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2014年02月16日
第561回「寒梅に積もる雪は綿のように」
「何回見たって一緒だって」
明日の積雪量は、いつ観ても、どのチャンネルも、減ることはなく、むしろ増えている印象さえありました。いつの頃からか天気予報も、多く見積もっている場合があるので、心のどこかで、実際そんなには降らないだろうと、半信半疑な様子。人間という生き物は、自分に都合の良い情報しか受け入れないものなのでしょう。
「不要不急の外出はお控えください」
繰り返すフレーズは、もうすでに外出し、山奥の旅館で浴衣に着替えている3人には手厳しい警告でした。
「もう、帰ったほうがいいんじゃない?」
冗談なのか本気なのか、気象予報士の予言に振り回されている心配性の母。たしかに目が覚めて、窓を開けたら銀世界だったなんてことになれば、ノーマルタイヤのマイカーは即刻終了。最悪の場合、電車も停まり、自宅までたどり着けないケースも考えられます。しかし、せっかく親子3人で訪れた老舗旅館。温泉に浸かり、夕食を終えたものの、やわらかな布団に包まれることもなく出発するのは悲しいものです。
「たとえばだけどさぁ」
僕が考案したプランが採用され、とりあえず車だけ、駅前の駐車場に停めておくことになりました。これなら、もし雪が降っていたとしても、タクシーで駅前まで出てもらえば、そこからはどうにかなるはず。
「昔は、しけこむっていう言葉があったもんだけど…」
ひとけのない旅館街。これだけ寒いと、浴衣でぶらぶらという気分にもならないでしょう。山を抜け出した車は、駅前にある駐車場で夜を過ごすことになりました。もし明日、運転が厳しいとなれば、車を置いて電車で帰るのですが。
「災害というのは、対策を怠ったときにやってくるものさ」
だから、これくらい万全を期していればきっと、取り越し苦労に終わるだろう。こうすることで、危機というのは回避されるものなんだ。
「もし天気予報が当たったら、何十年ぶりですよ」
宿に戻るタクシーの運転手によれば、みかん栽培で有名な湯河原は、神奈川でも比較的温暖で、梅はもう、三部咲きとのこと。明日は美術館と梅林でもいこうかと話していましたが、どうやらそんな余裕はなさそうです。部屋にもどると、母が相変わらず、各局の積雪予報を比較していました。
「どうか、空振りでありますように」
露天風呂から空を眺めていました。
しかし、願いもむなしく、カーテンを開けると見事な銀世界が広がっていました。風が吹くたびに、あたりは真っ白に覆われます。
「朝食の前に出発しようか…」
アジの開きに、湯豆腐、味付き海苔。しかし、のんびり朝食を摂っている場合ではありません。とにかく、無事に帰ることが先決。朝食はあきらめて出発しようとした矢先、予期せぬことが起こりました。
「つながらないですね…」
電話をしてから30分以上経つというのに、一向にタクシーがやってくる気配がありません。それどころか、対応に追われているのか、まったくつながらなくなりました。マイカーは駅前の駐車場。このまま迎えが来ないとなると、まったく身動きがとれなくなります。いろいろなケースを想定していましたが、タクシーが来られないということまで考えは及んでいませんでした。今日は夜から仕事のため、延泊するわけにもいきません。
「歩こうか…」
そんな言葉が旅館のロビーに漂いはじめたころ、ようやく女将さんの声に張りが戻ってきました。
「いやぁ、この雪道を歩いて帰るところでした」
すっかり雪に覆われた湯河原の街を、チェーンをつけたタクシーがゆっくりと進んでいきます。もしタクシー会社への連絡が遅かったらどうなっていたことか。
「本当に助かりました」
昨日置いたマイカーも、すっかり雪でラッピングされています。大通りはまだアスファルトが顔をだしていたので、車で帰路につくことにしました。
「まるで雪国だね」
たくさんの雪が海面に落ちてゆく海沿いの道。やがて、樹氷をかきわけるようにして、車は進んでいきました。ふたりは旅館からいただいたお弁当を食べています。
「いやぁ、よかった…」
予定よりもだいぶ早い帰宅になりましたが、いろいろ大変だった分、印象深い温泉旅行となりました。三分咲きの梅林も、きっと雪に覆われているのでしょう。横浜の街も、すっかり雪国に変わろうとしていました。
2014年02月11日
第560回「目の不自由な画家の作品を目が見える者が描いてはいけない」
ここ数か月、見ない日はないのではないかと思うくらい、毎日、「偽」の文字を目にしています。こんなに日々使用されては工場も追いつきません。完全に、品切れ状態。このままでは入荷待ちになってしまう勢いだという矢先、追い打ちをかけるように急発注がかかりました。それは、まさかの音楽産業から。
物質としてはまったく変わらないものなのに、ひとたび化けの皮が剥がれてしまうと、これまでのようには聞こえなくなってしまうのは、聴く側の精神状態が変化したから。今回のように、作曲した背景がドラマティックで、それを前面に打ち出していればなおのこと。話が違うとなると、これまで心を穏やかにしてくれた音に、苛立ちや憤りを覚えてしまう。その矛先は、過剰に煽ったマスコミやレコード会社、騙された自分にさえ向けられることもあるでしょう。
なかには、「曲に罪はないのだから、それが素晴らしいことには違いない」と述べる者もいますが、もちろん罪はないとしても、作曲の背景込みで聴いていた者にとっては、「耳の不自由な人間が作り出した音」に酔いしれていたのだから、事実を知ってしまったら、これまでと同じ音に感じるのは困難というもの。魔法にかかりたくても、かかれない。やはり、「目の不自由な画家」の作品を、目が見える画家が描いてはいけないのです。
ゆえに、もしもゴーストライターが、同じ曲を本人名義でリリースしていたら、それが世に広まっていたかはわかりません。マスコミが取りあげる確率は低いため、それなりに売れたとしても、「耳の不自由な作曲家」には及ばない。少なくとも、氷上で響くものにはならなかったでしょう。良い悪いは別として、「耳の不自由な作曲家」は、プロモーション能力に長けていたのです。
では今後、ゴーストライターが実名を名乗って曲を発表した場合はどうなるでしょう。これだけのことがあったのだから注目こそ浴びるものの、それが素晴らしい作品になるかどうかは未知数。素晴らしいものとして「聞こえる」かどうかは、それこそ、プロモーション次第。「悲劇のゴーストライター」などのキャッチコピーをつければ、美しく「聞こえる」かもしれません。大なり小なり、みんな、こうやって魔法を使うのです。
ただ、ひとつ言えるのは、ゴーストライターに才能があることは間違いないのですが、ひとたび実名で作曲しようとしたとき、完全なる自由を手に入れたとき、その能力、その才能を開花させることができるとは限らないということ。スタイリストとデザイナーが違うように、人によって、発揮できる分野、場所、というものがあり、これは揶揄でも称賛でもなく、彼は、「ゴースト力」に長けている人間なのです。「耳の不自由な作曲家」のために作る場合と、自分のために作る場合とでは、どうしても力の入り方が異なってしまいます。他人のために作ったからこそ、人の依頼を受けたからこそ、ここまで昇華できたともいえます。そういう意味では、皮肉なことに、「耳に不自由な作曲家」が、彼の能力を引き出したわけです。出会わなかったら生まれなかった曲。良かれ悪しかれ、二人の出会いが、お互いの才能を開花させたのです。
アーティストは正直であることが仕事だから、18年にも及ぶ、「偽りのストーリー」は、ある種の詐欺行為で、表現者としてあるまじき姿勢。言語道断であることを前提として述べさせてもらうと、結局、なかなか聞く耳をもってもらえない、ということになります。CDが飛ぶように売れた時期も過ぎ去り、ましてやクラシックの世界。名を挙げるのは困難。それなりの神秘性や話題性を作り上げることは必要なのです。聴く耳をもってもらうため。手に取ってもらうため。ただ、今回に関しては、その魔法というか、催眠術があまりに大がかりすぎました。僕はというと、いまだ、魔法を使いたくないと思ってしまう厄介者なのですが。
「耳の不自由な作曲家」が、今後、ゴーストに頼らず、自分の力のみで作曲したとき、彼の本当の音が生まれます。苦悩の先に生まれた響き。それがあまりに稚拙だとしても、これまでとまったく違う音でも。そのときはじめて、本当の「美」に気付くのです。
「曲が、作れないんだ…」
ゴーストライターをひとたび辞めた途端、記譜をするペンが止まりました。
「よかったら、僕が作ろうか…」
これまでと逆転した立場での創作活動がはじまる。さすがにこんなことは、現実には起こらないでしょうが。