« 2018年05月 | TOP | 2018年07月 »
2018年06月29日
第752回「きらきら星はどこで輝く?第16話 スーツの約束」
博多駅に着いた一行は、九州新幹線に乗り、鹿児島に向かいます。コンサートを終え、無性にお腹が空いてきた僕は、福岡土産「めんべい」をほおばりながら車窓を眺めていると、1時間半ほどで鹿児島中央駅に到着。ここでワンボックスカーに乗り換え、いざ、霧島へ。幼少期、ヨーロッパを渡り歩く音楽家になりたいという憧れがありましたが、後ろの席に楽器や荷物を積み、ともに移動する行程は、なかなかの演奏旅行気分を味わうことができました。福岡公演の成功もあり、車内は終始和やか。遠足のバスのように賑やかで、笑いに溢れています。桜島が見えてきました。湾を離れ、山道をしばらく走ると、本日の宿に到着します。
「硫黄の匂いだ!」
僕たちを迎えてくれたのは、鼻を刺激するあの匂い。温泉の香り。見渡すと、所々で白煙が立ち上っています。霧島にきたらやっぱり温泉。今すぐにでも浸かりたいところです。
「では、15分後にロビーで」
売店にはたくさんのお酒が並んでいます。荷物を置いて再び集まった一行は、ホテルを出ました。まだ明るい夕刻。歩いて向かった場所は、みんながさらに笑顔になる場所でした。
「お疲れ様でした!!」
乾杯をすると、大きなお皿にたくさんのお肉。黒毛和牛や薩摩の黒豚。そう、焼肉屋さんで本日の打ち上げ。緊張感がほぐれたからか、前夜の宴よりも一層賑やかです。
「こんなことやってたら、クセになりますね」
大所帯での演奏旅行もいいですが、これくらいの規模だとより一層楽しいそうです。この居心地の良さに味を占めてはいけないと戒めながら、酒宴を楽しみました。
「いやぁ、お腹いっぱいです〜」
翌日もあるし、ここでホテルに戻るかと思いきや、一行は別の場所に向かいます。2件目は、病院と処方箋薬局のような距離感のところにある小さな居酒屋さん。畳のお座敷に四角いテーブル。座布団に皆が座ると、焼酎の水割りやロックが飛び交い、スナック真理がオープンしました。濃い目の焼酎を片手に、出演者の皆さんがこの「うたたねクラシック」を心から楽しんでくれていることを実感しました。
「最高…」
誰もいない露天風呂に体を沈めていました。肌に絡みつく、とろとろのお湯。仕事なのか旅行なのかわからなくなってしまうほど、極楽気分でした。
「はぁ、いい湯だった〜」
浴衣に着替え、そのままベッドに横になっていると、どこからか声が聞こえます。
「ちょっと、出してよ!」
どうやら、クローゼットの中からのようです。
「はやく、はやく出して!」
扉を開けると、グレーのスーツが黒いカバーに入ってぶら下がっています。僕はクローゼットから取り出し、カバーを外しました。
「もう、息苦しいったらありゃしない!」
「ごめんごめん!」
「ねぇ、ちょっとどうなってるの?」
「どうなってるのって?」
「わざわざアイロン掛けて、大変な思いしてここまできたのに、一回も袖を通さないってどういうこと?アンコールのとき着るって言ってたじゃない!」
僕は、部屋の窓を閉めました。
「いや、だから、時間がなかったんだって」
「時間がないって、すぐに着替えられるでしょう?あなたね、なんのために来たと思ってんの!私は、ずっとあのカバーの中に入ったまま。こんなことなら来なければよかった!」
ため息混じりに言いました。
「ねぇ、明日はどうするの?」
「え?そりゃぁ、もちろん、着るさ…」
「ほんとでしょうね!着るのね?」
「着るから、ごめんよ、もう眠いからさ…」
そうして、言葉が寝息へと変わっていました。
「ちょっと、明日着なかったら承知しないからね!」
そう言って、スーツは自らクローゼットに戻って行きました。
2018年06月22日
第751回「きらきら星はどこで輝く?第15話 はじめてのブラヴォー」
焦らずゆっくりと、一音一音を噛みしめるように鍵盤を叩いていました。客席の中には僕が普段ピアノを弾くことを知っている方もいたでしょうが、それでも、プロの演奏家たちによる饗宴ののちに一人で向かうとは思わなかったでしょう。ましてやパジャマ姿。客席が皆、我が子のお遊戯を見守る父兄のように、僕の演奏を見守っていました。
「ブラヴォー!!」
鍵盤からすっと両手が離れると、大雨のような拍手の中から、どなたかの声が飛んできました。もしかするとこれが、人生で初めて浴びたブラヴォーだったかも知れません。しかし、43歳のピアノ発表会はここで終わりません。
「では続いて、この方をお呼びしたいと思います。」
三舩さんが登場しました。独奏のあとは、連弾の時間。遂にやってきました。一難去ってまた一難ではありませんが、一曲終えて、もう一曲。しかも、連弾曲はトロイメライに比べテンポも速く、指がもつれる恐れがあります。水玉パジャマとゴージャスなネグリジェがグランドピアノの前で並びました。さぁ、きらきら星は輝くのでしょうか。
こちらに合図を送ると、三船さんの指が鍵盤の上で動きはじました。会場から笑い声が起こります。というのも、この曲はとてもシンプルなきらきら星から始まるので、りょうちゃんの発表会という雰囲気になったからです。しかし、僕の手も動き出し、主題がうねるようにグルーブし始めると一気に空気が変わりました。
「ここは右手だけにしましょう」
「ここは左だけにしましょう」
事前のアドバイスで危険度が高い部分は無理をせず、スムーズに弾くことを優先していました。こちらが崖から落ちそうになったら手を差し伸べてくれます。そのおかげで、守りに入ったり、どこかへ旅立つこともなく、最後の音にたどり着くことができました。
「きらきら星は輝きましたでしょうか?」
星の煌めきのような会場の拍手の中、遠藤さん、林さん、yumiさんもステージに戻ってきました。
「うたたねクラシック、次が最後の曲になります」
最後は「waltz in August」を演奏することになっていました。この曲は以前ロケットマンのアルバムに収録したものですが、数年前のきらクラ!公開収録でクラシック・アレンジしていただいたバージョンがあったので、クラリネットをフルートに代えてお届けすることになっていました。しかし、ピアノから聞こえて来たのは、全く違う曲でした。
「真理さん、誕生日おめでとう!!」
ピアノ伴奏に、メゾ・ソプラノとフルートも加わり、この日誕生日を迎えた真理さんへのハッピー・バースデー。もちろん、真理さんにはサプライズでした。
「さて、いよいよ、これが最後の曲になります」
真理さんへのサプライズで、さらに一体となった会場で響くwaltz in August。自分で作った曲が、素晴らしい演奏家によって奏でられる時間は、誰よりも至福の時間だったと思います。
「ありがとうございました!!」
最後まで暖かい拍手と眼差しに包まれて、うたたねクラシックは全てのプログラムを終えることができました。うたたねどころか、お客さんの集中度は高かった気がします。この会場で響いた音、全てが愛おしくなる瞬間でした。
「すごくよかったですよ!」
舞台袖で、他のメンバーも43歳の発表会を見守ってくれていたようです。
「ほら、見てください!完全に親子ですよ!」
そう笑って見せてくれた連弾の写真は、確かに、セレブ親子のピアノレッスンのようでした。
「ごめんね、せっかく来てもらったのに」
楽屋のクローゼットにかかっていたスーツはこの日、出番はありませんでした。帰り支度を済ませた僕たちは、車で博多駅に向かいました。
2018年06月15日
第750回「きらきら星はどこで輝く 第14話」
モニター画面に映った客席が徐々に埋まり始めています。あんなに先だと思っていたのに、今まさに目前に迫っています。徐々に上がる心拍数。
「最初に、真理ちゃんのチェロ独奏からはじまって…」
そう提案したことが、現実になろうとしていました。
「では、よろしくお願いします!」
そうして、開演の12時になる頃には、1階から3階までたくさんのお客さんでいっぱいになっていました。扉が開き、遠藤さんがチェロを持ってステージに飛び込むと、会場から大きな拍手の波が起こります。
「やっぱり、無伴奏がいいよね」
バッハの無伴奏チェロ組曲。勇ましくも、優しい音色が、聴衆を引きつける様子は、まるで魔術師のよう。こうして、うたたねクラシックの幕があがりました。
「ありがとうございました〜」
遠藤さんへの拍手の中に現れた、水玉男。
「改めまして、うたたねクラシックへようこそお越しくださいました。ナビゲーターのふかわりょうです。よろしくお願いします。」
笑いの混ざった拍手の音が、僕を安心させます。
「この会場が、大きな揺りかごになるといいなと思っています」
それからというもの、三舩さんのピアノによるドビュッシーの夢をはじめ、エルガーの愛の挨拶や、yumiさんのシチリアーノ。林美智子さんのジュ・トゥ・ヴなど、クラシックではおなじみの曲が聴衆を魅了していきました。スクリャービンの曲を終えたところで、ナビゲーターが言いました。
「では、ここで朗読をしたいと思います。」
今回のうたたねクラシックの試みのひとつとして、詩の朗読がありました。進行だけでは申し訳ないというのもありましたが、言葉と音の共演をしてみたい。きらクラ!でもおなじみのBGM選手権のような時間。ただ、番組のように同時ではなく、朗読をしてから演奏を聴いてもらいます。
「風のない場所」
バスでうたた寝している間に迷い込んだ場所はどこなのか。どこかで見たような人々。どこに向かうかわからないバスの中でのひととき。その後、遠藤さんのチェロで奏でられるスコットランド民謡の「サリー・ガーデン」。チェロの音色が、なぜかバグパイプのように聴こえてきました。
「すっかりうたたね気分になったところで、残すところあと2曲となりました。」
花のワルツをピアノ、チェロ、フルートの3人で。そして最後は、星に願いを全員で。どちらもうたたねバージョンでアレンジされたもの。限られた楽器で表現する音は、オリジナルとは違った輝きがありました。
「本当にありがとうございました!!」
スタートしておよそ90分。出演者が舞台袖に吸い込まれると、客席からの拍手に、おさまる気配がありません。
「さぁ、遂に来た…」
プログラムには表記されていませんが、本編終了後、アンコールでフーマンが登場することになっていました。もちろん曲は決まっていますが、予定と違うことが起こります。
「アンコールの時にスーツになろうと思って」
最初はパジャマで登場したものの、アンコールの時は着替えて演奏するつもりでした。流石にこのパジャマでグランドピアノに向かうのは罰当たりだと。しかし、拍手の音を聞いて、鉄は熱いうちに、拍手は暖かいうちに、という思いが湧き上がり、パジャマのまま飛び込んでいました。
再度登場したパジャマ男を、大きな拍手の波が襲います。ピアノの前で頭を下げると、激しい雨のような拍手を浴びました。楽譜を置き、椅子に座って深呼吸。観客の皆さんも、半信半疑の中、固唾を飲んで見守っているようです。そして、僕の両手が膝から離れていきました。
2018年06月08日
第749回「きらきら星はどこで輝く 第13話 水玉ラプソディー」
「す、すごい…」
そこで待っていたのは、とても立派なコンサートホールでした。福岡といえばアクロスホールというくらい、由緒ある場所。キャパシティーも伺っていたので、ある程度の規模は予想していたのですが、やはり実際に目にすると違います。3階席まである重厚感のある空間。ここで「うたたねクラシック」なんて開催していいのだろうか。膝がすくむまではいかないものの、すっかり腰が引けてしまう感覚も、新たな試みにセットでついてくるものです。
「それでは明日、よろしくお願いします!」
リハーサルを終えると20時。そのまま決起集会場にタクシーが向かいます。グラスが重なる音。福岡に来たなら美味しいものをいただかないわけにはいきません。今夜は、以前僕が利用していたお店にみなさんを招待しました。
「ここの烏賊が最高なんです!」
こうやってメンバーが打ち解けることが、音に反映するのでしょう。僕はひたすら、にごり梅酒を飲んでいました。
「よかったです、気に入ってもらえて」
ホテルに戻る頃には、雨もあがろうとしていました。
「いよいよ、明日だ…」
僕は、悩んでいました。明日のコンサートが不安になったわけではありません。それは、衣装についてです。
「お、これはいい!」
パソコンの画面に水玉のパジャマが映っています。今回のうたたねクラシックでは、ひそかにパジャマで進行しようと思っていたのです。しかし、日が近づくにつれ、本当にそんなことしていいのだろうかと気持ちがぐらつき始めます。パジャマにスリッパなんて、クラシックの世界ではご法度かもしれない。
「よし、これで到着したら、着ることにしよう!」
そうしてクリックしたのが本番数日前。タイミングが合わなかったり、出発日までに配達されなかったらやめればいい。
ベッドの上に並べられたスーツとパジャマ。果たしてどちらで行くべきか。アルコールが入った状態では冷静に判断できません。
「ちょっと早めに会場行くから」
マネージャーにメールを打つと、本来の時間より早くホテルを出発しタクシーで向かいました。バッグにはスーツとパジャマの両方。パジャマを着てみて、会場スタッフに止められたらやめればいい。ここでも自分で判断することを放棄し、天命に委ねた僕を、思わぬものが待っていました。
「これ、なんだろう?」
楽屋に入ると、テーブルの上に枕がおいてあります。
「この、枕は?」
主催者側は、パジャマで出演することを拒否するどころか、もしよかったらと、枕を用意してくれていたのです。
「ぴったりじゃないか!」
水色の枕を抱え、はじめて水玉のパジャマを着たおじさんが、鏡の前に立っています。普段はあまりパジャマのようなものを着ませんが、自分でもここまでしっくりくるとは思いませんでした。こうなると、ポンポンのついた帽子まで欲しくなります。
「すごく似合うじゃないですか!」
現地入りするメンバーたちの表情が、緩みます。
「よし、これで、行こう!」
アラフォー男性の水玉パジャマ姿を見た演奏家の皆さんの表情が一瞬で笑顔になる様子に、僕はある種の確信を持ちました。会場の皆さんも、この表情になって欲しい。そうして、開場時間を迎えました。
2018年06月01日
第748回「きらきら星はどこで輝く 第12話 優しい言葉」
「この曲は、どのように弾きたいですか?」
トロイメライを弾きえると、三舩さんの口からこのような言葉が出てきました。雷に打たれた気分でした。
三船さんは名前の通り優しい方なので、何層にもコーティングして表現してくれていますが、これはつまりどういうことかというと、以下のようになります。
「お前さぁ、楽譜持ってきてないから怪しいなとは思ったんだけど、ピアノ舐めてんの?なぁ、クラシック舐めてんの?トロイメライ?楽勝?はぁ?お前、わかってんの?シューマンだぞ?音を出せばいいってもんじゃないんだよ?わかってるよなぁ、ラジオのパーソナリティーやってりゃあ。いけると思います?ははは、笑わせるなよ。どの口が言ってんだって話!自分の演奏聴いたことある?ないだろ?これシューマンが聴いたら泣くぞ。なに崩して弾いてんだよ。なに雰囲気出して弾いてんだよ。千年早いわ、あほ!楽譜をみろ、楽譜を!音符を見ろ、音符を!お前はアレンジャーか?千年早いわ、あほ!何がトロイメライじゃ!そんなんじゃ誰も感動しないっつーの!!」
少々口が悪いですが、わかりやすくいうとこういうことです。これを、一言で、僕を傷つけずに伝えてくれました。
確かに中学生の頃から弾いてきて、この曲ならいけるという自負がどこかにありました。簡単な曲というイメージがなかったといえば嘘になります。しかし、クラッシックにおいて、真の意味で簡単な曲というのは存在しません。たとえ音数が少なくとも、間違えずに弾くのと、聴衆を魅了するのは別の話。もしかすると、シンプルな曲ほど難しいかもしれません。うたたねクラシックでトロイメライ。楽勝とは思っていませんでしたが、どこかで驕りや油断がありました。やはり、プロの方に見てもらうというのはこういうことなのでしょう。自分では気づけないことを教わりました。
「聴いてもらってよかったです!」
そうして、ピアノスタジオを後にしました。
それから、あっという間に時間は過ぎて、気がつくともう二日前。
「今週末、九州でうたたねクラシックというコンサートを開催します!」
お昼の情報番組でしっかり告知。そして、コンサート前日の移動日を迎えました。
「いよいよ明日からだね!」
きらクラ!の収録をいつもより早い時間に終えると、そのまま羽田に向かいます。どのような演奏旅行になるのでしょうか。福岡の到着ゲートで他のメンバーと合流し、まずはホテルにチェックイン。外は強めの雨が降っていました。