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2009年06月28日
第366回「不自由への手紙〜それが甘いかどうかもわからないまま僕たちはやがて不感症になるのだろう〜」
こんな風にキミに宛てた手紙を書く日が訪れるなんて考えもしなかったから自分でも驚いているのだけど突然手紙を書いたのはどうも具合がよくないからだ。といっても胃でも腸でもない、キミがこの世を去ってからみんなの様子がおかしいのだ。具体的になにがと問われると困ってしまうがなんというか空気がよどんでいる感じ。全体的に漂う虚無感や喪失感になんだかとても息苦しい。ちょっとしたことでイライラするしすぐ他人を批判する。胸に隙間ができたような寂しさに突如襲われたりもする。このことがキミに関係あるのかどうかはわからないがタイミング的にそう考えてしまいたくなる。でも勘違いしないでほしい、キミがいなくなってすぐにこんな風に思ったりはしなかった。むしろキミがこの世を去ったときは本当に嬉しかった。だってキミは本当に邪魔でしょうがなかったから。みんなに迷惑かけるから世の中はキミを排除することしか考えていなかった。キミがいなくなることを誰もが望んでいた。だから、もう耳に届いているかもしれないが、キミがいなくなったときはみんな、それこそ僕だって両手をあげて喜んだ。もうお祭り騒ぎのように。なにもかもが簡単に手にはいる不自由のない世界。みんなが願っていた時代が遂に到来したのだ。
でもどうしたことか、僕が考えすぎなのか、状況がよくなくなってきた。現実はどうもイメージと違った。なんでもあるのに満たされない。手ごたえや実感がない。最初は気のせいだと思った。こんな素晴らしい世界に不満なんてあるわけない、なにかの勘違いだと。でもあるとき思った。実感がないのはキミがいなくなったからじゃないかと。もしかしたらキミがいたときのほうがよかったのかもしれないと。クラスにひとりは邪魔な存在がいたけど、いざいなくなるとなんだか張り合いがなくなってしまうような。甘いものあとにしょっぱいものを食べたくなるような。いまはなにを口にいれてもどれも甘く感じてなんだか味がよくわからなくなってしまい、それでほんの少し苦味がほしくなってきているだけなのかもしれない。でもいまになってキミという存在の意味に気付いてしまったのだ。
だからといって、帰ってきて欲しいとか、いまさら評価しようというものでもない。なぜならキミにはいてほしくないから。悪ガキだと思っていた奴がいざ転校したときに「あいついい奴だったな」といい面ばかりが浮上してくるもののだからといって悪ガキが戻ってくることを誰も望んでいないのと同じようにいくらキミが必要な悪だとしてもみんなあの頃には戻りたくはない。キミのいる世界を望んでいないのだ。だからこの手紙は単なる報告にすぎず、キミはそういうタイプではないだろうけど、もし去ったあとの状況を気にしていたらと思って気を利かせてみただけだ。だからキミを追い出したことは間違ってないし後悔だってしていない。これからキミに代わるなにかを見つけるか、このまま甘いものだけを食べ続け、ぬるま湯に浸ってそのうち感覚がなくなりやがて感情を失って無機質な生物になるのだろう。それが人類の進化でありそれが平和というならそれでいい。感情に振り回される心配もないのだから。キミがいたときのほうが僕たちはもっと奥行きや深みがあった。もっと余裕があった。キミがいなくなっていろんなものを獲得した僕たちはなにか大切なものを失ってしまったのかもしれない。失ったものに気付かないままこうして僕たちはどんどんうすっぺらくなっていくのだろう。それも悪いとは思わない。気付かないのだから悲しむ必要もない。スイカにかける塩を失ってそれが甘いかどうかもわからないまま僕たちはやがて不感症になるのだろう。別にそれを危惧しているわけでも悲観もしていない。キミに戻ってきて欲しいとも思っていないし戻ってくれば解決するとも思っていない。ただ、あの頃が懐かしいというだけで。
2009年06月14日
第365回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
最終話 step into the sunshine
レモンの香りがまだ消えないうちにリスボンの街が見えてきました。太陽に照らされた港町は3日ぶりにしてもはや懐かしく、これまでいた場所がずっと田舎だったからマンハッタンのようにすら感じます。キリスト像を右手に橋を渡り、初日に泊まったホテルに荷物を置いて車を返却しにいきました。
「おかげで楽しい旅ができました」
モンサラーシュ、モンサント、サグレス、マルヴァオン、興奮気味に旅の報告を受ける女性が笑顔で頷いています。旅のすべてが詰め込まれたcdを取り出し、忘れ物はないか最後のチェック。ずっと運転手のわがままに付き合ってくれたこの車ともお別れです。こんなに走らされるとは思っていなかったでしょう。
「ムイトオブリガード」
3日前よりもいい発音になっていることに気付いたのかいないのか、彼女は手を振り見送ってくれました。今日はポルトガル最後の一日、明日の朝にはもう空港に向かわなければなりません。
ここを出発してからこれまでにどれだけの人に道を尋ねたことでしょう。どれだけオブリガードと発したことでしょう。たくさんの人たちと言葉を交わしながらここまで来ました。たくさん会話をしたからいつも心は満たされていました。地図を書いてくれた人たち、途中まで送ってくれた人たち、10分くらいかけて説明してくれた人たち、本当に地図は不要かもしれません。たくさんの親切、彼らにとって人のためになにかをすることは面倒くさいことでも厄介なことでもなく、むしろお世話を焼きたいくらいなのかもしれません。だから道に迷ってもたとえ言葉がわからなくても大丈夫。彼らの表情を見れば安心するのです。その親切な人たちとももうすぐお別れしなければなりません。そして、あの太陽とも。
今回ほどその存在を実感したことはありません。まるでいままで見ていたものとは別の太陽に出会ったかのようです。太陽が愛おしくすら感じました。太陽が昇り、日が沈むことがどんなに素晴らしいことか。普段あたりまえに思って感謝することを忘れていました。朝が訪れること、明日があること。太陽があること、自分が存在すること。もしかしたら、あたりまえなんてないのかもしれません。そう思うと木々や雲や鳥たち、石までもが愛おしくなり、すべてに感謝の気持ちが生まれます。すべてがつながり、ひとつであることを実感できるのです。自然にも太陽にも、そして家族や友人、あたりまえに存在するものにありがとうを言いたくなるのです。毎日ありがとうを言える生活がどんなに素晴らしいことか。それがきっと、心で生きるということなのでしょう。
世界は旅人にやさしい、旅をすると人のやさしさを感じられる、海外を訪れる度に思います。でも今回特に実感したのは、世の中に足りないのは愛じゃない、ということです。
世の中に愛はたくさんあって、人の中にもたくさんあって、ないのは愛を感じる心やタイミングであって、いまの世の中のシステムがそうさせているだけ。社会が便利になりすぎて「愛」を感じることが難しくなってしまったのです。便利かどうかのものさしも大切だけど、愛を感じられるかどうかのものさしも大切で、いくら便利になっても「愛」を感じられない世の中ではいつまでたっても満たされないのです。きっとそれは政治家がコントロールすることではなく、人々がいつかそのことに気付くだろうしもう気付いている人もいるでしょう。だから決してポルトガルの人たちが特別なのではなく、ただそれを感じることや表現する機会を失ってしまっただけ、愛を感じる道具を使わなくなってしまっただけで、ほんとはみんな愛に溢れているのです。耳に栓をしてしまうように、目を閉じてしまうように、心を使わなくなった僕たちが心で生きることができたなら、心を豊かにできたなら、おのずと身の回りの愛が見えてくるはず。それは決して難しいことではなく、ちょっと考え方をずらすだけでいいのです。旅をしなくても人のやさしさを享受できるのです。
僕たちは少し、迷惑をかけることを恐れすぎなのかもしれません。人に寄りかかることを避けるようになり、それが悪いことのような風潮になってしまいました。それは嫌がらせをするということではありません。生きる上で誰かに依存することや助け合うことは決して悪いことではなく、むしろ、ひとりで生きていると勘違いしたり、ひとりで生きようとすることのほうがよっぽど間違いなのです。もっと人は上手に寄りかかるべきなのです。
僕は信じています、世界は愛に溢れていることを。人は愛に溢れていることを。人類は命を使ってそれを絶やさないようにしているのでしょう。天国というものが実際あるのかわからないけど、もし存在するとしたらそれはまさに今なのかもしれません。人は命を失ってから生の世界の美しさを知るのです。
青い空と白い建物。オリーブやコルク樫。果てしなく続く草原。のんびり草を食む羊たち。そして言葉では表現できない瞬間がありました。ガイドブックには載っていない光景や温度、空気や色、たくさんの親切がありました。たくさんのありがとうや笑顔がありました。あのとき草原を駆け抜けた風を、僕は一生忘れないでしょう。ずっと大地を照らしていた太陽も。
step into the sunshine、本当のサンシャインはポルトガルの人々の心だったのかもしれません。荒い運転に荷物を揺さぶられていたあの頃。そして僕は、太陽に輝くリスボンの街へと繰り出しました。
さよなら親切の国〜step into the sunshine〜おわり
PS:ほんの数日間のできごとを数ヶ月に渡ってだらだらと書き連ねてきたこの連載を毎回読んでいただいて本当に感謝しています。観光名所も大きな事件もなく淡々と進む紀行文。自分の旅の記録とはいえ、みなさんの言葉がなかったらここまで辿り着けませんでした。本当にありがとうございました。いつか、文中に出てくるBGMもみなさんに届けることができたらと思います。それでは長いようで短かったポルトガルの旅、お疲れ様でした。とりあえず来週はお休みしますので、その次の日曜日にお会いしましょう。
2009年06月07日
第364回「さよなら親切の国〜step into the sunshine〜」
第十話 車のいろはレモンのいろ
「どうしたの!」
前日チェックアウトしたばかりの日本人の訪問に彼女は、「目を丸くして」という言葉はここから生まれたんじゃないかというくらい目を丸くしていました。
「この村が忘れられなくて」
また来ますと言ったもののまさかこんなにも早く訪れるとは夢にも思わなかったでしょう。さぁさぁはいってと言う彼女の前を長旅の疲れと安堵に満ちた表情の青年が通過しました。
「もう閉まってるかなぁ」
夜の11時。とりあえずベッドは確保できたものの尋常じゃないほどの空腹に見舞われています。荷物を置いて急いで向かった一軒目のレストランはもう暗く、残すはあのお店しかありません。3回目、しかも昼にも訪れていることを若干気にしながら向かった生ハムのお店の扉からうっすら光が漏れていました。看板には昼間と同じ文字のプレートがかかっています。
「ボワノイテ」
扉が開くと光と音が3度目の来店者を包みました。この時間は平野レミさんの姿はなく、席に案内してくれたのは前にホテルを教えてくれた店長らしき女性。この時間は風が冷たいのでテラスにはいきません。せっかくだから違うものをと思った僕の指はやはりいつものメニューを指し、彼女も説明を聞くまではパンから生ハムを取り出す光景を心配そうに見ていました。
「いないなぁ」
食事を終えた僕は落し物でも探すように石畳の上を歩いていました。教会の前、照明の前、頭の中では鳴き声が聞こえるのにどこにも姿はありません。大西洋のサンセットを捨ててたどり着いた現実はそう甘くはなかったのです。
「飼い猫なのかな…」
もしかしたら誰かの家の中にいるのかもしれない、そう思った瞬間、猫らしき姿が視界にはいりました。あの猫だろうか。一瞬にして気持ちが高揚した僕の目の前にいるのは確かに猫ではあるものの、あのときとは違う猫でした。
「どうしてあの猫じゃないとだめなのだろう」
猫なんてどれも同じなのに、どうして別の猫じゃだめなのだろう。どうして僕はこんなにもあの猫に会いたいのだろう。猫なんてどこにでもいるのに。たしかにあの夜一緒に石畳を歩いた猫は世界でただ一匹。あの猫とほかの猫との違いは同じ時間を過ごしたかどうかだけなのか。なぜ人は会いたいと思うのか。なぜ人は抱きしめたいと思うのか。いろんな想いが頭の中を駆け巡る僕の体を撫でるように冷たい風が通り抜けていきました。
「ボンディア」
目を開けると窓から光が差し込んでいました。陽光に輝くレモンの木の下で洗濯物を干す女性が見えます。
「マルメロって知っていますか?」
映画「マルメロの陽光」で知った果実の名前は彼女を何度も頷かせました。こちらではジャムなどにして食べることが多く村のお店でも売っているそうです。マルメロではなくレモンの陽光を前に目を細めるふたつの顔がカメラに納められました。
「あら、また来たの!」
平野レミさんも目を丸くしていました。さすがにもう厨房で話題になっているかもしれません。「あの人、よっぽど生ハム好きなのね」と。もし言葉を交わしていなかったら不審な目を向けられていたかもしれないけど、ずっと会話をしてきたのできっと今後何回訪れても何度同じものを注文しても不審がられることはなさそうです。むしろ別のものを注文するほうが不審に思われるくらいで。もはや常連客となった男性の前にいつものセットが置かれるとサンドウィッチの解体ショーがはじまりました。もう、心配してやってきたりはしません。明るい笑い声だけがアレンテージョの平原に下りていきます。金色の髪とブルーの瞳が太陽に輝いていました。
「また来ますね」
それがいつになるかわからないのにまるで明日にでもくるかのように伝えて店を出た僕を信じられない光景が待っていました。
「うそ…」
ほかの誰よりも目を丸くしました。あのときの猫がそこにいます。太陽の光を浴びてちょこんと石畳にお尻をつけています。東京ラブストーリーの曲が流れました。僕のことを覚えているのだろうか。ゆっくり距離が縮まっても彼女は逃げようとしません。これは夢なのか。そして僕の指が彼女の肌に触れました。
「会いに来てくれたんだね」
日向ぼっこをしていた体が僕の指をあたためています。また会えるなんて。記憶の中にあったものと同じ鳴き声が何度も耳からはいってきます。なぜ会いたいと思うのか、なぜ抱きしめたいと思うのか、少しだけわかった気がしました。
「じゃぁね」
それは人生最大の遠距離恋愛でした。おそらく今後この距離を超える恋は訪れないでしょう。いずれにしてもまたこの村に来る理由が増えました。何度も手を振りながら門をくぐる僕を彼女はずっと見つめているようです。この中は果たして現実だったのだろうか。でももう現実かどうかなんてどうでもよかったのです。
「また会えるといいな」
すべての心が満たされて、モンサラーシュをあとにしました。向かうは3日ぶりのリスボンの街。太陽は今日も輝いています。車の中はレモンの香りが漂っていました。