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2012年06月24日

第492回「ちょうどいい場所」




 4月から、新たにふたつの番組をやらせていただくことになりました。NHK-FMの「きらクラ」という番組と、MXテレビの「5時に夢中!」という番組。どちらもパーソナリティー・司会者という立場ですが、前者は名前こそ変わったものの、これまでの番組を引き継ぐカタチ。コアなファンの方がいるなかでMCを務めることは、まったく新しい番組をスタートさせるのとは違い、転校生のような、いろいろと気をつかわなければならない部分もあります。受け取ったバトンは決して軽いものではありませんが、ようやく手に馴染んできた頃かもしれません。



 5時に夢中!は、コメンテーターの自由奔放な言動が日ごろのストレスを吹き飛ばしてくれるのか、MXという存在すら知らない人もいるなか、とても勢いのある人気番組で、当初から反響は大きいものでした。コメンテーターの方がどんな言葉を発するかわからない。2秒後になにが起こるかわからない。そんな予定調和からかけ離れた状況は、日替わり定食にしては刺激が強く、おそらく何年やっても、いくら回を重ねても、スポーツのような緊張感はなくならないでしょう。





一方、週に一度のクラシックのひとときは、月曜日からの4日間を戦い抜いた男の生活に癒しと潤いを与えてくれるもの。何百年も前につくられた楽曲は、むしろ斬新にすら感じさせるほど自由かつ大胆で、その怖いもの知らずな表現に、清々しささえ覚えます。理屈を超越した響きは、これからの時代により必要となるものかもしれません。





このように、僕の生活に潤いとハリを与えているふたつの番組。これらに出会えたことはとても幸運なこと。というのも、僕にとってちょうどいい場所だからです。





 NHKの番組がもし、もっと重みのある、重厚なクラシック番組だったら、おそらくもっと知識のある方、精通された方が起用されていたでしょう。MXテレビに関しても、もっとニュース寄り、社会派な固い番組であったら、アナウンサーのような方が必要になるでしょう。どちらも、いい意味でポップでライトな番組であることが、たまたま、奇跡的に、僕にとってちょうどいい場所だったのです。なかなか出会えるものではありません。いまより若い時でもなく、いまだから、ちょうどいいのです。





司会というのは、番組によって若干の違いはありますが、その尺度を担う存在だと思っています。そんななかで、このふたつの番組に僕の尺度が使用されるのは番組にとっても「ちょうどいい」のかもしれません。お互いのちょうどいいが交わる、これは、それこそ金環日食のような奇跡。いつまでやらせていただくかはわかりません。いつかはだれかにバトンを渡すことでしょう。メディアである以上、これまで知らなかった人にも知ってもらう必要もあります。聖火リレーのように、この火を絶やさずに走ること、それが僕の使命だと思っています。





 奇しくも同じ時期に受け継いだ両番組。僕にとってちょうどいいとはいえ、原液のままやっているわけではありません。番組に合わせて多少薄めた状態で臨んでいます。濃度は、これまでの経験で培った感覚で調節するしかありません。こういったところは経験しかないのです。今後はばれないように、こっそりと変えていくと思います。





ちなみに、J-WAVEの番組はもう6年以上たちますが、ほぼ原液の状態。これこそ、僕の頭の中にあるものをそのままカタチにしているようなもの。しかしながら、「土曜の夜」というバトンをだれかに渡す日は必ず訪れます。そんな、いつ終わるかわからない状況が、ほどよい緊張感とスパイスになっているのでしょう。





僕にとって「ちょうどいい場所」に巡り合えたことは本当に幸運なこと。いままで、ちょうどよくない場所もありました。そんな肩身の狭い道を通り抜けて、身の丈にあった、ちょうどいい場所に出会えたようです。地図のない世界で、よくたどり着いたものです。もちろん、ここがゴールではありません。いつかまた、ちょうどいい場所に出会えるはず。そう信じて、いま、この場所を大切にしたいと思います。





 




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2012年06月17日

第491回「なにごともなかったように」




 





 





なにごとも





 





なかったように





 





僕たちは





 





いなくなってしまうんだね。





 





なにごとも





 





なかったように





 





僕たちは





 





自然に帰っていくんだね。





 





 





言葉そのものが





 





道具だったとき





 





火そのものが





 





希望だったとき





 





こんな風になるだなんて





 





思いもしなかっただろうね。





 





賢いのか愚かなのか





 





わからないけれど





 





僕たちはこうやって





 





この地球から





 





いなくなっていくんだね。





 





きっと恐竜たちと





 





同じだね。





 





存在していたことさえ





 





信じてもらえないかもしれないね。





 





自分たちで選んだのだから





 





仕方がないね。





 





終わり方を





 





自分たちで決めたのだから





 





仕方がないね。





 





まだ間に合うのかな。





 





もう間に合わないね。





 





 





なにごとも





 





なかったように





 





僕たちは





 





いなくなってしまうんだね。





 





なにごとも





 





なかったように





 





この地球は





 





回り続けるんだね。





 





僕たちにとって





 





風が通り抜けるのと





 





同じこと。





 





なにごとも





 





なかったように





 





僕たちは。





 





なにごとも





 





あったのに





 





僕たちは。








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2012年06月10日

第490回「ずっと気づかなかっただけ」

きこえますか

 

風の音が

 

きこえますか

 

水の音が

 

きこえますか

 

鳥の鳴き声が

 

きこえますか

 

葉の揺れる音が

 

きこえますか

 

大地の声が

 

きこえますか

 

心臓の音が

 

 

掻き消された音

 

掻き消している音

 

響きあう音

 

重なりあう音

 

 

あなたはなにを

 

語りますか

 

言葉はどこへ

 

飛んでいきますか

 

空はなにを

 

映していますか

 

未来はもう

 

通り過ぎましたか

 

はじまりは

 

なにかがおわるときですか

 

 

目を閉じて

 

耳をふさいで

 

きこえてくるもの

 

それが

 

探していたものでは

 

ないですか

 

ずっと呼んでいたのに

 

あなたが気づかなかっただけ

 

いつも話しかけているのに

 

掻き消されていただけ

 

 

大きな音に隠れた

 

小さな音

 

 

きこえますか

 

風の音が

 

きこえますか

 

水の音が

12:06 | コメント (0)