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2012年09月23日
第502回「colors of iceland〜アイスランド一人旅2012〜」
第一話 それは自分が一番わかっていること
「10万かぁ…」
なんとなく予想はしていたものの、それは簡単に手のだせる数字ではありません。
「やっぱり望遠って、あったほうがいいですよね?」
知り合いのカメラマンに勧められた一眼レフカメラ。デジタルではあるものの、これまで持っていたようなものに比べるとかなり本格的。なにより、この太巻きのようなレンズはこの値段に納得せざるを得ない雰囲気。同シリーズの新型はさらに画素数も高く、ファインダーもついていて、それらが値段に反映されています。まったく、企業というのは消費者の心理を弄ぶものです。
「ちなみになにを撮られるんですか?」
「おもに、羊、なんですけど…」
ファインダーにしても望遠にしても、あったらあったで意味はあるでしょうが、なきゃないでなんとかなるもの。それに、購入したところでうまく使いこなせるのかもわかりません。果たして一回の旅行のために購入するべきものなのだろうか。それこそ家にあるデジカメでいいのではないだろうか。
「迷ってないでさ、買っちゃいなよ!」
CMキャラクターのタダノブアサノ氏が僕に語りかけてきました。
「でも、いきなり使いこなせるものなんですか?」
「そういう人のためのデジタル一眼レフなんだって!」
「でも、一度きりかもしれないし…」
「そういう人ほどはまっちゃうんだよね!それにね、もうわかってるでしょ?」
「なにが、ですか?」
「んもぉ!やだなぁ!自分でも気づいているのに!」
「え、なにがですか?」
「だからさぁ、もう買うって自分でもわかってるでしょ?だれかに背中押してもらいたいだけでしょ?僕でよければいくらでも押してあげるよ、背中!」
「たしかに今までの経験だとそうですけど…」
「よかったら、この新型とか、どう?これ持ってたらモテるよ!」
道路で寝転がっている蝉をよく見かける時期のことでした。
「写真を撮ろう」
そう思い立ったのは出発まで一週間をきったとき。もちろんいままでだって写真は撮っています。これまでの旅行記を読んでくれている人は、一度カメラをあえて持たないときがあったことをご存じでしょうが、基本、普通のデジカメはポケットの中にはいっていました。しかし、ここでのいうのは「しっかり写真を撮ろう!」ということ。単なるデジカメではなく、一眼レフのレンズがすごいことになっているカメラで、本格的に撮りたくなったのです。
いままでも文章こそ書いていたものの、それだって目的ではなく結果論。こんなにも明確な目的を設けたことは珍しく、地球が生きていることを確認する一回目以来でしょう。むしろそれよりずっと能動的です。出版後でもあるから、今回はなにがなんでも書くのはよそう、というか、書きたくならないだろうと見込んでいたので、ただぼーっと旅をするつもりだったのですが、直前になっていままでにない感情が芽生えてしまったのです。写真を撮りたい。アイスランドの色を切り取りたい、と。
「そうですか!素敵だと思います!」
知り合いの女性カメラマンに背中を押してもらいました。
「いいじゃないですか。巨大な滝って言われても写真見ないとわからないところもありますし…」
これまで言葉を駆使した苦労を全否定するようなマネージャーの言葉は背中を押すどころか突き刺しました。
「ちくしょー!あえて言葉だけで挑戦してきたというのに!」
拾った蝉は、まだ生きていました。
「では、在庫、確認してきますね」
結局、最新型ではないほうにしました。望遠レンズをつけて。
「男だねぇ、見なおしたよ!」
「やるだけやってみようかなと」
「そうこなくっちゃ!やっぱり司会やると違うね!見てるよ、夕方の!」
「そうですか、ありがとうございます!」
「あ、そうそう、タダノブカード持ってる?」
「タタノブカード?そんなのあるんですか?」
「持ってたらタダノブポイント付けたんだけどなぁ!」
そうして僕は、大きなカメラを首からさげて、6度目のアイスランドに出かけることになりました。
2012年09月09日
第501回「はじめて空を飛んだ日に」
それはまるで空を飛んでいるようだった。
「手を放すよ!」
「ちょっと待って!まだまだ!」
ふらふらと左右に煽られながら自転車は、鈍い音とともに、アスファルトに横たわった。
僕がはじめて自転車に乗ったのはたしか幼稚園のとき。ハンドルの中央に丸いプラスチックの装置があって、ボタンを押すとビームのように光って音が鳴る、いわゆる子供用の自転車。でも、タイヤはふたつではなかった。後ろのタイヤの両脇には、しっかりと補助輪があった。これさえあれば絶対に倒れることはない。これが世界で一番恰好いい乗り物だった。
そんなある日、近所の加藤が自転車に乗って颯爽と現れた。軽々と風のように走り回る彼の自転車には補助輪がついていない。その瞬間、タイヤが四つもある自転車は世界一恰好悪い乗り物になってしまった。ガーガーと音をたてる補助輪のせいで、思うように曲がることもできない。
「りょうくん、まだ補助輪つけてるの?」
そういわれるたびに僕は、この小さなふたつの車輪から解放されたいと願うようになった。このままじゃ小学校にはいって恥をかくことになる。いまのうちに補助なしで走れるようになっておきたい。でも、ひとりじゃどうにもならなかった。
「まずは片方ずつな」
父に片方の補助輪をはずされた自転車は、同じ乗り物とは思えないほど不安定で、半減どころではなかった。どうせなら両方はずしてしまいたい。
「ほら、持ってるから漕いでごらん!」
荷台の鉄の部分を、ある時は父が、ある時は兄が、ある時は加藤が持ち、補助輪のない自転車はふらふらと進んでいた。
「ちゃんと持っててよ!」
重みを感じながらペダルをこぐ。
「よし、いいぞ!」
そして体が、急に軽くなった気がした。
「ちゃんと持ってる?あれ?」
持っていないことを知った途端にバランスを崩し、あっという間に膝をすりむいていた。
「うしろ見ないでペダル漕がなくちゃ!」
いま思えば、どうして自転車に乗れなかったのか。乗れない感覚が思い出せない。でも、あのときはたしかに乗れなかった。こわくてすぐに倒れてしまって、膝に赤チンを塗ってもらっていた。
「うしろ気にしちゃだめだからな!なにがあってもまっすぐ走れよ!」
僕は夢中でペダルを漕いだ。次第に足が軽くなってくる。
「いいぞ!しっかり漕いで!」
何度もよろよろとなりながらも自転車は、いつもの道を進んでゆく。
「やった!自転車に乗っている!補助輪なしで走っている!」
まるで空を飛んでいるような気分だった。
それからというもの、倒れることはなかった。自転車に乗れる、そう思ったときからもう、バランスを崩さなくなった。小学校にあがると、巨人の星のイラストが描かれた新しい自転車が、家にやってきた。
はじめて自転車に乗れた日。あの日のことを思いだすと、涙が出そうになるのはどうしてだろう。はじめて手を繋いだ日。はじめて楽器を触った日。はじめて免許を手にした日。はじめて給料をもらった日。はじめて海外に渡った日。これから先、いくつのはじめてがあるだろう。はじめて空を飛んだ日に。