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2010年05月30日
第406回「シリーズ人生に必要な力その36不幸力」
それを目にしたり耳にしただけでなんだか気持ちが怯んでしまう言葉。一瞬にしてお通夜の様な雰囲気を漂わせる言葉。「不幸」という言葉を好む人はいないでしょう。誰もが幸福を望み、不幸になりたいとは思いません。でも、人生には不幸も必要であると薄々感じている人は少なくないのではないでしょうか。
幸せだけで人生を謳歌できたらどんなに素晴らしいことでしょう。しかし、甘いものだけではそれを実感することはできず、しょっぱいものを口にしてはじめて本当の甘さを知るように、不幸を経験しなければ本当の幸福は実感できません。幸せは不幸の上にたち、それを土台にしなければ幸福の塔を建てることはできない。不幸は幸福の種であり、不幸は幸せの出発点なのです。
とある映画に「不幸が大きいほど生命力が湧く」というシーンがあります。
「悲しみが深いほど人はそれを埋めようとする」では、不幸とはいったいなんなのでしょうか。失敗と同様、もしかすると僕たちが思っている「不幸」は本当は不幸じゃないのかもしれません。たとえば火災によって財産を失ってしまっても、それによって人々とのつながりを得ることができたとき、どれを不幸と呼ぶべきでしょうか。その不幸はもしかすると幸福のスタート地点かもしれません。目に見える世界と見えない世界があるように、手に入れる幸福もあれば感じる幸福もある。すべて捉え方で変わるのでしょう。だとすると本当の不幸は、見えるものも見えないものも手放してしまうこと。不幸を嘆くだけで乗り越えようとしないこと。この先に幸福が待っていることを信じない事。不幸力とは、不幸という闇のなかに幸福という光を見出す力。不幸に屈せず、それをエネルギーに変えることが大切なのです。
場合によっては、自分は決して不幸ではないと捉えることもあります。どんな状況であろうと、生きていること自体が幸福。大人になると健康であることがなによりの幸せであるように、存在自体が幸せであるという考え方。不幸の中に希望を見出すか、不幸自体を打ち消すか。どちらも大事な力ですが、その瞬間は存在しているだけで幸福だと思うことはなかなか難しく、人間の欲望を無視しているかもしれません。だから、不幸は不幸として受け入れて、その不幸があるからこそ幸福になれるのだと考えるほうが現実的かつ健全でしょう。
もしかしたら不幸という言葉がこの世に必要ないと思えるくらい、歩んできた人生は美しく見えるもの。そのとき不幸に思えても、あとから眺めてみればそんな風には見えないはず。怒りも涙もすべて、幸福の世界のものだと気付くことでしょう。たとえ短くても長くても、この世で一番美しいものは人生。誰の轍もみな美しいのです。ひょっとしたら、不幸なんてものはないのかもしれません。だから絶対に自ら命を絶っちゃいけないし、命やその尊さを奪うことは絶対にしてはいけないのです。
どんなに甘い匂いも、身につけているとその匂いに慣れてしまい、なにも感じなくなってしまうもの。嫌な匂いがなければ甘い香りも好きになれません。不幸力、それは不幸を土台にして幸福を築きあげる力。不幸のなかに幸福を見出す力。不幸が生命力を与える。悲しみが深ければ深いほど人はそれを埋めようとする。不幸は、人生のガソリンスタンドのようなものかもしれません。不幸をエネルギーに変えること。瞬間でしか物事を捉えなくなってしまっている世の中だから、人生には不幸力が必要なのです。
2010年05月16日
第405回「シリーズ人生に必要な力その35出会い力」
これまでの人生において、どれだけの出会いがあったでしょう。多くの影響を受けた出会いもあれば、出会いと表現するほどでもないもの、良い出会いもあれば嫌なそれもあったかもしれません。出会いによって人の生き方は大きく変わり、出会いが人生を決めるといっても過言ではありません。
もしもひとつの出会いを金額で表したら、これはある意味禁断の行為ですが、きっと預金通帳に1000万円もしくはそれ以上の額が入金されるようなこと。名画と同様、本来はお金で表せないものですが、それくらいかけがえのない財産であることは間違いありません。新しい世界を知るという意味では、出会いはまさに未知との遭遇。宇宙旅行に匹敵するかもしれません。
もちろん人だけではありません。身の回りを見渡してみれば、どれもそのとき出会ったものたちばかり。テーブルもスプーンもカーテンも洗濯機も、あの頃出会ったものに囲まれて僕たちは生きています。映画、音楽、本、さまざまな世界に触れることで価値観が形成され、自己が築かれていく。あらゆる出会いから自分の環境ができあがっていく。人が環境を作るのか、環境が人を作るのか、すべての出会いが人格を形成していくのです。
人生、出会いがすべてだと言いますが、じっと待っていても良い出会いは訪れません。出会いたくても出会えるものではなく、簡単には手に入らない。なぜなら出会いは作るもの。時間と同様、勝手に訪れるのではなく、自ら生み出すものなのです。
だから、ある日突然予想だにしない人と出会ったとしても、それは偶然のようで実は自らが作り出した必然。たとえそんなつもりはなくても、その出会いに向かって歩いていたのです。ようやく同じ世界にたどり着いたのです。まるで前から約束していたかのように。
ただし、物理的に出会っただけ、ただまわりにあるだけでは、本当の出会いとはいえません。存在を意識して、その良さに気付いたときはじめて出会ったといえるのです。だから、出会っても出会っていなかったり、出会っていなくても出会っていることは少なからず起こりうるのです。
また、あとになって出会ってよかったと感じるように、自分にとってそれが良い出会いだと気付かないこともあります。その出会いを意味のあるものにするのも、意味のないそれにするのも自分次第。単なる出会いで満足せずに、たくさん言葉を交わすことができたらどんなに素敵なことでしょう。自分の思いを伝え、相手の思いを受け入れる、これらによって、その出会いはより輝きを増すのです。
環境は自分を映しだす鏡。自分をとりまく環境こそ自分自身であり、すべてが自己を形成している要素。環境によって自分の生き方・感情が決まるのだから、「出会いは自分との出会い」を意味しているのです。結局「世界は自分」ということになるのでしょう。だから仮に嫌な印象の人がいたとしてもそれは自分が作った出会い。拒絶するのではなく、受け入れることによって自分の世界は広がるのです。
出会い力、それは出会いを生む力と出会いを大切にする力。このふたつがないと充分ではありません。一期一会というように、出会えたことは紛れもない奇跡。そこまでたどり着けたことに感謝し、ひとつひとつの出会いを大切にしたいものです。出会いを大切にすることは自分を大切にすること。出会いを大切にする生き方はきっと人生を美しくするでしょう。そのことがやがて素晴らしい出会いに繋がるのです。だからこそ、人生には出会い力が必要なのです。皆さんに、素晴らしい出会いがあることを願って。