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2017年08月25日

第717回「インプラント・サマー」

 

「神経が絶滅しました」

 実際はどう表現されたか忘れてしまいましたが、そのような印象を抱かせる言葉が耳から流れ込んできました。

 人間の体というのはよくできていて、外からやってきたものに対して周囲が攻撃する機能を持っているのですが、これも場合によっては厄介で、本当は自分のものでもその認識がなくなると部外者と誤解し、攻撃を始めてしまいます。それが腫れや膿の要因となるわけですが、僕の奥歯はまさしくそのような状況に陥っていました。

「10回くらい通ってもらうことになります」

 絶縁状を叩きつけられた息子が再び家族に受け入れてもらための通院が始まりました。それほど深刻に考えていなかったのですが、梅酒を控えたり、睡眠をよくとったり、然るべき生活を送っているつもりでした。しかし、通っても通っても、なかなか改善されている兆しが現れません。それどころか、新たな言葉が飛び込んできました。

「これは、抜かないといけないかもしれません」

 歯が欠けてしまっている可能性がある。そのせいで、ますます部外者扱いになり、下手したらその周りにいる歯にまで影響を及ぼしてしまいかねない状況。そうなると手段は一つ。つまり、抜くしかありません。もう少し様子を見るとはいったものの、もはや居場所はなさそうです。

 歯を抜く。そういえば、久しくやっていなかった。歯を抜く、と言っても乳歯の頃とは違います。永久歯を抜く。歯を失う。抜いたら、そのままにしておくわけにいきません。先生は、わかりやすく二つの選択肢をあげてくれました。一つは、ブリッジという比較的簡単にできる対処法。そしてもう一つ。それは聞いたことはあっても、自分には関係ないだろうと思っていたもの。歯医者をあとにして、自転車を漕ぎながら、じわじわとその事態の深刻さを実感し始める夏の日。蝉が仰向けになっていました。

「インプラントって、やったことあります?」

 会う人に尋ねてみても、なかなか経験者に出会えません。昔から言葉自体は聞いていたものの、個人的には、いわゆるレーシック手術のような、大丈夫なのかという不安もあります。まさか自分がインプラントすることになるなんて。まだ40代。正式に決まったわけではありませんが、テレビで流れるインプラントのCMが今まで以上に深く入ってくるようになりました。自分の歯を部外者扱いしている僕の体は、金属を受け入れることができるのだろうか。実の息子を勘当しておいて、金髪の外国人を養子にするというのでしょうか。インプラント・サマー。秋から工事が始まるかもしれません。

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2017年08月20日

第716回「最高のプレゼント」

 

「こんばんは、こどくらりょうです」

 きらクラ!の放送内でのことでした。たしかエリック・サティの「ジムノペディー」が流れて、その雰囲気に思わず乗っかってしまったのですが、その時抽出されたのがこの「こどくら」という人物。深夜何気なくラジオをつけたら妙な番組に遭遇、なんてことはしばしばあると思いますが、まさしくそのイメージ。いつからやっていたのか、誰が聞いているのか、ラジオから語りかけてくる、決して明るくはないトーン。孤独を愛しているのか恐れているのか、どこか寂しげな声色。もはや、夢なのか現実なのかさえわからないまま眠ってしまい、朝起きてから少しだけ残っている記憶。そんな番組が、「こんばんは、こどくらりょうです」からイメージされました。

「こんど、特番をやることになりました」

 耳を疑いました。「こどくら」はその後も放送内で何度か登場する機会はありましたが、まさか番組になるなんて。そのイメージはしぼむことなく、知らないところで膨らんでいたのです。あの漠然としたイメージが、ある種の悪ふざけが、しっかりとした企画書になり、あらゆる部署を通過し、なんと日曜日の夜の3時間という素晴らしい時間をいただけました。一緒に面白がってくれる人は少なくなかったのです。

 きらクラ!のスピンオフといえば簡単ですが、なかなかできるものではありません。そもそも、「こどくらって誰だよ」で終了するのが普通。実体の掴めないキャスティングで、よく実現に至ったと思います。今回、私のパートナーを務める、菅原敏さんとの出会いも大きいでしょう。きらクラ!のBGM選手権があったからこそ出会えたわけですが、詩人が加わることによって、「こどクラ」という面が安定してきます。

 先日、「こどクラ」は無事に収録を終えました。とても絶妙なバランスの3時間になったと思います。きらクラ!とこどクラと、奇しくも放送は同じ20日の日曜日。こんな素敵な誕生日プレゼントはありません。本当にスタッフに感謝です。

 あらためて、生まれた家にピアノがあったこと、ピアノの音色とともに日常を送れたことに感謝しています。このピアノからどれだけ大きな影響を受けたことでしょう。もしも家にピアノがなかったら、全く別の人格になり、今とは異なる人生を歩んでいたのだと思います。油がついて薄汚れた楽譜たち。決してプロのようには弾けないけれど、ピアノのある家に生まれ、音楽を、クラシックを好きな大人になれてよかったと実感するバースデー。あの一台のピアノこそ、人生において最高のプレゼントだったと言えるでしょう。

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2017年08月04日

第715回「クーピー・ペンシルのように」

 僕が小学生の頃は、スマホもケータイもなかったので、筆箱がその代わりを担っていました。もちろん筆箱なので、鉛筆やシャーペン、消しゴムなどを入れることを主な目的としていますが、そこに遊びの要素が付けられていて、授業の退屈をしのいだり、娯楽の一つとして筆箱が活躍していたのです。

 カンペンと呼ばれる缶の筆箱のものが流行ると、内部で2層になっで、ゴルフや野球ゲームができるタイプのものが登場しました。また、当時CMでもやっていたのが、開け方が何通りもあるタイプ。いくつも隠し扉があって、ボタンを押すと小窓が開くというもで、子供心をガンガン刺激されました。それなりに馬鹿でかいものになってしまうわけですが、僕たちにとっては、これがスマホだったのです。開け方が何通りあるのかということがある種、富の指標。たくさんの開け方があると自慢もできるし、満足する。スマホの容量や画素数みたいなものでしょうか。

 5段変速や6段変速など、ギヤ付き自転車も流行りました。車を運転できない代わりに、ギヤを動かすことで乗り物を操縦している感覚が楽しめました。案の定、ギヤの数が自慢の対象となると、スポーツタイプの自転車が現れました。なんと、ギヤは36段変速。ハンドルもぐにゃっと曲がっているため前傾姿勢で乗るのですが、それに憧れたものです。その反動か、全くギヤのないママチャリも流行りました。これは主にヤンキー軍団が乗り回していましたが。

 ギヤにせよ、筆箱にせよ、その数が豊かさの指標になったものの中で、もうひとつ象徴的だったのが、クーピー・ペンシルです。

 説明不要かもしれませんが、色鉛筆とクレヨンの中間に位置する優しい風合いのもの。12色入り、18色入りなどあって、色鉛筆よりもポップな感じで人気を博し、みんなのロッカーの中に入っていました。すると、松竹梅の松が現れました。圧巻の36色入り。ここには他にはない色が入っていて、憧れの的でした。

「あの色が欲しい…」

 なぜなら、持っていないからです。

 あの時の僕は、36色で描きたいものがあったわけではありません。ただ36色を手に入れたかった。綺麗に並んだクーピーペンシルを見て、うっとりしたかった。どうせ使わないのだし、12色で描けるようになりなさいと言われましたが、結局、手に入れてしまいました。

 そんな少年も大人になり、たくさんの音色を所有するようになりました。36色が1万色になりました。結局、あの頃と変わっていません。もう何がどこにあるんだかわからない状態。ほとんど変わりはなくても、新たな音色を手に入れることで心が潤うシステムになってしまったのです。もはや、心の薬と言えるでしょう。

 36色だろうが1万色だろうが、結局、描かなきゃ意味がないのですが、いまは、1万色を使って落書きしている時間がとても重要になっています。子供の頃のお絵かきのように、何のテーマもなくひたすら夢中になって描いている。そんな時間は決して無駄ではありません。環境が変わるだけで、子供の頃とやりたいことは変わっていないもの。僕はいま、1万色のクーピー・ペンシルにうっとりしながら、ひたすら落書きを続けているのでしょう。

 

 

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