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2019年07月19日
第799回「ビートル」
意外に思われるかもしれませんが、僕が初めて買った車は4WDタイプでした。国産の都市型RVが流行っていたのもありますが、わりと遠出することが多く、山野を駆け回りたいと思っていたからです。目線も高くて乗り心地も快適。特に不満はなかったのですが、ある日、他の車に目を奪われます。
「なにこれちょーかわいい!!」
近所の駐車場に停められていた、ニュー・ビートル。それまであまり関心もなく、オリジナルのビートルを見てもそこまで惹かれませんでしたが、その丸みを帯びた独特なフォルムに一目惚れ。近くを通るたびに指をくわえて眺めていました。
それから一年経ったでしょうか。黄色のニュー・ビートルがやってきました。初めての左ハンドル。まだ20代の頃です。黄色が似合う車ってあまりありませんが、ビートルのフォルムにピッタリ。また、マッシュルーム・ヘアーとの親和性も高く、当時はとにかく「似合う似合う!」と絶賛されました。もはやトレード・マークとなり、テレビに登場する機会も増え、角が生えたこともありました。いろいろな場所へ連れて行ってくれました。いつしか走行距離は10万キロを超えていました。
「きっとどこかで走っているだろう」
手放さなくてはならない状況になった時は、なかなか辛いものがありました。
今もどこかで走っている、そう信じて次の車を購入しました。新たにやってきたのは、なんと同じニュー・ビートル。色は、ベージュ。ただ今回は、カブリオレ、いわゆるオープンカーになりました。
黄色のニュー・ビートルに乗っている時に気になっていたわけでもありません。自分でもオープンカーを乗る日が訪れるとは思っていませんでした。しかし、試しに乗ってみるとびっくりしたのです。この開放感。もっと早く乗っていればよかった。同じ道を走っていても、まるで景色が違います。高速道路なんか、空を飛んでいるかのよう。黄色のビートルでは行けなかったところにまで連れて行ってくれました。たくさんの素敵な景色を見せてくれました。気がつけば、20年ほどビートルに乗っていることになります。
そしてこの度、ビートルの生産が終了との報せがありました。1938年に生産が開始され、1979年にオリジナルのタイプは終了。時を経て1997年に「ニュー・ビートル」として復活。さらに2011年には「ザ・ビートル」にモデルチェンジ。そして最後の「ビートル」は工場を出て、今後博物館に展示されるのだそう。かつて復活したからといって、同じことが繰り返されるとは限りませんが、20年後、新しいビートルが街を彩っていると僕は信じています。それまでどうにかビートル歴を途絶えさせないようにできればいいのですが。
2019年07月12日
第798回「ジョアン・ジルベルトの風」
イパネマの娘、三月の雨、フェリシダージ。ボサノバが生まれたのは1960年頃。それからずっと色褪せず、いつも心地よい音。ボサノバの風は今日も世界の人々の心を潤しています。
ジョアン・ジルベルト。彼が、ボサノバの神様と呼ばれているのには理由があります。
彼の遅刻ぐせはもはやファンを喜ばせるくらいの芸当となり、私も目の当たりにしました。開演から45分程遅れてステージに登場した彼を包む暖かい拍手。ここでは誰一人憤慨する者はいませんが、この遅刻ぐせによって、若かりし頃コーラスグループをクビになります。それがのちのボサノバ誕生につながるのですから、遅刻魔でなかったら、ボサノバは存在しなかったかもしれません。
1957年。当時26歳のジョアンはギターを抱えてとあるミュージシャンの自宅を訪ねます。そこで披露した演奏スタイルは、瞬く間にリオの音楽家たちの間で広まり、やがてアントニオ・カルロス・ジョビンのところまでたどり着きました。もう一人の神様であるジョビンの音楽も、ジョアンと出会う前は今日耳にするスタイルではなかったのです。
ジョビンの美しい歌詞とメロディーがあって、ジョアン・ジルベルトのギターと唄。こうして、新しい方法「BOSSA NOVA」が生まれました。「ボサノバの神様」と呼ばれる所以です。もし「ボサノバ」が生まれていなかったら、ジョビンの曲さえ、「イージー・リスニング」というジャンルで括られていたかもしれません。
数多ある楽曲の中でジョビン作曲の「イパネマの娘」が特にポピュラーなのは、「ゲッツ・ジルベルト」というアルバムのヒットによるもの。テナー・サックス奏者のスタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトのギター。そしてもう一人、立役者がいます。
レコーディングに立ち会っていた奥さんのアストラッド・ジルベルト。彼女自身が英語で歌うことを提案し、英語詞入りの楽曲ができたのですが、のちにシングルカットされたのは、ジョアンの歌よりも彼女の歌の部分がフィーチャーされたバージョン。すると、これがアメリカで大ヒットし、アルバムのセールスを牽引することになります。どこか気だるい唄声にスウィートなサックス、そしてジョアンのギターで奏でられる「イパネマの娘」は、世界のスタンダード・ナンバーになり、ボサノバのイメージを決定づけました。(経緯には諸説あります)
ジョアン・ジルベルトのパートをカットした当時のプロデューサーの手腕もさることながら、朗々と歌うことが当たり前だった業界で、今ではウィスパー・ボイスなんて表現もありますが、あのような歌い方とリズムはとにかく斬新だったはず。ボサノバの楽曲はジャズ界にも風穴を開け、多くの演奏家たちにカヴァーされていることはいうまでもありません。
ジョアン・ジルベルトの「三月の雨」を聞くとさらに衝撃を受けます。拍子がどうなっているのかわからない。日本人の感覚では思いつかないリズムのとり方で、もはや時空を超えています。ポルトガル語の性質もあるのでしょうが、ボッサのリズムとポルトガル語が絶妙に絡み合い、心を通り抜けていきます。
Aメロ、Bメロ、サビのような現代ポップス的構成ではないので、悪くいうと平坦。激しい抑揚がないので油断すると、その柔らかな音色に眠たくなってしまいますが、実は、指先は激しく動いていて、手のひらでサンバが繰り広げられています。軽快なリズムに乗って、少しずつ音が変化してゆく。どんなに素晴らしいメロディーがあっても、リズム次第で大きく変わるもの。そういう意味で、ボサノバのリズムは発明と言えるでしょう。
80年代。ピアノの上にあった年季の入った楽譜の中に、「イパネマの娘」を見つけました。英語の詩が添えられています。なんとなく弾いてみると聴き馴染みのあるフレーズ。きっと、どこかで流れていたからでしょう。頭の中に浮かぶイパネマ海岸。コードに対する意表を突いたメロディーラインと、リズミカルな伴奏に、幼ながらに清涼感を感じました。
ボサノバを能動的に聴くようになったのは高校時代。大学ではラテン・アメリカ研究会に入ったものの、そこではペルーやボリビアなどのフォルクローレ。そういった音楽も嫌いではないですが、どうしてもボサノバを演奏したかったので、ユニットを組んだりしました。セルジオ・メンデスのコンサートにも行きました。おしゃれなジャズ・アレンジですが、彼らも原点はボサノバ。
そして今日。こんなにもコーヒーが美味しく飲めるのも、ボサノバのおかげ。ジョアンの爪弾くリズムが、いつも僕の心を軽くしてくれます。高い山に登るのではなく、小高い丘に上がるような、ジョアン・ジルベルトの風。まるで僕の人生を、ボサノバのリズムが支えてくれているようで。
2019年07月05日
第797回「どっちが笑えるのかな?」
とある事務所では、出演料の配分が所属タレントに対して9:1からスタートし、実績を積むと徐々に変動するシステム、というのを聞いたことがあります。真実かネタかわかりませんが、そうであってもおかしくありません。
仕事があったとしてもそれは事務所のお陰なのだから、ある程度の段階までは一見理不尽とも思えるこの比率も理にかなっています。9対1どころか、ライブの手伝いなど無償での稼働も珍しいことではありませんが、それもいつしか肥やしとなるはず。経験や人との繋がりがネタになるのだから、お金よりも価値のあることでしょう。
厳しい環境にこそ、真のお笑い芸人が生まれる。今や億万長者になった人も、かつてはカップ焼きそばをコンビで分けていました。なんの保障もない世界。売れなければのたれ死んでしまうかもしれない。売れたとしても、いつまで続くかわからない。だからこそ「笑い」が宿るもの。
しかし、時代は変わりました。食えなくては芸人さんが可哀想という声も聞こえてくるようになりました。かつての抱かれたくない男が今や全国に愛されキャラになり、以前のような痛々しいことをやると「可哀想」と思われはじめたように、芸人さんに対する眼差しが変わってきました。
なんの保障もないことが笑いの土壌になっていたのに、可哀想という同情になってしまう。「守られていない」から面白いのに。守られていたら面白みが半減してしまうのに。「可哀想」な目を向けることこそ、芸人さんにとっては可哀想なのに。
笑いはお金では買えません。予算を投入すればスターが生まれるものでもありません。裕福な家庭からは「空前絶後!」は生まれないのです。
「芸人よ、不幸であれ」
これは、とあるディレクターさんの言葉。誰よりも傷ついた者こそ、そして不幸を背負った者こそ、人に笑いを提供できる。どんな逆境をも笑いに昇華させる。結果的に、不幸から幸福になっている芸人さんは数多おりますが、お金よりも笑いがほしいはずです。
最初から安定した給料の中で福利厚生もしっかりしていて、たとえ才能がなくても将来が保障されている芸人さんが一人か二人いても構わないですが、それが当たり前になったら、もはやコントの世界。補助金を受け取る補助金芸人や、国が運営する国営芸人まで登場しそうです。
憧れる者が無数にいる中で、才能ある者がのし上がってくる世界こそ健全なシステム。生活を保障するのではなく、才能を守るのが事務所の役目。芸人は、それくらいの覚悟で門を叩くもの。生活を保障してくれというのは、それに見合った実力があって初めて主張できるものだと、私は思います。
生活も未来も保障されている終身雇用系芸人と、明日すら保障されていない芸人と、面白いのはどっちなのでしょう。