーは、短調ではなく長調でいきたいと思います。25周年。たくさんの方の支えでここまで続けてこられました。本当にありがとうございました。これからは、皆さんの心を潤すメロデイーを奏でていきたいと思います。

 

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2019年01月14日

第773回「きらきら星はどこで輝く?番外編〜TEPPEN〜」

 

 今年も週刊ふかわ、よろしくお願いします。さて、金曜日にオンエアされた「TEPPEN」ご覧になりましたでしょうか。これまで何度か出場してきましたが、聴く人がどう感じたかは別として、今までで一番清々しい気持ちになりました。

「クラシックなら…」

 エントリーの打診があったのが本番の一ヶ月前。これまでアレンジ曲などにも挑戦してきましたが、指に叩き込むには期間が足りず、幼少期から慣れ親しんだクラシックを弾きたいという想いがありました。DNAにもしっかり組み込まれている。しかし番組側からは、こちらが提示したものではない曲が返ってきました。

「子犬のワルツでお願いします」

 それは、以前この番組で弾いた曲。最も苦い汁を吸った記憶。思い出しただけで身の毛がぞわぞわ。というのも、その時のルールはミスタッチごとに松明が燃え、5本点灯したら強制終了。ただでさえ緊張感が半端ではないあのスタジオにさらにサディスティックなルールが加わったのです。今思えば、あんなミスタッチしやすい曲をどうして選んだのか自分でもわからないですが、結局、序盤で点灯し、それがまた精神を脅かし、ドミノ倒しのように松明が燃え、あっという間に奈落の底へと転落しました。

「子犬のワルツかぁ…」

 ルールが違うとはいえ、テンポが早いだけに、一度脱線したら大惨事になりかねない。あの環境の中で弾く曲としては非常にリスクが高いでしょう。しかし、番組側の要望も無視できません。それに、きらクラ!のオープニング・テーマでもある曲を苦い想い出のままにしていていいのだろうか。

「わかりしました」

 猛特訓の日々が始まりました。家にはグランドピアノがないので、自転車で3分ほどのピアノスタジオに、連日マフラーを巻いて足を運びました。家だと逃げ場がありますが、スタジオだと弾くしかありません。朝と夜と、1日2回訪れることもありました。もちろん家でも練習します。緊張感を高めるために録音もしました。ダウンジャケットを羽織ったり、サングラスをしたり。何が起きても、天地がひっくり返っても弾けるように。どんなに練習を重ねても本番では全く別の感覚になることはわかっていますが、それでも、できる限りのことをやりました。

「遂にきてしまった」

 当日は朝7時半のお台場。もうやるだけのことはやった。あとは天命を待つのみ。毎回このように言い聞かせては、苦い経験をしてきました。

 本番が近づくにつれ、弾ける気が薄れていきます。あれ、どうやって弾くんだっけ。あんなにたくさん弾いたのに、頭の中でイメージするとますます弾ける気がしなくなってくる。緊張に飲み込まれそうです。大丈夫、もう勝手に指が動くんだから。自分の出番が迫ってきました。

「さぁ、もう逃げられない」

 たくさんの視線と照明を浴びて、グランドピアノの前に座っています。深呼吸をして、鍵盤を眺めます。右手のトリルが始まったら、もう止まることはできません。果たして最後までたどり着けるだろうか。子犬のワルツが響き始めました。

「終わった…」

 大きく息を漏らしました。清々しい気分でした。途中、子犬がいなくなりそうでしたが、どうにか最後までたどり着けました。もはや点数は気になりません。快晴の空の下にいる爽快な気分になれたのは、守りの演奏ではない実感があったからです。

「来年もお願いしますね!」

 笑顔で言うスタッフ。頼まれたら断れない性格というのは自分でもわかっています。

 中村紘子さんとの出会い。「フーマンの日曜日」や「うたたねクラシック」などの経験が、この瞬間に結び付いたのかもしれません。まだまだ、ピアノから離れられなそうです。

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