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2015年03月29日

第608回「きらきら星はどこで輝く〜第7話 鉄は冷めることもなく〜」

 想像した通りの空が広がっていました。あれから数ヶ月。衝動的に生まれた想いは消えることも、冷めることもなく、この日までたどり着きました。まだまだ先だと思っていたのに一気に追い上げてきた日曜日は、まさしくこんな日曜日だったらとイメージしたとおりの冷たい空気とあたたかな光。家のピアノの蓋を降ろし、楽譜など忘れていないか何度もチェックすると、ベージュのビートルが家から離れて行きました。
「もう、やるだけのことはやったから」
  車内はコンビニで煎れたコーヒーの香り。完成のない世界ではありますが、もう、人事は尽くしたという自負がありました。あとは運命のようなもの。天命を待つのみ。それに、今日はピアノリサイタルではありません。あくまでフーマンの日曜日。たとえ間違えたとしてもそれがフーマンの音。この日の段階で届けられる音を聴いてもらう。結果、どのような感情が生まれるかはやってみないとわかりません。それらを含め、すべてを受け入れる覚悟はありました。
「本日は、よろしくお願いします」
  商店街を抜け、車は会場の前に停まりました。若干はやく到着した僕は、楽屋で一息つくと、さっそくピアノを触りにいきます。その日のよって機嫌があるといいますがどうなのでしょう。機嫌がいいのか悪いのかわからないまま弾き始めれば、静寂に包まれた空間にスタインウェイのグランドピアノから無数の音たちが飛び出してきました。反響が大きく、ペダルが不要になるほど。誰もいない空間で、自分の奏でる音に包まれる日曜の朝。なんて贅沢なのでしょう。
「もう、そんな時間か・・・」
 入口から長い列が伸びているのが見える、開場時間10分前。
「前よりはリラックスできるかな・・・」
 曲数こそ多いものの、会場の規模や趣旨からすれば、今日はリラックスして弾けるのではないだろうか。楽しい気分で進められそうな予感。そして開場すると、一匹、二匹と、羊たちが飛び込んできました。ピアノの周りがゆっくりと白く染まり、徐々にもこもこしてきました。
「それでは、準備ができましたので」
 連絡を受け、楽譜を片手に階段を降りて行きます。扉の前で深呼吸して、あたたかい拍手を浴びながら、ピアノめがけて歩いていきました。この拍手を浴びた途端、気持ちが引き締まりました。
「本日は、お集まりいただき・・・」
  たくさんの羊たちに見つめられる中、まるでピアノを見て見ぬ振りするように、いまの心境や、今日に至るまでのこと、いろいろと話し続けています。現実逃避なのか、なかなかピアノの前に座ろうとしません。もう、あそこに座ってしまったら逃げることができない。そして、15分くらいたったでしょうか。
「もう、避けて通れないですね・・・」
 観念するように椅子に腰をおろすと、意識して体が硬くなってしまう前に、鍵盤の上に手を載せました。一瞬の静寂。そして、最初の音を鳴らすと、あとは指が勝手に動きはじめました。
「ありがとうございました」
 ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」からはじまったフーマンの日曜日は、羊たちのおかげで終始和やかな雰囲気のまま進めることができました。いたるところでミスも発生しましたが、それも含めてフーマンの音。届けたことに意味がある。
「感想は、こちらに書いてくださいね」
  ポストカードと引き換えに、羊たちから一言ずつ感想をもらいます。それらの言葉が、14曲の演奏を終えた僕の体の中にあるものとブレンドされて。今日、ここで感じたものが、生まれた感情が、僕の人生の舵取りをすることになります。それがどうであっても、今日はかけがえのない一日、素敵な日曜日になりました。

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2015年03月15日

第607回「水に流さない時代」

 僕は哲学者でも思想家でも、評論家でもありません。ただ羊飼いになることを夢見る者ですが、だれも言わないので、ここであらためてお伝えしたいと思います。
  タイトルにあるとおり、いま、「水に流さない時代」になりました。これまで「水に流そう」と大事にならずに済んでいたことが、水に流れず残ってしまう時代。本来流れて消えるべきものが、滞留し、大事になってしまう世界。もちろん、これはネット社会が生んだ現象。
  水に流さないのか、水に流れないの、当然プラスに働くこともあります。地方のいちアイドルが、瞬く間に全国に波及することも、「水に流さない時代」の賜物といえるでしょう。リミックスした楽曲がたくさんの人の耳に届くことも、この「水に流れない」からこそ。
「おい!さっきすげー可愛い子がいたぞ!」
「え、ほんと?見たかったな〜」
しかし、ネット社会は、
「ほんとだ、すげーかわいい!」
と、たちまち人だかりができます。同様に、
「だれだよ、ここに落書きしたの!今度見つけたらただじゃおかないぞ!」
となっていたことが、水に流れないので、
「お前か、やったのは!」
と、今度を待つことなく、見つかりようになりました。
「え?こいつが落書きしたんだって?」
と、たちまち人だかりができて大騒ぎになります。
  やはり文明の光と影を切り離すことはできず、いつでもどこからでも情報を得られる環境は、ときとして「水に流さない」環境を形成してしまう。それが、寛容なき社会、大目に見ない世界につながる。
  ライブの地方公演で話した内容が瞬く間に全国に波及し炎上。そのライブ会場はもちろん、アーティストに興味を持っていない人までどこからともなく集まってきて議論に参加する風潮。一度議題にあがると、(吊し上げられると、)謝罪するまで、もしくは次の標的が見つかるまで徹底的に糾弾する。タチの悪いことに、伝言する人が話を盛ったり、誇張したり、「批判」だとか「苦言」だとか、適当な見出しをつけて報告する、いわゆるキリトリハラスメント。これが、昨今の「水に流さない社会」のシステム。
  この「水に流さない社会」でのNGワードは、「いままではよかったのに!」です。なんの価値もありません。いままではOKでもダメ。いままではセーフだったことが、時代が寛容さを失い、あっというまにアウトになってしまう。だから気をつけないといけないのです。集団の力は恐ろしいもの。
  だれもが発信力を持ってしまったことも、この風潮を形成する大きな要因。教習所なき車社会は、みんなが無免許で車を運転しているから、いたるところで事故が起きてしまう。同時に、言葉という銃弾を乱射する、銃声なき銃社会。しかし、発信者のほとんどはその自覚や責任感はない場合が多く、事故を起こして、人を傷つけて、逃げてしまう。
  小林秀夫氏が生きていたら、現代社会をどのように表現していたでしょう。ドラえもんのポケットのなかには、ボタンひとつで水に流してくれる道具がはいっているでしょうか。社会はトイレのように「故障により使用禁止」という張り紙ができないので、いま僕ができることは、「この社会はつまりやすいのでご注意ください」、とアナウンスすること。あとは、一瞬でもこの窮屈な環境・空気から抜け出せるような笑いや音楽を作ることでしょうか。時代を憎んで人を憎まず。もう、こういう時代になってしまったのです。だからこそ、気をつけましょうね、という話。

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2015年03月08日

第606回「替えなんていくらでもいるから」

「替えのきかない仕事だから大変だね」
という言葉は芸能界に限らず、一般的に使用される表現で、僕自身も風邪を引いたときなどに向けられることはあります。たしかに、「替えのきかない人」はいるのだろうし、この表現に反発するつもりもないのですが、僕自身は、そうは思っていません。むしろ、「替えなんて、いくらでもいる」と思っています。
  自分の代わりなんていくらでもいる。だれがやっても同じ。これだけ聞くと、どこか悲観的でネガティヴな印象を与えてしまうかもしれませんが、決して悲観的になっているのではありません。「替えなんていくらでもいる」からこそ、自分が任されていることの意味を実感するのです。
  たとえば芸能界。タレントによって個性やカラー、イメージこそ異なりますが、どんなに唯一無二の存在だって、必ず空いた穴は埋まってしまうもの。もちろん、「5時に夢中!」の司会にしてもそう。休み中の代打MCを見ればわかるように、僕の代わりなんていくらでもいます。なのに、僕が任されている。これだけたくさんのタレント、芸人さんがいるなかで、なぜか、僕が選ばれている。運も実力のうちといいますが、実力で掴んだなんて思いあがったら、それこそ運なんて逃げて行ってしまうでしょう。替えなんていくらでもいるからこそ、任されていることに感謝せずにはいられないのです。他の人でもいいのに、どうして僕がやっているのか。ましてや、それが自分のやりたいことと一致しているのなら、そんなに素晴らしいことはないでしょう。
  そしてまもなく、この番組も10周年を迎えることとなりました。ほんとうに、いいタイミングでバトンを受け取りました。襷が回ってきました。指し棒は代々引き継いできたバトンと言えるでしょう。たまたま僕が走っている区間に、10周年地点があったのです。まだ正式に決まったわけではないですが、この段階でなにもいわれていないので、おそらくもう少し走らせてもらえるのでしょう。これから4年目に突入することになります。次の走者が手を振って待っている姿が、いつ見えてくるのか。これまでの走者のなかでもっとも長い区間になるかもしれませんし、もう間近に迫っているのかもしれません。次に見えてくるのは、ゴール地点ということだって、ないとはいえません。走っている僕自身さえわからないことですが、この区間を任されている限り、しっかりとバトンを握りながら走り続けようと思っています。誰でもできるのに、自分が任されているということ。替えなんて、いくらでもいるということ。だからこそ、いま、この区間を走っていることに感謝して。

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2015年03月01日

第605回「20年越しの、ありがとう」

「きゃっ!」
 背後からの甲高い声が、テレビの前のソファに座っていた僕の体を捻りました。
床には赤く染まったパスタが広がっています。
「落としちゃった・・・」
 あまりの無残な姿に、彼女はただ笑うしかありませんでした。

  彼女と知り合ったのは、大学二年の春。ラテン・アメリカ研究会とテニスサークルに所属していたのですが、二年生になって最初の活動は、たくさんの新入生を勧誘すること。とくに星の数ほどあるテニスサークルはこれを怠ると、存亡の危機に関わってきます。勧誘といっても、女子大の門からでてくる学生たちに片っ端から声をかけるという、ナンパのようなもの。ただ、手当たり次第にではあるものの、その勧誘の熱量は、対象の可愛さに大きく左右されるのですが、女子は女子で、ちやほやされて悪い気はしないのか、冷たい態度をとることもなく、一応は耳を傾けてくれます。なかば強引に話を続け、近くの喫茶店に誘導します。
「夏は高原で合宿があって、冬はスキーをやって、週末は飲み会が・・・」
当時のテニスサークルというのは、どこもそんな感じで、一部の熱心な部員以外は飲み会のときにだけ顔出すような、ちゃらちゃらした人たち。
「それじゃぁ、もしよかったら、こんど見学においで!」
 ポケベルだったのか、家の電話だったのか、ケータイのない時代にどうやって連絡をとったのか、次に彼女と会ったのはサークルの練習場ではなく、渋谷の駅前でした。サークルには入らなかったけれど、彼女とふたりで会うことになったのです。正当化するわけではありませんが、抜け駆けをしたのではありません。サークルにははいりたくないけれど、会いたいといわれたのです。
「今度の日曜日、だれもいないからうちにくる?」
何度かデートを重ねていくうちにでてきた、彼女からの言葉。

「ここにいれちゃって大丈夫だから」
 蝉が鳴いていました。横浜からやってきた親の車が、世田谷の一戸建ての駐車場に吸い込まれていきます。
「じゃぁ、いまから作るから、ちょっと待ってて」
 テレビの音と料理をする音に挟まれて、19歳の僕はただソファに座っていました。今日は、ひょっとすると、ひょっとするのだろうか。そんな意識と格闘しながら、パスタができあがるのを待ちます。そして30分ほどたったでしょうか。いい香りがしてきました。テーブルの上にサラダが運ばれたあと、例の悲鳴が家中に響き渡ります。二枚のお皿を同時に運ぶ途中、ちょっとした傾きで、パスタは滝のように落下していったのです。
「ふたりで分ければいいよ」
 さすがに床に落ちてしまったものを戻すわけにはいかず、一人分のパスタが二枚のお皿に分かれていきました。そうして、ようやく画面がビデオに切り替わると、スタンバイしていたビデオテープが動き始めました。せつない唄声が流れてきます。誰もいない家で、女の子とふたりきり。手作りのパスタを食べながら。それが、僕と「バグダッド・カフェ」との出会いでした。状況が状況なゆえ、映画だけに集中というわけにはいかなかったけれど、これまで見てきた映画とは違うなにかを感じました。
  あれから20年。久しぶりに訪れた「バグダッド・カフェ」での言葉が、音が、表情が、あのとき以上に心に響き、涙がとまらなくなりました。
  時代が変わっても色褪せない作品はありますが、僕にとってこの「バグダッド・カフェ」は、むしろ輝きを増している気がします。一見、おかしな人のように見えるけれど、きっと、どこにでもいるような人たち。そんな人たちの心の通い合う時間と空間が、あまりに心地よく、あまりにせつなく、可笑しくて。誰も死なない。だれも病気や障害を持っていない。あぁ、ほんとうに素晴らしい映画だと、あらためて感じると同時に、この映画を素敵だと思える大人になれてよかったとも思いました。
  夕張国際映画祭でのトークショーの前日、メッセージを送りました。20年越しの、感謝のメッセージ。あのときは言えなかったけれど、時間は経ってしまったけれど。僕の、映画に対する考え方は、この映画との出会いで大きく変化した気がします。あのときこの映画に出会っていなかったら、ユーロスペースにも行っていなかったかもしれません。「あのとき、素敵な映画を教えてくれて、ありがとう」。

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