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2008年01月27日
第302回「地球のため」
僕が受験生の頃、一日何時間も勉強できたのは、自分の将来のために受験するんだという意識を持てたからで、もしもあのとき、やらされていると思っていたら、それほど頑張れなかった気がします。それだけ人間は、意識の持ち方次第でどうにでも変わるものです。
これから人類は、「地球のため」にしなければならないことがたくさんあります。受験勉強は一年ほどでしたが、「地球のため」はおそらくこれからずっと取り組まなくてはなりません。世界規模でいうと、二酸化炭素の排出量を削減しなければならないのですが、個人レベルであげると様々な「地球のため」があります。でも、人間はいつだってラクをしたい生き物です。少しずつ環境に良いことをやるのはとても大事ですが、どこかムリをしたり、我慢を強いるようでは長続きしません。いつか破綻してしまいます。というのも人類は、欲望に反して行動できないからです。
当然、個人レベルや一時的には可能です。目の前のケーキをどうにか我慢することはできます。でも一生となるとなかなか難しいものです。ましてや、世の中からケーキをなくすことになったら暴動が起きてしまうかもしれません。人間は生きている以上、贅沢をしたいし、お金も欲しい、という欲望が生まれるのはしょうがないのです。これまでの文明も、そういった人類の欲望が支えたといっても過言ではないでしょう。だから人間は法律で罰することでもしない限り、ひとつの欲望に打ち勝つことは難しいわけで、欲望を否定することはできないのです。ただ、欲望をコントロールすることはできます。
時折、「子供の寝顔を見ると、仕事をもっと頑張れる」という話をききます。また、小さい頃は面倒くさかった親孝行も、自分が大人になって親の大切さを知ると、それは面倒くさいものではなくなります。その大切さ・かけがえのなさを知ることによって愛情が生まれ、自分の損得とは関係なく、子供、親を守りたいという新たな欲望が生まれるのです。いい例えかわかりませんが、ヘビースモーカーのお父さんが、子供が生まれたことによって禁煙するようなものです。
それらと同じように、地球に対する愛が芽生えて、地球を守りたいという欲望が生まれさえすれば、「贅沢をしたい」などの欲望を抑えることができるわけです。ムリをせず、欲望のままに「地球のため」ができるのです。
では、地球に対する愛はどうやったら芽生えるのでしょう。いくら温暖化だからといってても、頭の中で損得を計算した結果、エコロジーに取り組むことになってしまいます。そうではなくて、親が子供の面倒を見るように、人類が地球に対して愛を注げるようになるには、どうしたらいいか。それは、地球を知ることしかありません。それしかないのです。地球の現実を知るしかないのです。それはデータでも悪くはないですが、データは所詮データです。子供のデータをみて愛情はわきません。親のデータだけでは愛はうまれません。ありのままの地球を知ることが大事なのです。ありのままの地球を知ることは、地球への愛を芽生えさせ、地球を守りたいという欲望を生み、無限の情熱を注ぐことになるのです。
そんなことを思っていた矢先、公開されたのが映画「アース」です。本来であれば、北極の氷が解ける瞬間の轟音を体で感じたりすることがいいのでしょうが、それはそれで現実的ではありません。でも、それに負けないほどに、地球の素顔が迫ってくるのです。
「アース」を見て、地球を知ることによって、地球に対する愛が芽生えるはずです。それは、人類が住めなくなるからという、人間主体の考えではなく、本当に地球というものが愛おしくなるのです。また、なかで登場する動物たちを見ていると、いかにけなげであるかがわかります。それと同時に、いかに人間が横着でラクをしているかを痛感します。人間の脳の大きさを責めてしまいたくなるほどです。日常生活のなかで、つねに、地球の裏側を思い浮かべるようになるのです。
僕は以前、「過去の人間は、現在のそれよりもどこか残酷だ」といいました。もしかすると、これからの人類は、そんな地球への愛情があたりまえになる時代なのかもしれません。いつも言っているように、温暖化はきっかけにすぎないわけで、人間が住める住めない、ではなく、地球に生まれてきた僕らはその瞬間、地球に愛を抱いてなければならないのです。その新しい価値観がいま、植えつけられようとしているのです。だから、贅沢をまだ経験していない国の人々に「贅沢をするな」と欲望を否定するのではなく、地球を知ってもらい、欲望をコントロールするしかないのです。
ちなみに「不都合な真実」も同じく地球を扱っていますが、どちらかというとデータとゴアさんのかっこよさだけが残ります。なので、両方見るに越したことはないのですが、僕は「アース」をオススメします。それも、DVDになってからではなく、巨大スクリーンで観てください。「一体これどうやって撮ったの?」と考える間もなく、次々と地球の素顔が迫ってきます。僕は、映画を観て2週間たったいまでも、動物たちの息づかいが忘れられません。
「地球のため」に何かをしたくても何をしたらいいかわからない、という人もいるかと思います。そんな人にこそ観て欲しいです。「アース」を観るだけで、それは充分「地球のため」なのです。「アース」を観て、地球に愛を抱くことが、「地球のため」の大きな第一歩なのです。そして願わくば、友人にも勧めてください。人類がみな、地球を愛おしく思いはじめたら、本当に世界は変わるのです。
1.週刊ふかわ | 10:24 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月20日
第301回「勇気ある決断?」
30歳になってから毎年恒例にしていたお正月の海外旅行に向けて、9月の下旬くらいからすでにオーディションが始まっていました。オーディションといっても、そんじょそこらのオーディション以上に審査は厳しく、オリンピック招致に近いものがあります。熟考に熟考を重ねて、あぶりだすように開催国を決定するのですが、その長期に渡る厳しい審査を通らなければ、僕を招致することはできないのです。
「うん、ドイツのお城巡りもいいなぁ、イタリアもいいけど日本人多いかな、スペインもいいらしいけど、もう一回アイスランド行ってオーロラっていうのもいいなぁ...」
今回はヨーロッパ以外も視野にいれました。
「いや、ブラジルでボサノバっていうのもありだし、それこそこの機会にナスカの地上絵もいいかもしれない、そうなるとエジプトも行きたい...」
僕の本棚には、もうすぐ地球の歩き方が全巻揃いそうです。
「さぁ、どこにしよう...」
それは大規模なオーディションでした。ヨーロッパのみならず、世界規模のオーディションです。しかし、どの国もいまひとつピンと来ませんでした。どこかしっくりこなかったのです。
「じゃぁ俺はどこで正月を過ごしたらいいんだ!!」
そんな苦悩の日々を送っていたあるとき、ひとつの考えが浮かび上がってきました。それは、どこかの国の名前ではありません。
「本当に、海外に行きたいのだろうか...」
それは、すべてを覆しかねない発想でした。もしかしたら、お正月は海外で過ごす、というルールを決めてしまっているから、その場所を探しているだけなのではないだろうか。心のどこかで、海外に行かなくちゃいけない、という固定観念のようなものに縛られているのではないだろうか、そんな疑問が生まれたのです。
「いや、そんなことはない!行きたいところがあるから行きたいんだ!」
たしかに行きたい所はありました。ポルトガルが最終審査を通過しそうになっていました。というのも、首都のリスボンではなく、あまり知られていないもっと田舎のほうに魅了されていたのです。基本、ヨーロッパのよさは、郊外にあると思っているのですが、ガイドブックの片隅に映るその田園風景はとてものどかで牧歌的で、素晴らしい世界がありそうなきがして、少し気持ちはそこに向かっていたのです。しかし、そんなポルトガルへの引力から引き戻そうという力が、もうひとつあったのです。
「しかも、やらなきゃいけないこともあるしな...」
海外にいっていろいろ経験することも大切だけど、日常の中でやりのこしていることも気になっていました。いつかやろうやろうと言ったまま結局あとのばしになって、中途半端な状態でとまっていたものがいくつかあったのです。それを思うと、少しだけ気が引けてしまうのです。
「いやいや、いつものようにノートパソコンもって行けばいいじゃない!それに帰ってきてからやればいいわけだし!」
こうして、海外への引力と、固定観念への違和感・自分の創作意欲の引っ張りあいになりました。
「海外いこうぜ!!」
「じっとしてようぜ!!」
しばらく拮抗状態が続きました。そして、年末にさしかかってようやく勝敗がつきました。
「よし、海外はやめよう!お正月はじっとしていうよう!」
そして、今年の正月は海外に行かず、じっとしていることにしたのです。つまり、自分の頭の中を旅することになったのです。普段仕事の合間にこなす場合、どうしても一回一回頭の中を通常モードに切り替えないといけなくて、それだと頭の中の奥の奥まで進めません。だから、2008年のお正月はとことん頭の中を旅しようと決めたのです。その結果、ほとんど自宅にこもり、外界との連絡も絶っていたような状況でした。
ということで、いつになるかはわかりませんが、今回の頭の中の旅行記は必ずどこかで皆さんに届けたいと思います。あぁ、考えない一年にしようと思っていたのに。2008年もよろしくおねがいします。