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2013年02月10日

第519回「シリーズ人生に必要な力その53忘却力」




 そうして僕は、トンネルに差し掛かるたびに自らの太腿をつねるようになっていた。





「また、忘れた…」





 自分でもうんざりする。昼間だというのに僕の車は光を発射しながら走っていたのか。エアコンをつけっぱなしで帰宅したときのような、なんともいえない虚無感に襲われる。無駄な光。どこで点けてしまったかといえば、もうきまっている。トンネルを通過しようとしたあのとき。たとえ昼間だろうと、どんなに短かろうと、基本的にライトを点けるもの。しかし、点けたのはいいけれど、必ずといっていいほど消し忘れてしまう。暗闇を抜けるころには、新たな光に心を奪われ、自ら発している光のことなど気にも留めていないのだ。昼間にライトを点けて走る車はやはりみっともない。





「絶対忘れないぞ!」





そう心に誓っても、トンネルを出るころには忘れてしまっている。トンネルのなかで新たな情報なんてないのに、すっかり「消す」ことを忘却の彼方に葬り去ってしまう。喉元過ぎればというが、トンネル過ぎれば光忘れる、というところだろうか。そして、車を停めて、エンジンを切った際に音が鳴り響く。





「ピー!!!!」





ライトつけっぱなしの警告音。またやってしまった。あんなに誓ったのに。もう、この音を何度耳にしたことか。途中で気づくこともない。どうせなら、トンネルを出た際に鳴らしてほしいものだ。心への刻み方がたりなかったのか。そうして僕は、トンネルに差し掛かるたびに、太腿をつねるようになったのだ。





「ライトをつけた!僕はいま、ライトをつけた!」





わさびを舐めながら年号を覚えるとよい、というのを聞いたことがある。痛みを伴って覚えると、その記憶は強固となる。たしかにこれまでの人生を振り返っても、痛みが伴っているほうが記憶に残っているかもしれない。ついつい消し忘れてしまうのは、ライトを点けたことに痛みが伴っていないから、そう考えた男の生き様。





「ピー!!!!」





しかし、他者から与えられるそれと違って、ほどよい加減になってしまった痛みは、記憶を強固にするほどの効力は持っておらず、大きな改善はされなかった。どうしてこんなにも忘れっぽくなってしまったのか。年齢のせいか、情報過多のせいなのか。きっとこれから先、もっと激しくなるのだろう。この忘却と向き合いながらいきてゆかねばならないのだろう。「ライトを消す」という意識はいったいどこへいってしまったのか。パソコンのごみ箱のように、宇宙のどこかに「忘却BOX」なるものがあって、そこを探したら、ぷかぷか浮かんでいるのだろうか。





年々勢いを増してきた忘却を敵とみなすか、味方とみなすか。たしかにライトの消し忘れは悔しいけれど、忘れることは決していけないことではない。コンピューターのように、どうでもいい情報をいつまでも覚えていたら、頭がおかしくなってしまうだろう。忘却は偉大で、忘却は力。それは単に情報を失うということではなく、きっと人生を楽にしてくれているのもの。そう、年を重ねるにつれ、どんどん楽になる。だから、覚えている必要のないものは率先して忘却BOXに任せたほうがいい。忘却は素晴らしいものと、受け入れ、楽しむことが大事。そう思えば、「ピー!!」という音色もまた違ってきこえてくるはず。人生には、忘却力が必要なのだ。



13:40 | コメント (0)

2013年02月04日

第518回「プラネタリウムでDJを」




 そういえばプラネタリウムに一度も足を踏み入れたことがない、ふと思って一般的にはどうなのか訊ねてみれば、学校の行事だとかおそらくデートだとかでなんだかんだ、たいてい1、2回は行ったことがあるようで、僕のようにまだ一度もという人のほうが稀なようです。どこにあるのかと調べてみれば、郊外はもちろん、都心にもあったり、それこそヒカリエができるまえにはあそこにもあって、いまは場所を移して渋谷の上空にも満天の星空が映されているようだけれど、都会の最新型もあれば、田舎の丘の上に天文台と並んでひっそりと佇むものもあり、人々はあいかわらず夜空に思いをはせているようです。





 いつからか僕は、躍らせないDJというのに関心を持ちはじめました。DJなのに躍らせないとは、どこか腑に落ちないかもしれませんが、ラウンジのDJや結婚披露宴でのウェディングDJなど、(心は躍らせるものの)躍らせないDJを何度か経験して思うのはやはり、その環境に見合った音をセレクトすることがDJであって、闇雲に踊らせるだけがDJの役目ではないということ。それこそクラシック音楽だって、セレクトすれば立派なDJなのです。





躍らせるのでなく、ただ、聴かせる。その空間としていま目を付けているのが、前述のプラネタリウムになるのです。というのも、カフェでの音楽が、その重要度を50とすると、プラネタリウムのそれは80といってもいいくらい、音楽との相性、音の重要度は高いでしょう。満天の星空を眺めながら心地よい音楽を聴く。星たちがミラーボールのように輝く空間。無数の星たちもと無数の音符たち。お互いが光を与えることでしょう。もちろんこれまでだってプラネタリウムは心地よいもの。披露宴にしてもそう。わざわざそこでDJをしなくても成立はします。やる必要はない、だからこそ、やりたいのです。





星と音楽と、あとは香りもあるといいかもしれません。座り心地の良い椅子。あまりに心地よくて、あちこちで寝息がきこえてくるかもしれません。でも、きっと夢のなかで星空を満喫していることでしょう。そうやって星空の中を飛びまわることができたらDJは成功です。そしてロビーには、そのCDが販売されているのでしょうか。だから、最近つくる音は、プラネタリウムでかけることを意識せずにはいられません。





かつては健康ランドや温泉でDJしたいという願望もありましたが、それもまだあきらめたわけではありません。いろいろな空間でDJをしたい。必要とされていない場所こそ、やってみたくなります。どんなに悲しい日でも。プラネタリウムDJ。やがて実際の星空の下でもやるでしょう。またふえてしまったやりたいことこそ、星の輝きと言えますね。



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