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2008年08月24日
第327回「シリーズ人生に必要な力その11レジ力」
僕が幼少の頃はまだ、スーパーのレジでも商品ごとに値段を打っていた記憶があります。それがバーコードの出現によってピッとかざせば済むようになり、いまではかざすことすらせず上を通過すればいいだけのレジも珍しくありません。レジは時代とともに進化し、もしかするとおじいちゃんおばあちゃんがそろばんをはじいている駄菓子屋さんからも、いつしかピッピッという音が聞こえてくる日が訪れるのかもしれません。
以前に比べたら各駅と特急くらいの差があるのに、すっかり特急のスピードに慣れてしまった僕たちは、特に急いでいるわけではないのに、レジでもたもたされるとつい手を貸してしまいたくなるほどじれったくなってしまいます。これだけ機械が進化したのだから誰がやっても同じように思えるのですが、競馬の騎手と同じ様に、担当の店員さんによってお客さんの流れの速度に少なからず差が生じるのです。カゴからカゴへと商品を手際よく扱う光景は、まるでテニスのラリーを見ているかのようで心地よく、それだけリズムが途切れると待ちきれなくなってしまいます。そんな、レジでの手際の良さ、レジを素早く打つ力が今回の人生に必要な力、というわけではありません。今回のレジ力は、素早く打つプロのレジ打ちを見つける力、どのレジが早いかを見極める力なのです。
どこに並んでも同じだろうと思って最後尾についたものの、途中から進まなくなり、ほかの列の人にどんどん追い越される。見ると、なにやら機械のトラブルがあったらしい。そこでほかに移ろうとしたものの、いま移動したらまた一から並び直しになってしまい、これまでの自分の努力が無駄になってしまう。そんな葛藤をしながら買い物カゴをさげて途方に暮れていたことはないでしょうか。それではせっかくの楽しいお買い物も嫌な気分で店をあとにし、食卓にも影響がでてしまいます。たかが数分の差と思うかもしれませんが、人生というスパンで考えると数年の差に値するといわれています。毎日通うスーパーだからこそ、気持ちよくスムーズにレジを通過したいもの。そのためには、しっかりとしたレジ力を身に付けなければならないのです。
レジ力は、大きく二つの力で構成されます。まず一つ目は状況認識能力です。
並んでいる人が少ないからといってそこに並べばいいというほど単純な競技ではありません。一人で大量の食材を購入している者もいれば、カゴを持たずに買い忘れたしょうゆだけを手にしている人もいます。なので、並ぶ際にまずチェックしなければならないことは、ひとつのレジにおける全体の総購入量(グロスパーチェイス)と、並んでいる人の数です。総購入量を人数で割り、これによってでた数値がパーチェイス・パー・パーソン(一人あたりの購入量)になります。これが低ければ低いほどレジを抜けるスピードは速い、ということになります。
しかし、これだけですべてが決まるわけでは当然ありません。いくらパーチェイス・パー・パーソン(一人あたりの購入量)が少なくても、レジを打つ人(レジスト)がもたもたしていたらどんどん周囲に抜かされてしまいます。機械こそ同じですが、さきほども言いましたが競馬の旗手と同じ様に、操作する人によってそのスピードは大きく異なるのです。研修中と書かれたプレートの人がいくら頑張っても、なかなかパート歴20年の大橋さんに追いつくことは容易ではありません。かといって「研修中」のように「名人」とプレートに書かれているものでもありません。では、いかにしてプロのレジ打ち名人を見つけるのか。その答えは、並んでいる人の表情にあります。
名人の称号は、プレートではなく、並んでいる人たちの顔に表れるのです。名人に並ぶ人たちはみな満足気な表情をし、逆にそうでない場合は、「ほかのレジにすればよかった」という後悔の表情でいっぱいなのです。つまり、並ぶ人の顔を見れば、どこに名人がいるかわかる、ということなのです。ただ、名人だけに常に行列ができることが多く、あくまでパーチェイス・パー・パーソン(一人あたりの購入量)と照らし合わせながら判断しなければなりません。カゴの中身と、並ぶ客の表情、この二つのチェックを怠ってはいけないのです。
余談ですが、なぜか異様に空いているレジをたまに見かけることがありますが、あまりオススメはしません。そこはおそらくなんらかの理由があるから空いているわけで、いわゆるいわく付き物件である可能性が高いのです。その場所で自殺した人がいた、そのレジで殺人事件があったなど。なので、並ぶ前に一度、店員に聞いたほうがいいかもしれません。
もう一つの力は、危険予測能力です。どんなときも、近い将来起こりうる危険を意識しておかなければ大惨事になりかねません。
レジに潜む危険とはいくつかありますが、多くの危険は「領収書おねがいします」といった、イレギュラーの事態です。最近は、簡単に領収書が出力される機械が増えましたが、それでも「お宛名は?」「大阪府の府に...」「えっとこうでしたっけ?」「いや、そうじゃなくて...」というやりとりによって、突然流れがストップするのです。
また、「ママ、これもお願い!」と突然子供が飛び出してくることもあります。これによって、「お菓子はだめでしょ!戻してきなさい!」「やだ!これだけ!」と、プチ親子喧嘩がはじまることもあります。
しかし、これらの危険を予測することはなかなか困難です。領収書は顔に出ませんし、カゴの中身から「これは領収書を要求するな」と推測しかねます。また、「このお母さん、さっきまで子供といたぞ」と覚えておくのも容易ではないのです。なので、大事なのは、常に危険が潜んでいることを意識することなのです。「領収書を要求しないだろう」「子供が飛び出してこないだろう」という「だろう並び」ではなく、「要求するかもしれない」「飛び出してくるかもしれない」という「かもしれない並び」が危険の早期発見、迅速な対応につながるのです。
加えて、レジは団体競技である、ということも忘れないでください。例えば、なかなかバーコードを読み取らず手動で入力しようとしたものの値段がわからず手間取っている、そんな事故のときは、「もう、やめちゃえば?」とさりげなくつぶやくことで買おうとした人を迅速に辞退に追い込むこともできますし、「はやくしてよ」とプレッシャーをかけることも可能ですが、同じ列の人はある意味チームメイトです。その間に「私たちで挽回しましょう!」とチーム内で結束を固め、カゴの中の商品をすべてバーコード面を上にして待機するくらいの気持ちがあれば、思わぬアクシデントにも冷静に対処できるのです。
最後に、ラッキーレジというのをきいたことはありますでしょうか。あまりの混雑に、「こちらのレジもどうぞ!」と、急遽レジの数を増設することを言います。これによって、最後尾だった人が一気にトップに躍り出ることがあるのですが、このラッキーレジに関しても、危険予測能力で「あ、あの店員さんレジを開設するかもしれない」と予測していれば、新しく開設されたそのレジはあなたのものになります。ここでも「かもしれない並び」が重要になってくるのです。
以上のことをマスターすれば、レジを見極める目、アナタはもう立派なレジ眼の持ち主と呼ぶことができます。人は生まれながらにしてレジ眼を持っているといわれていますが、それを使いこなせるかどうかはその後の訓練次第で、放っておいてはただ退化するだけなのです。レジ眼を鍛えるために、競馬・競艇、スポーツ選手やアイドルのスカウトなどをして、日々見極める力をトレーニングすることをおすすめします。
レジを見極める力、レジ力を持っていれば、どんなに買い物客であふれていても心配する必要はありません。どんなに渋滞していても、自然とあなたが並んだ列は一番早くレジを抜け、スムーズに会計を済ませることができるでしょう。そこで勝ち取った時間こそが、あなたの日常のゆとりにつながります。だからこそ、人生にはレジ力が必要なのです。
P.S.:
本日24日、15時より名古屋・星野書店近鉄パッセ店にて「ジャパニーズ・スタンダード」のサイン会を行います。最寄りの方は是非いらしてください。
2008年08月03日
第326回「ちょっと一息コーヒーブレイクその1ロックな生き方」
夏といえば海水浴に花火大会、バーベキュー。そして忘れてはいけないのが音楽フェスです。ロッキンジャパンにフジロック、夏は日本のいたるところでフェスが開催され、海外からもビッグアーティストが参加します。僕も何度か出場させてもらいましたが、汗びっしょりになってもうどうにでもなれって感じがとても心地よく、そこには体感した者のみが味わえる、太陽と音に包まれた夢のような「夏」があるのです。
数々の有名なロックミュージシャンを一度に見られるのもフェスの醍醐味ですが、間近で見ていても皆、どこか世間離れした独特の世界をもち、文字通り「ロックミュージシャン」たる雰囲気が常に漂っています。そもそもロックは歌謡曲と違い、社会への反発心から生まれた音楽で、体制に反発する反骨精神が音や言葉となって表現されているわけで、それだけにロックミュージシャンのかっこよさというのは単に音楽だけではなく、その人の型破りな生き様、ライフスタイルであって、それが数分の曲に氷山の一角として反映されているわけです。一体、その水面下にはどんな氷山があるのかと謎に思わせることがアーティストには必要で、だからこそ言葉や音が説得力を持ち、皆耳を傾けるのです。
だからといって、誰もがロックミュージシャンになれるかというとそうではなく、僕たちが無理して彼らのような生き方をしても大ヤケドをしてしまいます。意識してなれるものではないのです。しかし、いつも礼儀正しい社会人としてまっとうな人生を歩んでいるのもなかなか窮屈で息苦しいもの。ときには彼らのような反骨精神も必要なのです。では、みんなが憧れる「ロックな生き方」とは具体的にはどのようなことなのでしょう。これから代表的な「ロックな生き方」を挙げるので、それらを参考にしてロックミュージシャンたちの「ロックな生き方」を自分の人生に取り入れてみるのはいかがでしょうか。
ロックな生き方その1 歯医者でどんなに痛くても手を挙げない
ロッカーたる者、歯の痛みをその都度報告しているようではその名を汚すことになります。どんなに歯の中をほじくられようとも、どんなに神経を刺激されようとも、どんなにあの音が響こうとも、ひたすら耐え抜くことがロックなのです。
ロックな生き方その2 保険証を使わない
国民健康保険などに守られているようでは真のロッカーと呼べません。律儀に保険証を提出する矢沢さんなんて見たくないのです。ロッカーたる者、国の負担をあてにしているようではダメで、たとえ風邪をひいても、いくら病院にかかっても、決して保険証に頼らない、そんな生き方がロックなのです。
ロックな生き方その3 パピコを分割しない
企業の思惑にはまっているようでは反骨精神もヘチマもありません。冷凍庫に残った半分を保管している清志郎さんなんて見たくないのです。いくら目の前に友達がいようとも、あとで食べようと思っていても、片方が溶け始めていても、決してパピコを二つに折らない、それがロックなパピコの食べ方なのです。
ロックな生き方その4 楊枝を使わない(ピノを食べるとき)
プラスティックのかわいらしい楊枝がついてるからといって、そんなものに依存しているようでは真のロッカーとは呼べません。「やったー!赤の楊枝だ!」と楊枝を集めている桜井さんなんて見たくありません。ロッカーたる者、楊枝なんて使わずに、指をぶっ差して右手すべてピノで埋めるくらいでないとだめなのです。
ロックな生き方その5 コーンフレーク・バームクーヘンあたりは牛乳なしで
時に、体中の水分をすべて奪うバームクーヘン。だからといって、牛乳をこまめに含みながらバームクーヘンを食べる降谷さんなんて見たくありません。ロッカーなら、バームクーヘンやカステラ、コーンフレークやきなこ棒も、牛乳なしで食べなくてはならないのです。ロッカーはケロッグに負けてはいけないのです。
ロックな生き方その6 カップラーメンはお湯なしで
チラチラ時計を見ながら、カップの上に箸を置いて、3分経つのを待っているようではいつまでたっても破天荒な男にはなりません。真のロッカーなら時間なんて関係ないのです。というか、お湯すら入れないのだから、3分待つ、待たないの問題ではないのです。あなたがロックな生き方をしたいのであれば、お湯なんかで麺をふやかすのではなく、「意外といけちゃうよ」と、バリバリ食べてしまいましょう。それでこそロックなカップ麺なのです。
ロックな生き方その7 サイドブレーキをあげたまま走行
サイドブレーキをあげたままにしていることに気づき、慌ててブレーキを降ろして後悔の念に押しつぶされそうなっているようではロッカー失格です。たとえサイドブレーキがあがっていても、いくら走行に重みを感じていても、そんなことに動じず、お構いなしに走ってしまう度量が必要なのです。ボンネットから煙がでていようが、関係なく突き進むのがロックな生き方なのです。
ロックな生き方その8 窓全開のまま洗車機突入
ロッカーたるもの、その豪快さがなければ誰もついてきません。常に破天荒な行動が観衆を魅了するのです。しっかり窓が閉まっているのをチェックしてゆっくり侵入し、洗車が終わるのを外で待っているようではカリスマ性もなにもありません。「こうすれば中も洗えちゃうでしょ!」と、窓全開にして洗車機に突入し終わるのを待つ、これがロックな洗車なのです。
ロックな生き方その9 電波状況に左右されない
「え?なに?ちょっと電波悪いんだよね...きこえる?え?ちょっと電波がさぁ...そっちじゃないの?」なんていいながら遠ざかる矢沢さん(2周目)なんて見たくありません。いくら電波が悪くとも、相手の声が途切れていても、圏外と表示されていても、ロッカーたるもの、会話をやめてはいけないのです。
ロックな生き方その10 ケータイの修理を違う会社に出す
ドコモだからといって、いちいち購入したところやほかのドコモショップにいくようではロックの名を汚すことになります。真のロッカーは世間のケータイ会社競争を超越した存在なのです。だからたとえドコモのケータイであろうと、ソフトバンクやau、それこそ区役所や美容院、パン屋さんに「ちょっと壊れちゃったみたいなんだけど」と持っていくくらいの反骨精神がないといけないのです。
ロックな生き方その11 回転寿司に行ってひとつもとらない
回転寿司に来たからといって、目の前を通り過ぎるネタにいちいちはしゃいでいるようではロッカーとはいえません。「大将!ビッグマックないの?」くらいの反骨精神が欲しい所です。
ロックな生き方その12 リーチは当然のこと、ビンゴしたことすら言わない
やはりロッカーは、常になにを考えているのか、どんなことに喜びを感じるのか、謎に包まれていないといけません。簡単に感情が露呈するようではロッカー失格なのです。リーチやビンゴくらいではしゃいでいては、アーティストとしての神秘性が薄れてしまうもの。出てきた数字とは関係なく、ただ自分の好きな数字を開ける、それがロックなビンゴゲームなのです。
ロックな生き方その13 エレベーターで押した階で降りない、バスの降りますボタンを押しといて降りない、タクシーをとめておいて乗らない、信号の押しボタンを押しといて渡らない、「俺、窓側!」と言っておいて一切景色を見ない
予想通りの行動をした瞬間、ロッカーとしての生命は絶たれたと思っていいでしょう。ロッカーたるもの、常に一般の予想を超えていなくてはならないのです。エレベーターで5階を押したからといって5階で降りるようではロッカーに値しないのです。5階を押したにもかかわらず7階で降りて、本来行きたかった総務部がある5階へは階段を使って降りる、それくらいのパフォーマンスが必要なのです。
ロックな生き方その14 DVDでなくビデオのほうを借りる、しかも見ない
はやり物に流されているようではロックな生き方とはいえません。ロッカーは、時代とは関係なく、自分のスタイルを貫くものです。いくらDVDが主流になろうとも、ブルーレイのCMをやろうとも、実際はVHSを借りる、しかも一切見ない、これがロックなレンタルビデオといえるでしょう。
ロックな生き方その15 ドライブスルーで注文しておいて受け取らない
散々注文したものの、レジで停止せずに通過していく。大声で呼び止められたら、「気が変わったから」と去っていく。これがロックなドライブスルーなのです。
ロックな生き方その16 残り物を「これお土産用に包んでください」と言って受け取らずに帰る、ジーンズの丈直しをしてもらって取りに行かない、焼肉で網代えてくださいと言っといてデザートを頼む
非ロッカーなら意図的に計算して演じなければならないことも、真のロッカーはいとも簡単に成し遂げてしまいます。ロッカーはその生き様、日常すべてがパフォーマンス、エンターテイメントになっているのです。ロッカーの辞書に、常識という言葉はないのです。
いかがでしたでしょうか。まだまだ挙げればきりがありませんが、ある程度わかっていただけたんじゃないでしょうか。普段はおとなしい僕たちも、ロッカーたちを見習って、ときにはロックミュージシャンのように「ロックな生き方」をしてみるのもいいかもしれません。そうすることで、より人生が楽しくなるのです。ただし、「ロックな生き方」は一歩間違えると単なる「迷惑者」になるので注意してくださいね。
P.S.:
来週、再来週はお盆休みということでお休みです。あと、8月24日(日)15時〜星野書店(名古屋近鉄パッセ店)で「ジャパニーズ・スタンダード」のサイン会を行いますので、お近くの方はぜひ見に来てください。