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2012年08月20日
第500回「これまでの、これからの」
いままで、
どれだけたくさんのありがとうを
言うことができただろう。
これから、
どれだけたくさんのありがとうを
言うことができるだろう。
とってつけた、ありがとう。
心からの、ありがとう。
伝えられなかった、ありがとう。
どのありがとうも、
ぜんぶ大切なありがとう。
あのとき気づかなかった、ありがとう。
あのとき言えなかった、ありがとう。
すぐにでる、ありがとう。
時間のかかる、ありがとう。
タイムマシンにのって
伝えたいけれど。
道端に咲く花のように、
人生を支える
たくさんのありがとう。
お金を数えるのではなくて
ありがとうを数えたら
世界の秩序は変わるかな。
競いあうものではないから
数える必要はないけれど。
どれだけたくさんの言葉に出会い、
どれだけ多くの人に出会い、
僕は支えられてきただろう。
いま、心から、ありがとう。
今日から僕は
たくさんのありがとうを集めにいくよ、
たくさんのありがとうを伝えるために。
感謝できる大人になったから、
感謝される大人になるために。
ありがとう、これまでの。
ありがとう、これからの。
2012年08月12日
第499回「きっとちがいない」
僕たちは、
きっとしあわせにちがいない。
なにがあろうと僕たちは、
きっとしあわせにちがいない。
どんなに悲しみが押し寄せても
どんなに辛く苦しい日々が続いても
僕たちは、
きっとしあわせにちがいない。
悲惨なニュースが流れようと
大切なものを失おうと
僕たちは、
きっとしあわせにちがいない。
だれも教えてくれないけれど
僕たちは、しあわせにちがいない。
少なくともこの文字を認識しているのなら
あなたはしあわせにちがいない。
あなたを囲んでいるものに気づかないのなら
いっそ失って、気づいたほうがいい。
だれがなんと言おうと、
いいねなんて言われなくても、
僕たちは、しあわせにちがいない。
強がるのではない。
言い聞かせているのではない。
きっと死んだらわかる。
感じること、意識すること、
生きていること、それ自体が幸福なこと。
死んでからじゃ意味がない。
できないことではなくて
いま、できること。
時間に乗れない人はいない。
通り過ぎる美しい景色に気づいていないだけ。
この世に存在する唯一の不幸は
自分が幸福であることに気づかないこと。
僕たちは、
しあわせにちがいない。
僕たちは、
しあわせにちがいない。
ただ
気づいていないだけなんだ。
2012年08月05日
第498回「わからないままでいい」
ライフスタイルは時代によって変わり、いまが昔より優れているかどうかを見極めることはできませんが、違いを認識することは可能です。SNSがなかった昔といまとでは、人々の生活にどのような違いがあるのでしょうか。
いまを象徴するもののひとつとなった「SNS」。果たしてこれが人々にどのような影響を与えているのか。幸せにしているのか、不幸にしているのか。もちろんそれは時と場合によるもので、良いとか悪いとか判断すること自体ナンセンスかもしれません。しかし、確実に昔と変わった部分があります。人々の生活における大きな変化。それは、「気にする量」です。それが格段に増加しました。気にしなくてはならないことが増え、特に、「人がなにをしているのか」を気にして生活するようになりました。もっというと、「人がなにを気にしているのか」を気にしながら生活するようになりました。自分が人に、どう思われているのか。
一緒に遊んだ友人たち。彼らと共有した時間を、彼らはどう思っているのか。果たして良い印象だったのだろうか。気にしなくてもいいのに、気にするようになったのは、彼らの感情がSNS上にあげられてしまうからです。
それがたとえいいものであれ、悪いものであれ、人の意識を気にしながら生きるなんて、疲れるにきまっています。気づかぬうちに抱え込みすぎて、心が重たくなって、息苦しくなる。これでは人間は破綻してしまいます。余裕がなくなり、ちょっとしたことで感情が不安定になり、社会全体にまで広がります。
気にしなければいいじゃないか。もちろんそうです。でも、「裸になれと命令することはなくても目の前に裸になっている女性がいたら見ないようにすることは困難」なように、確認することができる状態なのに気にしないようにすることは、とても難しいのです。存在してしまったらそこから意識的に目を背けることをしなければならない。目を背けるだけでも、忘れようとするだけでも、エネルギーを必要とします。気にすることも、目を背けることも、どちらも疲れるのです。こんなことなら、存在していないほうが楽に生きられる、自由に生きられる。人々は、知らず知らずのうちに、情報に押しつぶされているのです。
もちろん、昔の人々もなにかを気にしながら生活していたでしょう。しかしそれは数にすれば極めて少ないもの。つながりを美徳とする現代は、それが希薄となっている証かもしれません。しかし、つながりが過剰になると、単なる束縛となるだけ。だから、たとえばパソコンを持たない、ケータイもスマホも持たない、これも生活スタイルのひとつでしょう。もしかしたらこれが最先端の生き方かもしれません。もちろん、これによるデメリットはあります。不便だと感じることもあるでしょうが、自分を見失うことはありません。SNSに振り回されて、周囲の意識に翻弄される、そんな人生は決していいとは言えません。人が何を考えているかなんて気にしなくていいのです。わからないままで、いいのです。
10年後が見えるメガネが発明されました。見たところでなにも変わらないとします。果たしてそれは人類になにを与えてくれるのでしょう。もしかしたら一部分だけを見たいと思うかもしれません。しかし、一部分だけを見ようとすると、ほかの見たくない部分まで目に入ってしまう。それがSNSの世界。このメガネを持ってしまった人は果たして、幸福になれるのでしょうか。
疲れた、という言葉をつぶやく人が多いようです。しかし、ほとんどの人たちは気づいていないのです。その疲れの原因を。仕事の量もあるでしょう。しかしそれ以上に、気にする量が増えてしまったことが、人々を疲弊させているのです。SNSは、個人の発信力を上昇させました。責任感や表現力などが伴ってないのに発信力だけ身につけてしまった人の言葉があふれる世界。一億円を手にした子供たち。価値があるもの、価値のないもの。この世界で、見極めることはとても難しいでしょう。でも、心を軽くさせる方法は、とても簡単なのです。